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赤ちゃんの両足大腿骨骨折事件。

 何とも痛ましくて声も出ないほどだ。被疑者と見られる28歳の女がレジ待ちの赤ちゃん連れの母親に近づき「かわいいね、抱っこさせて」とせがみ、赤ちゃんを抱きあげて親が目を離した僅かな隙に赤ちゃんの両足大腿骨骨折による全治4ヶ月の重傷を負わせたというのだ。  火がついたように赤ちゃんが泣きだし慌てて赤ちゃんを取り戻して家へ帰ったが、一向に泣き止まないため病院へ行って両足骨折が分かったという。言葉のしゃべれない無垢な赤ちゃんに危害を加えるとは許し難い残虐行為だ。全く面識のないことから恨みによる犯行とは考えられず、一種猟奇的な愉快犯と思われる。ちなみに女はスーパーの防犯カメラから身元が割れ逮捕されたが暴行に関しては否認しているという。    被疑者が逮捕されて事件は解決したが、問題はここからだ。足利警察署には以前から似たような女に赤ちゃんが危害を加えられた相談があったというのだ。女が赤ちゃんを抱っこしたがりやむなく抱っこさせると間もなく赤ちゃんが泣きだしたので調べたら足に抓ったような痣があったとか、類似の複数の相談が寄せられていたという。それなのにスーパーなどへ注意書きを手配するとか、注意を喚起する巡回などを行うとかしていなかったのはなぜだろうか。一般人からの通報が一件でもあったり、相談が一件でもあれば機敏に動いて後々累犯を防ぐのが警察の重要な役目ではないだろうか。    警察の怠慢から起こった似たような事件はいくつもある。ストーカー被害を訴えても警察が積極的に動かず、放置したため結果としてストーカー被害者が殺害される殺人事件にまで発展したケースがいくつあっただろうか。今回も赤ちゃんが見知らぬ女に抓られたと相談があった段階で問題視して動いていれば、赤ちゃんが大腿骨骨折させられるまでエスカレートしなかっただろう。  同じようなケースとして出会い系サイトのネット巡回も警察はすべきだ。不当な介入は表現の自由を侵害するかもしれないが、少女がいろんな犯罪に巻き込まれる窓口になっているのも確かなことだ。サイトを巡回して警察官がナリキリになって掲示板へ書き込んでいる者の真意を確認するのも一つの手だろう。    大事件が起こってからでは遅い。火事は初期消火が肝要なように、犯罪も初期の段階で芽を摘んでいれば大腿骨骨折のような事態へは進展しなかっただろう。個々の警察官は一般人からの相談を軽く見な

「腹案があります」の文言はまだ生きているのか。

 辺野古沖という自民党時代の日米合意案に近いものへ回帰するのが鳩山首相の「腹案」だったのか。それとも一応は米国との合意作りに便法として辺野古沖を提示したが、当然地元も県も合意が得られないから辺野古沖案は文書上の合意であって、現実的な合意でないというのが鳩山氏の「腹案」なのか。つまり日米合意はしたが今後現実に基地の設計や地元同意などを取り付ける段階に到ると立ち往生するのは目に見えている。だから結局は県内移設は困難だよ、と改めて米国に伝えて国外移設を持ちかける、というプロセスまで読んでの上、というのが鳩山氏の最終的な「腹案」で、今は死んだふりをしているのならしたたかなものなのだが。  もし辺野古沖へ回帰するつもりで時間稼ぎに「腹案」がある、と言ったのなら愚かなことだ。本心から今回の日米合意が実施可能だと思っているのなら今回の合意形成に動いた官僚に完全にしてやられたことになる。    駐米大使が夜中にクリントン国務大臣に呼びつけられて、なぜ沖縄の日米合意を反故にしたと叱責を受けた、と演技し国内メディアに配信したことがあった。後で駐米大使の狂言芝居で呼びつけたのではなく国務大臣がちょっと立ち寄っただけで沖縄問題を話していないと分かった。  官僚は自分たちが仕上げた成果を否定されるのを最も嫌う。そのためには狂言芝居を打ってでも国内世論を梃にして日本政府を追い詰めようとする。鳩山氏が県外移設を考えている間は担当各省の官僚たちは普天間問題を放置してサボタージュし、外交に素人の国会議員がオタオタするのを傍観しつつ陰で様々な妨害工作をした。そしてついに鳩山氏が県外移設を断念するや辺野古沖へ回帰すべく他の移設先候補案をことごとく潰し、かつて自分たちが成案を得ていた辺野古沖が最善として辺野古沖案で米国との再合意作りに動いた。そしてこの際とばかりに新たに県外に訓練場を設けるように官僚得意の「焼け太り」を策しているのだ。    こうなったからには鳩山氏はかつての日米合意案へ戻ったのだから、県外の訓練場も必要ないと突っぱねるべきだ。訓練場を作って米軍基地面積の総合計を増やし「焼け太らせる」のは最悪だ。そのように導いている官僚の思惑を打ち砕き、駐米大使や防衛制服組幹部や外務省米国担当幹部を更迭すべきだ。彼らのタッグチームにしてやられたのを認識しなければ防衛利権構造を打ち砕くことはできない。辺野古

読売新聞は「編集手帳」で取り上げただけで茶を濁すのか。

 郵政制度悪用事件で身体障碍者団体への割引制度を悪用したとして検察は厚生労働省元局長の関与があったとして逮捕し、民主党長老議員の関与立件も視野に入れて任意の事情聴取までした。マスコミも政官癒着の一大疑惑事件のように騒ぎ立て煽ったものだ。  しかし公判が始まると大阪地裁は検察側が申請した重要証人の供述書をことごとく却下し、証拠採用しなかった。もはや無罪判決が見える事態になって、はじめて検察の暴走をチクリと批判する記事を「編集手帳」に掲載した。    しかし検察の大本営発表をさも事実であるかのように連日報道したことにより蹂躙された元局長の人権への謝罪もさることながら、共犯と一時報じられた民主党長老議員の名誉回復は微塵も図られていない。そして何よりも「編集手帳」最後の数行で『政治とカネの事件しかり、庶民の検察への信頼感情は、ここのところ少し怪しくなっている』と結んでいる。数行書き足すことで不起訴に終わった小沢氏の件に触れたつもりだろうが、庶民の検察への信頼感情が怪しくなったのは郵政制度悪用事件と同じく、検察の「思い込み、無理筋捜査」を無批判に検察情報をタレ流したマスコミが庶民を誤った方向へ誘導したのが原因だと一片の反省もしないのは報道機関そのものが厚顔無恥と批判されても仕方ないだろう。    小沢氏が不起訴になった時点でマスコミは全紙全面広告で小沢氏に謝罪すべきだった。マスコミが小沢氏にいわれなき攻撃を仕掛けて彼の名誉を棄損した重い事実を「政治とカネの事件しかり、」と刺身のツマ程度に軽く触れて済まされるものではない。  今日のマスコミにより作られた政局も、この普天間騒動がいったん鎮静すると誰が仕掛けて誰が火に油を注いだか、鳩山政権潰しのマスコミ主導の策動がやがて暴露されるだろう。    しかし小沢氏の場合は余りに酷かった。いまだに小沢氏を巨悪の権化のように吹聴する者がいるが、根拠のない批判を繰り返すのは人権侵害と名誉棄損に当たることを警告しなければならない。  小沢氏が民主党代表を辞任するきっかけとなった大久保氏の事件も大山鳴動してネズミ一匹だった。公判が始まれば会計責任者を逮捕するほどの事件だったのか、国民の目に明らかになるだろう。その構図は石川氏たちの逮捕と全く同じだ。いずれも狙い筋で小沢氏を政治献金と職務権限行使を関連付けて立件しようとしたのだろうが、ついに証拠は出

首相にスピーチライターをつけては

「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と鳩山首相が発言したとして、いろんなブログで取り沙汰されているようだ。それは5/26夕の官邸で、普天間問題で日本の安全保障についてぶら下がりの記者に問われて返答した一部のようだ。  記者と首相の長いやりとりの中でつい口から出た文言のようだが、得たとばかりにそこだけを切り抜いて配信してしまった。いかにも上から目線の発言で、国民が反発を覚える格好の材料としてタレ流したのだ。    米国大統領には若くて有能なスピーチライターがついて、大統領のあらゆる発言の場でメモを作って渡しているようだ。既に遅いかも知れないが、鳩山首相にも有能なスピーチライターが必要だ。  有能なライターがメモを作るとしたら、鳩山氏に「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と国民を叱るように言わせるのではなく「日米同盟を堅持しつつも、この国はこの国の人々で守るという国家としてあるべき姿を求めたい。今回の普天間移設を巡る問題で県外移設の約束を守れなかったのは申し訳ないが、沖縄県民の痛みを日本国民すべてで分かち合う必要性を今後とも訴えてまいります。なにとぞご理解とご協力をお願い申し上げます」ぐらい言わせておけばそれほど取り沙汰されることはなかっただろう。    鳩山首相は世間に稀なほどの富豪の家庭に生まれ、金銭的な苦労をしないどころかそれほど人に対して頭を下げることなく初老を迎えたのだろう。物腰から育ちの良さは分かるが、人として他人の思いを汲み取る想像力の欠如を危惧する場面が多々見受けられる。会社のボーナスが出なくなって銀行にボーナス払いの住宅ローンの一時返済猶予をお願いに行ったり、子供の大学授業料の支払いに窮して教育ローンを借りに行ったりする苦労は知らないだろう。庶民は様々な苦労をして人に頭を下げ、人の温かさや人のいやらしさを学んでいくのだ。そうした実社会での教育機会に恵まれなかった鳩山氏は決定的にそうした面での感性が欠落していると自覚すべきだ。そしてすでに教育によって是正する年ごろを逸し学ぶ期間もないことから、そうした面を持ち合わせたスピーチライターが必要なのだ。    至誠天に通ず、というのは間違いだ。たとえ至誠があったとしても言葉に出して表現しなければ相手に伝わらな

時代の変革に立ち向かうには

 相変わらずマスコミは鳩山政権の首を獲ろうと懸命に鳩山氏の首相としての個人的資質についてまで追及している。それにテレビ番組で民主党批判している新聞社の御用評論家までも一緒になって「首相の常識力欠如」(5/29読売新聞朝刊)なぞと大見出しで最後の攻勢を強めているのは一種異様な感がする。そこまで執拗に鳩山氏を潰したいのは他によからぬ思惑があるからではないかとつい疑ってしまう。    民主党政権ができて9ヶ月ほど経った。その間、普天間問題だけしかしていなかったわけではない。自民党以外の政党が初めて本格的な政権に就いて以来、これまでの政策の見直しを随分としている。たとえば八ッ場ダムの問題だ。全国に建設中の140ものダムが本当に必要なのか、という投げかけた意味は大きい。米国では古いダムを撤去して昔の川へ戻しているほどだ。  諫早湾堰の開閉問題も現在検討中だ。自民党政権だったら決して検討すらしなかったはずだ。今はまだ迷走中だが、高速道路料金も無料化へ向かって動くものと期待している。無責任な利権構造で40数兆円もの借金を道路公団が積み上げたのは自民党政権下だった。その膨大なツケをどうするかで民主党政権が頭を悩ましているのだ。    だから民主党政権はこれからも自民党政権時代に「よろしく」やっていた連中の甘い利権構造を徹底的に見直さなければならない。けっして後退してはならないし、普天間問題で躓いたからといってオタオタと狼狽えないことだ。戦後六十余年の間碌に政権交代がなかったため様々な澱が日本社会の隅々まで溜まってしまったが、何と言っても最大の利権構造は官僚と外郭団体の関係だ。しかも国民の税と負担金を食い物にしていてその罪は大きい。そうした構造の存在を承知しつつ、放置して報道すらしなかったマスコミの責任は鳩山氏の普天間問題で迷走した責任と比較されるべくもないほど巨大だ。    しかしiPadが昨日日本でも発売され、情報環境は大きく変わろうとしている。全国紙が今後とも現体制を維持するのはますます困難になるだろう。テレビというチャンネル数の限られていた世界を各紙が独占することでメディアまでも支配してきたが、これからは大メディアが情報を支配し続けることは困難になるだろう。  ものぐさな手に物を持って歩きたがらない日本男子が多い中で(日本女子はバッグやカバンを持ち歩くのが好きなようだが)iP

