テレビで人を嘘つき呼ばわりして許されるのか。
今朝テレビを見ていると元検事が出演して「小沢氏の検察による再聴取」などを日焼けした初老司会者を相手に解説していた。その最後の締めくくりに「市民感情として許されない」と元検事が言うと、初老司会者は「小沢氏は嘘をついているのだから…」と土地取得問題で小沢氏が虚偽の証言をしていると東京地検でも起訴できなかった事案をテレビカメラの前で断定した。するとそれに同調して出演していた共産党国会議員までも「嘘をついているのだから証人喚問に切り替えた方が良い」と暴言を吐いた。最後に初老司会者が「嫌疑不十分で不起訴はシロではないのですからね」と締め括った。
この国はいつから「人を見たら嘘つきと思え」という教えになったのだろうか。嫌疑不十分で不起訴は法的にはシロだ。小沢氏は市民感情では許されない、というのは国道を集団でツーリングしている人を暴走族とみなして地域住民が集団で虐殺しても許されるということと何ら変わらない。法律よりも市民感情が優先するのをリンチという。それは法治国家では許されないことだ。そうしたことも弁えない人がテレビで市民感情を煽るのは報道機関として自殺行為以外の何物でもない。
人を、それも公職にある政治家をテレビという公器を用いて東京地検特捜部でも立証できなかった小沢氏の虚偽をテレビ司会者は易々と見抜き「嘘」だと断言し、同席していた共産党国会議員まで「嘘だ」と言い切った。一個人の人権と尊厳と名誉をどのように考えているのだろうか。それも市民感情だから許されるのだろうか。検察審査会で決議した市民が超法規的なのなら、今後の検察捜査はまず検察審査会の判断を得て行うべきだ。
ここ一年以上も検察捜査のタレ流し情報で世論は形成された。そして検察は「嫌疑不十分による不起訴」としたが襤褸雑巾のように踏み躙った小沢氏の名誉回復をマスコミも含めて検察はしていない。あなたが小沢氏だったら平静でいられるだろうか。日焼けした初老の司会者が小沢氏だったら、どうだろう。
誰でも結論が嫌疑不十分だとしても、検察に強制捜査までされれば社会的信用は失墜するだろう。会社員なら職場を去らなければならなくなる。そうした仕打ちをテレビも含めてマスコミは小沢氏にし続けて詫状一本出すでもなく、「嘘つき」呼ばわりしている。報道機関として自殺行為を日々重ねていることに思い至らないマスコミ関係者の見識なき独善性を憂える。