マスコミの責任は甚大だ
いまだに「政治とカネ」と一括りに言うのがマスコミの大勢だ。それが具体的に何を意味するのか説明する人は皆無に近い。小沢氏の問題とされることは「不起訴」とされたことで無罪だ。鳩山氏の場合は贈与税を支払い、それを国税が収納したことにより手続きは済んでいる。つまり「政治とカネ」なるものの実態は何もなく、ただマスコミが検察リーク情報をタレ流して作り上げた悪の権化なる虚構を国民の頭の中に残像として留めようとする悪意に満ちた意図的な繰り返しだ。
短期間で首相が交代する状態は官僚にとってはまた新米の大臣が赴任してくるわけだから掌で遊ばせることができるとほくそ笑んでいるだろう。世界が日本を評価する点数はどんどん下がるだけで、国際政治舞台に日本はいてもいなくても良い状態が今後とも続くのだろう。国民にとって良いことは何もないのだが、マスコミは鳩山氏を総攻撃して追い詰めた。マスコミも日本の総理大臣は軽くてバカが良いと思っているのだろうか。そうだとしたら正にその通りになった、マスコミは慶賀の至りだろう。
今回は普天間を移設する先として「最低でも県外」と鳩山氏が口走ったことから始まった。その志や良しとするが、具体的な戦略がないと見抜いたマスコミの餌食になった。しかし本心から沖縄の負担を少しでも軽減しようとする声がマスコミから上がらなかったのはなぜだろうか。少しでも移転候補地として名が上がれば先回りして反対運動をマスコミは煽って回ったではないか。
首相が少しでも沖縄の負担を分かち合ってほしいとお願いした、全国知事会に欠席した知事を一言でもマスコミは批判しただろうか。むしろ東京都知事の傲岸不遜なコメントを持ち上げるように何度もテレビで流したではないだろうか。そこまでして鳩山氏を追い詰めたのだ。それでも図太く総理の椅子に居座れば良いものを、お坊ちゃまのひ弱さを残念に思う。彼の政治家としての使命は終わった、潔く引退することを勧める。
(追記) 夕刻6時過ぎの記者会見で鳩山氏は次期衆議院選挙に出馬しない旨の発言をしたようだ。最後の引き際は心得ているようで、江戸時代の武家のように何はなくとも切腹の作法だけは心得ていたのと同じようで清々しい。自民党の首相経験者がいつまでも居座っているのと好対照だ。
もはや嘴の黄色い口先だけで囁きかけ、世間の様子見に長けた政治家は御免だ。愛妻家だとか若者受けする楽隊が好きだとか、特定の文化が好きだとか、そうしたことはどうでもよい。それよりもこの国をどうするのか、きちんと国民に道筋を語れる政治家が首相に就くことを強く望む。
そしてマスコミはイメージで人や物事を語らないことだ。国民が知りたいのはマスコミによって作られた虚構ではなく、一つ一つの確かな事実を知りたいのだ。針小棒大に特定の事案を微視的に取り出して見せて欲しいのではなく、国民は全体像を探れるような事実の積み重ねをしたいのだ。大本営発表が必ずしも正しくないのは戦時中に大本営発表をタレ流して国民を戦争へ駆り立てたことでマスコミも学習したはずではなかっただろうか。