五月末の約束は果たしたのかな。

 迷走に迷走を重ねた普天間基地移設は自民党時代の日米合意に近い形で日米で合意できた。振出しに戻ったわけだから、両国政府に問題はないが、地元住民にとっては大問題だ。  鳩山代表当時に「最低でも県外」と誰の入れ知恵か知らないが、選挙期間中に口走ってしまった。マニフェストでは日米合意の見直しは困難を極めるとして、敢えて触れなかった事項にも拘らずに。    亀井金融大臣が福島少子化担当大臣に「辺野古移設はできっこないからこだわるな」と慰留したそうだが、福島大臣は「辺野古」の文言にこだわった。事実、現地の承認を移設の条件とするなら、辺野古への移設は困難だし公有水面埋め立てに必要な県知事の承認は得られないだろう。つまり辺野古沖への移設は頓挫するとみて間違いないだろう。その程度の読みは官邸でもしているはずだから、亀井大臣が慰留に辺野古はできっこないとしたのも頷ける。    沖縄県民も辺野古の地元民もこれからが頑張り時だ。政府に沖縄県内移設に反対の意思表明をし続けることだ。徳之島も地域エゴをむき出しにして移設断固反対の島民世論を盛り上げることだ。米国が恐れているのは民主党政府ではなく、日本国民の世論だ。日本が反米になるのを最も恐れているのが米国だ。国内世論が民主党批判に向かっている間は対岸の火事として不機嫌そうに腕組みして「いつになるのか、ボーイ」なぞと日本を小バカにして傍観を決め込めばよい。しかし論調が「ヤンキーゴーホーム」のスローガンに変わりだすと、途端に顔色を失うだろう。    米国は世界中で嫌われている。韓国でも反米感情は根強い。もちろん南米でも中東でもアフリカでも欧州でも嫌われている。それは余りに他人の政治と利権に干渉しすぎたためだ。世界で最も米国と同一歩調をとってきたのは今回の選挙で敗れた前政権の英国だった。その次が忠実なポチの日本だ。英国の新政権が米国にどのようなスタンスをとるのかこれからだし、日本の民主党政権は自民党政権より米国に批判的だ。そのために一日も早く民主党政権を潰そうと米国贔屓のマスコミから官僚まで総動員して叩きに叩いてきた。やっと成果が実りだしたが、副作用として眠っていた沖縄県民意識を起こしてしまった。    鳩山政権が倒れるか存続するか、どちらになろうと大した問題ではない。かつて代表だった小沢氏が「民主党にはまだ政権担当能力はない」と言って、民主党内が

「次の首相は誰か」とは

 自民党の平沢議員が都内で開いた自身のパーティでキャンベル国務次官補の口から標記の問い掛けがあったという。  自民党議員に対するリップサービスとも受け取れるし、かつて自民党が支持率の低下した首相を自党内で盥回しした実績を皮肉ったのかもしれない。しかし平沢氏もマスコミも鳩山首相が米国政府から見放された証拠だと論評している。    他国のマスコミがそう伝えたのなら表現の自由の範囲内としてまだ許せるが、他国の政府高官がたとえパーティの席であるとはいえ、我が国への内政干渉であるかのような首相を馬鹿にした発言をして、それを耳にした国会議員がたとえ野党といえども悦に入ってはいけない。「それは日本国内の問題で、沖縄の負担を少しでも軽減したいと願うのは私も同じだ」と、憮然として見せるぐらいの見識と度量が必要だろう。沖縄問題で大きく躓いた日本の首相を米国政府高官からバカにされて喜んでいるようでは、平沢議員も日本のマスコミも本気で沖縄の負担を少しでも軽減しようと思っていない証拠とでもいうべきだろう。    法によれば鳩山氏は自身が「辞める」と決断しない限りは最低でも衆議院議員の任期一杯は首相であり続けられる。これまではあまりにも簡単に首を挿げ替えてきたことにより、日本の首相が世界の政治家から軽く見られるようになっている。小泉氏以後二回続けてサミットに出た首相は一人もいない。一年ほどで次々と交代しては世界の政治家は日本の首相を相手に本気で外交交渉できないため、首相が代わっても代わらない官僚相手に交渉するのが慣行になってしまった。それが今回の普天間移設問題を巡って米国が政治家相手に交渉するのを嫌がった真相だ。そのため最終的に官僚が自分たちがまとめた自民党時代の日米合意案へ回帰させるシナリオに誘導し、官邸もそれに乗るしかなかったのだ。実はワシントンの本意は国外移転を民主党政権が本気で言い出せば譲歩せざるを得ないと覚悟していたとの話もあるようだ。しかし自民党時代の日米合意で基地問題が動くと防衛利権に巣食う連中が想定して支度しているため、日本の都合で動かせなかった等の話がまことしやかに囁かれている。そこらへんの闇に覆われた部分はいずれ時が真実を暴くだろう。なぜ、若い頃に米国に留学して日米関係に精通しているといわれる鳩山首相が突如として「学べば学ぶほど海兵隊が抑止力として働いていると知った」などと

全国知事会を欠席した知事は

 夕方のテレビニュースを見ていると全くひどいの一言だ。鳩山首相が全国の知事の招集を知事会に依頼して開かれた会議について、若い記者が「アリバイ作りの茶番だ」と切って捨てた。  何とも大胆な断定をしたものだ。首相が沖縄の負担を全国の知事に呼びかけるのが、若い記者が「茶番」と断定するほど愚かなことなのだろうか。それなら鳩山首相は政府の独断で普天間基地の移設にかかわる訓練受け入れ先を決めても良いということなのか。    沖縄の負担軽減と一部分担を沖縄以外の地域に求めた首相は鳩山氏が最初だ。稚拙であれ、愚かであれ、全国知事会に出席して首相が依頼した事実は重い。全国知事の中で唯一大阪府知事橋下氏だけが協力を表明した。その意気込みや良しとすべきだ。  それでなくても新たなことをやろうとすれば様々な困難が伴う。鳩山氏は普天間移設と官僚制内閣打破を同時に掲げたため、官僚の徹底したサボタージュにあっている。はじめて政権に就いた与党議員が官僚のアシストなしに米国と交渉するのは困難を極める。そうした官僚のサボタージュを毎日見せつけられたわけだが、マスコミまでも旧体制の復権を願って民主党潰しに狂奔しているから、当然のように「愚直」な鳩山首相を揶揄する。    山口県知事は全国知事会を他の17人の知事と同じく欠席した上で「米軍再編の全体像を政府は示すべきだ」と記者会見で鳩山首相を批判した。それならなぜ全国知事会を「出席しても新たな負担をするつもりはないから無駄だ」として突っ撥ねたのだろうか。出席した上でそうした意見を言うべきであって、出席もしない知事に首相を批判する資格はない。  知事たる者のそうした姿勢はどうなのだろうか。鳩山首相の迷走ぶりを散々批判してきたマスコミまでも国家行政組織の長たる政府総理大臣の要請を拒否した知事の姿勢に一片の批判もしなかったが、言論人は欠席知事の行動を是とするとの回答なのだろうか。   「こんな首相で日本が有事になったら心もとない」と神奈川県知事がインタビューに答えていたが、彼にとって進軍ラッパをすぐに手にするような首相の方が安全だと思っているのだろうか。それとも米軍が沖縄にあり続ける方が安全だとの意思の表明だったのだろうか。それともマスコミが安易に批判するから尻馬に乗って何の考えもなく批判しただけなのだろうか。    日本が考えるべきは「米軍再編」といった米国の

Bankerの不在を嘆く。

 いわゆるサラ金が「自社は○×銀行と提携しています」と、堂々と宣伝する時代だ。都市銀行と地方銀行と相互銀行と信用金庫と棲み分けが割合はっきりとしていたが、昨今では役割分担の垣根が低くなったような気がする。そして銀行が各種クレジットと形を変えて国民生活と密接になった半面、銀行の経営からかつてのバンカーといわれていた人物がいなくなったのではないかと寂しく思う。    経済活動の血液に相当する金融を司る銀行はそれぞれに本来の根源的な役割があったはずだ。都市銀行は国家的な企業を育て、地方銀行は地域経済の牽引役となる地場産業を育成発展させる役目があったはずだ。時には経営者と親密になりすぎるきらいはあったが、信用金庫は地域の商店などと密接にかかわり駅前経済のお目付役であったりした。    それが昨今では銀行へ行って各種ローンを相談すると即座に提携先のサラ金のカードを作るように勧められ、面倒だとばかりにサラ金に丸投げされてしまう。いつから解禁になったのか知らないが、銀行がサラ金に融資して庶民への融資は銀行では扱わずサラ金へ回してしまうのが慣行になっているかのようだ。すると銀行は国民から遠い存在になったのかというとそうでもない、一億円以上の個人資産の運用はお任せ下さい、として国民を峻別しているだけだ。    それは個人に対してだけでなく企業にもいえるようだ。手間のかかる中小零細企業に融資するのを極端に敬遠する傾向が顕著にみられる。昨年、世界的な金融危機に対処するため中小企業特別融資として政府保証を80%つけた特別融資枠がなかなか消化されず、ついには100.%保証することになってしまった。  まともなバンカーなら恥ずかしいと思わなければならない。銀行としての融資戦略は全く機能していないと決めつけられたに等しい。最悪貸付先が倒産しても、貸倒損はすべて政府が保証するのなら銀行家はたとえ無能でも勤まることになる。100%政府保証の特別融資は日本の銀行家が本来の経済を司る役割すら果たせない、サラ金の銀主に成り果てたと世間に向かって宣言したに等しい。郵貯に向かって「貸付事業の実績はないではないか」と大見得を切って恥ずかしいと思わないのだろうか。    都市銀行のBankerは日本の直接金融を司る者として国家的戦略を持つ人格者でなければならない。地方銀行も地場産業に対してしかりだ。地域経済の衰退

民主主義とは何か、地方分権とは何か。

 普天間移設に関連して鳩山首相が全国知事会に沖縄の過重な負担を全国の知事に訴えて分担してもらう説明のために開催を要請したが、明日行われる全国知事会の会議に18人の知事が欠席をする模様だ。宮崎の知事は口蹄疫の防疫当事者だから欠席もやむなしだが、その他の知事は沖縄の負担を受け入れるつもりはないから聞く必要はない、とのコメントを出しているようだ。    鳩山首相の拙劣な普天間移設問題の対処には問題があるが、沖縄の過重な負担を全国で分かち合おうとする姿勢は間違いではないだろう。それとも欠席する宮崎県以外の17人の知事は米軍基地国外移設派だと受け取って良いのだろうか。それとも沖縄県民が困っても自分の県民が困らなければ問題ではないと思っているのか。    民主主義の基本はまず相手の話を聞くことだ。一般人ではなく地方自治体の長たる者がその程度のことが分からないはずはない。それとも知事は地方自治体では威張り散らしていて、人の意見を聞かない姿勢が身に沁みついてしまっているのだろうか。  地方分権を声高に叫ぶ知事たちが地域エゴに根差してそう言うのなら、地方分権を実際に行うとこの国の政府のガバナンスが利かなくなる恐れがある。中央政府が財政状態の良い地方自治体から財政基盤の弱い地方自治体へ富の再配分を行うために再配分率を上げようとすると猛烈に抵抗するのが目に見えるようだ。沖縄の基地の問題で話し合いすらも拒否する知事がいるようでは、今後の地方分権の議論は個別案件の検討に入ると困難を極めるだろう。    マスコミが鳩山首相を間抜け扱いし、テレビのコメンテーターも首相を無能呼ばわりする。だから首相が知事会長に依頼した招集を無視して代役を送っても良いだろう、と17人の知事が首相の要請を軽く考えたのかも知れない。  この国は節度を失ったかのようだ。ジコチューにして礼節を弁えない姿勢は知事として適切でないことは明らかだ。マスコミが欠席する知事をどのように報じ、どのように論評するか明日の報道を注視しよう。

なんとも不可思議な法律だ。

 選挙とは民主主義の根幹をなすものだが、これがどのような動機で投票先が決定されるのか良く分からない。それが分かるノウハウ本があれば被選挙権者にとって隠れたバイブルとなり息の長いベストセラーになるだろう。今回はインターネットが選挙運動で使えるように法改正されて、いよいよ選挙もIT化かと騒がれている。    しかし、日本の公職選挙法ほど摩訶不思議な法律は少ないだろう。北海道で町村氏と争って勝利を収めた小林議員の会計責任者などが公職選挙法違反に問われているが、その発端は告示前のポスター貼りを依頼した学生に支払ったバイト代が法に触れたことのようだ。つまりポスター貼りの学生に支払ったバイト代が買収に当たると検察当局が認定したのだ。たとえ公明正大なバイト代でも公職選挙法では支払ってはいけないことになっている。それはポスター貼りに限ってのことだけではない。電話作戦と称する後援会から有権者に投票依頼する電話をかける電話嬢に支払う日当も買収とみなされ公職選挙法では違法行に当たるのだ。常識的には労務提供の対価として日当を支払うのが当然のことと思うが、公職選挙法ではそうした活動は清廉にして潔白なボランティアによる無報酬を原則としている。  全国各地の候補者をすべて調査すれば、日当を支払ったのは小林議員だけではなかったはずだ。が、検察は自民党最大派閥の総帥を倒した民主党小林議員の会計担当だけを立件した。他の陣営ではどうなのかを詮索することなく、だ。    選挙活動でITが解禁になるのは望ましが、成りすましに対してはどのように対処するのだろうか。ホームページやブログをコピーして当の候補者に成りすまして相手候補を口汚く罵るのが作戦で、自分が被害者として有権者に泣きを入れることだってありうる。あるいは候補者のホームページに勝手に書き込みを行って錯乱させたり、IT技術を駆使してブログを炎上させたりする輩が出ないとも限らない。そうした悪質な妨害に対して有効な防止策の手立てがあるのだろうか。    それにしても候補者の選挙に要する経済的負担は常人の想像を超える。ポスターを何千枚も選挙区に貼るだけでも膨大な人件費(支払えば選挙違反で逮捕されるが)が必要だろう。有権者へ電話するだけでも仮設電話が何台必要か、そのための要員確保と人件費(支払えば選挙違反で逮捕されるが)が必要か、試算するだけでもいかに膨大な資

