ポピュリズムだけの居抜き内閣か。
脱・反小沢色で菅内閣は組閣したようだ。幹事長には小沢氏を公然と批判した枝野仕分け人を充てて、官房長官も小沢氏を批判していた仙谷氏を据えた。これでは党内最大勢力の小沢グループの協力を仰ぐことはできない。ノーサイドと宣言したのはノーオザワのことだったのか。
ポピュリズムはほんの一時的な人気を得るに過ぎない。実際に仕事を行うには持続的に実務的能力が必要となる。参議院選挙後の民主党の議席によっては複数の政党と連立を組まざるを得なくなるが、そのお膳立てに動く人物が小沢氏を除いて民主党内にいるのだろうか。
人を批判するのは容易い。しかし信頼関係を構築するには時間がかかるものだ。枝野氏が党の要として幹事長をこなせるのか。仕事を仕分け人を仕分けるのはそれほど気配りや配慮はいらないが、今度は人から仕分けられる番だ。ハードパンチャーが打たれ弱いのはボクシングの世界で良くあることだ。
選挙管理的な俄内閣では仕方ないことかもしれないが、既に官僚に取り込まれたような大臣は更迭すべきだった。各省庁の仕事をすべて洗い出し、役目を終えたものはどんどん廃止して行くには役人の説明を鵜呑みにしてはいけない。役人を指導して不必要な仕事を減らさなければ役人も減らないし予算も減らない。そうした状態で増税しても底の抜けたバケツで水を汲むようなものだ。
排すべきは小沢氏ではなく、ポピュリズムだった。政治家として実力のある人物を使いこなせないのは首相の器に問題があるからだ。小沢氏に「政治とカネ」の問題があるというのなら、東京地検特捜部でも探せなかったその証拠を示して発言してもらいたい。
この国は検察とマスコミが自由に国民世論を操る状態をいつまで放置するのだろうか。米軍の基地移設一つまともにできない首相の行政力は世界の笑いものだろう。誤解してはいけない、海外メディアは鳩山氏を嘲笑しつつ実は米国に頭の上がらない日本を笑っているのだ。マスコミは徹底して鳩山氏を一方的に追い詰めたが、国民は結果としてマスコミは誰の役に立ったかを考えなければならないだろう。