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正直なだけマシかもしれない。

 中国の国策報道をあざ笑う日本の国民はこの国のマスコミがやってきたことを余り考えたことがないのかも知れない。やっていることは中国のマスコミと五十歩百歩だ。    中国はあからさまに政府の政策に沿った報道をすべきと規定しているが、日本は報道の自由が保障されているにも拘らず実に偏った報道に終始している。この方がよほど姑息ではないだろうか。    たとえば食料自給率に関してもカロリーベースで表示しているのは世界でも韓国と日本ぐらいだ。ほとんどの国では消費金額ベースで表示している。カロリーベースでは百%近く自給している野菜や牛乳などはほとんどカウントされず、反対に穀物のうち米は百%だが小麦はゼロ%に近い。そうしたことから不当に低い自給率が弾きだされ、国民に危機感を煽っている。しかし世界標準で自給率をカウントすれば67%となり英国の61%を上回る。    日本のマスコミは意図的して取材せず怠慢を決め込んでいる。国会議員一人当たり専有面積100㎡を確保する立派な議員会館が完成したと報じても、坪単価幾らで総額幾ら掛ったかを記した記事はどこにもない。    第三の権力として政治家と官僚を見張る役目があるにもかかわらず、日本のマスコミは特定の政党や特定の政治家を叩き潰そうと躍起になる妙な癖を持っている。そして国民世論を操作して根拠の良く分からない世論調査で政局を左右する。テレビ時代の大衆報道となって政治が大衆化したのは良いかも知れないが、政治の扱いまでもお笑いとあまり大差なくなっては政治への敬意は薄れてしまうだろう。    国民は自由を保障された社会で一方的なマスコミ報道の不自由さに辟易している。これでは中国のマスコミのように「日本の大マスコミは官僚と検察に奉仕する」と発言した方が正直ではないだろうか。

マニフェストの重みを。

 枝野氏や玄葉氏などが小沢氏の執行部批判に対してさっそく反論しているようだ。さすがは「イラ菅」を首相とする子供内閣の閣僚だ。子供の喧嘩のように一兵卒に向かって騒ぎ立てているのは何とも彼らが一兵卒に見えてくる。今選挙のさなかに彼らがなすべきは小沢氏への反論ではなく、国民へのマニフェスト変更の経過と丁寧な説明のはずだ。    前回のマニフェストは総選挙の前に取り纏められ、それを以て政権交代を果たした重いものだ。新政権では全力でマニフェスト実現へ向けて邁進すべきを、変更したことを批判されると「小沢氏は人気取りの発言をしている」と反論している。  はからずも前回のマニフェストが人気取りのものであったと馬脚を現した格好だが、さも現実路線へと切り替えた自分たちの方が正しいといわんばかりだ。    菅氏が税制論議を始める、と発言したのなら問題はなかった。しかし踏み込んで10%に言及したのは国民へではなく財務官僚に対する人気取りだ。直接支給も規模を縮小して制度事業を拡大しようとするのは官僚組織の肥大化をもたらすものだ。そもそもマニフェストの見直しをするように言ったのは当時の幹事長小沢氏かも知れないが、それを取り纏めて発表したのは現政権だ。しかし最終的に党内論議を経て機関決定されたものか、不透明な感は否めない。    一兵卒へと降格させた小沢氏も含めて、民主党は党内で議論したのか寡聞にして知らない。小沢氏に執行部批判させたくないのなら、すべての民主党議員が出席する議員総会にかけて新マニフェストを採択決定すべきだった。そうした手続きを経ていないのなら一兵卒議員の批判には真摯に耳を傾けるべきで、批判で返しては子供のようだといわれても仕方ないだろう。    新執行部の子供らしい不手際は小沢氏に対する反応だけではない。選挙のさなか選挙後に連立を組む相手候補の名を挙げるとは何事だろうか。現にいま組んでいる連立党に対して失礼なだけでなく、名を挙げられた党に対しても礼を失していないだろうか。いやそれよりも、与党だけでは過半数に達しないとの選挙分析でも出ているのだろうかと邪推されかねない。今は目の前の選挙に全力を尽くすべき時であって、同僚議員の批判に対して苛立ったり選挙後の政局を語ったりする時ではないはずだ。    彼らには大軍団を総指揮して選挙を戦った経験がないのだろう。目の前の事態に冷静な対応が

将来の情報化社会への対応も想定したものに。

 行政のIT化は避けられない。今後とも行政改革とともに個人情報を一纏めにして管理する要請は高まりこそすれ、情報をシステムごとで管理する方向には向かわないだろう。    その場合、システムごとに個人の番号を設けるのは何とも無駄だし統合する場合には障害にすらなるだろう。    役所へ行って非効率だと思うのは窓口で連動しているはずのものがシステムで統合されていないか、もしくは窓口担当者のIDコードの侵入範囲が限定されていて侵入できないのか、あっちこっちの窓口へ行って資料を取らなければならない場合などだ。    国家で個人情報を一括管理するのは当然の趨勢だし、その場合は個人で覚えられない個人コードなど設けても仕方ない。ためしに今すぐ自分の住基コードを諳んじられる人がいるだろうか。    何処にいても大抵の人が自分の個人コードや家族の個人コードが分からないようでは困る場合が多い。個人が特定できるためには西暦の生年月日や漢字表記の氏名や戸籍上の住所を並べて個人コードとし、個人のIDとして暗証コード五ケタを加えたもので登録すれば良いだろう。    あたかも銀行の預金通帳のように口座番号が一連の生年月日・氏名・戸籍住所であり、暗証番号がIDコードとして個人が自由に変更登録できるようにしておけば良い。そうすれば将来役所や個人のPCから各種証明書が自由に取れるだろう。個人情報管理のために取得した履歴をネットで閲覧できるようにしておけば安全性が増すだろう。    この国の非効率は各省庁が巨大なメインフレームを抱え込み、巨額な経費をかけて運用している割には行政の効率化に寄与していないことだ。地方自治体も個人情報を国家情報局(仮称)へ問い合わせれば済むようにしておけば良いし、住民票の転入転出も各地方自治体から国家情報局へ報告するようにしておくことだ。    そこには現在地方自治体や国家機関が知り得ている個人情報をすべて集めることが必要だ。さもなくば行政効率に寄与することはできないし、社会保険はその窓口へ行かなければ情報が取得できないとか、所得証明はしかるべき窓口へ行かなければならないとか、資産証明もしかるべき窓口へ行かなければならないとか、国民に負担を強いる現在の官庁が変わらないだろう。すべての情報を集中管理させておいて国家や企業が勝手に個人情報を使わないように監視する委員会を設置しておくこ

選挙は国の将来の選択だ。

 生活が第一なのはいうまでもないが、政治家は国の将来像を国民に示す義務もある。普通の人が頑張ってどういう国にして次の世代に渡すのか、ということも国民に問わなければならない。民主党も憲法調査会を党内に設置するとしているが、議論はまだのようだ。しかし政権を握る政党がその体たらくでどうするつもりだろうか。    万が一にも北朝鮮が暴発したら、韓国とともに米国は戦うことになるが日本は憲法の縛りで手も足も出ない。国際的に普通の国は同盟国が攻撃を受ければ支援するのが常識だ。日本が国際的には非常識な国として存在し続けるのは将来の日本国民のためにはならない。そうした有事を想定して法整備をしておくのが責任ある政党というものだ。そうした意味では日本には戦後一貫して責任ある政党は存在しなかったことになる。    自民党であろうと民主党であろうと、党としての憲法論議を平生から国民に分かるように開示しなければならない。だが憲法議論が行われていないとしたら、政治家として怠慢の誹りは免れない。後生大事に憲法第9条を桐箱に入れて奉っていれば平和が保てると考えるのは日本がいつまでも米国の隷属国家であって良とする考えだ。そうした国で愛国心を育てるのはコンクリートに種を撒くようなものだろう。    始まっている参議院選挙のマニフェストで民主党は憲法の在り方を明記していないようだが、それはこの国の基本問題を未解答のまま答案を提出したようなものだ。「普通の人が頑張れる国」も結構だが、普通の国家なら当然持つべき軍隊を持たないとしている姑息なレトリックをどうするのか。そろそろ憲法解釈で乗り切るのをやめて、国民に日本国のカタチを問う国民投票をする時期が来ているのではないだろうか。

原理原則は守るべきだ。

 民主党は去年の夏に官僚制内閣打破を掲げて国民の支持を仰ぎ政権を得た。それからわずか八ヶ月で国民の審判を得ずして方向転換したのでは単に政権維持のためにマニフェストを破棄したと受け取られても仕方がない。そうした行為を日和見主義という。    以前書いたブログを再び繰り返すことになるが、人を批判する場合は明確な根拠に基づき提示して行うのが最低限のマナーだ。小沢氏に法的な瑕疵があるのならきちんと事実を指摘し根拠条文を示して批判すべきだ。なんとなくマスコミが疑惑がありそうだとして書いたからそうなのだろう、と信じるのなら「信心も鰯の頭」と大して変わらないことになる。それは論評ではなく主観的な思い込みに過ぎない。  小沢氏の疑惑とされるもののうち、政党を解党した際に旧政党の資金を個人的に運用した云々は為にする議論だ。政党資金は次の新党結成に際して名称変更と組織変更をして資金を引き継けば政党法上何ら問題はない。万が一にも私的流用していればあれほど執拗な検察が見逃すはずがないだろう。透明度というのなら強制捜査を受けた小沢氏はどんな国会議員よりも身綺麗になっているはずだ。    マニフェストで掲げたことは四年間で実施すべき事柄だ。それが頓挫すれば衆議院の任期途中で変更するのではなく、改定したマニフェストを掲げて解散総選挙を実施するのが筋だ。それが国民との約束というものではないだろうか。そうしないで突如としてマニフェストと全く方向の異なる消費税10%、と党内議論も経ないで代表が勝手に発言するとは、小沢氏以上の強権的な独断専行だ。その裏には財務官僚のレクチャーがあったといわれているが確かな証拠はない。    ただはっきりとしているのは増税により景気が回復したことは一度もないということだ。それよりも消費税導入時と、3%から5%へ増税した時も景気は悪化している。それを5%から10%に増税して景気を回復すると言っているのは政治家では菅氏だけだ。しかも菅氏の発言をまとめると景気回復のためには財政出動が必要だと言っているのと同じことだが、これまで財政出動で景気回復したこともない。ただ国債残高を増やすことには貢献したが。    国民と約束したことはきちんと守るのが政権政党の在り方だ。財源がないというのなら役目を終えた他の事業をやめるとか、人件費を削減するのが常套的だ。そのためにはあらゆる国への収入を

高速道路無料化社会実験とは

 無料化すれば混むのではないか、という議論がある。確かにこれまで料金を払うほどなら一般道路を走ろう、と我慢していた人たちまでも高速道路へ入って混雑するのも頷ける。    高速道路は有料という障壁を設けて一部の人たちに使用を認める、というものではなかったはずだ。建設費用の償還が済めば無料化する、というのがそもそもの約束だった。それが途中から料金による建設費償還のプール制という何だか分かったような分からないような制度へ移行してしまって永遠に無料化にならない、つまり道路公団の利権が永遠に続く体制へ移行したのだ。    高速道路が無料化によって混雑すれば高速道路本来の「高速通行」が保てないという反対意見も理解できる。しかし一般道路の事故率と高速道路の事故率とを比較すると圧倒的に高速道路の方が低い。車が生活道路を爆走するのでなく、車専用道路を走る方が地域社会に暮らす者にとっても安全なのは言うまでもないだろう。そして高速道路が混雑しても一般道路の混雑と比べれば時間ロスはそれほどでもない。    まだ一部無料化だから料金所は残ったままだ。混雑が一番発生するのは指摘するまでもなく料金所だ。だから全線無料化すれば現在の混雑とはまた違った混雑が見られるはずだ。そうした状況を検討して対策を練るのが本来の混雑解消対策だ。    ただ高速道路無料化で影響を受ける公共交通機関への配慮も欠かせないだろう。新幹線は別として鉄道やフェリーや長距離バスなどには深刻な影響が出ると思われる。そうした交通機関へは各地のSE(サービスエリア)などのテナント使用料の一部などを補償財源として無料となった高速道路使用者が負担する仕組みを考えなければならない。    とにかく無料化実験は始まった。高速道路がこの国に持ち込まれた折の約束通りなら、首都高や東名・名神などはとうの昔に無料になっていたはずだ。それがプール制という騙しのような手法によって有料のまま高速道路利権が温存されている。官僚による妨害や官僚に情報を依存している大マスコミによる無料化へのネガティブキャンペーンが展開されるだろうが、ガソリン税や消費税などと勘案すれば何重にも取られている「高速道路通行料」という名の税をなくすことが高額輸送費解消の一助になるのだ。

丁寧な説明こそ必要だ。

 菅氏は一旦は口から「消費税」と発言したからには知らん顔をすることはできない。しっかりと本意を説明することが必要で、決して「消費税」隠しなどしてはいけない。    そもそも党内論議もなく、新しく作った政調委員会などで論議して出てきたものでもない。突如として菅氏が勝手に発言したものだ。恐らく誰かに誑かされてマスコミに財政規律を考慮している賢明な首相だ、とアピールしたかったのだろう。    確かに900兆円に迫る国債残高は異様な大きさでギリシアの国家破綻を連想させるものだが、日本は外国に引き受けてもらっているのは5%程度で、ほとんどは国内で消化している。そうした意味では日本の財政状況は国際的には深刻な問題ではない。    菅氏はよほど官僚に気に入られようと焦ったのだろう。民主党政権の首相として鳩山氏とは違うとアピールしたかったのだろう。しかし、アピールする内容と相手を間違えた。官僚にはビシビシと無駄を排除し官僚の給与にも切り込むぞと宣言し、国民に対して「生活が第一」のスローガンを堅持すべきだった。    消費税は税収額が景気に左右されにくい、官僚にとってありがたい税だ。それを増税するのは官僚の悲願だろう。しかし、その前にやるべきことがある。国民に増税をお願いするのなら不透明な公共事業単価の積算根拠の明示や、民間と比べて高止まりしている給与の切り下げや、不当に官尊民卑となっている年金の一元化を直ちに是正すべきだろう。    民間企業はコストカットに血眼になって企業努力をしているのに、官僚は検察庁ですら裏金作りに勤しんでいる。そして発覚したところで誰一人として逮捕起訴されていない。「裏金」とは巧妙な言い換えに過ぎず、普通に罪状に翻訳すれば「公金横領」と立派な名のつく、金額にしても小沢氏の不動産問題と比べても桁が違う巨額なのにも拘らず、マスコミも本気で報じたためしがない。    菅氏は国民に新しく税負担を求めるのなら懇切丁寧な説明と、その前提となるコスト削減を徹底して行うべきだ。そして政治家も定数削減などの自身の身を切ることも日程を明らかにして実施することだ。

世論誘導の成果はどう出るか

 昨年二月以来、官僚を代表する検察と大マスコミによる小沢・民主党潰しの総攻撃に遭い、お坊ちゃん総理の鳩山氏は呆気なく政権を放り出し、代わった管首相は官僚の中の官僚といわれる財務省にすり寄り、突如として消費税増税を言い出した。  経済音痴といわれる管氏は大学教授の独創的な増税による経済成長という学説を拝聴して取り入れ、官僚が大喜びする不可思議な理論を展開しだした。少し景気が戻ったとして増税に転じて不況に逆戻りした橋本政権の過ちを失念したのだろうか。    さらに参議院選挙では改選時の議席54を目指すとし、たとえ下回っても辞任するつもりはないという。何とも不思議な人だ、管氏は。鳩山氏の政権では副総理として加わり、関与したか否かに関わらず当然普天間問題に関しても責任があるはずだが、大マスコミはそのことに関しては執拗に追及するどころか実に寛大だ。それも日米合意を尊重すると、鳩山氏の轍を踏まないように国民よりも米国優先の立場に立ったからなのか。    しかし民主党潰しに狂奔してきた本質は変わらず、大マスコミはこれから選挙当日へ向けて増税論議を梃子に菅民主党を攻撃するだろう。官僚にとって一番手強い小沢氏は無役となり地方巡業の旅に出て選挙の表舞台から降りてしまった。代わって大マスコミの前ではしゃいでいるのは子供のように騒ぐのが好きなポピュリズム議員だ。彼らはわずかな世論の風でどうにでも操作できる小物ばかりだ。到底、官僚や大マスコミの敵ではない。    すでに菅政権で官僚制内閣は復権している。あとは参議院で与党が過半数割れして衆参ねじれとなり政治が機能不全に陥れば、後は官僚のやりたい放題だ。選挙結果でそうした体制ができるのか、大マスコミの大本営タレ流し報道の成果がどう出るのか。政治はその国民のレベルを決して超えない、という箴言を胸に抱きつつ見守るしかない。

相手により態度を変えるのはどうなのか。

 鳩山氏であろうと菅氏であろうと日本の国民と政府を代表する首相であることに変わりない。それにもかかわらず一方は自分の意に染まない発言を繰り返しているから会談を拒否してみたり、一方は合意を受け入れたから最初から話しかけたりする、というのでは米国大統領というものが実に浅薄な存在に見えてしまう。    日常の人間関係でも気に食わない者とは口も利かず、そうでない者には話しかけたり肩を抱いたりする人を、日本では「気分屋」といいあまり上等な人物だとはしない。しかもそうする人の立場が優位にある場合は「いやな奴」だと思うのが普通だ。オバマ大統領は日本国民から「いやな奴」だと思われるのに充分な態度を取ったことになる。    ただ、そうした恫喝のような態度を一々報じるマスコミも、何とも情けない。オバマ大統領が話しかけただとか、隣り合わせの席に座って昼飯を食っただとか、そんなことが国内へ知らせる事柄なのか。それよりも米国発の金融危機やユーロ圏(ギリシア)発の金融危機など、欧米の金融がおかしくなっていることへの議論がどのようになされたのかを逐次知らせるのが重要だろう。特に米国は再び巨額な双子の赤字をタレ流しているではないか。  ドルはすでに世界にどれほど流通しているのか、ドルサプライが基軸通貨として米国が責任を持って管理すべきを中国と日本、とりわけ日本には引受枠まで押しつけて増刷しているではないか。そうした無責任体制ともいえる基軸通貨管理を各国が米国に対して要請するのも国際金融の規制を設ける上では必要ではないだろうか。    オバマ大統領が菅首相に話しかけただとか、抹茶アイス談義をしただとか、そうした配信をするよりも金融問題に対処するG8なのなら、欧州の金融危機はギリシアだけで終息するのか、その保証はどのような金融枠組みをユーロ圏で設定し対処したのかをマスコミは報じるべきだ。ユーロ危機に際しては日本も基金の拠出に加わっている。日本の金融危機の場合は日本の問題として欧米から何の支援もなく、あまつさえ冷笑を買いながら日本一国だけで処理したが。    そうした嫌味の一言でもオバマ大統領に言い返して日本が負担してきた多額な国際通貨安定への拠出に見合った発言権を確保すべきではないか。マスコミもただ随行してはしゃぐのではなく、問題点をしっかりと指摘し、日本の採るべき道の一つなり国民に示すべきではないだ

