国会は言論の府ではなかったか。
明日(6/16)で国会は閉会となり、いよいよ参議院選挙に向けて選挙戦が展開されるという。鳩山政権退陣の後を受けて菅内閣が成立し、菅首相が施政方針演説を衆議院と参議院で行いそれに対して代表質問を行ってすぐに閉会というのでは論戦を尽くしたとはいえないだろう。出来る限り延長して予算委員会などで菅内閣の施政方針を質し、国民に判断材料を充分とはいえないまでも提供して選挙を行うべきではなかっただろうか。内閣支持率の高いうちに選挙をしたいという誘惑にかられ、言論よりも選挙を選択したとしたら国会の責任放棄ではないだろうか。
この国の政治は大マスコミによって毎週のように繰り返される世論に翻弄され世論至上主義に陥ったかのようだ。世論調査による支持率の数字によっては首相や幹事長の首のすげ替えだけでなく、政治日程までもすべて大マスコミの実施する世論調査結果を横睨みで決められているかのようだ。それがどれほどこの国の政治を歪めていることか暗澹たる気持ちになる。
東京地検特捜部が政局に手を突っ込んでこの国の政治を真っ当な姿から歪めてしまった罪は余りに大きいが、それに加担して連日検察リーク情報をタレ流し世論操作に一役買った大マスコミもこの国のジャーナリズムをどれほど毀損したことか、今はうまく国民世論を騙せてもやがて歴史の厳しい批判を受けるだろう。
民主党がどのような政策で国民の支持を得て政権党となったか、本質を忘れて陽炎のような世論におもねては政権運営する政治家の価値も陽炎のように時の推移とともに消えてしまう程度のものだ。菅首相は取り巻きがすぐに選挙に突入すべきと進言しても「国会は言論の府である」と毅然として突き返すべきだった。それが出来なかった首相はその程度の首相として歴史に名を刻む運命でしかないだろう。