テンポののろい災害復旧。
福島第一原子力発電所の炉内へ注ぐ真水を台船に積載して船で曳航するという。海に面した場所なら当然そうすべきだ。津波被害に遭ったからと「熱さに懲りてナマスを吹く」ようなことがあってはならない。
被災者支援も海を積極的に利用すべきだろう。船で物資を運んでヘリコプターで陸揚げするのなら埠頭が破壊されていても問題ない。長距離・長時間移動に適さないヘリコプターでも船と陸の間ならいくらでも往復できる。自衛隊にそうしたヘリを備えた艦船があるはずだ。
民主党と自民党の幹部が大災害や原発事故などに関して意見交換したようだが、官僚に毒された連中が集まって話しても碌なことはない。彼らは地元から上がってくる要望に沿って予算をつければ良いだけだ。
官僚は絶えず「焼け太り」を画策すると心しておかなければならない。このような甚大な災害に直面しても、彼らは深謀遠慮の官僚所属省庁の権限をいかにしたら拡大できるか、いかにしたら多くの災害復興予算を自分たちの「制度事業」の中に取り込めるか、を考えている。
予算はつけたが余り効果がない、というのが官僚の仕事の真骨頂だ。その仕事を装飾するために御用学者や幇間評論家を「学識経験者」として審議会などの民主的お飾りに利用する。
さて、官僚の下請けに堕した菅政権がどのような災害復興策を提示するか、国民はよくよく用心することだ。ロッカーの中に仕舞い込まれていたかつての大型公共事業を登板させて日の目を見せる好機と捉えて埃を払って持ち出しかねない。彼らの執念深さを用心することだ。
災害復興予算の実施はあらゆる利権や紐付き団体を排した、地方自治体への直接支給とすべきだ。地方が自分たちで考え、地域住民の意見も取り入れ、そして従来にないカタチの新しい町を建設することだ。なぜならこれまでの津波と対峙する発想で町を破壊され多くの人命を失ってしまったからだ。これからは津波は来るものだが、その際には津波シェルターに逃げ込めば良い、とする町を作ることだろう。
福島原発はまだ予断を許さない状態にあるようだが、現場で多くの人たちが決死の努力を続けている。それは文字通り決死の努力で、この狭い国土に53ヶ所もの原発を容認してきたかつての政府自民党と官僚たちは安全地帯に逃げ込んで首を竦めている。「安全だ」と繰り返し広報した大手マスコミも全国各地に作ってしまった原発の撤退手順すら示していない。それどころか「それでも原発は必要だ」とほざく評論家をテレビ出演させている。東電も「原発が止まれば計画停電で大変だぞ」と利用者に脅しをかけている。本当に「計画停電」が必要なのなら、東電の部長級以上は全員クビだ。その程度の企業経営しかできなかったのなら、彼らの経営手腕は猿にでも勤まる水準だ。貴重な電力会社を任せるわけにはいかないのは当然のことだ。東電の利用者が集団訴訟を起こしたら損害賠償金は莫大な額になるだろう。
原発が有利な発電方法だとしても、福島原発の保障ですべて吹っ飛ぶだろう。東電は東電の責任で支払うべきだ。断じて国が税金で面倒を見てはならない。そして潰れるのなら潰した上で東電の再建を経済界で考えれば良いことだ。経営原則に反する「国による救済」が碌な結果をもたらさないのはJALで経験したはずだ。無能なのは社長や幹部もだが、社員のある程度以上の責任者もだという実態を忘れてはならない。