半島の悲劇を繰り返してはならない。

 韓国哨戒艦沈没事件で韓国当局が北朝鮮の魚雷攻撃だったとする見解を正式に表明し、北朝鮮への謝罪を求め報復をすると発表したことから半島の緊張が高まっている。米国もクリントン国務長官を中国へ派遣し北朝鮮への制裁に協調するように求めたが、中国は即答を避けた。  そうした中で北朝鮮は一気に態度を硬化させ、いつもの瀬戸際外交で事態の乗り切りを図っているようだが、今回は哨戒艦沈没により46人もの犠牲者が出ていて、韓国も簡単に引き下がるわけにはいかない。    南北朝鮮はいうまでもなく同じ朝鮮族であり、親族が両国に別れて暮らしていたり言語や文字も共有する。その両国が争うのは半島の悲劇以外の何ものでもなく、ここは冷静な対応が求められる。しかしこれまでの北朝鮮により繰り返されてきた理不尽なテロ行為と破壊活動には相応の制裁を課して北朝鮮指導部に方針転換と責任者の処分を求めなければならないだろう。    しかし北朝鮮が金正日氏の独裁による恐怖政治体制下にあり、北朝鮮国民が飢えと貧困に喘いでいる現実を忘れてはならない。つまり国民には指導者を選ぶ権利がないどころではなく、人権を蹂躙された極限状態にあるのだ。半島の緊張が高まり不測の事態に到らないように慎重の上にも慎重を期さなければならない。その場合、カギを握るのは中国だ。六か国交渉の議長国にあり、国連では安保理常任理事国の重責も担っている。それがこれまではことごとく北朝鮮をひそかに甘やかし手なづけてきた。    確かに中国は半島が南北に分かれて対立している方が都合が良い。半島が南政府により統一され国力を増すと豆満江北岸の帰属を巡って新たな国境問題が生じることになりかねない。豆満江北岸の一定の地区はかつて朝鮮半島国家の領土だった時期もあり、多くの朝鮮族が暮らしている。  さらに北朝鮮と進めている経済開発と北朝鮮の地下資源採掘権をも放棄しなければならなくなる。中国は半島の民族が南北に分断されて憎しみ合おうと、自国の利益さえ確保できれば何ら痛痒を感じていないかのようだ。    韓国も1997年の国家財政破綻によるIMF管理下の塗炭の苦しみから立ち直り、ここ数年は飛躍的に経済発展している。その牽引力となっている国内産業基盤を戦争により破壊されてはその損失の大きさは計り知れない。そして怒りにまかせて北朝鮮を攻撃して金体制を崩壊させたところで、北朝鮮国内

ヘタな民営化をやめて、すべて公務員にすべきだ。

 省庁の外郭各種団体や公益法人をすべて官庁に取り込み、そこの職員を公務員にすべきだ。そうすれば天下りはなくなる。すべてが省庁の部局に取り込まれるのだから、高額な家賃を支払っている公益法人は霞が関の庁舎へ入れば良いし、公務員だから公務員法の規定に則った報酬で働くことになる。職員が15人しかいない宝クジの広報活動部署が年間約18000万円もの家賃を支払って高級ビルに入居している必要はなくなり、霞が関ビルが満杯になれば廊下に机を並べればいいだろう。    かくも膨れ上がった官僚の利権外郭団体を放置したまま、一部を事業仕分けで改革しても、時間がたてばまたぞろ元の木阿弥に帰すのは明らかだ。それなら国会議員の目に見える省庁の中に取り込んでガバナンスを働かす方が余程マシだ。そして公務員の人数が単位国民あたり少数だという不当な宣伝をさせないことだ。国家予算の丸投げと本来なら国庫に入るべき講習会費などを法人の収益として勝手に使われているのだ。それが公務員でなくてなんだろうか。    ここは一旦すべてを公務員に取り込み、その上で必要な事業か否かを国会議員与野党で特別委員会をすべての省庁単位に設け一年中国会を開き、全員参加で仕分けすべきだ。  公務員とは放置しておけば仕事を無限に作るものだ、という箴言がある。それをチェックするのが議員のはずだが、議員が公務員を甘やかして口利きを聞いてもらってきた持ちつ持たれつの関係が長く続いてきた。そうした国民不在の利権構造で水膨れに膨れ上がった準公務員を外郭団体職員として国民の目から隠して利権を温存させるのではなく、公務員に取り込むことにより徹底的に可視化して不合理な部分と病巣を削除することだ。    それは国だけのことではない。どの地方でも県庁所在地の電話帳を捲ってみると良い。どれほど日頃聞きなれない公益法人や~協会というその他の法人が多いか驚くばかりだ。それらもすべて県の所管部課に取り込んで公務員にすべきだ。そして今後一切の外郭団体の創出を許さないことだ。  取り込んだ公務員の仕事が何か、地方議員は本気で取り込むことだ。都道府県議会議員の報酬が実に高額なのは承知の通りで、議員としての仕事と見合っていないと不満を抱いているのは私だけではないだろう。さらに市町村にも同じような外郭団体が無数に存在する。ためしに何処の自治体でも予算書を取り寄せて補助金なる

歳入庁の創設を。

 自治宝クジや競輪などの収益金の一部が天下りによっていいように使われている実態が明らかになった。昨日の事業仕訳で次々と不逞な輩の所業が指摘され、薄々は知っていたがこれほど酷いとは驚きだ。    国へ入る金は何であれ、国民から見ればすべて同じだ。いろんな制度ができた切っ掛けにはそれぞれ様々な事情があるだろうが、名目は何であれ税にしろ負担金にしろ抽選籤券であれ赤いハネであれ緑のハネであれ、国民は国のいろんな施策に役立っているんだと漠然と思っている。  そうした制度の一つ宝クジの蓋を開けてみると現職中より天下り以後の方が高給の席が用意され、その団体の恣意的な交付金が各種団体へ支出されている。そこにもいろんな天下り官僚がいるとなると、全体で幾ら官僚OBを養うために浪費されているのだろうか。    国際比較で公務員の数が我が国は少ないと統計資料に出ている。当然だろう、宝クジ売り場のおばちゃんは公務員の数に入っていない。おばちゃんたちはおそらく天下り官僚が受けているような手厚い各種福祉制度の対象にもされていないだろう。そうした格差改善をしようともしないで、天下り官僚の待遇改善だけは着実に行ってきたわけだ。  すべてを公務員にカウントして国際比較をしなければ比較する土俵が違っていて正確な検討はできない。    そうしたこともさることながら、各種制度の認可権を握っている省が歳出の裁量権をも握っている現状は良くないだろう。国民も宝クジと書かれた献血車が走っているのを目にすると、滅多に当たらない、恐らくほとんどの者が生涯に一度も高額当選金を手にしないハズレ券を買わされている現状でも我慢しているのだ。  すべての金を歳入庁に集めて、国会で審議の上交付先を決定すべきだ。そして宝クジにかかわる人たちを公務員とし、実質的に天下り先を潰すことだ。他にも交通安全協会の協会職員も公務員として冊子の印刷発注も会計検査院の監視の働く委託業務の一つとすべきだ。そうすれば「安全協会」が必要な部署か検討の対象にもなるだろう。これまで官僚は僅かな隙間を見つけて、そこに存在意義の屁理屈を捻じ込んで、幾つの各種外郭団体を作ったことか。それらをすべて公務員に取り込んで事業そのものを見直すことだ。  そして何よりも各省で管理している第二第三の財布をすべて歳入庁に取り上げて、財務省で一元管理することだ。このIT化の時代、

マスコミの使命は事実を伝えることだ。

 テレビニュースで見る限り、沖縄へ出かけた鳩山首相に対して沖縄県民は辺野古沖移設案へ回帰した鳩山首相への強烈な拒否反応一色だったように見える。事実テレビ司会者やコメンテーターも罵詈雑言に徹している。マスコミはいよいよ鳩山首相を絶体絶命の窮地へ追い詰めたと凱歌を上げているかのようだ。  しかし、どうやら沖縄県民の本意は報道と少しばかり異なるようだ。これまで「米軍基地反対」と声を上げる雰囲気すらなかったが、いまでは鳩山首相に対して「米軍基地反対」の声を上げることができるし、鳩山首相には安易に辺野古沖案で妥協するのではなく米国と海外移設で話し合ってもらいたいと願っているというのだ。    事実、自民党政権下の県知事は辺野古移設日米合意を認めていた。それが政権交代があって急に態度が変わった。鳩山代表が選挙前に「最低でも県外移設」と発言したのを梃に、県外移設を望んでいるのだ。自民党に推された県知事は自民党に反対することはできなかった。しかし、今では公明正大に反対できる。これも政権交代の光明ではなかったか。  沖縄からマスコミの報道で伝えている沖縄県民の声は微妙に違っている、と声を上げることだ。沖縄県以外の国民に沖縄の負担を少しは肩代わりしてくれ、と頼み込む首相が今までにいただろうか。その鳩山首相をクビにして、沖縄県民に何の益があるだろうか。    マスコミは事実を伝えることだ。かつては政治的な集会に当たって動員人数の発表では主催者発表と警察発表を必ず併載していた。それがこの一連の報道では主催者発表だけになっている。国民を反鳩山首相で煽りたい気持ちの表れだろうか。それは現実の動員人数ではなく、主催者の希望する動員人数の期待値に過ぎない。  真っ当なジャーナリストなら恥ずかしいと顔を赤らめるようなことをしているという自覚を持つことだ。何処までが事実で、何処からが評論か、明確に線引きをして伝えるのが真っ当なジャーナリストのあり方ではなかったか。    為にする報道はその偽善性を読者に見抜かれて、ついには信頼を失うだろう。ジャーナリストが最も恐れるべきは報道が信頼を失うことだと先輩は教えてくれなかったのだろうか。もっとも、主筆が政局に嘴を挟むのを趣味としているから、その報道機関が偏向するのも無理はないが。  民主党が政権を獲って以来、この国の報道機関は何かを恐れるかのように民主党潰し

橋下新党の快勝がもたらすもの。

 5/23に投開票された大阪市議補選で橋下新党の公認候補が圧倒的な得票率で快勝した。新党結成からわずかに一月、既成政党が参議院選挙の前哨戦として力を入れたにもかかわらず大敗し、ショックをかくせない、と報じられている。    橋下新党は大阪維新の会といって大阪都構想実現を党綱領の一番に掲げている。新党結成の原動力になったのは大阪市長との確執といわれ、大阪府が直接大阪市を支配するには大阪都として大阪市を消滅させ乗っ取ることだとする考えのようだ。ただ、大阪都下に組入れる範囲については必ずしも明確でなく、たびたび橋下知事が明言している関西空港の経営改善を考えるなら堺から泉南あたりまで大阪都として一律の行政区に呑み込むつもりなのかもしれない。    かつて大阪は天下の台所といわれ日本経済の中心だった。明治維新以降江戸に奪われていた政府所在地のみならず経済までも各企業が本店を相次いで東京へ移すに到って経済の盟主としての地位も低下した。そして大阪府のみならず大阪市など府下の各市の悪化した財政状態の立て直しの妙手として橋下知事が打ち出した構想が大阪都構想だ。  確かに都構想が実現されれば府と市の行政は一元化し二重行政の無駄は排除され、財政基盤も拡大するだろう。ただ実質的に都に組込まれる市が複数ある場合はまず市と市の合併と同じ手続きが必要となるだろう。都下で実施される行政サービスをどの程度とするのか、区に残す行政機能をどの程度とするのか、住民も巻き込んだ困難にして緻密な議論が必要となる。  さらには将来の道州制移行に際して大阪が近畿圏の中心になるべく先走ったと受け取られないようにする配慮も必要だ。つまり先行すべき議論は道州制であって、大阪都構想は近畿圏の中心として近畿圏の住民から認知されてから後の議論とすべきものではないだろうか。    マスコミは派手な打ち上げ花火は直ちに報じるが、予想されるそこに到るまでの困難な道筋については何も報じない。既存政党の些細な瑕疵は見逃さず得たとばかりあげつらうが、新党の課題について党首に徹底して取材することはないようだ。今回の大阪維新の会の旋風はいつまで続くか安易な憶測はできないが、これまで直接行政を担っていない大阪府が直接行政を行う各市の職員をどのように配置し何処を削減するのか協議が難航するのは明らかだ。行政サービスを何処の水準に合わせるのかも直接

あなたの御祖父さんも、

 日ソ共同宣言を1956年10月に締結したのは鳩山一郎首相だ。いうまでもなく今の鳩山由紀夫首相の御祖父さんだが、当時の冷戦勃発という困難な国際状況といまだ敗戦の痛手から完全回復していない日本の立場では話し合いのテーブルについても発言力に大差があった。日ソ不可侵条約が失効していないにもかかわらず一方的に破棄し、終戦間際のソ連進攻は国際条約違反だ。そのことを交渉のテーブルで強硬に指摘して北方領土の日本への帰属を断固として明文化すべきだった。しかし鳩山一郎首相は北方四島を外して交渉を行い、恨みの残る共同宣言を締結してしまった。その瑕疵がいまだに尾を引いている。    鳩山一郎の孫由紀夫氏は首相になって「海兵隊が抑止力になっている」と学んだというが、米軍の国内駐留に対する理由づけとして言われている理屈に不案内なほど愚かな人なのだろうか。仄聞するところ鳩山由紀夫氏は日米安保条約に精通していて、首相になれば祖父の日ソ共同宣言に負けない業績を米国に対して果たすと意気込んでいたようだ。海兵隊の抑止論なるものの欺瞞性も十分に承知していたはずだが、突如として「海兵隊の抑止力なるものを学んで知った」と間抜けな発言をして「最低でも県外移設」の旗印を引っ込めてしまった。県外移設を断念するまでの間に何があったか、いずれ歴史が明らかにするだろう。    1956年当時の国際的に弱い立場の日本の首相として祖父が歴史に「北方四島」の帰属問題を課題として残す日ソ共同宣言を結んでしまった。以降の日ソ交渉はその条約が原点となり、終戦直前に不可侵条約を一方的に破棄したソ連の不条理はなかったことになってしまった。その孫も政権交代により米国に自民党政権当時とは異なる、とのシグナルを送り「駐留なき安保」の実現に向けて一歩を踏み出すつもりだった。そして鳩山由紀夫氏は現実にシグナルを送ったものの、たちどころに我が国のマスコミも含めた巨大な勢力の総攻撃にあい後退に後退を重ねて自民党政権下の日米合意に押し戻されてしまった。    日本は独立国家なのだろうかと疑うことがある。国際的には1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を果たしたことになっているが、米英の強い影響力下の条約締結だったのも史実として検証できる。しかし、それから何年たっただろうか。いまだに米国に鼻面を引き摺り回され第二次世界大戦の残滓を引き摺っている日本

