それでも「レジ袋追放」は必要か。

現在レジ袋は、日本では年間300億枚、乳幼児を除いた国民一人あたり約300枚が使用されている。これを原料の石油に換算すると、年間50万キロリットルになる。これは、日本人一人あたり、わずか3リットルに過ぎない。普通車で、30キロメートル分の外出を一日我慢すれば、一年分のレジ袋の節約ができる量なのである。日本の石油消費量は年間約2.4億キロリットルであり、このうちの50万キロリットルなのだから、レジ袋の石油使用量は、日本の石油消費量のわずか0.2%に過ぎないのである。しかも、レジ袋のほとんどは、アジア諸国からの輸入品なので、実際には0.1%にも満たない。製造工程のための原油必要量が別に必要であることを考えても、決して石油使用量の大削減とはいかない。
もちろん、少しの削減でもすべきだという人もいるだろう。しかし、レジ袋を削減したところで、不便になり、快適性が損なわれるばかりで、エネルギー消費という観点ではほとんど効果が得られない。
次に、燃やしたときに有害ガスが出ると言われているが、基本的にレジ袋は高密度ポリエチレン製であり、二酸化炭素と水が発生するだけで、有害な気体は発生することはまれである。色つきのものは、顔料に金属元素が使われているものもあるが、銅が含まれる濃い緑色のものや、鉛の含まれる濃い黄色のものは、スーパーでは利用されていない。ポリエチレンでも不完全燃焼すれば、発がん性物質であるベンゼンなどが発生する危惧があるが、高温で燃焼焼却すればその可能性は小さい。レジ袋は本来プラスチックであり、不燃物なのだが、フィルム系プラスチックとして、焼却炉の助燃剤として焼却していることもある。プラスチック製の袋は、薄くて発熱量が高く、エネルギー回収も効率的に行うことができる。実はプラスチックは焼却炉の餌になるのである。生ゴミだけ燃やすには、余計に原油が必要となり、逆に資源のムダ使いになるのである。
本来行うべきことは、化石燃料などの枯渇型資源を最大限努力して、使用量削減をすることである。目の前のレジ袋に白羽の矢を立て、環境に配慮しない極悪人だと競争力の無い中小業者を狙い撃ちするような今回の改正法は、弱い者いじめにさえ映る。レジ袋をゼロにしても、石油使用量の多さに比すれば焼け石に水のような有様だ。
まず、政府指導で行うのならば、もっと効果の高いことを推進すべきであろう。例えば、ノーカーデーを国が指定することだ。現在、一部の自治体が試行しているが、なかなか広がりをみせない。自動車を使用しないことが、ガソリン削減にはテキメンである。
例えば、燃費10キロメートルパーリットルで、片道10キロメートルの通勤の人が、年間250日仕事に出かけると、使用するガソリンは、500リットル、ドラム缶二本半である。更に、この時に発生する二酸化炭素は、実に30万リットル、ドラム缶にして千五百本に相当する。日本中のサラリーマンが、一日でも協力すれば、どれ程空気はきれいになるだろう。
マイカー自粛は、何よりの環境対策だ。国や各自治体もパークアンドライドや自転車利用の呼びかけなど、すこしずつはしており、改善されてはいるが、まだまだ認識は薄い。この夏のガソリン代の高騰を受け、急速にガソリンの節約に、国民の目が向けられた。今がチャンスなのだ。まずは、効率のよいエコドライブからでもいい。アイドリングストップでもいい。いきなりゼロでなくてもいいのだ。乗り合わせや公共交通機関への乗り換え、自転車利用へと進めばなおよい。その努力に、奨励金を出したり、逆に、マイカーの通勤手当てを減らしてもいい。
また、ガソリンの代替品への開発研究、使用緩和へと政府は動く時だ。とにかくガソリンを使わない、燃やさないことが、何よりの環境対策なのだから、これにつながるのなら何でもトライするのもいいだろう。
これらガソリン削減に繋がる努力に対しては、 税金の投入もやぶさかではない。支援し、補助し、積極的に促すべきであろう。
企業レベルで考えるならば、効率的な資源、エネルギーの利用の実現である。ここで大切なのは、経済産業の衰退を招かぬような対策でなければ意味がないということだ。産業は活性化しつつも、エネルギーの使用量を減らすというのは、並大抵ではない。かつ、生活の快適性、利便性は守る製品作りも続けていきたい。このためには、やはり政府の力が必要だ。企業にノルマを課すだけでなく、国全体で考えていくべきだ。民間企業は、余分なエネルギーなど使ってはいない。ギリギリの工程を組み、極限まで効率を図っている。この上なお削減と言われても、打つ手がないところもあるはずだ。皆で知恵を出し合い、企業間で技術や資源を共有し合い、協力して改善するしかない。横のつながりを強化させるのも、上に立つ公官庁の役目でもあろう。
現代人には手放せない快適な文明がある。どこまで、妥協し、我慢し、利便性も維持できるのかを人類の知恵を出し合う時だ。目先の小さなものだけに目くじら立てていないで、本質部分で資源の削減を図るべきだ。
 >(以上「中央大学 受賞論文「レジ袋削減は本当に必要か」買掛柚香子氏論文」より引用)



