物分りの良い国民だな。
消費税を10%に増税する、という自民と民主の話に国民の52%もが理解すると是認の方向だという。何とも物分りの良い国民で官僚は歳出削減努力をする必要はなくなった。これまで通り使いたい放題使って天下り先を肥やし、不必要になった機関も仕分けられるまで存続させて余剰公務員を抱え込んだままで問題なくなった。
分からないのなら分からないとなぜ政治家は言わないのだろうか。現在の歳入歳出項目が遠く離れた予算書でとりわけ特別会計へは拠出金とか負担金という項目で巨額な金額が一ヶ所出ているだけだ。その先に広がる特別会計の荒野は特別に求めない限り国会議員の目には触れない。それなら「分からない」と言わなければならない。何を審議せよというのか、と昔の電話帳よりも分厚い予算書を突き返せばよいのだ。
ことさら単純な単式簿記を増改築を繰り返した老舗旅館さながら迷路のように作り上げて官僚は内心で「分かるまい」とほくそ笑みながら政治家に予算書(案)を渡している。それなら誰もが分かるように会計様式を変えれば良い。かつての大福帳のような前近代的な会計様式を踏襲するのはなぜなのか。
税を負担する国民の誰もが予算と決算の詳細についてネットで閲覧できるようにすべきだ。そうすれば道路一㎡をアスファルトで舗装する価格が民間とは比較にならないほど高額なのに唖然とするだろう。公共事業のハコモノ建築費が異常に高額なのにも、議員のチェックが働いているのか疑問に思うだろう。
官僚が自分たちのポケットから出すのではない、税として集めた国債を印刷して集めたその年度に使い切らなければならない数字として彼らは見ているに過ぎない。もちろん原価意識も働かない。改善意識はさらに働かない。事業成果が当初の能力と効果を発揮するかも関心事にない。そもそも使い切るのが仕事なのだ。
物分りの良い国民は高価格体質の公共事業にチェックの働かない、平均落札率が95%を超えていても検察も会計検査院も問題にしないことに無関心のようだ。すべては一分の誤りもなく公正・公平な入札とみなしているのだろう。
国民は構造的な談合と汚職体質の公務員に無批判だ。検察にも裏金という公金横領が存在しているのだから、国民が目ぐじらを立てても仕方のないことかもしれないが。
裏金の発覚により仲間の検察官か事務官が逮捕起訴されたと寡聞にして知らない。小沢氏の記載時期を問題としている不動産購入金額よりはるかに多額な裏金が大阪地検で見つかった件、あれはどうなったのだろうか。泥棒に向かって吠えない番犬どころか仲間で勝手に税を食べている人たちを検察庁に置いておく必要があるのだろうか。