バラ撒きがそんなに悪いのか。

 子供手当をバラ撒きと批判する人たちは、それでは前政権がやってきて大きな借金をこさえた官僚主導による制度事業が正しかったというのだろうか。今後とも中央や地方の官僚を使って各種制度をジクソーパズルのように隈なくこの国に張り巡らして、同時に各種外郭団体も全国に作って官僚が税金を吸い尽くす構造を営々と築く構造が望ましいと思っているのだろうか。    格好の例がこの狭い全国各地に98ヶ所もある空港だ。国際的には全く通用しない国内向けのチマチマとした空港を山ほども作って、そのうち羽田など数ヶ所だけが黒字で、あとは赤字の山を毎年築き上げるだけの無駄の象徴のような事業を展開し、更に建設予定の空港がまだあるという。官僚とは信じられないほど懲りない面々なのだ。それも政治家が要望したから事業に踏み切ったと官僚は周到なアリバイ工作をした上で空港特別会計から巨額な金を使い放題に使うのだ。    特別会計をすべてなくして歳入庁で国に入る金は一元管理すべきだ。省庁認可の資格試験を委託している独法や公益法人も国の機関に取り込み、すべて国庫への入金とすべきだ。そうすれば天下りはできなくなる。様々な外郭団体を作ることを許してきた自民党政権は体の良い官僚の御用聞き政党だった。まさか菅政権もその真似をしようとしているのではないだろうが。    子供手当のどこがバラ撒きなのか。保育事業がいかに非効率な事業か、評論家諸兄は検証した上で子供手当を批判しているのだろうか。直接支給は利権が発生しないため官僚が最も嫌う事業なのだ。そのことからマスコミや評論家を総動員して批判を繰り繰り返してきた。  仏国で子供手当を実施して他の子育て母親支援制度も相まって特別出生率が1.98まで劇的に改善され、まだ上昇しているのだ。日本は1.32からやや改善されたといっても1.34程度をうろついているに過ぎない。百年後には人口が半減する国に経済成長が見込めるわけはない。出生率改善こそが最も有効な経済環境の改善策なのだ。  何も検証しないで安易にマスコミの尻馬に乗って直接支給を嫉むかのようにバラ撒き批判するのは止めた方が良い。

財政再建なのか、景気回復なのか。

 民主党党首による消費税10%提案はあまりに唐突だった。自民党が10%にすることはどうかと言っただけで、即座にその提案を受け入れて「それが議論する一つの基準となる」と菅首相が発言したのだ。それが今度の参議院選挙の争点になる、とマスコミは勝手に設定しているが、いつどのような措置を講じて何%にするのか等々といった概要すら見えない状態で増税論議が既定路線でもあるかのように国民世論に定着させる手法は感心しない。    だが何が言いたいのか、菅首相の増税による経済成長なぞという経済原則を無視した論理はいかに言辞を費やそうとも理解できない。国民の消費活動から総額で12.5兆円(単純に1%当たり税収を2.5兆円として)を乗せて徴して、それが経済活動に影響を与えないとは思えない。いくらか消費が沈静化し、景気にとって何%かのマイナス要因として下方へ引っ張るだろう。それに対して増税分でどのような政策を行うのか、現在民主党の政調や官邸から聞こえてくるのは福祉、医療、介護に限定して使うとしている。さらには余剰があれば雇用や景気対策に使うとしているようだが、福祉や医療にどの範囲で充てるというのだろうか。    現在の消費税の仕組みから行くと10%といっても実際に国庫に入るのは8%の20兆円だ。それでは平成22年医療費予算34兆円すら賄えない。つまり福祉関係に使途を限定するというのはまやかしに過ぎず、新規増税分を福祉関係に投入して減額できた部分を他の予算へ回せば福祉部分に使用すると限定しなかったのと同じことだ。総額として同じ財布に入る金を何処へ回そうと同じ理屈だ。  菅首相がカナダのG8国際会議の場で増税により経済成長を行い財政危機を回避すると演説するという。ルーピー鳩山の次には経済音痴の菅と国際的な嘲笑を買うことにはならないだろうか。    民主党潰しに狂奔していた官僚とマスコミに擦り寄って、財務官僚の助言に従い官僚とマスコミ受けを狙って菅氏は態度を豹変させたとしか思えない。その菅氏の豹変は実は消費税増税を錦の御旗に衆議院解散権を握って9月代表選に向けて小沢氏の攻勢を封じる作戦だとする評論家もいる。確かにそういう作戦も考えられないことはないが、いずれにせよ民主党潰しの官僚戦略に嵌った菅政権が「背負い投げ」に投げられるのは間違いないだろう。つまり財務省の消費税増税路線に乗った菅政権を官僚が背負

中国「元」への切り上げ圧力。

  米国上院は元切り上げ要請にこたえない中国に対して懲罰的な関税をかける法案を提出して対抗している。7年も切り上げ要請してきたが、もはや待てないと強硬姿勢を見せている米国に対して、中国では各国内紙で「元切り上げは国内産業に壊滅的な影響を及ぼす」と反対姿勢を明確にしている。    日本はかつて米国の円切り上げ要請にあっさりと応じたプラザ合意により1ドル240円だった為替相場が10年後には1ドル80円まで切り上げられた。その結果として日本国内の輸出産業がバタバタと倒産し、対米輸出の繊維産業や食器産業などが壊滅的な打撃を受けた。車も1万ドルカーを米国で売って240万円手にしていたものが10年後にはたった80万円しか手にできなくなり、強烈な下請けいじめが国内で展開され、それでも経費削減を吸収できない下請け企業は中国へ工場を移すしかなかった。しかし、日本は必死に技術革新と経費削減を行って現在も世界へ車や各種製品を輸出している。    翻って中国は元切り上げに対応できるのか、との疑念が湧く。決して産業構造が柔軟でなく、しかも国営産業の非効率な残滓を引きずっている産業では国内の賃金引き上げ要求と相俟って、中国の先行きはかなり国難な荒れ道を行かなければならないのではないかと思える。  これまでは国外から移転された技術やプラントを使って生産していたが、今後は賃金の上昇圧力を生産性の向上で吸収しつつ、尚且つ元切り上げ圧力を技術革新で補わなければならない。そうした企業への忠誠と寄与努力を普通に行う慣習を中国人が持たないことも大きな問題だ。    米国が中国製品に対して懲罰的関税を実施したら中国も何らかの対抗措置を講じるかも知れないが、それはかつての日本と同じく出来ない相談だ。なぜなら中国は圧倒的な対米輸出超過状態にあるからだ。工場から吐き出される製品を米国へ売らなければ中国はたちまち在庫の山に埋もれてしまうだろう。  中国国内の元サプライが過剰なのは地方政府が勝手に地方債を発行して地方財政を膨らませていることから容易に想像できる。そうした仕組みで毎年驚異的な経済成長率を可能にしてきたのだ。しかし経済はマジックではなく、無理を重ねているとかならずネタが割れてツケが回ってくる。そのツケを払わされるのは常に国民だ。政府への信頼がなければ大きな騒動にもなりかねない綱渡りのような経済運営を中央政府

選挙で語ることは。

 経済成長させるといって碌な経済対策の処方箋を示さない候補者はそれぞれに経済の専門家ではないから仕方ないのかもしれない。それならせめて少子高齢化の内の少子化対策を示すべきだ。出生率が2.07を超えて人口増となるほど子供が多くなれば放置していても国内需要は増加し、彼らが働き始めると高齢者を支える個々人にかかる負担も少なくて済む。そうすると可処分所得が増えてさらに景気に寄与する…、と経済拡大スパイラルへと向かうことになる。    現在は1.4以下と出生率は人口縮小へと向かい、それに伴い国民生活に必要な産業も先行き改善は見込めない。反対に人口増へ向かえば寄与する産業の裾野は車産業だけでなく住宅産業などから服飾雑貨までも、すべて人が生きるために必要な物資が拡大生産される。しかも成年後は新しい労働力となり企業へ充分に充足されることになる。  そのための政策が各政党のマニフェストに語られているだろうか。仏国が先進国で劇的に改善された出生率を見習って民主党が設けた子供手当はマスコミから評論家まで総動員した反対の嵐にあい、縮小に転じてしまった。まだ数年の試験的な統計数字すら採らない、したがって何も検証していない段階で思いつきのように官僚主導の制度事業へと舵を切り始めた。何たることだろうか。現在の日本は官僚の官僚による官僚のための国だと思い知らされるばかりだ。    普天間問題は米国と話し合うべきだが、それが出来るのは政権だけだ。野党が束になっても国を代表することはできないのだから、後三年余は民主党と協調するしかない。そうした現実を踏まえて各党党首は発言しなければ白昼夢を首に血筋を立ててがなり立てるだけのパフォーマンスだと国民に見透かされ、しらけてしまうだけだ。いい年をした大人なのだから現実的な方策を示して、この国はいつまで米国に隷属的な姿勢を取り続けるのか国民に問わなければならない。今度の選挙凌ぎだけの薄っぺらなパフォーマンスをあっちでもこっちでも見せられるのに国民はうんざりしている。

選挙とは未来を語ることだ。

 参議院選挙が始まり、各党が各様の主張をがなり立てている。その心情は良く分かるが「経済を成長させ」て「福祉を手厚くしたい」という心根も良く分かりますが、それではどのような手法によってどの程度の経済成長をさせるのかが大切な道筋ですが、そこは端折られています。  財政再建も口で言うは容易いが、すでに自律的再建は困難な段階に入っている巨額な財政赤字をどうやって再建するのかがどの候補者の口からも語られていません。    「手厚い福祉」もどの世代の人たちの手厚い福祉なのか、によって政策は変わってきます。当面の二十年程度を手厚くするのなら厚生年金基金150兆円を取り崩せばなんとかなります。しかし、その後は出生率が現状のままなら壊滅的な状況が訪れます。人口は1億人を割り込み更に減少へと足を速める社会で福祉を支える世代は先細りのままになってしまい、100年後には人口は半数になってしまいます。そうすると現在の制度のすべてが維持できなくなるだけでなく、膨大な公共事業で造られてきた橋や道路の維持すらできなくなり、突如として何処かの橋が崩落したり道路が陥没したりビルが崩壊したりする事態が起こります。全線の多くの部分で高架部分を走っている新幹線も高架の耐用年数を過ぎても架け替えることができない事態が起こるかもしれません。    日本の諸問題の根本は人口減、という現実にあります。団塊の世代は二十数年もたてば消えていなくなり、巨額な老人世帯への負担は一応峠を越えますが、減少することはありません。なぜなら人口は減少し続けているからです。絶えず多くの老人世帯を減少し続ける現役世帯が支える構造が延々と続くのです。それが出生率1.32の現実です。人口の現状維持のためには出生率2.07が必要ですが、そこまで回復するのは絶望的です。    投票率の高い老人世帯の票が欲しいばかりに老人福祉は誰もが言いますし、それも必要なのは言うまでもありませんが、この国の将来を思えばばら撒きであろうと子育て世帯に手厚い支援をしなければとんでもない事態に陥ることになるのです。子供には投票する権利はありませんが、この国の将来を担うのは子供たちです。その数が増えるようにすることが最大にして長期的な景気対策だと、どの候補者も言わないのは不思議です。  さらに日本が工業・科学立国を今後も目指すのなら給付型の高校や大学の奨学金を充実させ

中国の地方政府が破綻の危機にあるという。

  チャイナネットによると中国の地方政府の借入残が過去数ヶ月で4兆元(約54兆円)から7兆元(約94兆円)に急拡大し、今後の財政運営が危機的な状況にあることが明らかになったという。  そうした背景には「幹部の評価システム」にあるようで、在任期間の数年間に成果を上げなければ中央政府のしかるべき地位になれないため、在任中に公共事業を拡大し地方経済を活性化させようとするためのようだ。本来は地方政府で地方債を発行できないようにしているが、税の国と地方の配分比率を国へ有利に改めたため、地方政府の財源は逼塞しているという。そして地方債を発行して公共事業へ注ぎ込んだ金額と借り入れた金額とに多くの地方政府で差が生じていて、地方幹部の私的流用も指摘されている。  ただ国としては国債残高2009年末で6.2兆元(約84兆円)で外債は3865億ドルで危険の兆候すら見えないが、地方政府が財政破綻すると国から公的資金を注入するしかなく、中国の国家財政運営に大きな影を落としている。    広大な国家で特権階級の官僚が人民を支配する共産主義国家の最大のアキレス腱は官僚そのものの資質だ。日本でもいくら赤字国債を増発しても、すべては政治家が国民から税として搾り取ってくれるから官僚が本気で歳出削減努力をしない悪弊が蔓延している。そしてこのように増税議論が参議院選挙の大きな争点とされているにも拘らず、官僚から公務員給与の減額提案だとか、公務員削減計画案の提示などはなされない。かれらは政治家がそうした動きに出ると自治労や高級官僚総動員で政治家に圧力をかけ、反対に高級ハローワークを機能させる法案を閣議決定してしまったりする。何とも始末の悪い知能犯を国の中枢に抱え込んでしまったものだ。    かの大国中国では地方政府の汚職体質に対して民衆の抗議や争議が年間に4万件とも5万件ともいわれるほど各地で起こっているという。そうしたことは日本も見習って、公務員の非効率な労働ぶりや、無駄な出費を見つけたら国民が役場へ押しかけて争議を日常的に起こすようになれば、少しは労働手順やシステムを自らカイゼンするかもしれない。  中国はいよいよ国難な局面に差し掛かろうとしているが、積年の膿ともいうべき地方政府の膨大なツケを中央政府はどのように対処するのか手腕を注目しよう。

いよいよ参議院選挙の告示だが、

 バブル以後「失われた20年」という言い方がある。政治の世界でも政権交代以後、この八ヶ月は何だったのだろうか。民主党政権は勢いよく「日米対等」と狼煙を上げたが、あっという間に親米官僚とマスコミに叩き潰された。日本国内の米軍基地であるにもかかわらず、行政府の長が一ミリも動かせないという醜態を世界に見せてしまった。勘違いしてはいけない、「ルーピー」と笑われたのは鳩山氏だけのことではなく、米国に頭の上がらない日本国民のことも含めてのことなのだ。    日本国民の本心を見せるせっかくの機会だった。米軍基地は逐次日本から撤退してもらって、日本の国土は日本国民が守る、と世界へ向かって明言すべきだった。そして米国が辺野古をあきらめるまで繰り返し沖縄の過重な基地負担を米国と米国民に説明すべきだった。首相が出掛けて行って話すべきは沖縄ではなく米国政府だ。飯のついでに10分間だけ話す、と言ったらさっさと帰ってきて「思いやり予算」を思いっきり削減すれば良い。相手を思いやる心のない国の軍隊に、なぜ日本だけが思いやらなければならないのだろうか。    そうした過程を踏んでいれば、民主党政権に対する世間の風向きは大いに変わっていただろうし、米国も都合の良い2号さんのように扱っていた日本に対して尊敬と畏怖の眼差しを向けただろう。連日の「首相の耳はロバの耳」報道により本質論議もないままに国民の支持も激減し、疲れ切った鳩山氏は八ヶ月余で首相の座を降りた。その後には権勢欲の塊だけの男が首相の座に就いた。全く自民党と変わらない政策へと舵を切り、官僚に阿る言辞を弄して。    国民は選択肢を失ってしまった。党内論議も経ないまま「消費税10%の自民党案が検討材料になる」なぞと口走る総理大臣を戴いた国民を不幸の奈落に落しておいて「最少不幸の国」を作るとほざいたりする。菅首相とは自身の周囲十メートルも見えていないのではないだろうか。  新党と称する連中も所詮は自民党が政権から離れて生じた遠心力に乗って党を出てきた連中だ。それまでは散々政権党で甘い汁を吸ってきた連中だ。どのような違いがあるのか、声を大きくしてがなり立てるワンイッシューに過ぎない。    改めて民主党に問う。官僚制内閣打破の看板は下ろしたのか。去年の夏に掲げ方各種改革案は改革案のまま腐ってしまったのか。高級ハローワークは廃止どころか補強までしてしま

普天間問題を避けて、日本の将来展望は拓けない。

 普天間問題は日米同盟の在り方のみではなく、日本の国を日本人が本気でどうするのかを問われている問題だ。そのことは同時に日本だけの問題でないのは勿論だが、米国と日本とのかかわり方のみの問題ではついに終わらない。周辺諸国もこの問題に絡んで日本を日本の国民がどうするつもりかを試金石として見ていると思った方が良い。    おそらく日本が米国の言いなりになるのは米国にとっても日本の支配層にとっても望ましいことなのだろう。日本が米国の助けなしには武力行使もできない、防衛力に特化した変則的な軍隊の自衛隊にしても情報収集やハイテク兵器のブラックボックスなどに関しては米国なしには日本は全くのお手上げだ。日本は絶えず米国の庇護の下にいなければ身動きできない状態に置かれている。    しかし、米国も世界展開している軍隊の大部分を日本国内88箇所の軍事施設に置いて、極東のみならず中近東からアフリカまでカバーしている。もしも日本の基地を米軍が失えば世界展開している米軍の80%が無力化するといわれている。つまり米国にとって日本の基地は得難い世界戦略の拠点になっている。だから米国は日本国民が反米によるのを心底恐れている。万が一にもそうなった場合、米国は国益優先の観点から日本を一時的に占領するのも辞さないかもしれないし、そうしたことが可能な軍事力を首都圏に展開している。    そうした厳しい現実をきちんと認識した上で、それでも日本はいつの日にか国民が守る国にならなければならない。  普天間基地移設に関して民主党政権は沖縄や徳之島の島民と話し合うのではなく、そのことに関して米国と話し合うべきだ。対等とか対等でないとか、そうしたことは問題ではない。日本を日本国民が守ると意識し始めた日本の世論を相手に、どうやって辺野古沖を埋め立てることを日本国民に承知させるのか、現実的に果てしなく困難なことを米国に認識させることだ。    菅政権は今のところ対応を誤っている。いや、誤っているのは日本のマスコミだろう。今まで通りに沖縄県民も最終的には渋々承知する、と事態の深刻さに気付いていない。パンドラの箱が開いたことに気付いていない。「ルーピー」と嘲笑した日本の首相が口先だけだったにせよ、一旦言葉として出した以上、取り消すことは不可能だ。一見もっともらしく「学べば学ぶほど…」と暗愚な首相を官僚に脅されて演じて見せたが、

高額報酬は日本の風土になじまない。

  ソニーや日産のCEOの報酬が8億円を超える高額報酬なのに対して、世界のしかるべきCEOの平均報酬額は11億円だから高いとは思わない、と日産のゴーン氏がコメントしたようだ。米国では倒産会社のGMのCEOが桁違いの高額報酬を手にしていたと米国世論から批判を浴びた記憶が甦る。  ソニーも日産も厳しい経営環境からやっと立ち直りを見せたところだが、だから高額で良いとは思わない。それぞれに大量の派遣社員の採用によるコストカットにより企業利益を確保した経緯がある。そのようにして手にした利益をCEOが大きな顔をして受け取る風俗や人情は日本のものではない。    確かに従来から日本では平社員と管理職との給与格差が欧米と比べて少ないといわれてきた。誰もが同じ社員食堂で食事し、同じように大部屋で働く慣習が日本にはある。それが良くないというのなら、派遣社員と正社員との格差を企業はなくすように、まず努力すべきだろう。企業利益という果実は確かにCEOの手腕もあるだろうが、CEO一人では何もできないはずだ。それは社員にも等しく言えることで、つまりは働く者が全員で生み出したものだろう。    今年から有価証券報告書が改定されて年間1億円以上報酬を得た者は記載するように義務付けられた。年間1億円とは365日毎日働いたとして日当約27万4千円に相当する。月収20万円に満たない勤労者の多い社会で、それほど多額な報酬を手にする者が見合うだけの働きをしているのだろうか。目刺しを好んで食べた土光さんをはじめ、かつての日本を代表する財界人が質素な暮らしをしていたのを思い返して今昔の感を強くする。

