日本を貶める表題は頂けない。
<いまから20年近く昔のことだ。中国に進出した日本の食品企業の工場をいくつも見て回った。バブル経済が崩壊してデフレに陥っていた当時の日本にとっては、中国が日本の強い味方だった。 そもそも日本にバブルが到来したのも、1985年の「プラザ合意」で円高基調を受け入れたことが引き金だった。その“強い円”を利用して海外に進出する企業も増えた。それで日本の食品メーカーが90年代の後半から、盛んに向かった先が中国だった。 低コストを目当てに中国に続々進出した日本企業 改革開放政策を続ける中国は、人件費も安く、人手も豊富で、距離的にも近い。そこで日本で培った高い加工技術を中国に持ち出し、現地の工場で国内産と同等のものを生産させ、商品を日本へ輸出する「開発輸入」を展開していく。 どこの工場にも従業員の寮が備え付けてあり、地方から集団でやってくる若い労働力を確保していた。だいたい20歳そこそこの女性が多かった。嫁入り前の出稼ぎという意識もあって、名前が書けて、数が数えられさえすれば、即合格で採用された。 そこでやらせていたことといえば、単純手作業ばかりだった。 たとえば、私が最初に目にしたのは、山東省青島にあった工場での「甘エビ」の加工だ。 日本人がよろこんで食べている甘エビは、北欧やロシアで獲れたものが多い。これをそのまま船上で冷凍させて中国の工場に運び込む。そこでいったん解凍すると、中国人たちが一斉に1尾ずつ手にして頭を取り、殻を剥いていく。 ただし、甘エビの尻尾は取ってはならない。傷つけてもならない。こういう細かい作業は機械でできない。 きれいに尻尾だけになった剥き身の甘エビは、大小の同じサイズごとに区分けされ、スチロール製のトレーの上に、1尾1尾、残した尻尾がきれいに広がるように行儀よく並べられ、そして再冷凍される。細心の注意を払って、見た目も美しくなければ、刺身や鮨ネタとして食べる日本人が受け付けなかった。 ここでは冷凍技術の進歩も中国進出のきっかけとなった。一度解凍しても鮮度が落ちずに加工できて、再冷凍して運び出せる「ツーフローズン」と呼ばれる技術が確立したのだ。 これを使って中国工場では日本の鮨ネタ作りが盛んだった。魚やイカ、タコを捌くのも手作業を必要とした。 中国を「日本の食料基地化」した日本企業 これを利用して、中国の食品工場では日本人のために「