官僚が指示待ちに、

  民主党が政治主導を謳っているから口蹄疫の対応に関しても官僚は指示待ちになって対応が遅れた、と自民党総裁の谷垣氏が福島県郡山市の講演会で民主党を批判してという。民主党政権の口蹄疫防疫体制の遅れは生半可な政治主導に原因があったのなら由々しき問題だ。官僚のサボタージュによって口蹄疫の被害が拡大したとしたら問題にすべきは赤松大臣ではなく農水省の家畜保健衛生局の官僚たちだ。    再三再四これまでも官僚の悪意に満ちたサボタージュを指摘してきた。去年の8月末の総選挙で政権交代が明らかになったが、官僚は8月末に仕上げていた自民党政権下での予算をそのままにして、民主党のマニフェスト部分をその上に積み上げてしまった。だから92兆円を超える予算規模に膨らんでしまった。  官僚に予算を節約しようとか財政危機に対応して省庁の予算規模を縮小しようとする意思は働かない。そうした財政規律を守ろうとするのは財務省の仕事であって、その他の省庁では一円でも多くの予算を獲得した者が褒め称えられる。したがって8月末に予算編成を終えたから民主党政権になったからといって予算の中身を見直すのは時間がないと突っ撥ねてしまったのだ。    民間企業ならどうだろうか。社長以下執行部が入れ替わっても前社長の予算編成方針を踏襲し新社長の方針部分をその上に積み上げるだけの予算を作って平気な顔をしている社員がいれば間違いなく配置転換させられる。新社長の方針に従わない社員は業務命令違反で解雇の対象にすらなる。それが政治主導を生半可に行うから指示待ちになったという。しかし生半可な政治主導とは何だろうか。奉職して以来官僚として専門分野に精通している者から見れば、選挙で政権交代したといえども行政職の門外漢が大きな顔をして指示するのは面白くないかも知れない。それも時々間違ったり専門用語すら碌に使えない連中だと、心の中でバカにしているかも知れない。それはそれで結構で大いに政治家をバカにすることだが、仕事だけはきちんとしなければならないだろう。政府もせっかく谷垣氏が「官僚が指示待ちになっている」と認めてくれたのだから、指示待ちと思われる官僚はさっさと更迭すれば良い。その指示待ち官僚が誰か分からなければ礼を尽くして谷垣氏に教えを乞うことだ。    口蹄疫という極めて感染力の強い疫病の対応に関して「指示待ち」をしていたとしたら、それは犯罪

「基地問題で答えが出せないなら知事会は解散だ」はまっとうな意見だ。

 鳩山首相が全国知事会に沖縄の負担を分担して欲しいと検討を依頼したことに関して、東京都知事などが口先であしらい長崎や山口県知事が拒否反応を示したが、橋下大阪府知事は「問題解決に答えを出せないのなら全国知事会は解散すべき」と牽制した。  つまり全国知事会が政府に対して地方交付金などの圧力団体として働いてきた歴史があり、最近では地方分権の促進を政府に働きかける運動に軸足を移しているが、そのためにも地方が政府と対等に安全保障でも対話するためには権利拡大を主張するだけでなく基地という迷惑施設をも受け入れる国家を形成する地方としての義務も役割分担すべきというのだ。  そうするとさっそくマスコミがそれは橋下府知事の独断であり府民との対話がない、と批判している。    橋下氏の大阪都構想は余り感心しないが、地方自治体も地域エゴを声高に主張するだけの圧力団体に堕するのなら全国知事会は解散すべきというのは正論だ。大阪都構想に賛成できないのは単に大阪市や周辺市町を消滅させて行政権限を大阪都で掌握しようとするものだからだ。本来の地方分権論が志向している方向性からいえば、近畿州に府県統合してまず大阪府を消滅させる方が住民生活に影響は少ない。つまり現在では全国の府県は中二階と言われ余り必要性のない存在になっている。平成の大合併により全国の市町村が3200から約1000に合併集約したのだから、こんどは府県が州に合併すべきだ。そうすれば府県議会議員が大幅に削減され、多くの知事も必要なくなる。    今回起こった口蹄疫にしても家畜伝染病の防疫主体は県にあるのだが、マスコミは政府の対応を非難し県を甘やかそうとするかのようだ。それでは地方分権はいつまでたってもできない。確かに中央政府が支援すべき政策やワクチンなどの地方自治体では対応できない物品の支援は政府が行わなければならない。しかし地方の防疫拠点は府県の家畜保健衛生所が担うべきで、その指揮権は知事が握っている。マスコミも承知しているはずだが、平成16年12月に農水大臣から出された 「口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫体制の指針」に書かれているマニュアル通りに政府は実施していてマスコミが大騒ぎするほどの瑕疵があるとは思えない。  それよりも超法規で汚染地区から種牛を移動させたことの方が問題だ。確かに長年改良を重ねて作り上げた種牛六頭をなんとか生き延びさ

読売新聞は自民党の走狗か。

 今朝の社説を見ると読売新聞は長期間キャンペーンを張ってきた民主党潰しの総決戦に総力を挙げているようだ。  「現行案軸に「普天間」合意急げ」ではマスコミが枕詞のように言ってきた沖縄の負担軽減は何処へ行ったのだろうか。しかも朝鮮半島の緊張関係が高まったから米韓に協力し北朝鮮包囲網に日本も協力すべきだ、と恰も沖縄の米軍基地がそこにあり続けるのが必要であるかのような論調だ。確かに米軍は世界戦略の一環として日本に基地を置いているのだろうが、それをあからさまに認めることはマスコミとしていかがだろうか。国内の米軍基地が日本の防衛以外で基地から直接戦地へ出撃する事態を国民は想定しているだろうか。そして米国と日本政府の事前協議事項となっているはずだが、その実行が久しく無視されてきた現実をマスコミが提起しないのはどうしてだろうか。    五月末までの決着を急ぐべきでない。本当に米軍が常駐する基地が必要なのか、根本命題から時間をかけて議論すべきだ。今回の挑発行為で使われた北朝鮮の250キロ魚雷はたとえ空母でも直撃すれば致命傷を負わすほどの威力があるそうだ。それなら第七艦隊は危険すぎて艦隊を日本海へ回航しない。不幸にして戦闘が開始されれば韓国の米軍基地と日本の米軍基地が直接米空軍機の出撃基地として使われるのは目に見えている。 日本は憲法第9条で国際紛争の解決に武力を用いないとしている。第9条には賛否いろいろあるが、しかし現行憲法に謳われている以上、国と国民は憲法を守らなければならない。その場合たとえ米国軍と雖も国内の基地から出撃するとなると憲法上問題があるだろう。    北朝鮮包囲網に日本も最大限協力するのは当然だが、現行憲法で許される範囲内でのことは言うまでもない。米国が戦後の日本を骨抜きにする目的で作った憲法だが、それが存在している限り日本は日本国土防衛以外には何もできない理屈になっているのだ。  そして憲法第9条の精神を素直に汲めば国内の米軍は基地から撤退してもらうのが本筋で、日本は「駐留なき安保」を目指すべきだ。そして国民には自国の防衛は国民が担うべきだと、世界の常識を日本国民にも取り戻すように発言することだ。それなら五月末に沖縄問題が決着しなくても一部の基地利権者を除いて国民は誰も文句を言わないだろう。    米軍基地の中のゴルフコースからボウリング場から映画館からPX等まです

不起訴は当然。法の場に市民感情は危険だ。

 たとえば暗黙の事実として殺害された被害者が一人の場合は死刑を回避する、という刑の適用基準がある。その場合でも同時に暴行・強姦だとか、強盗・放火だとか累犯があれば死刑の適用も考えられる。そこの判断に市民を登場させたのが裁判員制度だ。ただ殺人罪や累犯罪などの認定が法と証拠に基づかなければならないのはいうまでもないことだ。  つまり市民が登場するのは法と証拠によりその人の罪が問われると思われる場合であって、法と証拠の認定が疑わしい場合でも市民感情で認定してしまえ、というのは法の精神を踏みにじることだ。  検察審査会が設けられた背景は検察が身内の犯罪に対して公訴権の行使をしなかった場合のお目付け役として裁判所に市民からなる審査会を設置されている。小沢氏の事件の審査に際して審査助言者に元判事の弁護士を選任するとはなにおか況やだ。検察と裁判所の特別な関係を白日の下に晒すこと以外の何ものでもないだろう。    未だにテレビのバラエティ番組で「秘書が三人も起訴されているのに、小沢氏が起訴されないのは釈然としない」なぞと司会者が呟いている。この司会者は故意に指摘すべき事実を捻じ曲げて発言しているとしか思えない。逮捕された三人は秘書の肩書で逮捕・起訴されたのではない。政治資金収支報告書に記載した「会計責任者」として記載事実に関して違法性があるのではないかと罪を問われているのだ。  何度もブログに書いたことだが、収支報告書では会計責任者の署名捺印しか求めていない。政治家が確かに収支報告書に目を通し内容を承知したとする署名捺印欄はないのだ。それがケシカランと目くじら立てても政治家の署名が求められていない以上は「知らない」といえば、知っているとする証拠がない限り政治家の関与は認められないし罪に問えない。さらにいえば三人の秘書も起訴されはしたが公判で争う余地は十分にある。推定無罪は基本的人権ですべての国民に認められていて、秘書三人も現在は無罪の国民の一人なのだということを忘れないことだ。  たとえばテレビ司会者が原付に乗って250ccバイクの友人を時速50キロで追走していたら、テレビ司会者だけが速度違反で停止させられる。「俺だけ停めるンはおかしいンちゃうか」と司会者が言っても無駄だ。    法の専門家にして小沢氏立件に異常な執念を燃やす東京地検特捜部てすら起訴できなかった事件を市民感情が立件

与党幹部が農水大臣の足を引っ張ってどうする。

 民主党という政党は素人集団というよりも、ポピュリズムの毒に呑み込まれた御仁の集まりかと呆れ返る。宮崎県の口蹄疫で農水省は蜂の巣を突っついたような騒ぎになっているというのに、ノー天気な民主党議員が「農水大臣が外遊中にゴルフをしていた」なぞと未確認情報を勝手に記者相手に喋るとは。それを得たとばかりにTBSがこれも未確認のまま報道してしまった。この国の責任ある立場の人たちまでも街角のミーチャンハーチャン程度の噂話を相手かまわずしゃべるほどまで頭脳が劣化してしまったのだろうか。    いやしくも国会議員が記者相手に雑談する折には国事を語るべきで、農水大臣のゴシップをそれも伝聞に基づく不確かな事柄を口にするとは恥を知るべきだ。いかに国民目線・生活目線とはいえ井戸端会議を演じることはないだろう。国政を担う公党を構成する国会議員との自覚を持ち、たとえ政敵であろうと人のゴシップを吹聴しないことだ。それだけの品格を持つように心掛けなければならないし、心がけなければ身に付くものではない。  そしてマスコミも井戸端程度の事柄を針小棒大に報じて国民の歓心を得るのが使命とはいえ、あまりに程度の低い話は相手の国会議員を冷笑して取り上げないぐらいの品性は保ちたいものだ。

妙な「協会」は他にもたくさんある。

 交通安全協会なるものが運転免許更新に際して講習教本として配布する冊子を独占販売し、莫大な利益を上げ絵に描いたような天下り団体の実態が明らかになった。いや国民は以前から気づいているが、運転免許を引き続き手にしたいため「使いもしない教本はいらないし、教本対価に相当する更新費用は支払わない」と異議申し立てしないで唯々諾々と窓口の求めに応じているのだ。    同じようなことは世間にたくさんある。免許制や許認可制の団体には必ずいかがわしい「協会」なるものがコバンザメのように存在する。認知症のお年寄りを預かる施設「グループホーム」を老人福祉に目覚めた一般の人が始めようとすると眩暈がするほどの許認可事項があり、ついには申請手続きの煩雑さのために断念することも珍しくない。  数々のハードルを越えてグループホームを始めても税理士は何処の先生に頼んだかとか、社会保険労務士は誰に頼んだかとか、様々な専門家に仕事を依頼するように仕向けられる。果ては火災報知機の設置について何処そこの業者に頼んだらどうかとか、余計なお世話までしてくれる。    他にもある。宅建取引主任の五年ごとの免許更新にも碌に使いもしない教本が配布されるし、同じことは建築士の免許更新でも行われている。それぞれ監督省庁の担当者が専門家として執筆しているようだが、その原稿代はどうなっているのだろうか。官僚のバイトは禁止されているはずだが。    だが事業仕訳でなければこうした悪しき慣習が是正できないのかと疑問に思う。国会議員は政府のみならず官僚の執り行う行政のチェックを日常的に行ってこなければならなかったないはずだ。またぞろ底意地の悪いマスコミが民主党の点数稼ぎ目的の事業仕訳も支持率アップに繋がらない、なぞと批判しているが、そんな微視的な観点しか持たないようでは日本のマスコミも終焉を迎えたような気がする。民主党の支持率アップに繋がるか繋がらないか、そんなことはどうでもよい。国民の税や負担金がまっとうに使われているかどうかが問題なのだ。国家財政が破綻の危機に瀕しているにもかかわらず、一部の官僚がぬくぬくと我が世の春を謳歌しているのが気に食わないだけだ。