国のIT予算がここ十数年も1兆円を超えていたとは。

  国はここ十数年も毎年一兆円を超える予算を毎年注ぎ込んで、一体何をしていたのだろうか。すでに全国に光ファイバーによるスーパーハイウェイは張り巡らされ、情報速度では米国の百倍の性能を持つに到っている。しかし国の行政機関がITを充分に使いこなして効果を上げているとは到底思えない。そうしたさなかに特許庁の情報処理システムを巡る入札で不正が報じられた。    この国の後進性は業者と官僚の癒着による時代遅れのシステムを高額で国が平気で購入することに起因する。米国では政府ですらクラウド・コンピュータの使用へ踏み切ろうとしているのに、日本では古色蒼然としたメインフレームを省庁の奥の院に据え付けようとしている。この時代の趨勢を知らない官僚を儲け主義の業者が手玉に取るのは簡単なことだろう。    毎年一兆円を超えるIT予算を注ぎ込んで、この国は何をしているのだろうか。すでに国民が家電店で購入するPCがかつてのメインフレームの性能をはるかに上回り、サーバーの数台を棚に置けばプロバイダーすら勤まるほどに機器の性能は格段に向上している。廉価にして高性能なのがITの業界では通り相場なのに、国は依然として大金を注ぎ込み、そこに目を付けた業者が賄賂攻勢をかけて今回のような出来レースの入札が表面化するのだ。    国はニュートラルなIT専門家を招いて公聴会を開くが良い。いかに無駄な予算を毎年ドブに捨てているか、大学院の学生程度の専門家でも的確に指摘してくれるだろう。

こんなにいるのか。

 こんなにいるのか、と9党党首討論会で雛壇にずらりと並んだ党首を見てそう思った。それは同時に「こんなに要るのか」に繋がり、大した相違もない各党の主張を目立たそうとする党首の苦心すら窺えた。    その中で最大の争点にしたいと各党が菅首相に群がったのは「消費税」論議だった。菅内閣はやるべきことをしないで増税するのは何事か、、という論調だ。まさにその通りだが、それではやるべきこととされる歳出削減と無駄排除は言うは易く行うは難しの作業だが、各党はどの程度手を付けたというのだろうか。  ただ国会議員の削減と議員報酬のカットは国会議員が決議すれば確実にしかも簡単に実施できる。しかし、そのことを日程を決めて実施しようともしないで「歳出削減ができるでしょう」と嘯く党首は無責任だ。まず自らの身を切って官僚相手に削減努力を求めるのが筋だと思う。    日本の議員の数がどれほど多いのか、米国と比べれば良く分かるだろう。米国の上院は日本の衆議院だが250人だ。人口で二倍国土で二十数倍の国土を持つ米国にしてその程度の議員数だ。日本は480人もいる。本当に必要な数なのだろうか。地方議員に到っては市町村に議員のいないところも珍しくない。代わってオンブズマンが日当程度で事業仕分けと予算策定と支出に目を光らしている。    政治が特別なものとして議員が専門職である必要はない。しかし資料を判読する理解力と問題を指摘する判断能力がなければ単に無駄な存在として自らを仕分けなければならないだろう。  雛壇に居並ぶ党首を眺めて、これほど些細な相違を前面に出して元自民党議員が分党しなければならなかったのかと、自民党に働いている遠心力を感じる。だが、それにしても「これほどいるのか」とため息が出てしまうのは私だけではないだろう。国会議員は意見の一致により党派を組み、果敢に政権獲得へ乗り出すべきなのだが、バラバラに分かれていては何も出来はしない。ただ、隙間産業のように政権党と連立を組んで大きな顔をすることはできるかもしれないが。  

民主党の党内民主主義はどうなっているのか。

 民主党内で消費税増税を論議していたと寡聞にして知らない。鳩山氏が本人の口約束で勝手に「最低でも県外」と口走って自滅した轍を菅氏も踏もうというのか。鳩山氏の言った「最低でも県外」は党内論議されたものではなかった。それでも鳩山氏の場合は沖縄県民の米軍基地負担軽減という人道的配慮はうかがえた。だが菅氏の場合は財政再建をやみくもに主張する財務省官僚への配慮しか窺えない。    消費税増税という国民生活に大きな影響を及ぼす事柄を菅氏が一人で決して発議したとしたら大問題だ。民主党の要綱にはどうなっているのか知らないが、政権与党の党内論議と決定を以て政権が他党との協議を呼びかけるのが筋だ。そうした手続きを経ていなければ民主党代表による独断専行ということになる。小沢氏以上の強権発動に対して党内から異論が全く聞こえてこないのはどうしてだろうか。あれほど小沢氏の場合には密室にして強権的だと批判していた面々は何をしているのだろうか。    菅氏の強権的な態度は同時に危うさも兼ね備えている。なぜならばどのような論理的裏付けを以て「自民党の言う10%も一つの検討案だ」と評したのだろうか過程が全く分からない。単に菅氏の脳裏に閃いた数字だ、というのなら鳩山氏の「最低でも県外」発言と大して変わらない、覚悟も戦略もない思いつきに過ぎないことになる。その程度の軽い発言で「選挙公約」だと強弁するのは止めてもらいたい。総理大臣の発言として羽毛のように軽いのはいただけないし、失言による風評被害を沈静化するためにカイワレ大根を食べたようなパフォーマンスでは済まされない事柄だ。    重ねて民主党に問う。党内の税調に相当する機関で討議され、党内手続きを経て出された数字を代表でもある菅首相が発表して野党に呼び掛けたのか。それなら10%以外にどの程度の数字の幅と、福祉目的にはどの程度の範囲までを想定しているのか。そして歳入増に見合う歳出はどの程度の年数まで賄えるのか、しかるべき立場の人のご回答を願いたい。

「国家公務員退職管理基本方針」とは。

 菅政権は明日にもかくも愚劣な国家公務員改革方針を閣議に提出するという。国民は派遣業法で苦しみ、改革すべき法案が民主党政権の稚拙にして独善的な国会運営で廃案となって何も変わらないが、高級官僚だけは「国家公務員退職管理基本方針」の閣議決定で優雅な暮らしを保証してもらえることになる。増税を打ち出したその裏でこんなことを画策していたとは、何とも腹立たしい限りだ。    菅政権の目は何処を向いているのだろうか。国民には「増税するぞ」といいつつ、民間の給与ベースとは大きく乖離した官僚にはさらに懐を肥えさす天下りを公明正大に認めようとする。そのための高級ハローワークで別格の高級官僚専用の窓際特等席を用意させるという。民間企業で入社同期が社長になったからといって退職した者に特別待遇する会社があったらお目にかかりたい。どこまで官僚とは厚顔無恥な存在なのだろうか。    去年の夏に民主党は官僚制内閣をやめるといわなかっただろうか。行政改革を徹底してやり、官僚の給与削減を二割やると約束しなかっただろうか。それらはすべて空証文に終わり、あまつさえ官僚優遇策を施そうとするのなら国民の敵以外の何ものでもない。民主党のためにも菅政権の猛省を促したい。    国民はある程度今後の日本は「高福祉・高負担社会」にならざるを得ないと理解している。そのために消費税増税も避けて通れないと覚悟している。しかし、そのためには厳然たる前提が存在する。それを成し遂げなければ国民は増税を受け入れないだろう。それは徹底した無駄の排除だ。無駄の排除と言いつつ、これまで実施されて来なかったことを振り返れば、いかに困難なことか想像に難くない。    無駄を排除するためには官僚に任せっ放しでは駄目なことは経験から国民は承知している。それではどうすれば良いのか。答えは簡単だ、徹底した会計の透明化を実施することだ。国民の誰もが財務省にアクセスすれば一円単位まで各会計が閲覧できるようにすれば良い。全国に一万軒も店を持つコンビニが弁当の一品一円単位で本部で管理しているのと比べれば、国が出先も含めて会計管理するのはそれほど困難ではないはずだ。  出張旅費も民間企業並みに仮払いと清算をネットの会計閲覧で分かるようにしていただきたい。予算執行も支払いと清算が分かるようにして、裏金が作れないように見張られるようにしていただきたい。国会議員に

背骨は何かが問題だ。

 人の考え方は齢とともに、立場とともに変化するものだ。子供の立場と親の立場とでは社会に対する考え方、対人関係の考え方に変化がなければ成長しない人物ということになる。  政治家として若い時期から政界に身を投じた人と、功成り名を遂げた後に政界へ身を投じた人とでは政界入り後の軌跡にブレが見える人とそうでない人とがいるのは当然のことだろう。    しかし、それは身に纏う衣装が違うようなものではあるが常識的な許容範囲でなければならず、本質まで変わってしまうと他人は「変節」という。全共闘に身を投じた団塊世代の学生たちも就職すると多くは会社社会に順応し、勤続年数を重ねて管理職になれば組織人としての考え方で社員を束ねていかざるを得ない。だが、本質的に「改革」を若い頃に経験した人が保守ガチガチの社会では何処か居心地悪く感じていたのも確かだろう。民主党に政権交代したのも団塊の世代が会社から離れる時期と一致したのは不思議な符合だ。彼らは家族を守り会社人として勤め上げ人生の重い荷を肩から降ろした時、政治のありかたに安心して自己主張を反映させたのではないだろうか。    翻って菅氏の軌跡を拝読させて戴き、彼はいよいよ政権の座に就いて正体を見せる最終段階に達したと判断したのではないだろうかとの思いを強くした。変化して正体を見せる最終段階とは自民党の歴代総理大臣のごとく振る舞うことだろう。それまでは一介の書生から陣笠の議員として地歩を築き、グループの長として中間管理職のような立場になり、ついに部長職から取締役となり、寝技のような変化を繰り返して最終段階の行政府の長に上り詰めた。  やっと首相になった時、菅氏はどの姿が本当の自分の姿か見分けがつかないばかりか、どのような政策を提示すべきか政治家として拘わる明確な構想を持っていないことに気付いた。いや、世論の風にそよぐ風見鶏よろしく無定見でいることが彼の身上だったのかも知れない。そのようにしてここまでのし上がってきたのだから、そのようにして政権運営していけばよい、と観念しているのだろう。つまり変節こそが彼の政治信条ではないだろうか。    菅氏と対極をなす人物が政界に一人だけいる。小沢氏だ。彼の存在は屹立している。彼は変節しないことで壊し屋と呼ばれてきた。「政治は力」という真理から徹底して選挙を重視し、乾分の面倒を見て何人もの政治家を育ててきた。しか

祝日は単なる休みではない。

 余りにご都合主義に走ってはいないだろうか。休日や祝日のありかたについて国民の意見を聴取するとは、国の言うことではない。憲法記念日が地域によって違って良いはずがないのは誰が考えても分かることではないだろうか。    国民の祝・休日は数の上では、日本のそれは欧米諸国と肩を並べるかそれ以上の日数になっている。しかもそれらが連休になるように月曜振替だとかインチキな制度を作り、さらに1月15日の成人の日を日にちの定まらない月曜日に移動してしまった。本来の元服の祝いは単なる休日へと変貌したのだ。    本来、休日は年に一度のその日の意義を考え国の歴史や祖先への感謝、労働への感謝を捧げる日だったはずだ。それを単なる休日としては本末転倒だ。それをさらに混雑するからと地域に分けて五月の連休を割り振るという。その方が行楽地が混雑しないし商売も一過性ではなく長く連休効果が見込めるという意見が業界にあり、それを受けて今回の国民の意見聴取へとなったのだろう。    しかし、そうしたことは国家がやることだろうか。各職場や各業種が振替休暇をするのなら祝日や休日の意義は失われないが、国が本来の制定の意義を無視して勝手に日を移動して良いものだろうか。何でも国民の都合の良い方へと変更できるとするのなら、国家が国民に辛いことや厳しいことは何もお願いできないことになる。それで国が国家として体を為すと官僚は考えているのだろうか。国民の意見を聞くとしているが、国民の意見を聞くべき事項でないものもあると考えが到らないほど官僚の思考は劣化しているのだろうか。

国民は望んでいない。

 辺野古沖移設日米合意に基づいて日米実務者会議が始まったが、日本の滑走路を一本とする提案について米国から住宅地上空をヘリコプターが通過することになるとして反対しているという。その議論自体ですら話を聞くとヘリコプターのくせに飛行機のように進入路なぞあってたまるか、と怒りが湧き上がるが、事の本質はそういうことではない。滑走路が一本か二本かということではなく、日米安保条約に基づく日本国の防衛のために辺野古沖の基地建設が本当に必要なのか、ということだ。    終戦直後から兵器の進歩が格段にもたらされた現在、それでも日本の安全のために海兵隊の日本駐留が必要なのか、という議論を国民に分かるようにしてもらいたいものだ。どう考えても北朝鮮へ日本海をヘリコプターで飛んで行って敵前上陸する作戦が日本に駐留する正当性を持つとは思えない。海兵隊とは別名「殴り込み部隊」といわれ、そうした役目を持つ戦略的には前世代の遺物のような部隊だ。    翻って碌な戦力を配備していない日本の主要都市を制圧するには適しているかも知れないが、そのような米軍部隊が日本の防衛に必要なのだろうか。日本が外国軍に侵略されて、それを撃退するためにいるのだとしたら、そのような部隊は必要ない。なぜなら専守防衛の自衛隊でも侵略されたとなれば武器使用が許されるからだ。    海兵隊が日本に駐留しているのもタダではない。日本国内で訓練だけして国外へ出かけて作戦に従事している現在の運用は日本の防衛予算のタダ取りではないだろうか。それこそ仕分け作業で政府は「廃止」とすべきものだ。  日米合意を今一度廃棄して辺野古沖への移設をやめるべきだ。できれば日本の防衛に実効的でない部隊には撤退してもらうことだ。国内のどこの米軍基地でも地元民は歓迎しているわけではない。そして日米安保は堅持しつつも、自国は自国民で守るという世界ではごく当たり前のことを日本でも始めなければならないと国民の多くは思っている。

地球資源の争奪戦は新たな覇権主義の温床だ。

 世界各地で資源国へ先進国がレアメタルなどの採掘利権確保を目指して熾烈な争奪戦を展開している。控えめでガツガツしない日本人堅気からこれまで出遅れていた日本もやっと本気で争奪戦に参加しはじめたようだ。しかし中国の徹底した資源囲い込みともいうべき掘削利権確保の動きには周回遅れの感がある。    しかし先進諸国が国運をかけて産業の死命を制するレアメタルなどの争奪戦を世界各地で繰り広げるのは異様だ。ギブアンド・テークの関係で、かつての植民地主義とは異なるものの、今後は資源確保できた国とできなかった国とで産業構造に決定的な違いが出てくることも予測され、国運を賭けるのも頷けなくない。    だが世界で数か国に偏在するレアメタルを多くの国が争奪し合えば市場価格が高騰するのが市場価格というものだが、それが資源国にとって良いことかというと必ずしもそうではない。産油国がオイルマネーで潤い砂漠に瀟洒な都市が出現している様をテレビなどで目にするが、一般庶民の暮らしを伝える報道にはあまりお目にかからない。そうしたオイルマネー漬けになった国々すべての国民が豊かになっているわけではなく、ドバイで投資会社が破綻して600億ドルもの焦げ付きが世界を震撼とさせたのもつい最近のことです。    日本も資源争奪戦に参戦して鎬を削る一方で、世界の基礎素材となる食料や石油やレアメタルなど過度な獲得競争を制限する国際協定を結ぶべく国連に提案してはどうかと思う。後進国が産業を起こして新たに参画しようにも国際的に資源の囲い込みが終わっていて確保できないレアメタルがあるため産業化できないというのでは後進国がテイクオフする機会を奪うことになりかねない。そして決定的なのは投資ファンドが恣意的に国際相場を乱高下させて利鞘を稼ぐ動きに出かねないことだ。それを小麦などの食料でやられると直接人類の命にかかわることになる。    過度な動きに対しては何らかの国際協調という規制装置が働くようなシステムを作らなければ、狭くなった地球が人類にとって暮らしにくくなっては元も子もない。人類を富ますための産業であるなら、各国の英知を以て協調すべき段階に来ていると思われるのだが。

辺野古沖への移設問題は終わったのか。

 マスコミから普天間問題が消え去った。現実問題がすべて解決したかのような安堵感は何だろうか。あたかも鳩山首相が退陣したことによって普天間問題も片付いたかのような静寂は何だろうか。    しかし、沖縄の地方新聞では連日取り上げられ普天間問題は論じられている。実際問題として何も片付いていないのだから、沖縄県外のマスコミの方が異常であって沖縄のマスコミの方が正常なのは言うまでもない。    マスコミは米国と対等の立場から発言するとした鳩山首相が許せなかっただけで、その内閣のほとんどの大臣を受け継いだ、鳩山内閣の副総理だった人物が新しい首相になっただけでしかない政権交代で沈黙に転じたのは鳩山氏が内閣からいなくなったからではないのだろうか。つまり鳩山氏が「米国と対等の立場」になる、と発言したのが許せなかったのだろう。日本のマスコミは米国の政府広報紙以上に米国に忠実な報道機関だということだ。    日本の安全を考える上で日米安保は必要だと思うが、沖縄に駐留する米軍海兵隊が抑止力(何処からの攻撃に対しての抑止力なのか判然としないが)になっているとは思えない。たとえそうだとするなら、海兵隊程度の軍備なら自衛隊が肩代わりしても問題はないだろう。海兵隊に米国の高度軍事機密に抵触するような装備があるとも思えないし、規模からいっても自衛隊で肩代わりできないものでもない。    日本のマスコミが本当に日本国民のために報道しているのなら、米軍海兵隊の抑止力なるものの実態を示して欲しい。その場合のどこが仮想敵国なのか、そしてどの程度の軍事力に対する抑止力なのかを国民に分かりやすく示して戴きたい。そして本当に必要か判断するのは「思いやり予算」という用心棒代を支払っている日本国民だ。さらに自衛隊で肩代わりできる程度のものなら自衛隊が行うべきが本来の姿だ。国を守るのは本来は国民の義務なのだ。    それとも米軍は辺野古沖に米国の都合で飛行場といいつつ、実は艦船の横付けできる港を造るつもりなのか、隠された意図があれば情報を開示して欲しい。基本的に逐次米軍には撤退してもらって、国防は自衛隊が担当するのが将来の姿ではないだろうか。そのために新たな基地づくりは必要とは思えない。  何ら問題解決していない普天間基地移設問題を沈静化させるつもりでマスコミが触れないとしたら、沖縄県民の痛みが分からないどころの騒ぎで

