公会計の在り方を考えよ。

 様々な人たちの意見がマニフェストが守られないことに批判的であったり、マニフェストそのものが信用できないなどと論じている。そしてそれが政治家への批判になっているのは残念なことだ。そこでなぜマニフェストが実効的でないのかを考えてみた。


 


 確かに予算書なるものが存在ししかるべき対価を支払えば誰でも手にすることができる。国会議員ならかつての電話帳よりも分厚い冊子数冊が財務省から配布されているだろう。しかし、それを熟読しても個別の項目が分かるだけで、数年間の趨勢や今後の見通しを予測するのは困難だ。


 


 歳入・歳出という入金部分と支払部分とに大きく分かれそれぞれに事項別明細が延々と羅列されている。まさしく、それは気が遠くなるほど延々だ。


 予算規模も九十数兆円、特別会計も含めると二百数十兆円と想像を絶する金額だ。それらを熟知し今後の在り方を見極めて新規政策にいくら程度の予算が必要となり、その財源として何処から持ってくるのか、マスコミに追い立てられ政局に明け暮れしている政治家に全体像を把握する勉強時間はない。


 


 全体像が把握できないからマニフェストに齟齬が生じても仕方ない。しかも単年度主義でありながら継続事業として見通しのないままダラダラと予算を注ぎ込むダム工事や道路工事などがある。そうした事業の当年度分のブツ切の一片だけを見せられて「これが正しい予算か審議せよ」といわれても政治家に分かるはずがない。


 


 実は仕組みとしては国家や地方自治体の会計ほど単純なものはないのだ。製造企業会計のような原価計算や商業企業会計のような仕入棚卸管理の必要のない公会計は簡易な仕組みといえる。ただそれを分かりにくく中身を分類し繋がっている項目を遠くへ配置したり特別会計への支出金としてブラックボックスにしたり、増築に増築を重ねた老舗旅館のように官僚がいかに分かりにくいものに仕上げたか苦労のほどが忍ばれる。


 


 そろそろ奇妙な理屈をいうのをやめて、公会計を企業会計原則の適用される複式簿記に切り替えてはどうだろうか。そうすると総額主義の原則が適用されて特別会計に仕分ける不合理は解消され、一つの会計報告書に凝縮されることになる。地方自治体も支店会計を採用すれば全国の公的会計が一つの企業会計報告書の様式に納まることになる。


 


 優秀な官僚がこうしたことを考えなかったわけがないだろう。企業会計には他にも継続性の原則や公開性の原則など企業経営者には厳しい会計原則を守らなければならない義務が課されている。それを嫌がっているのではないかと思われるが、民間には厳しく申告納付を指導している全国税務署の調査官がシステム構築に参加すれば数年もかからず出来上がるはずだ。


 しかも企業会計が優れているのはシステムとしてソフトが存在することだ。IT化も直ちに行え、全面公開も可能になる。マニフェストの精度も格段に上がるし、無責任な財源なき政策は姿を消すだろう。仮払金も清算されるまで会計に仮勘定として残ることになり不当な裏金作りも困難になる。


 


 せめて民間企業並みにすることから、まずは官僚が企業会計を官にも導入して、官庁そのものを身ぎれいにすることが必要ではないだろうか。



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