言論人にこそ大局的視点が必要だ。

 今朝の読売新聞に「普天間基地の負担を受け入れる知事はゼロ」だとの見出しが一面に掲載されている。その記事の中に石原東京都知事の談話があり「総理が思いつきでものをいってもだめだ」と鳩山首相を批判している。  上記記事の質問項目の一つで「沖縄に日本の米軍専用施設の75%が集中してする現状について解消すべきだ」と回答した知事は神奈川など7知事だったという。少なくとも沖縄に米軍専用施設が集中している現状を変えようとしている知事が7人いるが、自分の県に来てもらっては困るということなのだろう。    確かに鳩山首相の言葉の軽さ、提案した案へのこだわりのなさには落胆するが、石原都知事の言うようにたとえ思いつきであるにせよ、一国の首相が「沖縄の米軍基地を最低でも県外へ移設する」と発言した意味の重さは変わらない。ただその後のマスコミが首相発言を後押しするのでなく徹底して批判に回り、マスコミ報道に引きずられるかのように国内世論までもが鳩山首相に批判的になり支持率が釣瓶落としに下落した。これでは米国が鳩山首相から出される日米合意の辺野古沖案以外の提案をすべて蹴ろうと意を固めても仕方ない。    普天間移設は単純に米軍戦略や日米安保の観点から決められたと考えるのは純粋に過ぎる。その裏には莫大な防衛利権が力学として存在し日米も含めた利権構造の妥協の産物と考えた方が良い。彼らの思惑は辺野古の美しい海とジュゴンの棲む海域を永遠に守ろうとする意思よりも、米軍海兵隊基地を移設する方が優先するのだ。ましてや曖昧模糊とした「友愛」なぞという理念は鼻先で一笑に付すだけだ。    「少なくとも県外」とほんの出来心で口走ったとしても、鳩山首相は物分りの悪い人物として一旦口から出した言葉を貫徹すべきだ。断じて「米軍の国外・最低でも県外」の旗印を下してはいけない。米国に対して物分りの悪い頑固な人物と印象付けるほどのタフネゴシエーターでなければ今後何事に関しても日本主導の外交交渉は不可能となるだろう。現在の日米交渉は日本の沖縄だけの問題ではない。世界で米軍基地を受け入れている地域の人々の問題でもある。だからこそ、米軍は根拠のない「海兵隊抑止論」を国内の御用軍事評論家をして語らしめているのだ。本気で日本を侵略しようとする国があれば、まず最初に取るであろう軍事行動は日本国内の軍事施設をミサイルで同時に叩くことだ。速度の

鳩山首相、ここは落ち着いて。

 普天間移設問題が迷走を続けて、ついに日米合意案の辺野古沖埋立案に舞い戻るという。どうでも五月末決着へ向けて米国の同意を得たいようだが、今後の日米間権を熟慮し拙速は慎むべきだ。鳩山首相はかつて「常駐なき日米安保論」を主張した時期もあった。再び原点に戻って米国に「駐留なき日米安保」を提言してはどうだろうか。    普天間基地の海兵隊は文字通り普天間を基地として海外へ半年近くも展開しては補給と休養と訓練のために帰ってくる動きを続けているという。つまり普天間基地の海兵隊は日本国防衛のために常駐しているわけではない。鳩山首相が誰からレクチャーを受けて「普天間基地の近く」に訓練場所が必要だと認識させられたのか、国民も同じ人物からじっくりとレクチャーを受けたいものだ。    防衛族や防衛官僚、それに米軍関係者など防衛は膨大な利権構造を形成している。そうした自民党政権下で官僚に丸投げされていた政策形成過程で米国軍需産業と密接に結び付き、防衛族議員や防衛評論家たちとも利益共同体を構造的に作ってきた。そこに民主党鳩山政権が手を付けたのだから相当な抵抗があることは覚悟していたはずだ。    易々と沖縄県民の希望を打ち砕いてはならない。政府が提示した案に米国が不同意だからとしてどんどん後退させるのなら、日本防衛に関しての日本の主導権は何処にあるのだろうか。  戦後65年、米軍兵士の一人として日本防衛のために戦死していない。いや日本に駐留している海兵隊は北朝鮮が崩壊した場合に備えているのだ、ともっともらしいことをいう軍事評論家もいる。それなら駐留米軍は日本のためにいるのではない。米国の世界戦略の一環として日本の基地を使用しているに過ぎないことになり、日米安保条約の本筋と話が違いはしないだろうか。    米国の都合で日本国民が迷惑を蒙るのは御免だ。これまで散々日本の富を搾り取ったではないか。日本は日本国民が守るという国家としてのまともなあり方について議論すべき時が来ているのではないだろうか。中国や露国や北朝鮮の脅威に取り囲まれている日本に国を守る防衛力は必要だ。いつの日にか米国とは「駐留なき安保」の関係にならなければならないのだ。  鳩山首相にその第一歩を踏み出してもらいたいと心から願う。

口蹄疫の防疫に全力を注げ。

 昨日はブログで宮崎県の当事者責任を厳しく追及したが、国も県から報告を受けてなぜ機敏に行動しないのか疑問な点がいくつかある。それらの根本原因は想像力の欠如と危機意識の希薄さだろう。それとも政治主導を謳う民主党政権に対する官僚のサボタージュの一環だろうか。もしそうだとしたら相当にタチが悪い。    11万頭を上回る牛や豚を殺処分し、さらに口蹄疫汚染地区周辺から10キロ圏内の15万頭を全頭処分するとなると処分場の確保が困難になる。この際、当該地区内の市町村や県や国の所有する土地のすべてを処分場の対象として検討すべきだ。不要不急の土地があれば優先的に処分場とし、造林地に適地があれば伐採適齢樹林でなくても伐採しなければならない。とにかく早急に対応が求められる。口蹄疫の感染経路が具体的につかめていない以上、人や車などだけでなく野鳥やネズミやハエなどの虫まですべてを疑わなければならず、そのためにも他のすべてに優先して対策を急がなければならない。    宮崎県では非常事態宣言をして人の移動にも制限を加えるようだ。不要不急の外出を控えさせ、汚染地区に封じ込めるために非常線での防疫を徹底させなければならない。その際、小川から下水道や側溝までも含めて、小動物や虫が移動すると思われるすべてのルートを徹底して消毒して潰すことだ。環境に負荷を与えるかもしれないが、この場合はやむを得ないだろう。一ヶ所でも見逃して汚染地区が拡大すれば膨大な頭数の家畜が犠牲になることを真剣に考えなければならない。    感染から発症までの潜伏期間にもよるが、この五月末までを目安に状況を仔細に観察しなければならないだろう。三交替で汚染地区にウィルスを封じ込めて感染拡大を全力で阻止しなければならない。これ以上拡大すると爆発的に九州全土に広がる可能性があり、手が付けられない事態になりかねない。宮崎県は隣接県に家畜防疫の専門家の助成を仰ぎ、自衛隊出動は勿論のこと防疫要員の提供も依頼することだ。

口蹄疫感染拡大への対応は。

 赤松大臣の対応が遅いとしてまたしてもマスコミが民主党政府を攻撃している。しかし、どうやら口蹄疫感染の端緒となったのは三月三十一日の時点で都農町の畜産農家の水牛が発症していたものを県家畜保健衛生所の獣医師が「普通の風邪」として口蹄疫を疑わなかったのが第一の要因のようだ。その時点で隔離して検体検査する一方で経過観察をしていればこれほど酷いことにはならなかっただろう。県家畜保健衛生所として最低限疑わなければならない最悪の事態に思いが到らなかったのはなぜだろうか。いうまでもなく感染症の拡大予防は初期段階の処置がその後にパンデミックになるか否かの大きなカギを握る。この時点で慎重な対応がなされていればこれほどの大事にはならなかっただろう。畜産農家が水牛の様子がおかしいと県家畜保健衛生所へ通知したのは間違いではなかっただけに保健衛生所の対応が残念だ。  さらに四月九日に同じ町の牛が発熱と下痢の症状を呈したが、獣医が風邪と判断して「経過観察」とした。そして四月十二日に同じ牛飼育業者の他の牛にも同様の症状が出たことから口蹄疫を疑い、検査結果として口蹄疫と断定された。その間、およそ半月も経過し、当然のことながら水牛飼育農家とそこに出入りした人や車両、さらに往診に行った獣医が広くウィルスをばら撒いた可能性がある。    まず最初の水牛が何処から感染したのか経路が分からないが、その後の感染経路はおよその見当がつくはずだ。そこから防疫対策を取るべきで、政府が対応を怠ったから感染が拡大したのではない。まずは現地の市町村が県に報告を上げて、県の段階で迅速に非常事態を宣言し人とモノの移動を制限すべきだった。現場を知る者の判断こそがまず第一で、中央政府がすべてカバーするのには限度があるし法体系でもそうなっていない。それを大臣の現地入りが遅いと詰るのは的外れも甚だしい。口蹄疫感染の第一報を得てから現地の県知事が何をしていたのかが問われなければならないし、他府県にまたがらない防疫体制の一義的な指揮権と責任は県知事にある、との法の定めを引き合いに出すまでもなく、当事者として宮崎県がどのような対応をしてきたかが問われなければならない。  いや県知事以上に香港や韓国で口蹄疫がここ半年の間に流行したにもかかわらず、それらしき症状を呈した牛を診察した県家畜保健衛生所の獣医が適切な処置を講じなかったことが一番の問

官庁会計に企業会計原則の適用を。

 これまで何度もブログで書いたことだが、公会計が単式簿記で原則現金主義で行われている限り、官僚の原価意識なき事業遂行の姿勢は変わらないだろう。各セクションが独立しているかのような会計を持ち、それを特別会計と呼んでいるが、その総額が一般会計を上回るなぞという本末転倒を国民はいつまで許すのだろうか。会計学者は公会計の改革に関してほとんど何も発言しないが、この沈黙は何だろうか。    石川元秘書、現国会議員が逮捕・起訴された罪状は「収支報告書の虚偽記載」だ。これも何度も書いたことだが、4億円足らずの不動産を購入した時期が10月だったにもかかわらず、届け出たのが翌年分の収支報告書で2ヶ月のずれがある、というものだ。それが現職の国会議員を通常国会開会直前に逮捕し、公党の幹事長を執拗に捜査し、ついにはこの程度の嫌疑で関係個所をガサ入れした。それも強制捜査着手前に報道機関に知らせ、テレビカメラなどの構える前を検察捜査員が大挙して踏み込む絵を撮らせて全国に何度も放映させる段取りまでしての上でだ。    石川元秘書の虚偽記載は発生主義の原則が政治資金収支報告書の記載要件として定められていれば、あるいは犯罪事実として問えるかもしれない。「問えるかもしれない」としたのは、不動産売買はどの期日を以て取得とするのか諸説ある事柄だからだ。つまり発生主義で決済金を支払った日に所有権が譲渡されたとするのが一般的だが、第三者対抗要件たる登記の完了を以て取得とする学説もある。いずれにせよ、不動産取得を秘匿したり金銭支払いを秘匿したのではない。記載の日付が2ヶ月ばかりずれたに過ぎない。本来なら記載のない場合でも「しっかり記載してくれ」と注意して済むほどのことだが、日付がずれていたとしても記載した者が逮捕され起訴されるとは驚きだ。それをさも重大犯罪であるかのようにマスコミが繰り返し報じるのも異様だ。そもそも単式簿記に会計基準なぞは碌になく、収支報告書にも記載事例が添付されているに過ぎない。    小沢氏の「嫌疑」に到ってはほとんど話にならない。政治資金収支報告書の何処を読んでも「政治家は内容を把握し、記載事実に責を負うものとする」なぞという条文はない。起訴とすべき根拠法がないのに起訴に持ち込むことは不可能だ。第一、嫌疑不十分としたのは別件で拘留中の水谷建設社長に「小沢氏の件で何かないか」と持ちかけ、社長が

