タレント候補者へのバッシングは不当だ。

 日本では誰でも30歳を超えれば参議院選挙の被選挙権を得る。それをタレントだからといって制限されたり、運動選手だからといって制限されるものではない。この度のある運動選手の立候補に際して、一部からオリンピックも目指して現役も続けつつ、参議院議員になるのは虻蜂取らずではないかとの批判が上がった。


 


 確かにオリンピックを目指して現役の運動選手を続けるだけでも相当の鍛錬を必要とされるだろうし、参議院議員を真面目に勤めるだけでもかなりの時間を議員活動に取られるだろう。しかし、だからといって現役選手が参議院選挙に立候補するのは不真面目だ、とはならないだろう。


 


 誰でも一日は二十四時間しかない。その時間内で社会人は概ね八時間仕事をし、六時間ないし八時間睡眠をとる。残された時間は八時間から十時間で、余暇を楽しんだり生理的に欲求を満たしたりする。二足の草鞋を履く暇はないかのようだが、国会議員の多くが二足の草鞋どころか多くの草鞋を履いている。


 


 衆議院議員はいつ何時選挙があるか分からない、しかも小選挙区でライバルの姿が常に選挙区に見える状態で暮らしている。そのため議員活動よりも多くの時間と経費を選挙活動に費やしている。だがそれが議員活動と不可分の関係にあって、地元の有権者と接することから地元の問題点が直に議員に伝わる。それを吸い上げて国会の場で解決するように活動することになる。


 


 しかし地元に密着ばかりして議員活動が地域の利益代表に終始するとドブ板といわれ、国の代表として日本国全体を俯瞰する視点が欠如してしまう。衆議院議員にそうしたタイプの議員が多いのも事実だ。


 参議院議員は解散がなく任期も六年と長いためじっくりと国全体の問題と取り組むことができる。特定の小選挙区に張り付いて日々選挙に追い回されるように忙しく国会と地元を往復しなくて済むわけだ。


 


 現在は参議院も衆議院のカーボンコピーではないかとして、参議院不要論がある。しかし任期と選挙区割りの相違から、自ずと性格も異なっている。参議院が良識の府といわれた所以だ。


 現役の運動選手が議員活動を続けるのは大変だろうと思われる。それでも意義は大きいと思う。厚労省に医師の資格を持つ医務官といわれる人が医療行政にかかわっている。一見医師だから医療問題に専門的な見識がもたらされると思われすがちだが、じつはそれほどでもないのだ。なぜなら医務官として官僚になった医師は臨床や現場を知らないばかりか、患者を知らない医師でもある。日本の医療行政がなぜ非効率で高コスト体質になっているのか、その原因がそこにあると指摘されて久しい。つまり現場の医師との交流こそが必要だといわれ続けている。


 


 体協やオリンピック委員会が現役の選手ではなく、引退した元選手と官僚たちによって運営されている弊害も指摘されて久しいが一向に改善されない。スポーツ予算は各省庁に縦割りのものを合計すれば世界的な水準に劣らない。それらが必要とされる個所へ効果的に使われないのが問題なのだ。各地に半端なスポーツ施設がばらばらに整備されている様には目を覆いたくなるほどだ。しかもそれらが概して使いにくく維持管理費も不必要に高価なものになっている場合が多い。


 


 現役選手が予算編成に嘴を挟むべきだ。現役の医師が予算編成に嘴を挟むべきだ。現役の教師が予算編成に嘴を挟むべきだ。現役のサラリーマンが予算編成に嘴を挟むべきだ。そうした各分野の現役が嘴を挟み、見識と英知を組み合わせて国の予算を決めるべきだろう。一つの分野を固定的に考えるのは全体像を歪めてしまう。



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