 いよいよ明後日の7月1日よりレジ袋が有料化される。これほど酷い環境をダシにした悪政があるだろうか。
 日本はマスメディアまで一緒になって「レジ袋追放」の集団ヒステリーに陥っているかのようだ。中世の魔女狩りもかくありきか、と彷彿とさせる問答無用が罷り通っている。

 日本は決して科学的でも自由な国でもない。レジ袋で消費される原油は全輸入量の0.2%でしかない。それらが海に流れ込んで環境を汚染する、というのは一部自治体でゴミ出しに地方自治体が指定するビニール袋以外を認めないからだ。
 レジ袋でゴミを出しても良い、とすれば巷に溢れることもないだろう。しかも生ゴミを焼却するのに生ゴミだけではカロリーが足りないため、分別した廃プラゴミも一緒に燃やしているのが現状だ。さもなくば生ごみを焼却するのに重油を噴霧して焼却しなければならず、却って省エネに反することになる。

 しかもレジ袋の原料は原油を蒸留装置でガソリンなどの各種原料に分離する段階で出るポリエチレンは焼却処分していたものだ。廃棄していたものを有効利用してレジ袋が出来ている。
 それに対して、ビニールで作られているゴミ袋の「ビニール」は正しくは「塩化ビニール」と呼ばれるもので、ビニール傘や農家のビニールハウスに使われるものだ。そして焼却時に温暖化ガスといわれるガスを発生させるのに対して、レジ袋(=ポリ袋)は焼却時にいわゆる温暖化ガスを排出しない。

 つまり温暖化ガスを減少させるため、と称して温暖化ガスを発生させないレジ袋を目の敵にして、温暖化ガスや猛毒の塩素ガスを発生させるビニール製の地方自治体指定のゴミ袋にゴミを入れて出す、という本末転倒を行っている。しかし、それを指摘するマスメディアは皆無だ。
 私は地球が温暖化ガスと称するCO2の増加で温暖化しているとは思ってないが、それでも温暖化ガスの排出に病的なほど神経質な連中がレジ袋を追放して喝采し、地方自治体指定のビニール製のごみ袋には追放運動を起こさないのは奇怪でしかない。日本のみならず世界は「地球温暖化」というハンメルの笛に踊らされていることにいい加減気付かなければならない。

 中央大学の懸賞論文で「レジ袋削減は本当に必要か」と題する買掛柚香子氏の論文が受賞したことに中央大学の健全性を感じる。科学的な思考をする学究の徒こそが日本には必要だ。マスメディアが世論誘導するお先棒を担ぐ似非・科学者が跋扈する世界は中世の宗教裁判全盛期当時と何ら変わらない。私たちはガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動いている」と呟いた当時と何ら変わらない時代を生きている。

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