策に溺れる。

 どこぞの民主党県連幹部が離党の上でみんなの党から参議院選挙に出馬するという。鳩山党首と小沢幹事長が辞めなければダメだと民主党を批判してのことだそうだ。なんとも見下げた輩もいるものだ。    和歌山県選出の元民主党国会議員が民主党の道路行政を批判して離党し、改革クラブにいたが今度は宗教団体に鞍替えした。ただしその宗教には入信しないそうだ。傍から見れば誰の目にも支持滅裂な行動だと明らかだが、本人は少しも矛盾なく齟齬も感じていないのだろう。人を批判するのは容易だが、日々己を省みて自身を律するのがいかに困難かの実例だ。    現代社会は人を踏み台にして上へ登ろうとするのが流行のようだ。あるいは少しの上昇気流でも頼みにして天高く舞い上がろうとする人がいかに多いことか。石の上にも三年とか、臥薪嘗胆とか、昔の人の教えは通用しないようだ。何もかにも促成栽培の安メッキで少し世間の荒波に揉まれると剥げ落ちる程度の政治信条しか持ち合わせていないのだろう。    野党議員は小沢氏の証人喚問を希望しているようだ。彼らが検察捜査をこえる証拠を手にしているのならそれも有効だが、新聞記事を手にして同じことを聞くのなら時間の無駄だ。  それよりも検察幹部とマスコミ各社の社長を呼んで、あれほど一年以上も大掛かりな強制捜査を行い「不起訴」としたのはなぜか、を詰問すべきだろう。マスコミも国民を騙すような報道をタレ流してきて、何もなかっでは済まないだろう、と追及すべきだ。小沢氏に因縁をつけたヤクザは検察とマスコミであり、「不起訴」となった小沢氏は善良な市民だ。どちらに厳しく訊くべきかは自ずと明らかだろう。    本末転倒な意見を耳にしても奇異に思わないのは想像力の欠如か、まず結論ありきの激しい思い込みで思考停止状態にあると思われる。納得する意思のない者にどんなことを言っても無駄だろう。世間の多数派と同じ意見を表明するのは心地良いし簡単だ。人は他人に認めてもらいたい根源的な欲求があるから、多数派にいるのは精神衛生上悪いことではない。鳩山氏と小沢氏を罵倒すれば楽しいかも知れない。しかしそれがマスコミが多くの国民を戦場へと駆り立てたかつての大本営発表と同じことをしていると知っていてそうするのなら、あなたも戦前戦中のマスコミの協力者と同じことをしている自覚を持つことだ。

拝啓、原口総務大臣。悪意あるサボタージュとどう闘うか。

 原口大臣が「来年度公務員新卒採用を半減する」と記者会見でいえば、「それなら刑務所は服役者を釈放するしかない」なぞと法務大臣が記者会見でしゃべり、原口総務大臣が新卒採用半減を撤回した。それにより鳩山内閣の政策決定はどうなっているのか、と国民は内閣への信頼性を低下させる。大臣同士が争って内閣の威信を低下させているように映る。そうした程度の低い争いを展開する大臣も情けないが、その背後でニンマリとする官僚の顔が見えるようで何とも腹立たしい。    いうまでもなく一大臣の発言は内閣の意思として表明されるべきだ。内閣で各大臣と擦り合せた上での記者発表であるべきだ。自民党時代は各省庁から出向している官房がそうした根回しをし、閣議前の次官会議で権威づけしていた。大臣はそうして官僚が作り上げた政策のメモを記者発表で読み上げていた。官僚制内閣といわれた所以だ。    たとえ無能でも官僚制内閣ならば大臣は誰でも勤まる。しかし官僚制内閣を廃して政治家主導で政治を行うとして事務次官会議を廃止すると、官僚は徹底したサボタージュに入ったようだ。それも悪意あるサボタージュだ。原口大臣が新卒採用を半減するとしたのは「官僚の悪しき慣習」の肩叩きをやめて、定年まで勤めてもらい天下りを禁止するためだ。そうすると人事が停滞するため新卒採用を半減する、としたのだ。しかし、人事が停滞するのは定年まで数年を余して天下りするのを禁止するわけだから、大幅な組織改編がなければ数年間だけのことでしかない。    しかも当然のこととして中央官僚のキャリア以外にはそうした悪しき慣習はない。刑務官が定年を待たずして天下りしたとの話を聞かない。それなら新卒採用を半減すると刑務官の定数が満たない刑務所が出てくる場合もあるだろう。しかし受刑者をゲートを開けて刑期満了以前に出てもらう事態にはならない。そうした脅しをするように法務官僚が法務大臣の耳に吹き込み、法務省の権益だけでなく官僚の慣習と権益を守ろうとしたのだろう。易々と官僚に丸め込まれた法務大臣も情けないが、「半減」といったのはすべての官僚ではなく、当然現業職で定年まで勤めて戴いている「普通の職種」についてはこの限りでない、と原口大臣は見解を表明すべきだった。    底意地の悪いサボタージュは普天間基地移設問題でも十分に発揮されている。小沢氏に関してはサボタージュではなく、悪意

地域エゴと進化しない国防議論

 鳩山首相の不用意な「知れば知るほど海兵隊の必要性が分かってきて…」により、新たに米軍海兵隊が日本防衛のプレゼンスになるのか否かとの議論が湧き上がるのかとジャーナリズムを注視してきたが、一向にその気配はない。その代り「五月末までに普天間移設のスキームができなかったら鳩山首相は退陣するのか」とか、あるいは「五月末までの決着が意味するのは日米合意だけでもできることなのか…」とか、およそ国防のための日米安保条約であり、日米安保条約に謳われている日本国内の基地提供条項に基づく米軍の戦後一貫して長期間日本国内に広大な基地を占有して居座っていることの是非も含めて議論しなければ所詮は基地の玉突きゲームを日本国内で繰り広げるだけなのに、そうした根本的な提議をどのジャーナリストもしない日本の言論界とはなんだろうか。    安保条約に米軍が日本の防衛に一定の役割を果たす一方で日本は基地を提供する義務を負うとする条項があるが、同時に基地使用に関して米軍が直接日本の基地から海外へ展開する際には日本政府と事前協議することになっている。しかし現実に米軍がパキスタンやアフガンやソマリアなどへ移動する際に日本政府と事前協議した痕跡が見えないのはなぜだろうか。  日米安保条約が変質したのなら変質した事実に条約を合わせなければならず、日本の防衛に駐留米軍が実働のうち何割ほど働くのかによって国内基地の削減と「思いやり予算の削減」を実施しなければならないだろう。そして米国から高価にしてあまり国防に役立たないF15は購入をやめて、F22が米軍の機密機だから日本に売らないというのなら、日本独自に国防のためにF22並みの航続距離を持つ戦闘機を開発しなければならないだろう。その場合は当然のこととして開発後の戦闘機を外国に売却できるように法律も変えて、武器輸出も解禁しなければ莫大な開発費を日本国だけで担うことは非効率に過ぎる。そして日本が本気で開発すれば米軍のF22をあらゆる面で上回る戦闘機を日本人の手で作れるだろう。世界の武器輸出大国が国連の安保理常任理事国と一致している事実を日本国民は冷静に考えなければならない。    岩国でも5/23にこれ以上の米軍移設を「断固拒否する」5000人集会を実施するそうだ。パンドラの箱を開けたように全国各地で米軍移設反対運動が澎湃として湧き上がっている。  誰だって自分の暮らす町

マスコミ介入の政局は不健全だ。

 不健全というよりも異様だ。検察の三回目の事情聴取に応じただけで、さも小沢氏の犯罪が実在し罪が確定的であるかのように報道する。そして野党も政倫審ではなく証人喚問して公開裁判を国会で開くべきだと喝采を上げる。  どれほどの嫌疑を小沢氏にかけるか勝手だし激しく思い込もうと自由だが、それは個人の段階での話であって公器たる報道機関がさも確定した事実であるかのように報道するのは間違っている。唯一犯罪の確定は裁判を経て判決の確定を以て確定とするのだ。それまでは推定無罪の原則が基本的人権の下に存在する。さもなければ当局に好ましくない政治家は今後とも政治の場からこのような卑劣な手法で排除される道を開くことになる。    さらに、秘書三名による政治資金収支報告書に「嘘」の記載がある、と確定した事実があるかのように報道されているが、それすらも被告は公判で事実認定を巡って十分に戦えるし、たとえ有罪となっても罰金刑で終わる程度のものなのだ。あなたは道路交通法違反で一度も反則金を支払ったこともなく、反則金を支払った者を大々的にマスコミで報じられる事態を異常だと感じないだろうか。一定の意図の下に日本の報道機関が動いている異様さをあなたは感じないのだろうか。    秘書三人を起訴した検察の想定する罪状と争点は以前のブログに何度も書いた。それらは起訴事実とされる秘書による嘘の記載ではなく、政治資金報告書の制度としての瑕疵に原因がある。仮払金や仮受金は記載要件とされていない。さらに現実に資金繰りをしたことのない愚かなテレビのコメンテーターなどが「4億円持っている人が、不動産を買うために金利が付くのに銀行から4億円借りるでしょうか」なぞともっともらしく発言する。それこそ奥と店(タナ)の財布を分けないドンブリ勘定だ。そして不動産を政治家が買ってはいけない法律はないし、政治活動に使う(小沢氏は購入した土地に秘書の暮らす寮を建てている)不動産を政治資金で購入するのも禁じられていない。そしてそうしたことをしているのは小沢氏だけでなく、自民党議員にも何人もいる。    実は東京地検特捜部が立件しようとした目論見は他の事件で拘留中の水谷建設社長がしゃべった小沢氏への5000万円の収賄だったようだ。その金が土地購入資金の中に入っているものと決めてかかって捜査に踏み切ったようだ。  しかし実態は銀行からの借り入れだっ

タレント候補者へのバッシングは不当だ。

 日本では誰でも30歳を超えれば参議院選挙の被選挙権を得る。それをタレントだからといって制限されたり、運動選手だからといって制限されるものではない。この度のある運動選手の立候補に際して、一部からオリンピックも目指して現役も続けつつ、参議院議員になるのは虻蜂取らずではないかとの批判が上がった。    確かにオリンピックを目指して現役の運動選手を続けるだけでも相当の鍛錬を必要とされるだろうし、参議院議員を真面目に勤めるだけでもかなりの時間を議員活動に取られるだろう。しかし、だからといって現役選手が参議院選挙に立候補するのは不真面目だ、とはならないだろう。    誰でも一日は二十四時間しかない。その時間内で社会人は概ね八時間仕事をし、六時間ないし八時間睡眠をとる。残された時間は八時間から十時間で、余暇を楽しんだり生理的に欲求を満たしたりする。二足の草鞋を履く暇はないかのようだが、国会議員の多くが二足の草鞋どころか多くの草鞋を履いている。    衆議院議員はいつ何時選挙があるか分からない、しかも小選挙区でライバルの姿が常に選挙区に見える状態で暮らしている。そのため議員活動よりも多くの時間と経費を選挙活動に費やしている。だがそれが議員活動と不可分の関係にあって、地元の有権者と接することから地元の問題点が直に議員に伝わる。それを吸い上げて国会の場で解決するように活動することになる。    しかし地元に密着ばかりして議員活動が地域の利益代表に終始するとドブ板といわれ、国の代表として日本国全体を俯瞰する視点が欠如してしまう。衆議院議員にそうしたタイプの議員が多いのも事実だ。  参議院議員は解散がなく任期も六年と長いためじっくりと国全体の問題と取り組むことができる。特定の小選挙区に張り付いて日々選挙に追い回されるように忙しく国会と地元を往復しなくて済むわけだ。    現在は参議院も衆議院のカーボンコピーではないかとして、参議院不要論がある。しかし任期と選挙区割りの相違から、自ずと性格も異なっている。参議院が良識の府といわれた所以だ。  現役の運動選手が議員活動を続けるのは大変だろうと思われる。それでも意義は大きいと思う。厚労省に医師の資格を持つ医務官といわれる人が医療行政にかかわっている。一見医師だから医療問題に専門的な見識がもたらされると思われすがちだが、じつはそれほどでもないのだ

テレビで人を嘘つき呼ばわりして許されるのか。

 今朝テレビを見ていると元検事が出演して「小沢氏の検察による再聴取」などを日焼けした初老司会者を相手に解説していた。その最後の締めくくりに「市民感情として許されない」と元検事が言うと、初老司会者は「小沢氏は嘘をついているのだから…」と土地取得問題で小沢氏が虚偽の証言をしていると東京地検でも起訴できなかった事案をテレビカメラの前で断定した。するとそれに同調して出演していた共産党国会議員までも「嘘をついているのだから証人喚問に切り替えた方が良い」と暴言を吐いた。最後に初老司会者が「嫌疑不十分で不起訴はシロではないのですからね」と締め括った。    この国はいつから「人を見たら嘘つきと思え」という教えになったのだろうか。嫌疑不十分で不起訴は法的にはシロだ。小沢氏は市民感情では許されない、というのは国道を集団でツーリングしている人を暴走族とみなして地域住民が集団で虐殺しても許されるということと何ら変わらない。法律よりも市民感情が優先するのをリンチという。それは法治国家では許されないことだ。そうしたことも弁えない人がテレビで市民感情を煽るのは報道機関として自殺行為以外の何物でもない。    人を、それも公職にある政治家をテレビという公器を用いて東京地検特捜部でも立証できなかった小沢氏の虚偽をテレビ司会者は易々と見抜き「嘘」だと断言し、同席していた共産党国会議員まで「嘘だ」と言い切った。一個人の人権と尊厳と名誉をどのように考えているのだろうか。それも市民感情だから許されるのだろうか。検察審査会で決議した市民が超法規的なのなら、今後の検察捜査はまず検察審査会の判断を得て行うべきだ。    ここ一年以上も検察捜査のタレ流し情報で世論は形成された。そして検察は「嫌疑不十分による不起訴」としたが襤褸雑巾のように踏み躙った小沢氏の名誉回復をマスコミも含めて検察はしていない。あなたが小沢氏だったら平静でいられるだろうか。日焼けした初老の司会者が小沢氏だったら、どうだろう。    誰でも結論が嫌疑不十分だとしても、検察に強制捜査までされれば社会的信用は失墜するだろう。会社員なら職場を去らなければならなくなる。そうした仕打ちをテレビも含めてマスコミは小沢氏にし続けて詫状一本出すでもなく、「嘘つき」呼ばわりしている。報道機関として自殺行為を日々重ねていることに思い至らないマスコミ関係者の見識なき