中国が世界の工場でなくなる時。

 中国でホンダに続いてトヨタも操業停止に追い込まれた。部品工場の従業員が待遇改善を求めてストを行ったためだ。沿海部だけでなく、経済政策により内陸部にも企業立地が進み中国は人手不足にあるという。そこから労働者の立場が強くなり、長期ストを打てるようになったのだろう。しかし、そのことにより中国で人件費の相場が上がれば中国へ「安価な人件費」という魅力的な要因で工場移転していた企業は急速に中国進出の動機を失いつつある。    そして人民元への切り上げ圧力だ。現在1$6.82元で固定されている為替相場に対して、米国を中心に弾力的な為替相場の運営を求める圧力が高まっている。既に米国議会へはそのことに関して制裁措置を求める法案が提出されている。かつて日本も円安是正圧力をかけられプラザ合意に至った米国一流の脅し戦略だが、さすがに中国も無視して現在の為替レートで固定相場を維持するのは困難と判断して弾力的に行うと声明を出した。    ただ中国がしたたかなのは「弾力的な」運営をするとは言ったが、変動相場制へ移行するとも、幾ら元切り上げを行うかも言わなかったことだ。とにかく現在の固定相場を見直すと発言して、世界の反応を窺っている。  元が切り上がれば資源を買う場合には安くなって中国が有利かと思うかもしれないが、僅かな金額の差で中国へ売っていた資源国に有利な金額を提示する国が現れれば中国は買値を上げざるを得なくなる。その反対に輸出する際に切り上がれば同じ$建てで売っても元換算して手元に入る金は減少することになる。切り上げ以前と同じ輸出金額を手にしようと思えば値上げに踏み切らざるを得なくなる。    国内で賃上げによる製造原価上昇圧力を受けつつ、国外取引で元切り上げによる売買金額上昇圧力を受ければ中国製品の世界での競争力が急速に失われることになる。そして現在の目に見えない中国の貿易障壁、中国へ進出した工場で上げた利益を日本へ持ち帰ることが原則禁止されている不平等な立場から、世界の工場という中国の魅力が失われるのもそれほど遠いことではないだろう。    そして中国は世界戦略で決定的な過ちを犯している。たとえば高速鉄道の売り込みを中国は世界各国で行っているが、それらの技術はつい先年日本などから導入したものにも拘らず、自国で開発したものと強弁して世界へ売り込んでいるのだ。自国開発という根拠は「日本が供

消費税10%を言う前にやるべきことがあるはずだ。

 国や地方自治体の財政が逼迫しているからといって増税を提唱するのは税の使い道をチェックすべき政治家本来の役割からいえば職務放棄と言わざるを得ない。彼らがやるべきはまず公務員の人件費削減であり、そのために人員削減が必要だというのなら公務員の解雇を可能にするために労働三権の付与も辞さない。国民の公務員を見る目は実に厳しくなっていると認識しなければならないだろう。なまじ自治労との選挙協力関係から民主党が公務員に甘い顔をすれば、民主党は国民の支持を失うと覚悟すべきだ。    そして国会議員や地方議員は自らに厳しくしなければならないだろう。定数削減は当然のことだが、高額な報酬の削減もしなければならない。特に都道府県議会議員の常軌を逸した報酬は庶民感覚とは懸け離れたものと言わざるを得ない。それでいて議員として碌な働きをしていないと断じざるを得ないのが実態だ。  国会議員も海外視察旅行をして国民に視察目的とその報告が詳細にされたことを知らない。単なる視察なら本人の負担で実施してもらいたい。    安易な増税論議はすべての努力を無に帰する。歳出削減努力を何をしなくても歳入が増えるのなら、官僚は新たな使い道を考えるだけだ。かつて消費税を導入した折にも「福祉」に使途を限定する議論はなかっただろうか。当初の議論はいつしか忘れられ、景気により税収額が余り変動しない便利な税として消費税増税を官僚は歓迎する。しかし事業仕分けにも拘らず無駄を絞り出す努力を完璧に果たしたと国民は誰も思っていない。    さて事業仕分けもさることながら、すべての事業単価を国民に示して戴きたいものだ。たとえば橋梁は高価との既成概念があるがそれが実態として幾らかかり、その原因は何なのか。数年にしてオーバーレイしなければならないアスファルト舗装の㎡当たり単価がいくらで、その積算根拠は何なのか。特養会計は幾らで一人当たり幾ら掛っているのか、あらゆる事業に関して国民に示して戴きたい。それが妥当かどうかは国民が判断する。議員はそうした資料を提示するように官僚に要求して戴きたい。それすらできないのなら、そうした議員は必要ない。国民が議員を仕分ける選挙が間もなくある。

痛ましい事故だ。

 亡くなった女子中学生は転覆したボートの中にいたという。救命胴衣を着けていると沈むことはないが、同時に一番危険なのは沈まないことだ。転覆した折に頭からすっぽりとボートの下になると、救命胴衣を脱がない限り脱出することはできない。呼吸するのに十分な空気空間があれば良いが、そうでなければ救命胴衣がかえって仇になる。    県青年の家は利用者が多く、県の施設としては人気の高いもののようだ。しかし風雨のある波の高いさなかにボート訓練をするとはなんということかと思う。しかもボート四隻に対して職員は三人しかいなく、転覆したボートには職員はいなかったという。そのため荒れた湖面から帰還する危機管理ができず、他の三隻が波の荒い岸辺に近づかず救助を待って転覆することはなかったが、職員のいない一隻が岸辺へ向かい転覆したようだ。ボートは全員が座って姿勢を低くしていればそれほど簡単に転覆するものではない。しかしパニックになって立ち上がれば重心が高くなり波がなくてもひっくり返るものだ。    指定管理者制度によりこの四月から民間会社が管理者となり、県の職員は一人もいなかったようだ。青年の家は教育機関の一環であり、自然環境教育の拠点施設だ。そこに教育主事の一人もいなかったのはなぜだろうか。自然環境の専門知識、たとえば昆虫だとか植物だとか、そうしたものを自然と触れ合いながら中学生などに興味を持ってもらって教える施設だ。ボート訓練も専門家がいなければ危険な水遊びに過ぎない。貴重な女子中学生の命が奪われたのは危機管理のできていなかった会社や県や中学などの生徒とかかわったすべての人たちの共同責任だ。安易な行事への取り組みは碌なことにならないと肝に銘じなければならない。

物分りの良い国民だな。

 消費税を10%に増税する、という自民と民主の話に国民の52%もが理解すると是認の方向だという。何とも物分りの良い国民で官僚は歳出削減努力をする必要はなくなった。これまで通り使いたい放題使って天下り先を肥やし、不必要になった機関も仕分けられるまで存続させて余剰公務員を抱え込んだままで問題なくなった。    分からないのなら分からないとなぜ政治家は言わないのだろうか。現在の歳入歳出項目が遠く離れた予算書でとりわけ特別会計へは拠出金とか負担金という項目で巨額な金額が一ヶ所出ているだけだ。その先に広がる特別会計の荒野は特別に求めない限り国会議員の目には触れない。それなら「分からない」と言わなければならない。何を審議せよというのか、と昔の電話帳よりも分厚い予算書を突き返せばよいのだ。    ことさら単純な単式簿記を増改築を繰り返した老舗旅館さながら迷路のように作り上げて官僚は内心で「分かるまい」とほくそ笑みながら政治家に予算書(案)を渡している。それなら誰もが分かるように会計様式を変えれば良い。かつての大福帳のような前近代的な会計様式を踏襲するのはなぜなのか。    税を負担する国民の誰もが予算と決算の詳細についてネットで閲覧できるようにすべきだ。そうすれば道路一㎡をアスファルトで舗装する価格が民間とは比較にならないほど高額なのに唖然とするだろう。公共事業のハコモノ建築費が異常に高額なのにも、議員のチェックが働いているのか疑問に思うだろう。  官僚が自分たちのポケットから出すのではない、税として集めた国債を印刷して集めたその年度に使い切らなければならない数字として彼らは見ているに過ぎない。もちろん原価意識も働かない。改善意識はさらに働かない。事業成果が当初の能力と効果を発揮するかも関心事にない。そもそも使い切るのが仕事なのだ。    物分りの良い国民は高価格体質の公共事業にチェックの働かない、平均落札率が95%を超えていても検察も会計検査院も問題にしないことに無関心のようだ。すべては一分の誤りもなく公正・公平な入札とみなしているのだろう。  国民は構造的な談合と汚職体質の公務員に無批判だ。検察にも裏金という公金横領が存在しているのだから、国民が目ぐじらを立てても仕方のないことかもしれないが。  裏金の発覚により仲間の検察官か事務官が逮捕起訴されたと寡聞にして知らない。小沢氏

現実路線という政策の怠慢。

 民主党は去年夏のマニフェストを大きく変え、もしくは後退させた参議院選挙用のマニフェストを発表した。それに対してマスコミは現実的政策だと概ね好評価を与えている。あたかもマスコミ主導による世論操作の結果がどのように現れたかというマスコミによる勤務評定、もしくは政策点検のようだ。この国はマスコミ独裁制国家になったかのようだ。    しかし現実路線ということは現在の政策と社会情勢を認めて、小手先の改善に努める、ということだ。事実労働派遣改正法は廃案となり、これまでと変わらない。郵政法案も廃案となった。昨年夏に民主党が目玉とした政策が未達成のまま相次いで見直されるのは民主党らしさの否定だ。菅政権はそこまでしてマスコミから大甘な採点をして欲しいのだろうか。    国民の弱者に配慮し、生活目線を大切にする政策は影を潜め、法人税減税と消費税増税論議に踏み込むのは弱者配慮を旨とすね政党の看板を下ろしたということなのだろう。選択と集中をしなければならない空港と港湾施設整備に当たって、政府は選定を選挙後にするとした。つまり選挙前に選定するのは選定されなかった地域で選挙が難しくなるからだろうが、その程度の選挙戦術で国の将来展望と成長戦略を国民に示すことはできない。    国費の無駄を省いて財源とする、としていた行政改革はまだ事業仕分けをほんの一部で実施しただけでギブアップしたのだろうか。外郭団体の幾つが廃止され、幾つが統合され縮小されたのか、発表は一度もないまま増税路線へ舵を切り替えるのだろうか。対投資効果を測定しないままに、あるいは実現不可能な予測を立てた事業による税の無駄遣いを検証することもないまま、コンクリートから人へ、のスローガンも廃止したというのは民主党らしさを放棄したということなのだろうか。    たった八ヶ月の政権経験で官僚のサボタージュに痛い目に合わされて、もう懲りたとばかりに官僚に擦り寄るのなら自民党と何も変わらない。八ヶ月前に掲げた理想を実現するために改正すべき点は改正し、書き足すべき点は書き足して前進すべきなのに、早くも菅政権は官僚と大マスコミに白旗を上げて迎合してしまった。それでも良いのか、民主党とその支持者は。たった八ヶ月の砂上の楼閣として理想が消え去っても、国民は是とするのだろうか。

あの騒動は何だったのか。

 遥か遠い昔の出来事のような気がする。鳩山首相が普天間基地移設先を巡って連日マスコミから叩かれていた日々が嘘のような静かさだ。しかし沖縄県民の悲願が叶ったわけではない。あれほど辺野古沖へ移設するのは沖縄県民の心を踏み躙るものだと攻撃していたが、鳩山氏の退陣と同時に鳴りを潜めてすべてが終わったかのようだ。あれは一体なんだったのだろうか。それこそ為にする報道だったのかと疑念がむくむくと湧き上がると同時に疑念は怒りへと変わる。この国のマスコミは首相の首を獲るためには何でもアリのご都合主義の権化のような連中なのだ、と。    菅首相は日米合意を尊重するとして沖縄県知事と話し合った。沖縄県知事は即座に「困難」との見通しを示したが、恰も民主党政権にして既に自民党政権へと変貌したかのようだ。何のための政権交代だったのだろうか。  そろそろ国民も日本国民として声を上げなければいつまでたっても米国の言いなりの政権を戴くしかない。本当に沖縄に米軍海兵隊が抑止力として必要なのか、辻褄合わせでなく真に必要だと納得させてくれる説明がないのも不満だ。そもそも首都の横田に駐留米軍が必要なのか、日本政府が日米安保条約の規定に従って一年前に「破棄」通告をすると日本政府機関を占領するためにいるのではないかと疑ってしまう。    それだけではない。消費税増税に関しても踏み込んだ発言をし、子供手当も大幅に後退して保育所建設など制度事業へ大きく舵を切った。菅政権は最早かつての自民党政権と何ら変わらない官僚制内閣に堕してしまった。そうしにければ鳩山政権と同じように官僚がサボタージュして短命内閣になってしまうと八ヶ月の閣僚経験から学んだのだろう。鳩山政権の無鉄砲さはない代わりに、菅政権にはこの国を変えようとする意志も哲学もないことになる。事業仕分けで脚光を浴びた枝野氏を党務へ移し、後任には一年生の蓮舫議員を当てたことからも、菅政権が事業仕分けにも消極的なのは明白だ。    国民はマスコミの変節をよくよく脳裏に刻んでおくことだ。あれほど沖縄県民の負担軽減を連日集中豪雨のように主張していたものが、鳩山政権退陣という米国の意図を成し遂げると、沖縄の負担軽減は米国の辺野古沖移設の希望に反するためか、今度は一転して台風一過のように鳴りを潜めてしまった。何という変節漢だろうか。  今後、マスコミが連日のように一定の方向でキ

環境保護団体はなぜ沈黙したままなのか。

 メキシコ湾の海底油田で事故があり、米国のフロリダ半島沿岸に原油が大量に漂着している。そして海洋生物やペリカンなどの海鳥にも大きな被害が広がっているようだ。  日本の調査捕鯨には体を張った抗議を繰り返す環境保護団体は米国民から多額な献金を受けているようだが、当の米国民間団体が人海戦術で漂着原油を除去しようとしているようにみられないのはどうしてだろうか。日本の捕鯨に対しては環境保護を名目に反対するが、自国の貴重な自然が破壊される環境汚染には無関心なのだろうか。それともしっかりと活動しているが日本のマスコミがそれを伝えていないだけなのだろうか。  いずれにせよ、マナティなどの生息する貴重な環境が破壊されるのは由々しき問題だと、日本の捕鯨に対する場合以上のエネルギーで米国の環境保護団体には取り組んでもらいたいものだ。

ついに国会は閉じられた。

 一月から始まった長い通常国会はついに会期を終えた。しかし、この間にどれほど国民のための政治がなされただろうか。国会審議や委員会審議よりも沖縄普天間基地移設先を巡ってマスコミの執拗な鳩山政権叩きがあり、沖縄県民の望みより米国の鼻息を窺うマスコミによりまたしても沖縄県民の「基地軽減」という根源的な願いが退けられ、鳩山政権も退陣させられた。マスコミによる政局と、米国の影による国家支配という、自民党時代以来の手法によってこの国は動かされている、と国民の目に露わになった半年でもあった。    日米安保条約は何のためにあるのか、という分かりきったようで分からない日本駐留米軍について国民はその役割について検証しなければならないだろう。他国の脅威に備えるというのなら、戦争だけでなく「拉致問題」について米国はどのようなスタンスをとってきただろうか。北朝鮮によって拉致されたのが米国民だとしたら、米国は特殊部隊を派遣して救出作戦を強行したであろう。かつてイラン米国大使館で人質事件が起こった折に、米国は電光石火救出部隊を派遣して救出作戦を強行した。しかし日本の拉致被害者に対して、米国は日本の用心棒として何をしたであろうか。    そのような駐留米軍の「抑止力」を大真面目な顔をして語る軍事評論家は米軍の顧問軍事評論家としか思えない。おそらく米国にとって現在の状況が最も望ましいのだろう。北方四島を露国に取らせ、中国が軍事大国となっていく過程は日本国内に米軍に頼ろうとする世論を醸成するのに好都合だ。しかし、中国は台湾進攻を本気でやろうとしているとは思えない。せいぜい日本と領海の線引き争いをして地下資源を掠め取ろうとする程度のもので、中国の軍事力は実は中国共産党の政権維持装置の一つではないだろうか。米軍が日本の為に軍事行動はしないと見きった上での中国の軍事力だろう。    参議院選挙では大きな争点はなくなった。自民党の米国追従政党と日米合意最優先の菅内閣とでは差がなくなってしまった。民主党政権から民主党らしさがなくなってしまっては、いよいよ小沢氏の政権出現を望むしかない。好悪の念で人を語るのではなく、政治哲学と力量で政界を見渡せば日本を独立国家にすべきと考えている大物は小沢氏以外には見当たらないのが現実だ。  アジア諸国もアジアのリーダーとして望ましい国家は中国ではなく日本だとしている。中国は何

政治家の出処進退は政治家自身が決める。

 小沢氏の地元新聞が小沢氏に政界引退を勧めたようだ。地元紙といえどもマスコミは何の権限があって選挙民から実に民主的な方法で選出されている政治家に対してこうも横柄なのだろうか。政治家は自身が出処進退を決めるのも勿論だが、選挙により落選すれば意思に拘わらず政治の場から去らざるを得ない。それを検察とマスコミにより捏造され一年以上も連日報じられた「政治とカネ」なるキャンペーンにより国民に定着したイメージで政治家を裁いてはならない。それこそリンチといわざるを得ない卑劣な行為で、小沢氏の名誉のためにも反論せざるを得ない。    菅政権になるまで、正確に言えば鳩山政権の半ばまで、日本に米国と対等な立場で国民の意思を代弁する政府ができたと喜んでいた。普天間基地移設先で「国外、最低でも県外」と発言したのは日本の政権として初めてのことだった。それまでは米国との合意形成といいつつも、米国の意思ありきで日本政府の主体的な政策決定は外交と防衛に関してはほとんどなされなかった。そのことに異を唱えて中国と平和条約を締結した田中角栄氏は米国下院公聴会で突如飛び出たコーチャン証言によるロッキード問題で刑事被告人とされた。  米国の大学での講演で「日本が保有する米国債売却の誘惑に駆られる」と軽口を叩いた橋本首相は内ポケットに一億円の小切手が入っていたり、派遣されてきた女性が中国のスパイであったりスキャンダルに塗れて政界を引退して間もなく他界した。  小沢氏は日米安保は第七艦隊程度で十分ではないか、と発言したことにより米国の逆鱗に触れたようだ。そのことによるかどうか定かではないが、検察からいわれなき執拗な捜査と大マスコミの検察情報リークのタレ流し報道により国民に「小沢氏=大悪人」のイメージが定着した。しかし、結果はどうであっただろうか。小沢氏本人は不起訴無罪だ。起訴された三人の秘書も政治資金規正法による虚偽記載というものだ。実際は記載事項の訂正で済まされる程度のものだが、検察は大仰に騒ぎ立てて起訴までした。これからどのように公判を維持して行くのか見ものだ。    その程度のことなのに大マスコミに踊られされて、小沢氏を悪し様に評論する無責任な迎合主義者がこの国に氾濫している。それほど米国のポチでいたいのだろうか、地位協定に見られるだけでも日本は米国の属州ですらない。米国による被占領国家そのものだ。  自民

