予算成立は国会の責任だ。

 なぜ国会が三権の最高の府とされているのか。それは予算を握っているからだ。予算案を提出して成立させる権能は国会にしかない。ただこの場合の予算には予算関連法案も含められる。それによって、より具体的に国会の意思が示されるのだ。


 


 日付が変わった今日、深夜国会で予算案が衆議院を通過したが、関連法案の成立の目途はないという。昨年7月の参議院選挙で民主党が大敗してネジレ国会となってから半年以上、菅政権はどのような「ネジレ」解消の努力を行ったのだろうか。フラレ男が次々と別の女に声をかけるように、菅政権はプレイボーイさながらの軽いノリで野党に声をかけまくった。国会は真夏の砂浜でもあるまいに、その軽さに国民は唖然としたものだ。


 


 そして今ではチキンレースを演じている。担保は国民生活だという。公務員給与はちゃっかり確保して、民生用の支出に皺寄せをするという。そんなことを許す菅政権もだが、野党も野党だ。


 国会は三権の長として行政と司法の上に君臨しているはずだ。それが憲法の定めだが、どうやら現実では国会は最低の府で、行政と司法の下請けになっているようだ。その実行担保は国民だという。これほどバカにした話はない。


 


 どうやったら官僚は目覚めるのだろうか。自民党も公明党も、そしていま民主党も官僚に政治を丸投げしている。ただ手続き面だけで面子をかけて牙を剥きあっているだけだ。その泥臭い猿芝居をマスコミは報じて馬鹿なコメンテータが「政治は何をやっているのでしょうか」と嘆いて見せる。すると思考停止状態の国民はテレビ世論を真に受けて「日本の政治家はダメなんだ」と政治への信頼を喪失する。それは官僚にとってこの上なく好ましい状況だ。どんなに酷い政治が展開されようと、すべて責任は政治家へ転嫁されるのだ。


 


 政治家は選挙で当選するまではただの国民の一人だ。あるいはサラリーマンだったりお笑い芸人であったり、オリンピック選手であったり、と。だからまともに行政職や司法職の官僚とやり合えば赤子のようなものだ。


 しかし法には公務員は国民の下僕と定めている。国会議員を官僚は馬鹿にしたり、下請けに使ったりしてはいけないのだ。国会議員の理念を汲み取って具体的な政策にするのが使命だ。ゆめゆめ自分たちの理念を政策化し予算化して与野党国会議員同士を対立させて国会の権威を地に落してはならない。


 


 それにしても国会議員の資質を有権者たる国民はもっと見極めよう。大手マスコミが〇印をつけていた菅氏がこの程度の政治家で、大手マスコミが目の仇にして×をつけてきた小沢氏が実は最も国民のためになる政治家だということに、そろそろ気づいても良いはずだが、いつまでもテレビの報道番組が誘導するプロパガンダが見抜けないまま徒に小沢氏を非難して愚かな国会の惨状を寄席見物のように傍観するのだろうか。



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