三代住めば江戸っ子だが。

 外国人地方参政権問題で国内で暮らす永住外国人の政治への関与をどうするのかが問われている。世界では永住(概ね十年以上)暮らす外国人には国政への参政権を与えている国もあれば、帰化し国民としての義務(多くの場合は兵役だが)を果たした者に参政権を与えるなど国により対応は異なるが、大勢としては帰化が参政権を与える条件にしている国が多いようだ。    ただ日本の場合は周囲を海に囲まれて外国人と国民が混在している地域が割合として無視できるほど少ない。しかし世界では国と国が陸続きで同じ民族が国境線で隔てられている場合もある。たとえば豆満江で国境としている北朝鮮と中国では、北朝鮮から見れば豆満江の対岸も朝鮮だった時代もあって多くの朝鮮族が暮らしている。そのため中国が北朝鮮に肩入れしているのは朝鮮を南北に分断しているうちは大丈夫だが、統一して国力がつけばかつての歴史を持ち出して領土問題が生じるのを封じるためだという。    国家の成立の大きな要因に民族自決の原則があるが、現代ほど社会的に大勢の人が国境を越えて暮らす時代にその原則が一律に適用できない側面もある。たとえば米国は民族の坩堝と言われ様々な民族が暮らしている。日本も国際化していく度合いに応じて様々な外国人を受け入れていかざるを得ない。現在200万人を超える外国人が日本に暮らし、その6割ほどが中国人だという。  日本には兵役の義務がないため、最低限国民と外国人を分かつのは国籍の有無だけだ。その国籍を取得して日本に帰化した人を「帰化人」だといって差別するのはいかがなものだろうか。日本人も大勢の人が海外へ挑戦して外国籍を取得して外国人として活躍している。彼らがその国で「帰化人」として差別されているとしたら憤慨を感じる。    石原都知事が帰化した国会議員の名をあげつらって差別しているのは都知事という公職の立場からしていかがだろうか。ただ石原都知事は国境の島へ外国人が大挙して住み着き、地方自治体を牛耳ったら国土防衛が危うくなる、との論理まで展開しているようだ。そこまで誇大妄想を繰り広げるのなら、国防と外交は政府の専権事項としている現在の日本国政府の立場を強くする法律を作ることだ。たとえば自衛隊が部隊として移動する際は事前に当該知事へ届け出なければならない。しかし本当に日本が外国軍に侵略された場合、秘匿すべき部隊の所在場所を事前に通知す

これも地域エゴの連鎖か

 鳩山首相が麻生全国知事会会長に普天間移設に伴い各都道府県に訓練を受け入れて欲しいと面会を求めたことに関して、山口県知事が早くも「岩国基地は米軍基地再編に伴い厚木の艦載機移設を受け入れているからこれ以上受け入れるつもりはない。明確な移設計画がない段階での話し合いは無意味だ」とのコメントを出した。  さすがは自民党の後押しを受けた県知事にして県議会も自民系が圧倒的多数を占めるため、民主党政権の首相の提案には機敏に拒否の態度表明をしたようだ。    長く続いた自民党政権時代、米軍基地周辺住民には「民防」と称する防音工事を国の予算で実施されてきた。窓を二重にし、まだエアコンがそれほど普及していない時代にエアコンを設置し、さらには莫大な予算を投じて基地の沖合移設までやった。それは基地の恒久化を予定してのことではないかと反対運動もあったが、地元経済に資するとしてほとんどの土建業者と多くの市民は理解を示した。現在も最終段階を迎えた沖合移設の工事は続いているし、県と市が推進して民間岩国空港再開を目指して三セク会社が立ち上げられ、地元の元商工会議所会頭が社長に就任することになっているという。赤字タレ流し確実な事業開始を国も承認したようだが、財政破綻を目前にしたこの国の無責任な凭れ合いの病理は少しも改善されていない。    県知事は採るべき果実は手にしたから、当時の話し合いになかった新たな部隊の移設に反対する、ということなのだろうか。普天間に駐留するのも岩国と同じ海兵隊だ。部隊名を同じにしてローテーションを組めば実質は分からないだろうが、そこは正直者の鳩山首相だ。自民党政権下の非核三原則のような誤魔化しはしないということなのだろう。    あるいはネゴの手法としてまず最初に一番厳しい回答をして相手から徐々に好条件を引き出すつもりかとも疑うが、それは下種の勘繰りだろうか。  いずれにせよ高くつく日米安保をそろそろ本質的に見直してはどうだろう。「駐留なき安保」といっていたのはかつての民主党だ。米軍にはお引き取り願って、自衛隊を増強して徐々に交替していくスケジュールを話し合ってはどうだろうか。駐留米軍に支払っている思いやり予算を日本の若い自衛隊員に使う方がどれほどましだろうか。    それにしても全国知事会で首相の話を聞く前から「無駄だ」と言い切った山口県知事の顔が徳之島の町長さんたちとダ

官僚たちの沈黙はなぜか。

 普通の民間企業ならコストカットのために各職域から日常的に改善案が提言されるし、経営者側も経営環境の改善に向けてまずは内部の職員に提言を求める。官僚のように天下り団体を省庁の外郭に抱えるようなことをすれば、その職員は懲戒解雇になったうえで背任横領で会社から告発される。それが民間企業では常識だが、官僚の世界ではそういうことにはなっていないようだ。    民主党政権に対して感情的ともいえる批判が多くみられるが、彼らが批判の根拠としているものは何か考えてもそれほど相手の人格を否定するかのごとく悪口雑言を浴びせることとは思えない。自民党政権とどれほど異なりどれほど悪辣なことをしたというのだろうか。民主党潰しとしか思えないマスコミの流す情報は彼らにとって叩きやすいのも確かだ。普天間基地移設問題でも沖縄県民と徳之島島民に矮小化した感情論ばかり優先させてきた。しかし、たとえ鳩山内閣を倒したところで普天間問題の何が解決するというのだろうか。論点を煽るだけで解決策を提示しようともしない、しかも沖縄県民の黄シャツの意味までも歪曲して伝えた態度はジャーナリカトとして恥ずべきだ。  そうしたなかで今日の朝刊に法務局の外郭団体「むつみ会」のことが載っていた。実に職員の7割から8割も法務局職員で構成され、法務局内部で売買される登記印紙や法務局に設置されているコピー機の運営・管理を独占的に行っている。その業務のうちコピー(一枚50円)料収入だけで年間2億円以上も利益を上げているという。    母屋は法務局で国のものだが、軒先を外郭団体「むつみ会」に貸して「むつみ会」が莫大な利益を上げる。第三者対抗要件として存在する登記法だが、実際の運用では登記簿一筆取るのに千円取られ閲覧でも一筆5百円取られる。国民が所有する不動産を法的に正当か否か、法務局で確認する手段が実に高額なのは問題だ。物件によれば筆数が何十筆にも渡るのはざらで、所有権者と土地に設定されている権利義務関係を確認作業だけで多大な出費を国民に強いている。    ことほどさように、国家財政は破綻の危機に瀕し政治家は増税圧力を国内外からひしひしと感じているのに、各省庁の危機感なき無責任さには驚く。外郭団体に甘い汁を吸わせているのも元々の原資は税金なのだと認識して節約に励もうとする心構えさえない。財政赤字が大きくなれば政治家は国民から支持を失おうと

小泉元首相のズウズウしさを。

 「人生いろいろ」発言や「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」発言など破天荒な発言を繰り返して国会議員と国民を煙に巻いたのが小泉元首相だ。その程度の答弁で自衛隊海外派遣という憲法に照らしても問題のあることを難なくやり遂げてしまった。それが長期政権と高支持率の維持に繋がったとは呆れるばかりだが、鳩山首相は小泉元首相の爪の垢でも煎じて飲んでズウズウしさを少しは学んではどうだろうか。    鳩山首相が普天間基地移設問題で五月末決着に職を賭すと繰り返し発言した。それを言質に辞任を求めると野党は息巻いているようだが、「職をトスもいろいろ」と煙に巻けばどうだろう。日米安保条約に基づき全国に57もある米軍専用施設を今後どうするのか、自衛隊との併用施設28、一時使用施設119と米軍の基地は全国に及ぶ。普天間基地はその中でも最悪だが、市街地に接しているのは普天間基地だけではない。米軍基地の駐留する地域が騒音などの諸問題を抱えている。    普天間移設問題で設けなくても良いハードルを勝手に設けたのは鳩山首相だ。簡単に片付く問題でないのは誰の目にも明らかなのに、手品でもするかのように「五月末決着」と言い続けた。それにより鳩山首相の信頼性が揺らぎ支持率が大幅に低下した。しかし、それでも辞任する必要はない。自分が勝手に設けたハードルによってこけたのだが、この問題は普天間に限ったことではなく、全国の基地を抱える地域住民に共通した問題だ。日米は腰を据えて真剣に議論すべきで、付け焼刃的にサッと片付けようと誤魔化さないことだ。    政権交代により日米安保のありようが変化するのは当たり前のことで、駐留なき安保という考え方もある。以前にもブログに書いたが、憲法上の制約による呼称だけとはいえ国軍を持たず外国軍が一世紀以上も駐留して繁栄した国は世界史上ありえない。終戦から数えると65年にも及び、一世紀にはあと35年だ。米国とその程度のスパンで防衛問題を話し合い、段階的に国内の基地を撤退する方向で合意形成することが必要なのではないだろうか。

説明すべきは検察とマスコミだ。

 事件の取り扱いで検察の下す「起訴猶予」と「不起訴」とではまるで異なる。つまり「起訴猶予」とは犯罪と認められる証拠はあるが軽微で起訴するほどでないが、「不起訴」とは起訴すべき犯罪事実が立証されなかったということだ。小沢氏の一件で検察が「不起訴」としたことは犯罪行為と認定すべき事実がなかったということだ。あれほど執念を燃やして形式犯に過ぎない政治資金報告書の虚偽記載(本来は記載する必要のない事項を記載しなかったに過ぎない)で秘書を逮捕し、何十人もの捜査員を投入して小沢氏関連場所を強制捜査し、任意とはいえ事情聴取まで行った挙句に何も出なかったということだ。    その小沢氏が国会で話すという。本来は世間を騒がし公務員として秘匿すべき捜査情報をどのような権限によって(根拠条文を提示して欲しいが)マスコミにタレ流したのか、検察こそが国民に説明すべきだ。そして大本営情報さながらに日本を代表するマスコミ各社が一年以上に亙って流し続け小沢氏の名誉を著しく毀損した事実経過を各社の社長が国会で説明すべきだ。  確かに政治家にはプライバシーはないかもしれないが、基本的人権はすべての人にあり尊重されなければならない。それがマスコミの表現の自由に課せられた基本的な規範ではなかっただろうか。    人を悪し様に言うのはある種の優越を感じて気持ちの良いものかもしれない。しかし、たとえそれが事実に基づいていても人を悪し様に言う人を、世間の人は人品高貴な人とはみなさない。それがまだ裁判の判決が確定してもいないどころか、起訴すらされていない人を悪し様に言ったとすれば明白な名誉棄損だ。あなたが小沢氏の立場になったとしたら、と立場を入れ替えて考えてみれば良い。果たして何人の人が耐えられるだろうか。それを小沢氏は何年も耐えてきた、ここ一年余はマスコミの度を越した謂われなき攻撃に対しても激怒することもなく党の要職を精力的に勤めてきた。あなたにできることだろうか、と検察幹部とマスコミ各社の社長に問いたい。    優秀な検察が一年以上も捜査して出なかった小沢氏の犯罪事実が、ここに到って突然出たとしたら捏造以外の何物でもない。まさか検察もそこまではしないだろうが、検察審査会と称する機関を使って「起訴相当」とした御仁たちだ、何をするか分かったものではない。  繰り返し言う。最高権力者は選挙で選ばれている小沢氏ではな

政府のガバナンスが問われる。

 普天間基地移設問題でやっと政府が方針を取りまとめて動き出したようだ。これまでの半年に渡る迷走ぶりは政府として体をなしていなかった官房の責任は重大だ。その責めを負うべきは官房長官だろうが、官房を形成する各省庁から出向している官僚たちは何をしていたのだろうか。民主党政権が官僚主導から政府主導と唱えたからお手並み拝見とサボタージュしていたのだろうか。    それに民主党議員の醜いばかりの手柄争いは目に余る。自分が最初から最後まで責任を持って関係者と協議して成案を得るというのでなく、思いつきのような発言を方々で繰り返し、中には米国当局相手に無責任な発言までする愚かな御仁までいたようだ。    彼らは国会議員である前に、責任ある社会人でなければならない。社会に対して自分の言動に責任が取れなければ発言しないことだ。愚かな人間でも黙っていれば露見しない。古来より沈黙は金といわれる所以だ。    普天間基地問題に関連する大臣が多いのも問題だ。外務大臣、防衛大臣から沖縄担当大臣に官房長官と沢山いて、普天間問題の司令長官は誰なのか不透明になっている。それに鳩山首相の頑なまでの発言「五月末までに解決する」は大いに問題だ。なぜもっと柔軟に対応できないのだろうか。挙句の果てにぶら下がりの記者たちに切れてみたりする。ストレスを溜めない対処方法を誰か鳩山首相に伝授する人はいないのだろうか。  何かにつけて欧米を持ち出すつもりはないが、側近は首相の演出の仕方を専門家の意見を取り入れて実行した方が良い。余りに稚拙に過ぎて、正直一辺倒では暗愚と間違われることも心しなければならない。愚直は英知の表現方法の一つであって、馬鹿正直なこととは異なる。

