Bankerの不在を嘆く。

 いわゆるサラ金が「自社は○×銀行と提携しています」と、堂々と宣伝する時代だ。都市銀行と地方銀行と相互銀行と信用金庫と棲み分けが割合はっきりとしていたが、昨今では役割分担の垣根が低くなったような気がする。そして銀行が各種クレジットと形を変えて国民生活と密接になった半面、銀行の経営からかつてのバンカーといわれていた人物がいなくなったのではないかと寂しく思う。


 


 経済活動の血液に相当する金融を司る銀行はそれぞれに本来の根源的な役割があったはずだ。都市銀行は国家的な企業を育て、地方銀行は地域経済の牽引役となる地場産業を育成発展させる役目があったはずだ。時には経営者と親密になりすぎるきらいはあったが、信用金庫は地域の商店などと密接にかかわり駅前経済のお目付役であったりした。


 


 それが昨今では銀行へ行って各種ローンを相談すると即座に提携先のサラ金のカードを作るように勧められ、面倒だとばかりにサラ金に丸投げされてしまう。いつから解禁になったのか知らないが、銀行がサラ金に融資して庶民への融資は銀行では扱わずサラ金へ回してしまうのが慣行になっているかのようだ。すると銀行は国民から遠い存在になったのかというとそうでもない、一億円以上の個人資産の運用はお任せ下さい、として国民を峻別しているだけだ。


 


 それは個人に対してだけでなく企業にもいえるようだ。手間のかかる中小零細企業に融資するのを極端に敬遠する傾向が顕著にみられる。昨年、世界的な金融危機に対処するため中小企業特別融資として政府保証を80%つけた特別融資枠がなかなか消化されず、ついには100.%保証することになってしまった。


 まともなバンカーなら恥ずかしいと思わなければならない。銀行としての融資戦略は全く機能していないと決めつけられたに等しい。最悪貸付先が倒産しても、貸倒損はすべて政府が保証するのなら銀行家はたとえ無能でも勤まることになる。100%政府保証の特別融資は日本の銀行家が本来の経済を司る役割すら果たせない、サラ金の銀主に成り果てたと世間に向かって宣言したに等しい。郵貯に向かって「貸付事業の実績はないではないか」と大見得を切って恥ずかしいと思わないのだろうか。


 


 都市銀行のBankerは日本の直接金融を司る者として国家的戦略を持つ人格者でなければならない。地方銀行も地場産業に対してしかりだ。地域経済の衰退の裏には地方銀行のBankerとしての品格と能力の衰退があるといわれても仕方ないだろう。もちろん銀行も企業だから利益を上げなければならないが、それが真っ当な企業としての活動の成果として得られたものかを絶えず自問自答しなければならない。そうしないと「儲けて何が悪いのですか」とマスコミを前に嘯いた投機家に成り果ててしまうだろう。



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