大きな政府に路線転換か。

  民主党と国内最大の労働団体「連合」との政策協定が目指すところは手厚い社会保障とその財源確保の増税、ということに要約されるようだ。文言で煽るつもりはないが、民主党は「大きな政府」に路線を切り替えたのか国民に説明する必要がある。確かに小泉政権下で進められた極端な市場至上主義は強者と弱者の格差拡大をもたらし、結果として富の再配分機能の喪失と偏在をもたらした。大企業経営者の年間所得が一億円を超えるなどと、欧米では常識だが、日本では従来から儒教的な教えからより平等に給与配分を行うとする抑制が働きそれほどの給与格差は存在しなかった。それが中間層の拡大をもたらし社会的な安定を保っていたが、極端な市場主義により同じ人間を労働力の安全弁とする米国の考え方の導入(年次行政改革要綱という米国の要請によるが)で派遣業法の歯止めが外され、格差社会が進行して問題化した。    そうした仕組みの是正は理解できるが、手厚い社会保障はともすると手厚い官僚制度と利権肥大化をもたらす。その弊害を除去するために公務員改革を実施すると民主党は先の総選挙のマニフェストに掲げたのではなかっただろうか。その端緒にもついていない段階で早くも見直しをするのでは国民の理解は得られない。  国民は国家の米蔵に巣食って貴重なコメを食い荒らす鼠のような官僚組織の在り方をまずどうにかすべきと民主党に託した。そのための政治主導であり、官僚制内閣の打破だったはずだ。日米地位協定の見直しであり、米軍再編見直しだったはずだが、はかない希望のまま消え去り自民党時代へ戻ってしまった。何のための政権交代だったのだろうか。    民主党と連合の協定案には「安定的政権基盤を確立し『安心と希望の社会』実現を」をスローガンに掲げ、 民主党 が取り組む「重点政策」として「新成長戦略の推進」 「 ディー セントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現」など9項目を提示。7項目に「所得再分配機能の強化など税制の抜本改革を進め、中期的財政再建の道筋を明示する」と記してある。何とも空々しい言葉の羅列だろうか。  それでは実際の中身はどうなのかという各論の明記はない。働き甲斐のある人間らしい仕事を求めた結果が旧社会保険庁のPC操作要綱、45分を超えて操作をしてはいけない、その後には15分休むこと。そして一日5000タッチ以上やってはならない、などとおよ

国会は言論の府ではなかったか。

 明日(6/16)で国会は閉会となり、いよいよ参議院選挙に向けて選挙戦が展開されるという。鳩山政権退陣の後を受けて菅内閣が成立し、菅首相が施政方針演説を衆議院と参議院で行いそれに対して代表質問を行ってすぐに閉会というのでは論戦を尽くしたとはいえないだろう。出来る限り延長して予算委員会などで菅内閣の施政方針を質し、国民に判断材料を充分とはいえないまでも提供して選挙を行うべきではなかっただろうか。内閣支持率の高いうちに選挙をしたいという誘惑にかられ、言論よりも選挙を選択したとしたら国会の責任放棄ではないだろうか。    この国の政治は大マスコミによって毎週のように繰り返される世論に翻弄され世論至上主義に陥ったかのようだ。世論調査による支持率の数字によっては首相や幹事長の首のすげ替えだけでなく、政治日程までもすべて大マスコミの実施する世論調査結果を横睨みで決められているかのようだ。それがどれほどこの国の政治を歪めていることか暗澹たる気持ちになる。  東京地検特捜部が政局に手を突っ込んでこの国の政治を真っ当な姿から歪めてしまった罪は余りに大きいが、それに加担して連日検察リーク情報をタレ流し世論操作に一役買った大マスコミもこの国のジャーナリズムをどれほど毀損したことか、今はうまく国民世論を騙せてもやがて歴史の厳しい批判を受けるだろう。    民主党がどのような政策で国民の支持を得て政権党となったか、本質を忘れて陽炎のような世論におもねては政権運営する政治家の価値も陽炎のように時の推移とともに消えてしまう程度のものだ。菅首相は取り巻きがすぐに選挙に突入すべきと進言しても「国会は言論の府である」と毅然として突き返すべきだった。それが出来なかった首相はその程度の首相として歴史に名を刻む運命でしかないだろう。

民主党政権は第二自民党になったのか。

  普天間基地移設は「日米合意に基づく」、と書き換えるようだ。民主党の参議院選挙に向けたマニフェストのことだ。鳩山政権が躓いた普天間基地移設にかんして菅政権は米国に注文を付けないことにしたようだ。すると沖縄県民が民主党政権に期待した「国外、最低でも県外」とした普天間基地移設先への当時の民主党代表のリップサービスは口先だけの誤魔化しに終わったことになる。閣僚にも早くから米国の意向を汲んで「辺野古沖」を移設先として発言していた岡田、北沢、前原、各大臣を残したことから、菅内閣のそうした方針は予測できたとはいえ、これでは第二自民党と同じで米国のご都合最優先の日米関係を続ける政権以外の選択肢を国民は持たないことになった。これ以上の不幸はないだろう。    菅内閣の第二自民党化はそれだけではない。財政規律を前面に出した財政計画は増税を国民に覚悟させることだ。その反面、先に徹底すべき行政改革や公務員改革は素案どころかその工程表すら明らかでない。さらに国民への直接支給政策は後退し官僚による制度事業へシフトしようとしているようだ。一つの制度ができると幾つの外郭団体が出来て何人の天下りポストが開拓されるか大マスコミも長らく国民に知らせないでいたが、ネット社会の拡大により大マスコミが蓋していた事柄も次々と国民の知るところとなった。非効率の権化のような官僚の仕事ぶりは予算を単純に受益者数で割れば国民一人あたりの予算額が即座に明白になる。もはや誤魔化しは利かなくなった。    国による大きな誤魔化しを一つ挙げておこう。それは年金支払い世代が何人で一人の老人を支えるか、という話だ。それはその時の(年金受給者数/年金支払い数)という人口比だけで判断してはいけない。受け取る時期は平均で15年(60歳から平均的に80歳。しかし全員が80歳まで生きるわけではない。厚労省発表の人口ピラミッドを参照すると良く分かる)なのに対して支払う年数は40年(20歳から60歳まで)だ。つまりそれだけで2倍以上あるわけだから、二人で一人を支える、ということは実は総額で4人以上で一人を支えていることになり、実態は厚労省が宣伝するほど危機的ではない。静態的に数字だけを見ると誤魔化しのトリックに嵌るし、官僚は誤魔化しをして国民に多くの消費税を負担させて財政余力で利権構造を肥大化しようと試みているだけなのだ。    政治家が理

法治国家で法に従うのは当然だが。

 北教祖の違法献金事件の責めを負って小林議員が辞意を表明した。北教祖から1600万円の献金に関して団体が政治資金規正法違反に問われ罰金50万円の判決が出たことによる。受け取った方としては会計責任者が禁固6ヶ月執行猶予三年を言い渡されている。控訴することも検討しているようだが、判決が確定すれば連座制により小林議員の議員当選無効を求めて札幌高検が行政訴訟を札幌高裁に提訴することになっている。    何とも後味の悪い事件だった。ここでも政治資金規正法が振り回され、法に疎い担当者が罪に問われた。もちろん小林議員陣営に選挙資金として受け取った献金を隠そうとして意思はなく、選挙報告書に1600万円が明記されている。ただ選挙後援会が受け取ったから問題になっただけだ。政治資金規正法に届け出た政党支部が受け取っていれば全く問題なかったのだ。受け取った政党支部が選挙資金として小林議員の選挙後援会へ支出していれば政治資金規正法に問われなかった。それだけのことなのだ。しかし、それでも法は法である。    同じ選挙区の有力な対抗馬だった町村氏の選挙報告書では1500万円で済んでいるらしい。実際に確かめたわけでなく報道機関もなぜか町村氏の選挙資金を全く問題にせず報じなかったから確認のしようがないが、仄聞するところでは1500万円で済んでいるらしいのだ。さすがは大物議員だから小林氏よりも少額の選挙資金で済ませたようだ。だから落選したのかもしれないが、国民の誰もがその事実を知ると納得するわけがないのではないだろうか。    マスコミは実に不平等で不公平だ。公職選挙法に基づく選挙収支報告書をすべての議員に関して総額だけでも報道してもらいたい。そうすれば選挙なるものがどれほど怪しげなものか実態が分かるだろう。法治国家だから法律に従うのは当然だし、小林氏が議員辞職するのはやむを得ないと思うが、それにしても不公平感は拭えない。スピード違反と同じで捕まった者が運が悪いのだろうか。それとも違反に問われなかったすべての議員は公職選挙法に照らして一点の曇りもなく清廉潔白なのだろうか。    マスコミは国民に知らしめる義務がある。捜査当局が問題とした事柄をしつこく報道するのも使命だろうが、問題としなかった人たちの選挙収支報告書もすべて公表してはどうだろうか。

何と物分りの良い国民だろうか。

 増税分パーセントの提示こそないものの、消費税増税が必要だとする国民が66%の割合に達しているという。官僚は物分りの良い国民を相手に優雅な暮らしが続けられるとほくそ笑んでいるだろう。  民主党のマニフェストにある公務員改革は給与の二割削減をはじめとして国の出先を原則廃止する案も手つかずのままだ。それでも国民の過半数は消費税の増税に理解を示している。    財政破綻が近づいているとのマスコミ報道とギリシアの国家破綻による欧州経済全体の混乱を見せつけられているためだろうか。しかし国家財政の破綻が近づいているかどうかは別として危機的な状況にあるのは間違いないだろう。それならそれに対して政治家が官僚から自律的な行政改革案の提示を求めてはどうだろう。今までは政治家が官僚に操られて税調を行い、それを受けて増税するのだから官僚には全く責任がなく忠実な行政の執行者だとする建前で推移してきたが、それは少しばかり変ではないだろうか。大臣をはじめ省庁を掌握する政治家は一年足らずで代わるが、官僚はずっとそこに居座っている。それなのに官僚は責任がないとするのなら、それなら一層のこと破綻させた方が話は早いのかもしれない。    国家財政が破綻すると国際的な信用問題にかかわるとか、国際的に恥だと考えるのは大きな勘違いだろう。それなら韓国はどうだっただろうか。1997年に国家破綻してIMF管理下となり塗炭の苦しみを味わったが、そのことにより公務員の削減と給与の引き下げは劇的におここなわれ、業界の再編は進みその後のサムソンなどの国際進出につながっている。国家破綻により韓国が国際的な信用を失墜して今も国際的にまずい立場にあるだろうか。    それよりもJALを見れば分かることだが、破綻させずに公的資金を注ぎ込んで再建させる道を採ったため、甘ったれた体質は温存されたままだ。  官庁の外郭団体はすべて公的なものに取り込んでそれから行政改革を実施すべきだ。尻抜けとなっている網をいくら細めても魚という公金はダラダラと外郭団体にタレ流し続けられるだろう。つまり公金や国民の負担金や公的資格受験料や公的資格の協会団体などはすべて国民から見れば公的なものへの支出であり税の一環だ。それをすべて公務員とした上で改革をしなければ意味がない。つまり母屋は何処も赤字だが離れはどうなっているのか。母屋の定数をいじくっても離れへ避

科学的な口蹄疫感染源と経路の究明を。

  早い時期に一度感染経路は宮崎県の畜産農家が中国へ視察に出かけた際に口蹄疫汚染地区へ立ち入り、知らないうちにウィルスを持ち帰ったのではないかと報じられた。しかし、その後に詳細な報道がないばかりか、中国の口蹄疫の現状を伝える報道にもお目にかからない。これはなぜなのかと首を傾げる。    いたずらに反中感情を煽るつもりはないが、事実は事実として国民に伝えるのがマスコミの責務だ。何らかの圧力がかかってもそれに対抗するために報道の自由が、この国では確立されている。それが外国から、とりわけ近隣諸国から抗議を受けると萎縮したように矛を収めてしまうのはいかがなものだろうか。  口蹄疫だけではない。これから流行るのではないかと警戒している新型インフルエンザなどに関して、何処そこの国が感染源の場合は報じて、どこそこの国が感染源の場合は報じない、とするのでは報道機関としての役割を果たし得ない。その程度の使命感ならさっさと報道会社の看板を下ろして、ジャーナリストの職種を名乗らないことだ。    公表されている事実だけを見ると、中国の口蹄疫事情はかなり特徴的だ。各地で散発的にバラバラに口蹄疫は見つかり、即座に殺処分されているが、頭数から推測する限りでは一軒の畜産農家の飼育分だけのようだ。つまり口蹄疫を点として捉え、地域として対策を行ったことはないようだ。ワクチンで感染を抑えているものの、殺処分と埋却による感染家畜の完全処分で感染源の浄化を行うのではなく、あたかも口蹄疫ウィルスと共存しているようだ。結果として殺処分も地域として万を超える処分が行われたことは一度としてなく多くて数千頭、通常数百頭というのは一軒の畜産農家だけを対象にしたといわれても仕方ない頭数だろう。しかもト殺処分とだけ表示され、殺処分の上埋却したのか書かれていない。つまり普通にト殺し、その後は食用肉として売却されたのか不明だ。  確かに口蹄疫の家畜を食しても人間に害はないとしているが、ト殺してすぐに流通した場合、口蹄疫ウィルスをばら撒くことになりはしないか、しかるべき機関は中国の口蹄疫対策について実情を調査すべきだ。    中国も自国の臭いものには蓋をする姿勢ではなく、強い感染力を持つウィルスによる疫病の場合は迅速な対応と事実の公開が必要だと理解して頂きたい。そして日本もいたずらに反中感情を煽る道具に断じてすべきでなく、科学

ここ半年の政局を静かに振り返ろう。

 大マスコミは鳩山首相が小沢幹事長を道連れに退陣すると足の踏み場もないほど喜んだ。そしてご祝儀としてまだ何もしていない、課題山積の菅内閣に「世論調査」と称する高い内閣支持率をプレゼントした。  これほどポピュリズムの政治を日本に定着させた大マスコミの罪は深い。事実よりも大本営から漏れ聞く情報の方を珍重し、特定の人物を抹殺するかのような報道に終始した。そしてその人が政権党の重要な立場から去ると拍手喝采をしている。大マスコミはこの国と国民を何処へ導こうとしているのか、想像しただけで背筋が寒くなる。    民主党の主だったポストにはかつての民主党の面々が返り咲き、自由党の面々と小沢氏の息のかかった議員が姿を消した。かつての仲良し同好会に民主党は逆戻りしたわけだ。理屈は延々と議論するが、実際の選挙にはほとんど役立たない言葉だけの政党にだ。  誰のお蔭で政権に就くことができたのか、それほど遠くない過去だからよくよく振り返ってみると良い。百パーセント小沢氏の力量によることは疑いを挟む余地はない。人が他人に好悪の念を抱くのは理屈ではないと理解しているつもりだが、それにしても国民の小沢氏に対するイメージが悪いのはなぜかと考えるまでもなく、その因果関係が余りに明らかなために愕然とする。    昨年の三月から検察による小沢氏の政治資金収支報告書の会計責任者への執拗な攻撃が繰り返され、さも小沢氏の巨悪を暴く突破口になるとでもいうかのような報道が驟雨のように小沢氏に浴びせかけられた。その通りだとしても気の毒としか言いようのない凄まじいものだった。小沢氏は堪らず五月に党代表の座を鳩山氏に譲り、幹事長へ退いた。  しかし事実はそうではなかった。検察は西松建設の疑惑事件と大騒ぎしたが、小沢氏に結びつくものはなかった。結果として検察は政治資金収支報告書の記載ミスという「訂正してくれよ」「はい、わかりました」程度で済むことで会計責任者だった元秘書を相手に裁判を起こしている。    その後の三人の秘書の場合はもっとひどい。これも政治資金規正法の記載ミスを梃に中堅ゼネコンから5000万円のワイロを受け取ったと、大マスコミは断定記事を連日のように報じ、捜査官が隊列を組んで強制捜査に着手する絵を繰り返しテレビで報じた。そして世論調査だ。小沢氏に幹事長辞任・議員辞職を求める声が80%を超えたと連日のように報じ

公会計の在り方を考えよ。

 様々な人たちの意見がマニフェストが守られないことに批判的であったり、マニフェストそのものが信用できないなどと論じている。そしてそれが政治家への批判になっているのは残念なことだ。そこでなぜマニフェストが実効的でないのかを考えてみた。    確かに予算書なるものが存在ししかるべき対価を支払えば誰でも手にすることができる。国会議員ならかつての電話帳よりも分厚い冊子数冊が財務省から配布されているだろう。しかし、それを熟読しても個別の項目が分かるだけで、数年間の趨勢や今後の見通しを予測するのは困難だ。    歳入・歳出という入金部分と支払部分とに大きく分かれそれぞれに事項別明細が延々と羅列されている。まさしく、それは気が遠くなるほど延々だ。  予算規模も九十数兆円、特別会計も含めると二百数十兆円と想像を絶する金額だ。それらを熟知し今後の在り方を見極めて新規政策にいくら程度の予算が必要となり、その財源として何処から持ってくるのか、マスコミに追い立てられ政局に明け暮れしている政治家に全体像を把握する勉強時間はない。    全体像が把握できないからマニフェストに齟齬が生じても仕方ない。しかも単年度主義でありながら継続事業として見通しのないままダラダラと予算を注ぎ込むダム工事や道路工事などがある。そうした事業の当年度分のブツ切の一片だけを見せられて「これが正しい予算か審議せよ」といわれても政治家に分かるはずがない。    実は仕組みとしては国家や地方自治体の会計ほど単純なものはないのだ。製造企業会計のような原価計算や商業企業会計のような仕入棚卸管理の必要のない公会計は簡易な仕組みといえる。ただそれを分かりにくく中身を分類し繋がっている項目を遠くへ配置したり特別会計への支出金としてブラックボックスにしたり、増築に増築を重ねた老舗旅館のように官僚がいかに分かりにくいものに仕上げたか苦労のほどが忍ばれる。    そろそろ奇妙な理屈をいうのをやめて、公会計を企業会計原則の適用される複式簿記に切り替えてはどうだろうか。そうすると総額主義の原則が適用されて特別会計に仕分ける不合理は解消され、一つの会計報告書に凝縮されることになる。地方自治体も支店会計を採用すれば全国の公的会計が一つの企業会計報告書の様式に納まることになる。    優秀な官僚がこうしたことを考えなかったわけがないだろう。企業会計

