鳩山首相、ここは落ち着いて。
普天間移設問題が迷走を続けて、ついに日米合意案の辺野古沖埋立案に舞い戻るという。どうでも五月末決着へ向けて米国の同意を得たいようだが、今後の日米間権を熟慮し拙速は慎むべきだ。鳩山首相はかつて「常駐なき日米安保論」を主張した時期もあった。再び原点に戻って米国に「駐留なき日米安保」を提言してはどうだろうか。
普天間基地の海兵隊は文字通り普天間を基地として海外へ半年近くも展開しては補給と休養と訓練のために帰ってくる動きを続けているという。つまり普天間基地の海兵隊は日本国防衛のために常駐しているわけではない。鳩山首相が誰からレクチャーを受けて「普天間基地の近く」に訓練場所が必要だと認識させられたのか、国民も同じ人物からじっくりとレクチャーを受けたいものだ。
防衛族や防衛官僚、それに米軍関係者など防衛は膨大な利権構造を形成している。そうした自民党政権下で官僚に丸投げされていた政策形成過程で米国軍需産業と密接に結び付き、防衛族議員や防衛評論家たちとも利益共同体を構造的に作ってきた。そこに民主党鳩山政権が手を付けたのだから相当な抵抗があることは覚悟していたはずだ。
易々と沖縄県民の希望を打ち砕いてはならない。政府が提示した案に米国が不同意だからとしてどんどん後退させるのなら、日本防衛に関しての日本の主導権は何処にあるのだろうか。
戦後65年、米軍兵士の一人として日本防衛のために戦死していない。いや日本に駐留している海兵隊は北朝鮮が崩壊した場合に備えているのだ、ともっともらしいことをいう軍事評論家もいる。それなら駐留米軍は日本のためにいるのではない。米国の世界戦略の一環として日本の基地を使用しているに過ぎないことになり、日米安保条約の本筋と話が違いはしないだろうか。
米国の都合で日本国民が迷惑を蒙るのは御免だ。これまで散々日本の富を搾り取ったではないか。日本は日本国民が守るという国家としてのまともなあり方について議論すべき時が来ているのではないだろうか。中国や露国や北朝鮮の脅威に取り囲まれている日本に国を守る防衛力は必要だ。いつの日にか米国とは「駐留なき安保」の関係にならなければならないのだ。
鳩山首相にその第一歩を踏み出してもらいたいと心から願う。