「本土の人たちは分かっていない」との声

 今朝の朝日新聞に一面から三面にかけて普天間問題について沖縄の人たちの悲痛な声が載っている。「本土の人たちは沖縄の痛みを分かち合おうとしない」というものだ。冷静に考えれば当初から移設問題の焦点はそこにあったのだが、マスコミはこぞって鳩山首相の瑕疵と位置付けて攻撃ばかりしていた。モタモタしていた鳩山首相の対処方法にも問題はあるが、マスコミがこうした事態を演出し沖縄の黄シャツの意味までも「鳩山首相へのイエローカード」と捻じ曲げて伝え問題解決を故意に困難にしてきた。黄シャツの意味は「米軍基地反対」運動に伝統的に使われてきた色だったのだ。マスコミはそうしたことを百も承知の上で意味を変えて鳩山首相攻撃の材料に使っていたのだ。本土のマスコミ関係者は知らなくても、沖縄のマスコミ関係者は知っていたはずだから直ちに訂正させなければならなかった。しかし何日も放置し繰り返し全国に報道し続けたとは、なんという偏向報道だろうか。    徳之島の人たち全員が地域エゴの塊だとは思わない。日本の国防と安全のためとして全国各地に米軍基地を受け入れている地域がある。その地域の人たちの多くが迷惑を蒙っているが、一部の人たちは基地への物資供給や基地労働者の派遣で潤っている。物事には必ずそうした光と影があり、光の部分の平和は黙って享受するが、影の部分の米軍基地は断固受け入れを拒否するというのでは地域間の感情対立が起こるのは当然だ。    米軍基地がマズイのならマズイとする問題点を国として真剣に議論してこなければならなかった。そうした議論が国会で戦後まともに行われたことは皆無に近かった。今回の一件が絶好の機会となって欲しい。  テレビなどで口では「沖縄の人たちはカワイソー」と言うコメンテーターたちが今回は鳩山首相への攻撃に終始した論評を繰り返してきたことにより、彼ら彼女らの人品がいかに薄っぺらか判明したわけだ。所詮は親会社の意向に反する評論をすればクビになるから、薄々本質的な問題に気付いていても素知らぬ顔をしてきたのだろう。    やっと真実の声がマスコミから漏れてきた。一つの問題を報じる場合、片方だけに立ち位置を取って報道するのを偏向報道という。日本の大マスコミは民主党に関しては明らかに偏向報道を繰り返してきた。しかし、これからは朝日新聞の記事が蟻の一穴となって真実が報道されるだろう。徳之島も全島住民が鉄の

検察審査会の存在意義は。

 そもそも検察審査会の存在意義は検察が仲間意識などから起訴しなかった事案について、法的根拠を示したうえで検察に起訴を迫る目的で設けられたものだ。小沢氏が検察にとってどのような存在か知らないが、少なくとも仲間でないことだけは確かだ。    昔の言葉で「鋳掛屋が軍艦を造る」というものがある。つまり鍋底に開いた穴を潰す鍋の修理屋が軍艦建造の元請になる、ということだ。確かな技術と実績に裏打ちされた造船所が軍艦の元請にならなければならないが、村の鍛冶屋程度の業者が元請となり造船所へ丸投げする本末転倒の比喩として用いられた言葉だ。    「市民感情」という法曹界では鋳掛屋が「小沢氏を起訴すべき」と一流中の一流東京地検特捜部が「不起訴」とした判断を覆した。それでマスコミは大喝采を上げているが、法と証拠に基づいて起訴すべきものを「市民感情」で起訴すべきとしたことを持ち上げるのがいかに危険か、冷静に考えたことがあるのだろうか。  法の場に素人の市民を11人集めて、元検事の弁護士が助言者として会議に加わって結論を出した。そこに恣意が働かなかったと誰が断定できるだろうか。しかも11人全員一致の判断だ。    11人の市民というが名簿は公開されていないし、検察審査会の規定で委員はかかわった事件のことを秘匿する義務があり、審査経過や判断基準とした事項などを公に出来ないことになっている。  つまり市民感情といいつつも、それが本当に市民だったのか、検察審査会委員11人以外の市民は知ることは永遠にないのだ。始まったばかりの裁判員制度よりも、はるかに不透明な非公開の世界なのだ。    東京地検特捜部は小沢氏に任意の聴取を申し入れたという。以前行った二度にわたる事情聴取が不完全だったと、自ら認めたことになる。数十人もの専門家の捜査員を投入して一年以上も行った捜査が、11人の素人が数ヶ月審査したことにより揺らいだことになる。    今後すべての事件は最初から11人の検察審査会のご意見を拝聴してから捜査を行うが良い。鋳掛屋が軍艦を建造する時代になったのだ。マスコミがのべつ為にする記事や情報をテレビなどでタレ流せば人を容易に罪に陥れることができる実証が、今国民の目の前で展開されている。日本は恐ろしい国になったものだ。    

迷惑行為は止めた方がいい。

 普天間基地移設先として名の上がった徳之島の三町役場へ移設賛否電話が殺到しているという。なんとも困ったことだ。    ある役場では外部電話への対応職員を三人置いているが、それでも息つく暇がないほどの忙しさだという。中には自説を得々と話す人や暴言を繰り返し吐く人までまでいるという。役場の職員は通常業務があるわけだから、相手の立場を考えればしつこく電話をするのはどうかと思うし、自説を表明したいのならイザッのような掲示板に書き込めば良いことだ。    相手の迷惑を考えもしないで、といったがそれは間違いだ。中には相手が迷惑だと充分に承知したうえで電話をかけまくっている人もいるだろう。そうだとすれば業務妨害ということも十分に考えられる。いずれにせよ、もっと冷静に物事を見詰めるようにしたいものだ。

日本は米国の傘の下にあるのか。

  日米が沖縄の一つの基地の移転先、あるいは移転せずに居座るのか、を巡って交渉としているが、すべての議論が一方的に米軍が日本に駐留し続けなければならない、との前提に立っているのが気になる。その一方で、米国内には「日本は安保タダ乗りで、軍備に使わないで済んだ金で高度経済成長をなし得たではないか。もっと米軍の軍費を肩代わりすべきだ」との議論があるという。  日本の軍事予算、いまは防衛予算と呼称を変えているが、は世界的に見て少ない方ではない。軍事大国の世界戦略国家には及ばないが、それに近い金額を防衛に使っている。    米国の核の傘の下で守ってやっている、と傲慢な態度を米国がとるのなら、日本の核武装するぞ、と試験に議論を始めたらよい。なにもしないから米国は日本を甘く見ているのだ。さらに米国は日本を属国のように扱っているが、それなら不当に占拠されている北方領土について露国に「返してやれよ」と助言の半句たりともしてくれただろうか。いや、北方領土の問題はポツダム宣言第八条にある通り連合国が定める(国際法上当事国が関与しない取り決めは無効だ)としているが、その戦勝国が一方的に押し付けた取り決めした当時、露国は日本と不可侵条約を結んでいた。それを8/8に一方的に破棄し、8/10にポツダム宣言受け入れを表明した後にも、8/15に終戦となった後にも、9/2に調印した後にも、日本国土を侵略し続けたのは露国だ。    さらにはあらゆる国際法に照らしても許されざる蛮行・数十万人ものシベリア抑留を行い、日本国民を使役し数年にわたって強制労働を課した。  その蛮行が行われている間、米国は何をしていたのか。そして現在、北方領土の問題に戦勝国の代表として日本を支配していた米国は何を行ったのか。現在も国連の戦勝国条項を廃棄しようとしないのはなぜか。つまり常に日本と日本国民を抑圧して再び頭を擡げないようにしておくためだ。その一環として日本国民骨抜きの装置として「第9条」を米国は憲法に埋め込んだ。世界に類例を見ない平和憲法だと有り難がっている日本国民が6割もいるということだから、米国の目論見は見事に成功している。    国内の米軍基地は何に使われているのか。日本を守るために使われ、日本と日本国民のために戦って米軍兵士が一人でも戦死したのなら米軍基地の有用性を認めよう。しかしそうでなければ米軍基地があるのは

時代小説…「冬の風鈴」その0

 凍えるような木枯しが夜空でうなりを上げている。  油障子の桟がガタガタと鳴り、天井から吊り下げられた八間の明かりが揺らめく。  十人も入れば肩が触れ合いそうな、飯台一筋っきりの土間にいつもの面々が集っていた。  界隈の噂を酒の肴に興じていたが、飯台に突っ伏していた五平がいきなり顔を上げた。 「その話なら、おいらだって知ってら」  と鋳掛屋猪吉が披露していた噂話に割り込んで、呂律の廻らない巻き舌で喚いた。 「ひとけのない佐賀町米蔵通りの夜道を歩いてると、何処からともなく『うらめしや、表は古着屋』って声がするってんだろう」  そう言うなり、五平はひきつるようにクックッと笑った。  いきなり五平に混ぜ返されて、橙色の八間の明かりの下で額を寄せ合っていた男たちは鼻白んだ顔を見合わせた。 「この野郎、酔っ払ってるのなら寝てろ」  そう言うなり五平の鉢を小突こうとした畳職作次の手をやんわりと掴んで、お島が下膨れの顔を小さく左右に振った。その細めた目が「取り合うんじゃないよ」と言っていた。  五平の酒は喧嘩酒だ。普段はおとなしく一心に泥捏ねをする左官だが、いったん酒が入ると相手構わず喧嘩を吹っかける。が、喧嘩はからっきし弱く、大抵は殴られ損で袋叩きにあって地面に長くなってしまうのだ。それでも性懲りもなく火ともし頃になるとお多福の縄暖簾を掻き分けて、定席のように入り小口の飯台に取り付く。 「ほおらね」  と、お島は見上げた作次に目配せした。  空き樽から立ち上がらんばかりだった五平はいい気なもので、怪気炎を上げて声を張り上げたかと思うと飯台に突っ伏して鼾をかきはじめた。  仙台堀万年町の居酒屋お多福には常連客がついて、いつもそこそこ賑わっていた。三十年増の女将が目当てなのか、釜の火を落とし暖簾を仕舞うまで長尻を決め込む者ばかりだ。  その夜も、天井から吊るされた八間の明かりの下、集まっているのは顔馴染ばかりだった。みんな気心の知れた日銭稼ぎの者ばかりだが、一人だけ毛色の違う客がいた。永堀町の隠居が奥の切り落としの板の間に片足を土間に垂らして腰を掛け、炙った鱈の干物を肴にちびちびと猪口を舐めていた。  永堀町の隠居は名を甚右衛門といい、仙台堀で木綿を扱う老舗太物屋の主人だった。いまでは家業を一人息子夫婦に譲って悠々自適の気ままな暮らしを送っているが、若い頃に連れ合いを流行り病で亡く

時代小説…「冬の風鈴」その1

   夜明け前から万年町の自身番は忙しかった。  昨夜、亭主の安蔵が家へ帰らなかったと、徳蔵店から女房のお重が赤い目をして駆け込んだ。家を空けたのは安蔵だけではなかった。同じ長屋の一番奥、惣高架のすぐ手前の家に暮らす畳職作次も帰らなかった、と年老いた母親が届け出た。  酒の上での取組み合いの喧嘩はしょっちゅうだが、同じ裏長屋の住人が二人も帰らなかったとなると、ちょっとした騒動だ。町役もただ事ではないと自身番に詰めて、町内の若い者を集めて行きそうなところから当たらせた。  当然のようにお多福へも、番太郎に若い者が一人ついて聞き込みに走った。寝入り端を叩き起こされたお島は不機嫌そうに、 「五つ半にはみんなして帰っちまったけど、その後のことは知らないねぇ」  と、口元を歪めて言い、「ああ、そういえば」と言葉を継いだ。 「この界隈の風鈴騒ぎを猪吉が持ち出して、酒の肴にやいのやいのと騒いでたけど、まさかあれから今川町の仙台堀河岸へ行ったんじゃないだろうね」  まさかねえ、と言いたげにお島は唇を噛んだ。  夜が明けて騒動は大騒ぎになった。  畳職作次の死体が浮かんだ。場所は仙台堀が大川に注ぐ辺りの土手下だった。これといった外傷は見当たらず、かといって土左衛門のように死に顔が浮腫んでもいなかった。深川を縄張りとする十手持ちの嘉平が出張って来たが、首を捻った挙げ句に、 「氷が張ろうかって冷たい堀割に酔って落ちて、心の臓が止まったんだろうよ」  と、声高に事件性を否定した。  川風の吹き抜ける土手下は雪駄を履いていても裸足のように冷たく、足は感覚を喪って体が凍り付きそうだった。これまで殺されたのは夜鷹が三人、いずれも陰部が喰い千切られたように盗られていたが、町方は本腰を入れて探索していなかった。公娼は吉原だけと定められ、それ以外の岡場所は御法度に背いた商売だ。揉め事が起こっても、「おそれながら」と訴えることは出来ない。ましてや、夜鷹は最下層の私娼だ。岡っ引が血眼になって下手人を探索する必要はなかった。もしかすると、所場代を払わない夜鷹に対する地廻りの見せしめかもしれない。岡っ引も地廻りも似たようなものだ。余計ないざこざに首を突っ込まないのが、岡っ引稼業で長く暮らせる秘訣だと嘉平は思っていた。  しかし、今度は別だ。かりにもまっとうな町人が死体となって転がっている。いい加減な通り一遍の