戦記物の危うさ。

 日本人の戦記を著したものには大きく分けて二種類ある。一つは被害者としての立場から記したもので「かくも悲惨な戦争は二度とあってはならない」という類のものだ。あと一つは軍記物として当時の世界情勢分析と軍事力の比較に基づく敗因分析だ。


 


 前者のものは戦後の日本の書店に溢れかえった。進歩的文化人と称する人たちも「二度と戦争は致しません」というわけの分からない宣言を折に触れて幾度も世界に発信している。しかしそれで世界から戦争が絶えたことはない。


 


 後者のものは長く出版社から敬遠され、なかなか日本の視点による防衛白書的なものは出なかった。どの戦争でも後世に残るのは「勝者の軍記物」だ。


 


 しかし日本の将来を考えるのなら、敗者の軍記物こそ出すべきだ。1956年にマッカーサーは米国議会で証言している。「戦前の日本の立場に私が立てば、やはり戦争を選択したでしょう」と。つまり日本だけが悪いから戦争をしたのではない。日本を追い詰めた米国も悪かったと言っているのだ。


 


 なぜ日本は太平洋戦争で負けたのか、いや負けると分かっている戦争を始めたのか、と言う方が正しいかも知れない。そのことをきっちりと検証しなければならないし、無駄な反省は繰り返さないことだ。世界はパワーゲームで動いている。情緒的・感情的な感覚で戦争を語ってはならない。


 


 現在も日本は占領下にある。「何を言うか、サンフランス条約により日本は独立国家になったではないか」という御仁がいれば、日本国内の米軍基地一つ日本の首相の判断で動かせないで何が独立国だと問いたい。


 日米安保で米軍に守ってもらっているからだ、というのなら10ヶ条しかない日米安保条約を精読することだ。日本が攻撃された場合に米軍は自動的に日本在住の米国民は守るが、日本を守る仕掛けになってはいない。


 


 日米安保により日本が守られている、という幻想を捨てることだ。米軍は米国人と米国を守るために日本に駐留している。たとえば中国が日本に進攻した場合、米軍が日本を守らない場合も十分に考えられる。米国債の最大の保有国は中国だ。中国の手に米ドルの運命は握られてしまっている。だからオバマは米国を訪問した胡耀邦を手厚く持て成したのだ。鳩山氏とは昼食の合間に10分間だけおざなりに耳を傾けただけだったが。


 


 いつまでも過去を振り返って「可哀想だった。健気だった」と感傷に浸ることはそろそろ止めよう。この国を独立国家として世界に通用する国家にすべく、今を生きる国民は責任を持とう。まずはこの国は日本国民が守る、という世界では当たり前の自覚をこの国の国民は持つことだ。



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