自虐的行為に満足する愚かな政治家たち。
彼らが貶めているのは彼ら自身だけではなく、過去の偉大な先人たちと未来の日本国民をも貶めている。なぜいつまでも馬鹿げた文言を弄して自分たちだけが「解っている」ような顔をするのだろうか。 世の中にはポーズだけで生きている人たちもいる。舞台への恰好良い登場の仕方や、気の利いたステップを見せればそれだけで人格も含めてすべて「良い人」たちだと思われる世界がある。いうまでもなく芸能人のことだ。確かに人格的に素晴らしい人たちも多くいるが、芸能とはそうしたもので、恰好良い立ち居振る舞いを表現するのが職業だ。それを見て感激するのはあくまでも舞台の上と観客席という設定の中での話だ。 映像メディアが普及して政治家も恰好良さを求められる時代になった。若くイケメンであればそれほど苦労しなくても当選できる時代だ。あるいはスポーツ選手や芸能人として顔を売っていれば有権者に顔と名前を浸透させるのにそれほど苦労することはない。 皿に盛ったカイワレダイコンを大口で食って見せたパフォーマンスで評判を取った菅氏はパフォーマンスの影響力を認識して政治家としての研鑽よりも自身の売り方を研究してきたのかもしれない。そうだとすれば大手マスコミにとってこれほど扱いやすい人物はいない。この国の映像メディアの大部分は大手マスコミが牛耳っているからだ。 隣国に謝るのはいい加減よしたらどうだろう。帝国主義が常識だった時代で日本が領土拡張膨張主義に走ったとしてどんな責任があるというのだろうか。清国に最初に手をつけたのは英国や仏国や蘭国などの西洋列強でやや遅れて米国も乗り出し、日本はうんと遅れて乗り出した。そして第二次世界大戦以前のアジアで独立を保っていたのはタイと日本だけだった。 そして現代においても侵略膨張主義を信奉して他国へ大きな顔をしてのさばっている国々が隣国にある。ことに中国はあからさまな膨張主義で東南アジア諸国やインドや露国や日本に対しても独善的な領土問題を引き起こしている。そうした国々に対して帝国主義時代の残滓について謝り続けるのは日本だけだ。欧米列強は「宗主国」としていまだに一定の影響力を発揮している。頭を下げて謝れば頭の上を相手の怒りが通り過ぎていく、と考えるのは世界の非常識だ。自己主張だけが生き延びる術であり、協調は自己主張のぶつかりあった後のことだ。 ...