IT化が最も遅れている分野とは。

 いつもの薬をもらいに近所の開業医へ出かけた。そこの医師はまだ60前と思われるがカルテは手書きで、血液検査結果などは機器からプリントされて出る紙切れをカルテに糊付けしている。いつか湿疹ができて駅前の皮膚科へ行った折には30前後の女医が診察したが、彼女はPCディスプレイに表示されたカルテにキーボードから症状や処方箋を打ち込んでいた。どちらが効率的かは一目瞭然だ。医院内でイントラネットを構築していれば女医が打ち込むと同時に会計担当者に診察点数や診療内容が送達される。    個人情報管理と秘匿性の問題からか、医療分野でのIT化は遅々として進んでいない。確かに個人情報でも病歴や今現在罹っている病気とその症状は他人に知られたくない最重要事項のものだろう。しかし、そのことを理由として医療全体の合理化を阻む合理的な説明にはならない。  日本は健康保険が完備し、国民は等しく要した医療費の三割(一部では一割だが)の個人負担で世界でも高水準の医療を受けられる。そのため時としてカルテの改竄や水増しによる医療保険の不正受給医が問題になる。あるいは物理的に無理な患者数を毎日診察している開業医が問題になったりする。さらには行政でチェックするレセプト管理もIT化していればプログラムを組むことで概要だけでも一括管理できる。つまり病気や症例に対して想定される薬や治療が誤っていれば即座にチェック可能だ。あるいは常識的な薬の処方を超えているものもチェックてきるだろうし、何よりも複数の医院に罹る患者の複合薬害を防ぐこともできる。  医師も人間だ。時にはミスをするかもしれない。もしもシステム化されたカルテがあれば人為ミスの多くは防げるだろう。そして患者の個人情報をITカルテに書き込んでおくことにより、たとえばペニシリン・ショックの既往症のある人が重篤な感染症により救急で搬送され問診できない状況にあっても医療事故を起こさないで済むだろう。    確かに国家として国民のカルテを一括管理するのは漏洩や悪意ある閲覧などの危険性が付きまとうだろう。国民のカルテを扱う処理センターは機密管理と運営管理を慎重の上にも慎重を期さなければならないが、だからといって電子カルテの一括管理を永久にしない理由にはならない。いやもしかすると医療のIT化を是としない誰かがそうした人権家を焚き付けて反対しているのかも知れない。  毎年膨張し

使命感なき者は去れ。

 話題性がなければマスコミに取り上げられないためか、この頃の政治家は政治でよりもパフォーマンスでマスコミを賑わすことの方が多い。毎週のようにテレビのバラエティー番組に出演して選挙運動の一環だと心得ている者や、各種イベントに顔を出している者などが目立つ半面、政治の場でどんな活躍しているのか伝わらない政治家が多い。  地味で国民受けしないかもしれないが、マスコミも政治家が本来の役目を果たすべき場での活躍を伝える必要があるだろう。    閣僚の事務所費が問題にされている。これまで何人もの政治家が実態の怪しい場所を事務所として届け出し、そこの必要経費として付け出され政治資金規正法に基づく収支報告書に記載されている内容とその使途に疑惑の目が向けられてきた。今回は逸早くすべての領収書が揃っていて問題ないと答えた閣僚が公開したが、その領収書なるものの中に政治的とは思えないものまで含まれているのには唖然とする。政治家本人が買ったのではないかもしれないが、漫画などはポケットマネーで購入すべきものではないだろうか。CDも何の曲か分からないが、個人的な趣味の範囲だろう。企業監査で会計士が必要経費とは認めないと思われる支出は政治家も控えるべきだろう。    自己規制の働かない社会になった、と最近つくづく思う。悪く言えばジコチューの社会になったということだ。国会議員には国権の最高機関で法律を作る権限が与えられている。政府の提出する予算案を審議・決定し、支出した決算を審議・認定する権限も付与され国民の代表として権利を執行している。その代表者から国民を代表しているという使命感がなくなれば機関として存在する国会へ勤務する政治屋に成り下がるだけだ。    官僚は国民に奉仕することを忘れて省庁に奉仕し、増税論議のある中ですら省庁利権を肥やそうと腐心しているように見える。政治家も次の選挙のことばかり考えて行動しているとしか見えず、いかに政局が売り上げに寄与するとしてもマスコミもそのことばかりに焦点を当てて報道するのはいかがなものだろうか。  天下国家のことを論じない大マスコミは必要ないし、国家国民に奉仕しない官僚も迷惑千万だ。使命感なき政治家もパフォーマンスを繰り広げて有権者の歓心をかい大量得票すればよいとするのであれば何をか況やである。それぞれの持ち場で使命感のない者たちは速やかに退いて戴きたい。

為にする議論を恥じよ。

 菅政権の支持率が高いうちに参議院選挙をやろうとか、いや郵政法案は国民新党の一丁目一番地だとか、国民不在で連立政権の綱引きが行われているがみっともないことこの上ない。民主党党首が連立協議で法案を速やかに成立させると約束したのなら会期延長して最大限努力するのが本筋だ。結果として二週間延期しても成立ができなかったとしても、連立を組む相手に対して失礼にはならないだろう。    ここのところ為にする議論が目立ちすぎて、政治家がとても小物に見える。少しぐらい支持率が上がったからといって、政治の世界は一寸先は闇だ。一月先の支持率を誰がまともに予測できるだろうか。そんな目先のことで右往左往しないで信義を尽くす方が大切ではないだろうか。    またぞろマスコミが消費税増税を煽り始めた。麻生政権で成立した公務員改革法は中途半端なもので、しかも民主党政権も公務員給与二割削減のマニフェストを実施する素振りも見せていない。これも選挙を前にした自治労への配慮なのだろうか。  為にする行動を国民は見透かしている。なんとも浅薄な政治家たちだろうかと心の底で笑っている。国家財政が破綻の危機に瀕していても、各省庁から出てくる予算は対前年比増の素案ばかりだ。それも国民の行政需要に応えたからだと、すべて国民のせいにする。民主主義とはすべてのツケは国民に回って来て、財政赤字の責任に関しては官僚の姿はスーッと透明人間のように消えてしまうのだ。    公務員改革の最大にして最善策は公務員すべてに労働三権を与えて民間企業並みにすることだろう。官庁がストを打っても、電子申請を普及すれば良いし、管理職だっているだろう。火事があって偶々消防がスト中で出動しなければ、そのような職務を放棄する消防署員は解雇になっても仕方ないだろう。  公務員の本質たる「公僕精神」に立ち返れない者も職場を去るしかないだろう。代わりに公務員になりたい若者はいくらでもいる。財政悪化にもかかわらず自分たちの給与水準と共済年金の水準に後ろめたさを感じない公務員は民間企業の厳しさを少しでも知らなければならないだろう。    国民は政治家を信頼していないのではなく、官僚に操られる政治を信頼していないのだ。そして何よりも自分たちの利権確保を最優先する官僚を信頼していないのだ。国民から強い要望があるから、国民のためだからという理由で全国に赤字空港を一体幾

気の緩みはなかったか。

 宮崎県の口蹄疫感染が県央沿岸部から鹿児島と接する都城市へ飛び火した。終息に向かっていると思われていたものが突然飛び火したのはなぜだろうか。防疫体制に盲点はなかったか、殺菌未処理の車が走っていたりしなかったか、徹底的な検証をしなければならないだろう。    都城市で何としても食い止めなければならない。鹿児島は黒豚で知られるように日本有数の養豚県だ。鹿児島県へ感染拡大するととんでもない事態になる。極めて感染力の強い口蹄疫は初期対応が最も大切で、一旦感染拡大すると例えば2001年に英国で流行した折には400万頭もの牛や豚が殺処分された。    宮崎県で感染拡大した口蹄疫がどのような経路で菌が感染移動したのか明らかにされていないが、初期動作の遅れた県の対応は問題だ。県知事が国の対応策を要求するのは分かるが、何よりも初期対応をしっかりしていれば一ヶ所の畜産農家だけで抑え込むこともできたはずだ。口蹄疫と疑わなかった県畜産保健衛生所の担当者たちの気の緩みを指摘しなければならないだろう。  感染症対策の当事者は都道府県知事だ。世界でも地方政府が防疫体制を機敏に敷き、地方政府内で抑え込むというのが常識だ。マスコミも国の責任を追及するよりも現地での防疫対策を検証し、感染拡大防止に全力を注ぐべく現地の責任所在を明らかにすべきだろう。いたずらに見当違いの国を責め立てて政局マターにした責任をマスコミも痛感すべきだ。    それにしても非常事態宣言までした宮崎県で飛び火感染したのはなぜだろうか。宮崎県は気を引き締めて徹底した防疫に全力を注がなければならない。

公職選挙法と政治資金規正法の改正を

 何とも不可解な法律たといわざるを得ない。それでも法治国家として法に従わなければならないのは当然のことだ。しかし何かというと重箱の隅を突っつくようにして経理処理の過ちを見つけ出しては政治とは関係のない場所で政治家を攻撃し政局を操ろうとするかのようにマスコミが大騒ぎするのは問題だ。かくも次々と問題が発生するのは問題となった政治資金がすべてダーティだからとも思えず、法律に瑕疵があるからだと断じなければならないだろう。    何が不可解かというと、公職選挙法では告示前のポスター貼りをしてくれた人にバイト代を支払うと買収と認定され、電話作戦をやってもらった人にバイト代を支払っても買収として逮捕される。  すべての陣営がそうした人たちに役務費を支払っていない、ボランティアで活動してもらっているのだとしたらクリーンそのものだ。しかし実態はそうではないだろう。働いてもらえば幾許かの役務費を支払うのが世間の常識だ。つまりどの陣営でも選挙違反をしていると見る方が正しいだろう。あとは警察や検察が誰を立件するかを決めるだけだ。捜査当局に睨まれると選挙違反に問われ、当選していても厳しい連座制により当選無効の失格になる。小林議員が最初に摘発されたのはポスター貼りの学生に支払ったバイト代を咎められたのが選挙違反事件の発端だった。    北教祖の1600万円資金提供は何度も以前にブログで書いたが、小林議員が支部長を勤める政党支部で受け取って、政党支部から小林議員の選挙事務所へ選挙資金援助として支出していれば問題はなかった。そのようなまやかしのような政治資金規正法のカラクリを熟知していない事務処理により咎めを受けた。実態はいずれの事務処理でもでも全く異ならないが(選挙資金収支報告書に小林議員は1600万円を記載している)、摩訶不思議な法の網にひっかけられたわけだ。    捜査当局の裁量により、ある人は選挙違反に問われ、ある人はそれよりも数倍も悪事を働いていても選挙違反に問われない、という現在の公職選挙法は抜本改正すべきだ。誰が見てもおかしな、世間の常識に反すること、たとえばあれほど多くのポスターを町中に貼るのを許していてバイト代の支払いを許さないのは常識に反していないだろうか。法は常識の延長にあるのが望ましく、法により規定しなければならないことでも常識の範囲内で誰が判断しても法と大きく違わないのが

菅氏は「奇兵隊」の顛末をご存じだろうか。

 元治元年六月に高杉晋作によって創設された奇兵隊は武士からなる正規軍の限界から、高杉晋作が藩主毛利敬親の許しを得て馬関(今の下関)で募兵を行った。奇兵隊とは藩正規軍に対して身分の異なる庶民、つまり奇なる兵隊という意味で高杉が命名した。当初は高杉晋作の良き理解者で支援者の豪商白石正一郎の屋敷に兵を宿泊させたが百人を超えると手狭になり、馬関郊外の吉田に屯所を設けて移駐した。(ちなみに高杉晋作を支援した白石正一郎も財力を使い果たし、維新後に没落していたが、伊藤博文などの尽力により赤間神宮の宮司となり居職を保障された)  その年の五月十日から始まった馬関戦争(その年三月の上下加茂神社御幸に随行した将軍による攘夷の宣誓を実行しただけと長州藩は主張するも、攘夷の宣誓には専守防衛の条項があった)で武士からなる正規軍が仏国戦艦の砲撃と50人の陸戦隊により完膚なきまでに叩きのめされた。正規軍千名からなる撰鋒隊は武家の学問から砲弾や銃弾で戦死するのは犬死だとする考えが体に染みついていた。犬死や不名誉な戦士では家名断絶の恐れがあった。つまり藩の勝利よりも各自の家名を重んじたため、砲撃が始まると武士たちは蜘蛛の子を散らすように桟を乱して逃走したのだ。現在の国家官僚が国家の財政破綻よりも各自の所属する省庁益の方を優先するのと似てはいないだろうか。    高杉晋作は萩郊外松本村弘法谷に頭を丸めて「東行」し号して隠棲していたが、藩主毛利敬親の命により山口の政事堂へ召し出され、そこで藩主の馬関の戦況への対策を下問され、それに答えて奇兵隊の創設を提案した。失うべき家名のない百姓や町人の次・三男は命を賭して戦うと思った高杉の洞察力と英知のなせる業だった。  武器としては俄作りの軍隊に刀槍の扱いは無理と判断し、先込めだがゲベール銃を標準装備とした。操練の教授には松下村塾の弟分の山県小助(後の山県有朋)と伊保庄克己堂で教授をしていた白井小助を任命し、事務方には松下村塾の英才入江九一を配した。そして自分は開闢総督として君臨したが、高杉晋作の下に二百近い兵を預けておくのを危険視する意見があって、その年の十月には山口へ召し出されている。    紆余曲折の後、高杉は元治元年十二月十五日夜功山寺に挙兵し、明けて慶応元年一月六日から守旧派(高杉晋作は俗論派と呼んだ)の牛耳る萩政府と軍事衝突し、太田・絵堂で藩正規軍と奇

菅内閣は短命に終わる。

 鳩山前首相が政権と一緒に放り投げた様々な問題を、菅政権は引き受けなければならない。マスコミが鳩山政権を追い詰めた「普天間移設」問題や、検察とタッグチームを汲んでマスコミがでっち上げた小沢氏の「政治とカネ」問題の後始末などがある。  これまでの菅氏の政治経歴を見ると抜け目のない立ち回りと巧みなポピュリズムに特徴がある。そして、今回の組閣を見ると脱・小沢と自身の側近(荒井氏が唯一例外だが)を重用しなかったことが特徴的だ。    政権中枢に一番に取り込んだのは松下政経塾出身者と前原氏の仲間のようだ。つまり最もマスコミを巧みに使う政治家を登用した布陣ということだろう。結果として当初は無難に滑り出しても、困難な局面に到と菅政権を本気で支えるべき長年の側近たちはそっぽを向き、人事で干された小沢一派は菅政権を支えないだろう。  菅氏が重用した三役を勤める政治家はかつて菅氏を真っ向から批判した経歴を持つ。仲間の立場よりも自分の立ち位置と人気を優先する政治家は落ち目になった首相を支えないし、もちろん泥を被って庇うことなどは間違ってもしないだろう。なにしろクリーンを標榜しているのだから、自分が汚れてはいけないのだ。    さて、普天間移設問題では岡田外相が地元の合意を得なくても米国と協議して工法や図面を引くことはできる、などと発言している。それを騙しと言わないで何だろうか。  なぜ鳩山政権の初志貫徹で「国外移設」と言い出さないのだろうか。マスコミ得意の世論調査をしてみれば分かることだ、国民の多くは米軍に帰ってもらいたいと願っている。国民の意を呈して行うのが政治なら、米国に国民の総意として段階的に撤退して欲しいと言い渡すことだ。それができなければ早晩行き詰るのは火を見るよりも明らかだ。    うまく小沢氏を扱ったと菅氏は内心ほくそ笑んでいるかも知れないが、菅政権は小沢氏の影響も受けない代わりに協力を仰ぐこともできない。そして閣内には次期首相を目指すポピュリズムの権化たちを抱え込んでいる。菅氏が鳩山氏の泥を被らなかったのと同じように、最終的に菅総理を身を挺して助ける人もいないだろう。

官僚制内閣へ回帰したのか。

 非官僚制内閣の象徴的な事業として直接支給の子供手当を上げてきたが、今年度の半額支給から来年度全額支給するのは困難な見通しを厚労大臣が示した。しかし半額は現金で支給するが残る半額は現物支給か保育園増設に回すかこれから考えるとしている。    満額支給は困難で断念するが残る半額に見合う事業はする、というのは変な理屈だと思わないのだろうか。要するに予算はあるが直接支給は今年と同じ半額で国民は納得するから、残る半額は官僚の利権を肥やす制度事業を行いたい、ということなのだろう。    仏国の子供手当に学んだのであれば、子供の一人目はいくらで二人目はいくら、そして子供を預けて仕事をする場合は「ベビーシッター制度」を利用するとか、保育園に預ける場合は全額補助で面倒を見るとか、仏国の子育て事業の全体像を国民に示して、日本にはどの部分を導入しどの部分は導入に関してこんな隘路があって困難だと明確にしていただきたい。その場合に当然のことだが、子供一人当たりの予算はいくらかをしめして日本の一人当たり予算額と比較できるようにすべきだ。    先進国の中で日本ほど子供への支出の少ない国はない。高校・大学生への奨学金も貸与であって償還義務がある。世界の先進国では奨学金は優秀な青年を育てるのは国の責任だとする観点で設けられ、返済義務のない支給方式が圧倒的だ。  この国では老評論家などが「子育ては親の義務だ」なぞとテレビでほざきつつ、出生率の低下を嘆いたりする。自己矛盾しているとは思わないのだろうか。    民主党はマニフェストで公務員給与を総額で二割削減する、と謳っていなかっただろうか。マスコミもそのことは失念したかのように実施を迫らないが、それこそが事業仕分けの総額を上回る財源確保となる。そもそも国家財政が逼塞すれば国家公務員の給与を下げる、というのは当然のことだろう。普通の会社なら業績が悪化すれば希望退職を募りレイオフを勧告する。  そうした努力を官僚は一切しないで、子供手当の全額直接支給は困難だと大臣の口をして言わしめ、制度事業ならできるし増税は当然で、それこそが景気回復の成長戦略だと総理大臣が発言したりする。官僚は一切の痛みを負担しない国家予算と財政運営をしようとしている。それをして官僚制内閣と言わないで何だろうか。    マスコミは米国追従政権と官僚制内閣がことのほか大好きだ。日本の長

民主党が目指す参議院選挙の最低ラインは60議席だ。

 菅総理は来たるべき参議院選挙で目指すべき最低議席は現有議席の50と数を挙げたようだ。しかし三年前は61だったことを考え、政権与党になっている強みを考慮に入れれば最低でも60議席を勝敗ラインとすべきだろう。最初から勝敗ラインを低く設定してどうするつもりだろうか。    与党第一党が単独で過半数を獲得する意欲がなくてどうするのだろうか。小沢氏が幹事長に居座ったまま「勝敗ラインは50議席」と宣言したら批判の渦が巻き起こったはずだ。実際60議席を勝敗ラインにしていなかっただろうか。それが小沢氏を政権から排除して支持率がハネ上がって喜んでいる連中が50.議席を勝敗ラインに設定するとは虫が良すぎはしないだろうか。    さて、菅総理はどうやら財政規律(増税路線の別称)を考慮して政権運営するつもりのようだ。国民は官僚の給与を民間並みにしない限り増税に賛同しないだろう。つまり公務員給与の(700-460)/700×100=34.28%と約34%の給与カットしない限り増税で財政規律を図ることに賛成できない。そして共済年金も同様の算式から33%カットしない限り国民は財政が厳しいとは思わない。給与や年金を満額頂戴していて財政が膨大な赤字だから増税する、という前に、まず公務員の取り分をカットするのが常識的ではないだろうか。    菅内閣は官僚制内閣ではないか、と疑いの目を以て観察しなければならないだろう。    

民意とは何か。

 世論調査万能主義とでもいうべきなのだろうか。脱・小沢だとかによって民主党の支持率がハネ上がったという。実態のない期待値だけで世論調査が上がるとは思えないから、おそらく支持率が上昇したのは新政権が政治的な場から小沢氏を徹底的に排除したご褒美なのだろう。  しかし国民は小沢氏が幹事長を辞任し政権の中枢から去ったことにご褒美を与えるほど、小沢氏の一挙手一投足を注視していたのだろうか。小沢氏がどのような政治信念を抱いているのか熟知していて、その政治的なるものに反発していたのだろうか。いや、そうではないだろう。漠然とした「小沢」なるイメージに意味のない嫌悪感を抱いていただけではないだろうか。    議論ばかりして現実政治に政党として立ち向かう気概にも戦略にも欠けていた民主党を政権を狙う闘う集団に変えてまともな政党にしたのは間違いなく小沢氏だ。小沢代表の下で前回の参議院選挙で安倍晋三氏率いる自民党に勝利し、代表の座は下りたが去年の夏に麻生氏の率いる自民党に勝利して政権に就いたのは小沢氏の手腕だった。  その小沢氏が政権の中枢に座って民主党をとり仕切るのに何の違和感があるだろうか。むしろ小沢氏の手柄によって政権政党となったにもかかわらず、とうの小沢氏を排除してそれまで碌な働きもしなかった、ただ小沢氏を党内で批判していた連中が要職に就いた菅新政権こそが変な政権だと言わざるを得ない。    小沢氏には様々な形容詞が冠せられた。剛腕、こわもて、独裁、不透明、金権、等々。それらの反語のように今回政権中枢に就いた人たちはクリーン、透明、を合言葉のように口にする。  しかし物事には必ず表裏がある。「クリーン」の裏は泥をかぶらない。「透明」の裏は責任を持たない、ということだ。「剛腕」の反対は非力だろうし、「こわもて」の反対は役者顔だろうし、一身に結果責任がのしかかる「独裁」の反対は無責任だろう。  反・小沢氏的な事柄を挙げていくと新政権の性格が見えてくる。つまり仲良しクラブだということだろう。枝野氏はさっそく「みんなで力を併せ、和を持って行こう」と発言したようだ。まるでホームルームで優等生が呼びかけているようだ。権謀術数の渦巻く政界でクリーンで透明感ある党運営では碌な仕事は何もできないだろう。    この国の政治はいつからマスコミの作り出す「民意」至上主義になってしまったのだろうか。小沢氏に

聞くべきは東京地検特捜部からだ。

 政治家を好悪の念で語るのは危険だ。確かに民主主義では有権者の支持が得られなければ政権に就けないし、政権から転落することになる。しかし政権維持のために政治があるのではなく、国家と国民のために政治が機能しなくては何にもならない。    脱・小沢だということでさっそく若い新執行部では国会に小沢氏を「政治とカネ」で呼んで説明させようとしているようだ。さすがにマスコミ出身議員だけはある、ポピュリズムは心得ているようだ。  しかし「政治とカネ」とは何だろうか。何かにつけてマスコミが政治家を失脚させようとする際に使う飛び道具のような気がする。政治家が政治の手腕により評価されるのではなく、政治家の資金問題で攻撃を仕掛けるのを常としている。国民も政策なら評価が割れるが資金問題なら揃って拒否反応を示すからだろう。    現在の中途半端な政治資金規正法は政治家にとって最も危険な法律だ。それは検察当局の裁量権で誰でも捜査の対象になるからだ。一層のことすべて禁止するか、すべて良しとするかのいずれかだろう。すべて禁止すれば税で政治資金を賄う必要が生じるが、すべてを良しとすれば実力によって資金力に差が出るだろう。それぞれに一長一短ある。  米国の大統領選挙では集める政治資金の差が大統領になれるか否かを決めるといわれている。その良し悪しは別として、そうした考え方もある。    政治家の資質でクリーンが一番だとは思わない。クリーンの順番で政治家を決めれば一番は共産党で二番は公明党だろう。彼らは一部国民の熱狂的な支持を得ているため、選挙に資金を投じる必要がない。しかし一般国民に候補者がアピールするためには運動員を動員して示威活動を繰り広げるしかない。その大部分は公職選挙法で制限されていて、ちょっとしたことで選挙違反に問われる危険性を秘めている。その危険ラインは多分に捜査当局の主観により、一度手が入ると支持者は去り二度と立候補することは不可能になる。野党の落選候補陣営から逮捕者が出るのはダメ押しのためだといわれていた。    小沢氏の場合は会計責任者が逮捕・起訴されているため裁判に委ねるべきだろう。小沢氏本人は不起訴だから(たとえ検審会で起訴相当となっても検察は二度とも不起訴としている)無罪が確定している。その小沢氏を国会へ引っ張り出して何を聞こうというのだろうか。それよりも国費を投じて何人もの検察官

ポピュリズムだけの居抜き内閣か。

 脱・反小沢色で菅内閣は組閣したようだ。幹事長には小沢氏を公然と批判した枝野仕分け人を充てて、官房長官も小沢氏を批判していた仙谷氏を据えた。これでは党内最大勢力の小沢グループの協力を仰ぐことはできない。ノーサイドと宣言したのはノーオザワのことだったのか。    ポピュリズムはほんの一時的な人気を得るに過ぎない。実際に仕事を行うには持続的に実務的能力が必要となる。参議院選挙後の民主党の議席によっては複数の政党と連立を組まざるを得なくなるが、そのお膳立てに動く人物が小沢氏を除いて民主党内にいるのだろうか。    人を批判するのは容易い。しかし信頼関係を構築するには時間がかかるものだ。枝野氏が党の要として幹事長をこなせるのか。仕事を仕分け人を仕分けるのはそれほど気配りや配慮はいらないが、今度は人から仕分けられる番だ。ハードパンチャーが打たれ弱いのはボクシングの世界で良くあることだ。    選挙管理的な俄内閣では仕方ないことかもしれないが、既に官僚に取り込まれたような大臣は更迭すべきだった。各省庁の仕事をすべて洗い出し、役目を終えたものはどんどん廃止して行くには役人の説明を鵜呑みにしてはいけない。役人を指導して不必要な仕事を減らさなければ役人も減らないし予算も減らない。そうした状態で増税しても底の抜けたバケツで水を汲むようなものだ。    排すべきは小沢氏ではなく、ポピュリズムだった。政治家として実力のある人物を使いこなせないのは首相の器に問題があるからだ。小沢氏に「政治とカネ」の問題があるというのなら、東京地検特捜部でも探せなかったその証拠を示して発言してもらいたい。  この国は検察とマスコミが自由に国民世論を操る状態をいつまで放置するのだろうか。米軍の基地移設一つまともにできない首相の行政力は世界の笑いものだろう。誤解してはいけない、海外メディアは鳩山氏を嘲笑しつつ実は米国に頭の上がらない日本を笑っているのだ。マスコミは徹底して鳩山氏を一方的に追い詰めたが、国民は結果としてマスコミは誰の役に立ったかを考えなければならないだろう。

泥んこ〇〇大会の危険性。

  各地で何のアピールか知らないが、泥んこ〇〇大会なるものが開かれている。そこでは子供たちが田植え前の水を張った田圃で泥にまみれてバレーをしたり、駆けっこをしたりしている。そうした大会に水を差すつもりはさらさらないが、大会主催者は泥の中には無数のバクタリアが生息しているとご存じなのか、注意を喚起しておきたいと思う。    まず注意すべきは泥んこの中で傷を負って菌が侵入する 破傷風だが、破傷風菌よる神経毒に侵される神経麻痺症候群を指す。破傷風と診断するには菌の存在と毒素産生を促す局所病変と毒素に免疫のないことの3条件が必要となる。破傷風菌はグラム陽性桿菌で胞子の形で広く土壌に分布してて、傷口から体内に侵入する。潜伏期は3~21日で主な症状は 肩こり、舌のもつれ、顔がゆがむといったことから多くは開口障害に発展する。次に嚥下・発語障害、歩行障害が現れ、その後けいれん発作が起こり、全身発作に進展する。特徴的な横紋筋の硬直などへと症状は進行し、意識ははっきりしているが自律神経障害として血圧の変動から頻脈、高体温、不整脈、発汗がみられる。 致死率は10~90%と症例報告に幅があるが、外傷の処置から発症までの期間が短いほど重症化しないのは勿論で、症状が出現して全身けいれん発作の出現までの日数が短いほど予後も悪いといわれている。    他にも菌血症や敗血症などの傷口から菌が血液中に侵入することから引き起こす病気にも注意を喚起しておかなければならない。ただ単に泥んこ遊びが面白かっただけでは終われば貴重な体験と自然との触れ合いもあって子供にとって大変 有意義だが、主催者はそうした危険な罠が泥んこの中に潜んでいることを絶えず意識しておかなければならないだろう。  三種混合ワクチンを受けていれば破傷風にはまず罹らないだけにそれほど心配はなかったのだが、親の世代には三種混合ワクチンが副作用などから問題にされた世代に当たり、現在は接種義務はなくそうした知識のない人も多いようだ。三種混合ワクチンを受けていない子供は危険そのものだと心しなければならない。破傷風の知識がないために傷を負って放置し、結果として重篤患者が発生しないことを心から願う。      

小沢外しは危険だ。

 菅新内閣の組閣が進んでいるようだが、その主導権を前原氏のグループが握っているようだ。結果として挙党体制は困難で小沢外しが如実になっているようだ。前原氏が主導権を握ればそうなるだろう、とある事件を思い出して、何とも厭な気分になった。    郵政選挙で民主党は大敗し、岡田代表が辞任しその後を継いだのが前原氏だった。若くて斬新な政治家と期待されたものだが、さっそく永田氏の偽メール事件で躓いた。  偽メール事件とは郵政選挙で時の自民党幹事長とライブドアの堀江氏との間で交わされた政治資金を巡るメールとして永田氏が国会で取り上げた問題だった。    永田氏も若くて将来を嘱望された政治家だったが功を焦ったのだろう、偽メールを掴まされた。根拠のない偽メールを片手に正式な委員会で公党の幹事長の責を問うたのだから、メールがガセだと判明した責任を取って永田氏は国会議員を辞した。しかし永田氏の入手したメールの真偽も検証しないで委員会追求にゴーサインを出した前原代表は「ちゃんとした証拠がある」と強弁し結果として永田氏を追い詰めた。    過去を穿り返して問題にするのは、永田氏がその後に自殺したこともさることながら、責任ある野党第一党が国会で追及すべきは政権与党の政策であり利権構造だったはずだ。下手な検察ごっこのようなことを国会でせよと、国民は国会議員に期待していない。それは大衆週刊誌に任せればよいことだ。そうした格調の低いことで将来ある若手議員を失ったことにたいする反省が前原氏に見られないことだ。    八ッ場ダムにしてもしかり、高速道路料金にしてもしかり、明確な理念と碁で言う打ち筋の見通しもないままに見切り着手して暗礁に乗り上げたままだ。前原氏の欠陥はポピュリズムに走ることだ。東京都知事が「都民の水瓶だ」と言えば、八ッ場タ゜ムに貯水予定の水を汲んで持って行くぐらいの行動力がなければだめだろう。そうすれば到底飲用に適しないと分かるはずだ。  高速道路無料化も首都圏や都市圏で論議するから変な結論しか出ないのだ。多くの地方都市では狭い国道を通過するだけのトラックが爆走している。環境と安全面からその町の通過車両は生活に密着した国道を走るのではなく高速道路を走ってもらいたい。しかも地方都市で収穫した野菜や魚を安価に早く安全に輸送するために高速は無料の方が良い。    そうしたことすら議論が進まない

菅氏は鳩山氏の轍を踏まないように。

 菅首相は閣僚に鳩山総理が苦心惨憺している日々を少しも支えなかった大部分の大臣を留任させるようだ。もっとも短期間に組閣するとなるとそれもやむを得ないのかもしれないが、鳩山氏が何に躓いて何に悩んだのかを検証しなければ同じ轍を踏んで行き詰まるのが目に見えるようだ。    わずか八ヶ月余りで既に官僚に確実に取り込まれたと思われる大臣が何人もいる。マスコミにペラペラとしゃべる失言癖のありそうな大臣もいる。それらを副総理格として閣議で見ていたわけだから、自分が組閣する際にはしっかりと選別しなければならないはずだが、報道機関を通じて漏れてくる話を総合すると陣立てに大した変化はないようだ。    子供のような閣僚や何でもよくしゃべる口先大臣がそのまま居座るとなると、菅総理大臣の気の休まる時はないだろう。そして、鳩山氏が裸の王様だったことを考え合わせると、実力のある実務家を身近に置かなければ、なにごとも現実的な政策は一歩たりとも進まない。なにしろ政治主導を菅総理大臣も謳っているから官僚は悪意に満ちたサボタージュをすると心してかからなければならないだろう。省庁間の連絡も政治家がやらなければ、官僚は連絡の必要性を知っていて素知らぬ振りを平気ですると心得なければならない。    さて、本気で小沢氏を排除したとしたら菅総理大臣が参議院選挙後の連立相手との交渉を自身の手でやらなければならず、成否が直接政権の命運に直結することになる。自民党時代を経験していない人が、元自民党だらけの新党とどのような交渉をするのか。イラ菅がこれまでどのような仲間と集いどの程度の交誼を結んできたか、総理大臣の総合力が問われる日々になるだろう。

菅政権はポピュリズムを排せよ。

 マスコミの注文通りに動くと碌なことはない。小沢氏を日干しにするとはとんでもないことだ。能力のある者は適正に能力を発揮して戴くのが国家国民のためだ。なによりも小沢氏も選挙で選ばれた国会議員に変わりない。その人に向かって静かにしていろ、とは何事だ。人を使いこなせないような者が首相になってどうする。マスコミ好みの人事を行うとクリーンだが仕事は何もできない鳩山政権の二の舞になってしまうだろう。    子供手当とか農家戸別保証などをばらまき政策と批判するが、それもマスコミの為にする論調だ。なぜなら子供手当の全額が支出されないで貯金に回るからGDPに寄与しないなぞという。それなら防衛費はすべて国内のGDPに寄与しているのだろうか。武器装備費の多くは米国の軍需産業を潤し、防衛利権存続予算と化している。保育園を作れという声も良く聞くが、国家が制度事業で保育園整備を行えば子供一人当たり月額予算が57万円もかかる馬鹿げた保育事業の餌食になるだけだ。  子供手当を何人かの親が持ち寄って、保育士の資格を持つ人を雇って小規模の保育園を空きマンションなどの一室で行えるような制度緩和を行うことの方がどれほどましだろうか。    故意か作為か、マスコミの論調は従前の常識にとらわれている場合が多々ある。農家への戸別保障もこれまでの農業政策は農協を集票マシンと考えた自民党政権により減反政策などを予算も含めて丸投げして農協を維持してきた。それが正しいかどうかを検証することもなく、そのまま続けてよいか考えれば分かることだろう。  行政の外郭団体化した農協は営農活動の土地から離れ、金融と保険事業でしか利益を生み出せない体質になってしまった。    子供手当は子供手当の先進国の仏国を見れば効果のほどは明らかだ。我が国は幼保一元化すらままならない縄張り意識の強い官庁が国民の上に君臨し、官庁利権の囲い込みに狂奔している。そうではない、という御仁がいれば子供をダシにした利権の囲い込みを文科省と厚労省にやめさせることだ。  子供手当は直接支給の為に防衛予算を上回る規模にも拘らず、防衛利権のような外郭団体や特定企業との癒着も生じない。つまり官僚にとってはこれほど面白くない予算はないのだ。だからマスコミを使って一部を保育園増設に使うべし、と言わせるのだ。そうすれば制度事業のため膨大な利権構造を構築できるし今ある構造を拡

中国の鳥インフルに注目せよ。

 やがて爆発的に流行するのではないか、と懸念されている新型インフルエンザの前身形として鳥インフルエンザがあって、鳥から人に感染しているウィルスが突然変異を起こして人から人へ感染するようになると爆発的に流行すると予測されている。湖北省で22歳の女性が鳥の死骸に触れていて発病し、死亡したと報じられているが逸早く鳥インフルのウィルスを検査して型を特定する必要がある。    口蹄疫で露呈したような初動対応のまずさを総括しなければ、今後夏以降の流行期を迎えてこの国の防疫体制は大丈夫かと気にかかる。確かに家畜と人とでは対応部署も組織も異なるため、宮崎県で起こった不手際が繰り返されるとは思えないが、都道府県がまず対処すべきと定められているのは同じことだ。それをマスコミがすぐに国の問題だと政権を揺さぶる手段に利用するようでは都道府県の対応能力増強に役立たないだろう。    幸いにして口蹄疫は宮崎県に封じ込めたまま終息したようだが、家畜殺処分20数万頭による被害を蒙った畜産農家への対処もさることながら、なぜこのような事態になったのか感染源と感染経路を検証し、反省の上に立った対応策を確立しなければならないだろう。もちろん農水省の担当部署が宮崎県と力を合わせて二度とこのようなことにならないようにマニュアルを点検整備しなければならないし、結果を全国都道府県へ徹底しなければならない。    高速移動手段が一般化し、誰もが一日のうちに遠隔地へ気軽に移動できる現代社会は感染症対策には困難を伴う時代ともいえる。しっかりとした防疫対策と去年のように新型インフルに対して後手後手に回ったワクチンが品薄のまま季節が過ぎて、流行期を脱したころになって大量の国外ワクチンが到着して数十億円ものワクチンを廃棄するなぞと、民間企業なら担当者は更迭モノの対応を繰り返すことのないようにしなければならない。

小沢氏外しで本当に民主党は立ち行くのか。

 菅氏が首班指名を受けて第94代首相になった。民主党がかねてより批判していた総選挙なき首相交代を民主党も行ったわけだ。それは自民党の真似だから、自民党から批判されるいわれはないが。    ただ、代表選出過程で小沢氏外しのような言動が見られたのは残念だ。マスコミに阿て何がどうなるというのだろうか。小沢氏的なものの排除というが、それでは「小沢氏的なもの」とは何だろうか。小沢氏のどこがどのように間違っていたというのだろうか。    参議院選挙後の政権運営でどの党と連立を組むつもりか、すでに考えていなければならないが、菅氏の頭の中にそうした政権運営の絵が描けているのだろうか。嘴の黄色い連中は政策論議はできるだろうが、それならテレビの素人コメンテーターにでも出来ることだ。実際に誰が誰と話し合って具体的にどの程度まで政策面で譲歩し、何処までを最低限守るべきラインとするか、といった実務的な話し合いのできる人物がいるだろうか。    小沢氏にしばらく静かにしていてくれとは無礼千万だ。これで小沢氏は菅政権が行き詰っても一切手を貸さないだろう。そしていよいよ二進も三進もいかなくなったらさっさと小沢氏に冷たくした連中の牛耳る党を割って自民党の一部と手を組む再編に動くだろう。その時になって臍を噛んでも遅い。民主党は政権の座から滑り落ちることになる。かつての細川政権下では社会党が政権から寝返って自民党と組んだのだが、小沢氏のグループが自民党と組む方が垣根ははるかに低いだろう。    小沢氏外しとか、子供の火遊びのようなことをして凱歌を上げている単純な連中が政権の中枢に座れば、いよいよ大局的に物事が見られなくなる。なにしろ政権運営の実務経験者はいないわけだから。予測するが党の要に小沢氏がいない菅政権は、鳩山政権よりもひどい状態になるだろう。  国民受けだとかマスコミ受けだとか、そんなことを考えていたら参議院選挙までの最短命政権に終わるだろう。

気の緩みを戒めよ。

 中国電力島根原子力発電所1,2号機で大量の点検漏れが発覚した。機器の安全性を考慮した分解・交換の時期を過ぎた点検漏れの機器は511件。そのうち誤記載が215件で過去の点検リストを使用していた機器が119件あるなど杜撰そのものだ。全体では実に1671件もの点検漏れ・点検計画の不備があったという。    原因として考えられるのは点検の実施状況が経営者に伝わらず現場任せになっていたためのようだ。点検漏れなどを防止するために点検を管理する組織を会社内部に設けるなど改善するように経済産業省原子力安全・保安院は防止策を勧告し、島根原子力発電所へ立ち入り検査をするとしている。    いうまでもなく原子力は膨大なエネルギーを内包し使用次第では環境破壊どころか大勢の死者を出す甚大な被害をもたらす。米国のスリーマイル島や旧ソ連のチェリノブイルを持ち出すまでもないだろう。幸いにして我が国は原子炉がメルトダウンするような危機的な事態に直面したことはないが、何名かの犠牲者は出している。そうした恐竜のようなエネルギーの塊を制御する技術は確立しているとはいえ、一歩誤るととんでもない事態になることを常に心していなければならない。    世界で1位の米国に次いで仏国と2位か3位の座を争うほどの50数基もの原子力発電所を持つ我が国は機器に慣れて安全管理を怠ることなく原子力発電所にかかわるすべての者は緊張感を持っていなければならない。  各電力会社も時代の趨勢で自社の正社員で保守点検に当たるところは少ないようだが、安易に作業委託で済ませるのではなく自社社員で点検管理や安全確認を行うべきだ。そして外注発注した作業もきちんと点検しなければならない。それは経営者にも言えることだ。地域独占企業として国際的に高い電気料金を取っている電力各社の経営者は社内全般に高いモラルを保持するように努めなければならない。    なにかというと我が国の電力料金は国際比較でそれほど高額でないと強弁する人たちがいるが、高額な証拠はアルミ精錬事業が国内で成り立たないことが如実に示している。電力料金を擁護する御用経済学者も恥を知るべきで、いかにして競争原理を持ち込むかを考えるのが必要ではないだろうか。米国などでは発電事業と送電事業を別会社に分け、発電事業に民間参入を認めて競争原理を働かせている。官僚と密接にコミットした各電力会社の圧力

それでも民主党政権に期待する。

 鳩山政権末期は恰も第二自民党のようになってしまった。普天間基地移設先に関してである。辺野古沖というのでは一部訓練施設を沖縄県外へ移したところで自民党時代の日米合意と同じことだ。それでは政権交代した意味がないし、官僚たちによって作られた案そのものということになる。いや、それよりも訓練基地を他に作るということでは実質的に官僚の得意技の「焼け太り」ということになる。最悪の鳩山氏の日米合意だ。鳩山氏の近くにいてそうした案へ鳩山氏を誘導した連中が鳩山政権を追い詰めた張本人だ。    明日、新たに首相になる人は鳩山氏が米国と合意した案を店晒しにすることだ。辺野古沖へ移設することは地元も沖縄県も同意しないから公有水面埋め立てはいかに国といえどもできない。そして沖縄県民は普天間基地の閉鎖を徹底的に訴えることだ。米国紙に普天間基地と隣接する小学校の写真を全面広告として掲載し、米国民に「あなたの子供たちが学ぶすぐ傍にこんな基地があっても平気か」と訴えることだ。  米国は首相が代わっても日米合意を速やかに実施するように期待する、との談話を鳩山氏退陣に寄せてコメントを出したが、いかに厚かましいことか。米国の都合で日本の総理大臣が退陣したというのに、約束は約束だから良い基地を作ってくれよ、とは何事だ。この国にいつまで居座れば気が済むというのだろうか。    一旦は日米合意案をひっくり返すという自民党政権下ではありえないことが起こって、沖縄の米軍基地問題が国民の目に明らかになった。事業仕分けでも官僚の米櫃を食い荒らす実態がいかに凄まじいか明らかになっている。  鳩山政権が二重支配構造だったとある新聞の社説に掲載されているが、それもマスコミによって喧伝された虚構に過ぎないことは任命権者の鳩山氏の退陣により小沢氏も幹事長職を辞したことで明らかだ。検審会のいうように小沢氏が絶対権力者なら幹事長に居座り続けて鳩山首相の首を飛ばしただろう。それならば二重権力と批判する社説を掲載しても頷ける。だが、それよりも御社こそ老害の主筆と社長との二重権力構造ではないだろうか。そのことに社内から声が上がらないのは日本を代表する大マスコミとして恥ずかしくないのだろうか。    政権交代によりこの国の闇に光が当たり始めた。だが子供のような閣僚がいて高速道路料金一つとってもまともに政治家が決められず、迷走した挙句に小沢氏

対米同盟関係の中身を見直そう。

 小泉元総理が「誰が総理になっても沖縄を説得するのは難しい。民主党にはしばらく政権にいてもらって政権運営の難しさを理解してもらおう」と講演で述べたようだ。沖縄の反発が高まっている間は自民党が政権に返り咲いても火中の栗を拾うだけだということなのだろうか。    しかし米軍が沖縄に駐留していなければならない、とするのは本当なのだろうか。日本を守る抑止力として働き、国民を守るために海兵隊が沖縄にいなければならないのだろうか。差し迫った危機が日本にあるとすれば北朝鮮と中国の軍事力だが、米軍が危機を解消するために働いた痕跡はない。    つまり北朝鮮のミサイル開発に関しては米国本土まで届くか否かを問題としているだけで、日本上空を飛び越えても北朝鮮のミサイル工場をトマホークでピンポイント攻撃していない。そして相変わらず日本全土を射程に入れたノドンミサイルを生産している現状を放置している。米軍海兵隊の具体的な役割が何でどのような作戦に従事するのか知らないが、沖縄にいることで何の抑止力になるのだろうか。    中国に到ってはもっとひどい。日本の各都市に照準を合わせた二千発もの中距離ミサイルが中国国内に配備されているという。軍事バランスというのなら日本も中国の主要な都市に照準を合わせたミサイルを各地に配備していなければ嘘だ。しかし米軍が守ってくれる、という理屈で日本は何となく安心して中距離ミサイルを開発していないし、経済関係最優先の経済界の声に押されてなし崩しに友好関係を進展させている。中国の日本へ向けたミサイル除去の話し合いすらしないままにだ。    仲良くしようと右手で握手しながら中国は左手の拳骨は握りしめたままだ。米国もそれを容認している。もしもミサイルが発射されても、米軍の海兵隊が抑止力として働くのか。つまり米軍の抑止力なるものは誰からの攻撃に対して何を守るための抑止力なのか。突き詰めて考える必要がある。ヘリ部隊の抑止力とはなんだろうか。    日本が反米になるのを米国は最も恐れている。日本の科学技術力を結集すれば核兵器の開発は容易だし、長距離ミサイルはすでに人工衛星を打ち上げる実力を持っている。その国が米国と敵対すれば朝鮮半島はあっという間に北朝鮮が南下するだろう。すると米軍の海兵隊は日本を半占領下においておく装置だと気づく。つまり米軍海兵隊の抑止力とは米国の安全保障のため

マスコミの責任は甚大だ

 いまだに「政治とカネ」と一括りに言うのがマスコミの大勢だ。それが具体的に何を意味するのか説明する人は皆無に近い。小沢氏の問題とされることは「不起訴」とされたことで無罪だ。鳩山氏の場合は贈与税を支払い、それを国税が収納したことにより手続きは済んでいる。つまり「政治とカネ」なるものの実態は何もなく、ただマスコミが検察リーク情報をタレ流して作り上げた悪の権化なる虚構を国民の頭の中に残像として留めようとする悪意に満ちた意図的な繰り返しだ。    短期間で首相が交代する状態は官僚にとってはまた新米の大臣が赴任してくるわけだから掌で遊ばせることができるとほくそ笑んでいるだろう。世界が日本を評価する点数はどんどん下がるだけで、国際政治舞台に日本はいてもいなくても良い状態が今後とも続くのだろう。国民にとって良いことは何もないのだが、マスコミは鳩山氏を総攻撃して追い詰めた。マスコミも日本の総理大臣は軽くてバカが良いと思っているのだろうか。そうだとしたら正にその通りになった、マスコミは慶賀の至りだろう。    今回は普天間を移設する先として「最低でも県外」と鳩山氏が口走ったことから始まった。その志や良しとするが、具体的な戦略がないと見抜いたマスコミの餌食になった。しかし本心から沖縄の負担を少しでも軽減しようとする声がマスコミから上がらなかったのはなぜだろうか。少しでも移転候補地として名が上がれば先回りして反対運動をマスコミは煽って回ったではないか。  首相が少しでも沖縄の負担を分かち合ってほしいとお願いした、全国知事会に欠席した知事を一言でもマスコミは批判しただろうか。むしろ東京都知事の傲岸不遜なコメントを持ち上げるように何度もテレビで流したではないだろうか。そこまでして鳩山氏を追い詰めたのだ。それでも図太く総理の椅子に居座れば良いものを、お坊ちゃまのひ弱さを残念に思う。彼の政治家としての使命は終わった、潔く引退することを勧める。 (追記) 夕刻6時過ぎの記者会見で鳩山氏は次期衆議院選挙に出馬しない旨の発言をしたようだ。最後の引き際は心得ているようで、江戸時代の武家のように何はなくとも切腹の作法だけは心得ていたのと同じようで清々しい。自民党の首相経験者がいつまでも居座っているのと好対照だ。  もはや嘴の黄色い口先だけで囁きかけ、世間の様子見に長けた政治家は御免だ。愛妻家だとか若者受け

なんとも無責任にして腰抜けな。

 普天間に端を発して社民党離脱により鳩山政権が退陣に到った。何とも残念としか言いようがない。防衛利権に手を突っ込んだことから猛烈な反発を受け、マスコミの総攻撃を受ける事態となりついに万策尽きたということか。    余計なことを言わずに鳩山氏はさっさと退けばよいものを小沢氏や小林氏に言及したのは心外だ。どこまで愚かなのか、鳩山氏とは御し難い人物だ。  「政治とカネ」とマスコミは一括りにして報じるが、鳩山氏の場合と小沢氏の場合とは明白に異なる。鳩山氏の場合は十二億もの子供手当をもらいながら何も処理していなかった。小沢氏の場合は不動産購入の資金移動と記載が二ヶ月ずれているだけだ。それをさも自分と同じがごとく言うのは笑止千万だ。悪質さからいえば鳩山氏の方が数段上だ。ただ、未処理ということで贈与税を納付して済ませたが、一般国民なら五億数千万円という脱税金額からして逮捕されても仕方のないケースだ。だが小沢氏の場合は徹底的に東京地検が捜査して何も出てこなかったのだ。小沢氏は無罪以外の何ものでもない。  しかし、鳩山氏は小沢氏の芽を潰して参議院選挙後の参議院与党体制を構築できる人物が他にいると考えてのことなのか。それとも普天間と同じく戦略なきポピュリズムのリップサービスだったのか。苦労知らずのお坊ちゃんには共に苦労したことはなく、仲間を思いやる心が涵養されることもなかったようだ。   支持率は時の趨勢で達観すればよいものを、小沢氏のダーティイメージを払拭することなく、むしろ土壇場に増長するような発言をするとは今後の政局の見通しも、仲間を庇う度量も法治国家を守るために暴走するマスコミと対決する見識すらない、世間知らずの腰抜けお坊ちゃまに過ぎない哀れな姿を露呈した。さっさと政界を引退することだ。    自民党がなぜ長期政権を維持できたかを考えなければ日本の政治の貧困の謎は解けないだろう。この国を仕切っているのは総理大臣かというと、どうやらそうではないような気がする。公権力の最強最大な検察とマスコミによる世論誘導に鳩山政権はしてやられたが、それは誰に利益をもたらすのか。  日本が政治的機能不全のまま今後とも推移する方が良とする勢力が公権力とマスコミを操っている構造が国民にも次第に分かりかけていると思うのだが。    テレビをつけると、水に落ちた犬を叩くように野党の口さがない連中は日本の政

決して小沢氏は豪腕ではない。

 これまでの政治家としての履歴を見れば良く分かることだが、小沢氏はむしろ挫折の連続から立ち上がってきたといえるだろう。今回の鳩山首相の辞任騒動についても、首相の首に鈴をつけられるのは小沢氏ぐらいだといわれるが、小沢氏を幹事長に任命したのは鳩山氏だ。つまり小沢氏が鳩山首相の上に君臨しているのではなく、鳩山氏が小沢氏の罷免権を握っているのだ。    民主党代表でもある鳩山氏の代表任期はこの9月までだ。それまでは鳩山氏は参議院選挙で大敗しようと自発的に辞任しない限り代表であり続け、首相であり続ける。それが政治の仕組みであって、仕組みにない緊急避難的な行動をとろうとしているのが今なのだ。だから支持率が下がったから責任を取って辞任せよ、というのは政党政治の常道にない。    首相の首は挿げ替えない方が良い。できれば衆議院の任期の間は一人の首相が勤める、という本来の姿を日本の政党政治は取り戻した方が良い。そうすればマスコミが騒ぎ立てて世論を誘導し、支持率を下げさえすれば首相を代えられるとする馬鹿げた常識が潰えることになる。マスコミ主導の政局に碌なことはない。国民も衆議院の任期の間は自分たちで選んだ首相と心中する覚悟で投票するようになるだろう。人気タレントの人気度を競う投票とはわけが違うと分からなければならない。    昨夕、三者会談で小沢氏は自分と一緒に辞めよう、と鳩山首相に持ちかけたようだ。選挙に向けて万全でない体調と相談しながら全国を駆けずり回ってきた小沢氏にとっては断腸の思いだったはずだが、鳩山首相を降ろすにはわが身を捨てるしかないと決断したのだろう。しかし鳩山氏はそれでも辞めないと返答したというのだから、なかなか音羽御殿の坊ちゃんはしたたかなものだ。  そのしたたかさを米国との交渉にこそ発揮してほしいものだが。

政局にかまけている暇はない。

 いまだに「政治とカネ」とバカの一つ覚えのように言う人がいる。具体的にその中身を言えば良いのに、思わせぶりに小沢氏にさもカネにまつわる疑惑があるかのように指摘する。恐らく具体的に検察が法令違反と見て強制捜査した事実事項を確認したことすらない連中なのだろうが、レギュラーでテレビ出演しているまともそうなコメンテーターが言うのだから始末が悪い。この欄で何度書いたことだろうか、小沢氏の基本的人権も他の人と同様に尊重されるべきだし、たとえ起訴されても推定無罪の原則が憲法に謳われている法治国家なのに一顧だにされないのはなぜだろうか。小沢氏は起訴すらされていないというのに。  検察当局が「不起訴」とした時点でしかるべき検察官が記者会見して「法と証拠に基づく限り、小沢氏に犯罪とすべき事実は何もなかった」というべきだった。それがさもなにかあるがごとく「嫌疑不十分で」と付け加えるからおかしくなる。嫌疑不十分で不起訴は「無罪」ということで起訴猶予なら、いくらか怪しい点はあるが起訴して公判で争うほどでないということだ。つまり「不起訴」はシロで「起訴猶予」が灰色なのだ。その相違すら分からない者はテレビで発言しない方が良い。    米国の駐日大使が「沖縄県民の負担軽減に米国としても配慮する」と発言した。米国が日本国民に配慮するのは当然のことで、米国が最も恐れているのは国民世論が反米になることだ。日本から追い出されると米国は極東での大きな足掛かりを失うことになる。韓国も対峙している北朝鮮の圧力を一国で跳ね返すことはできないだろう。中国も昂然と反米的な行動に出るだろう。軍事的に日本は米国の要石になっているのだ。    その日本に対してあまり厚かましい要求はしないことだ。ヘリコプター部隊と一体でなければ海兵隊は無意味だとか、分かったような屁理屈はいわない方が良い。今から出動するぞと敵国に分かって出動する急襲部隊はない。機動性能に劣るヘリが沖縄の基地から直接海上を飛んでゆくのでないなら、なにも近くにいる必要はない。大型艦船に積載して攻撃予定地へ行き、海兵隊員は航空機で合流する方が現実的だ。  鳩山首相は辺野古沖で米国と合意したが、地元民の反対運動の高まりと沖縄県の公有水面埋め立て許可が出ないことを盾に米国と気長に交渉することだ。危険な普天間基地が固定化されないように米国の新聞に普天間基地の写真を掲載し

ついに「政局」へ抑え込まれたのか。

 確かに稚拙な鳩山首相の言動は問題だが、鳩山首相を引き摺り下ろして何がどう変わるというのだろうか。民主党参議院改選組が浮足立っているというが、首相を変えれば選挙情勢が良くなると考えるのは他力本願に過ぎないだろう。そして現在の日本で政局騒動にかまける時間的な余裕があるのだろうか。    マスコミは繰り返し社民党の女性元二閣僚が役所を去る際の涙の会見を流したが、論理と情緒をごちゃ混ぜにする得意の手法で国民に憐憫の情を誘い社民党を擁護するかのようだ。普段は決して社民を擁護しないマスコミも鳩山政権潰しに役に立つとみるとなれば、日本の政治と関係のない涙の会見を繰り返し見せるのは意図が透けて見えていやらしさそのものだ。    いよいよマスコミは鳩山首相退陣を迫り、最後の詰めに入ったようだ。泥沼を這うような苦労を知らないお坊ちゃま首相は打たれ弱く、間もなく音を上げるだろう。民主党は鳩山氏を首相の座から降ろしても解散総選挙を打つ状態にないことから、自民党のように選挙用の顔を挿げ替えるだけになってしまうだろう。するとマスコミは民主党はかつて批判していたことをしているではないかと更に叩く。完全にマスコミの戦略に乗せられた国民は民主党潰しに参議院選挙で動くことになる。旧体制の復権を画策するマスコミと官僚にまんまとしてやられたわけだ。    政治はその国民のレベルを超えない、とは良くいったものだ。世界へ向けて日本の政治家の顔がはっきりと見える政治をやらないと、日本はますます国際舞台で存在感を失ってしまう。  日本のマスコミは本当に日本の国益のために動いているのだろうかと疑いを持つ。政府をよってたかって攻撃し、評論家どもが半ケツのタレントを論評したすぐ後に同じ口で日本の首相を無能呼ばわりする。    鳩山氏が退陣することで普天間問題は片付くのか。ついでに小沢氏まで幹事長を罷免することになると、民主党を誰がまとめてゆくのか。無責任なマスコミは喜んで舞い踊っているが、日本の政治をどうしようとしているのか。政治家がまともなガバナンスを発揮しそうになると総攻撃を仕掛けて潰し、ついに日本から大物といわれる政治家はいなくなった。自民党に到ってはあらゆる場面で小泉ジュニアを登場させている。自民党の顔は小泉ジュニアということだ。子供店長が流行ったが、それは政治の世界でも同じことのようだ。    辻国会議員が