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玉木氏よ、権勢欲ボケして安易に妥協しないことだ。

< 石破総理の「居座り」  石破茂「死に体」政権の命運を握るのは、国民民主党(玉木雄一郎代表)との「部分連合(パーシャル連合)」交渉の成否にある―。  その前に第50回衆院選の結果だ。正直言って、ここまで与党の自民、公明両党に対する国民の批判が強いとは思わなかった。10月27日の投開票で自民党は公示前247議席から56減の191議席、公明党の公示前32議席は8減の24議席、両党合わせて215議席で定数465の過半数233に18議席足りない。  一方の野党は、立憲民主党:公示前98議席が50増の148議席、日本維新の会:44議席が6減の38議席、共産党:10議席が2減の8議席、国民民主党:7議席が4倍増の28議席、れいわ新選組:3議席が6増の9議席、社民党:増減無しの1議席、参政党:1議席が2増の3議席、諸派:3議席、無所属:11減の12議席だった。  自民の大敗と、立民、国民の大躍進が際立った。今や自民党全滅危惧種である「党人派」のディールメイカー(交渉人)で知られる森山裕幹事長は余人をもって代えがたいとして、続投が早々と決まった。  一方、小泉進次郎選対委員長は石破総裁に辞表を提出・受理された。党4役で唯ひとり責任を取った。  肝心の石破首相は公約した2024年度大型補正予算策定、25年度政府予算案編成、立て込んだ外交日程(11月15~16日の南米ペルーでのアジア太平洋経済協力首脳会議と18~19日のブラジルでの主要・地域20ヵ国首脳会議出席)を理由に続投を言明した。要するに「居座った」のだ。 さすがにNHK  本来であれば、総選挙最終盤に「自公で過半数届かず」報道が先行していたこともあり、27日深夜に与党惨敗が判明するや石破執行部は批判の集中砲火を浴びて「石破降ろし」の動きが顕在化してもおかしくなかった。  事実、選挙期間中から麻生太郎最高顧問が茂木敏充前幹事長と共に、改めて高市早苗前経済安全保障相を担ぐのではないかと取り沙汰されていた。  投票日前夜、永田町関係者の一部で立憲民主党が比較第1党の座を自民党に取って代わるのとの見方が流布された。実際、筆者の元に投票日早朝「NHK分析(27日朝)自民:最大値134+57=191、最小値98+57=155」という驚愕の数字がメールで届いた。選挙終盤戦になると情報戦の様相を呈していたので、「まさかそこまで行くまい」と思

独裁国家では軍隊は独裁者の玩具なのか。

< ロシア兵に偽装する北朝鮮兵士  金正恩氏は、北朝鮮の特殊部隊約1500人をロシア海軍の揚陸艦でウラジオストックに送るに先立ち、特殊部隊の訓練を視察していた。国情院が10月18日に公開した報道資料は、その背景を次のように記している。  「金正恩は先月11日と今月2日、派兵に先立ち特殊部隊を2回視察した。 北朝鮮軍はロシアの軍服とロシア製兵器を支給され、北朝鮮人と似た容貌をもつシベリアのヤクーチア地域、ブリヤート地域の住民に偽装する身分証明書も発給された。戦線への投入の事実を隠すため、ロシア軍に偽装したものとみられる。」  広大な国土をもつロシアは多民族国家で、その民族数は182に上る。もちろん、ロシア軍も多民族で構成されるので、北朝鮮人と似たヤクート人(広義のトルコ系)やブリヤート人(モンゴル系)の将兵も存在する。そんな中で、北朝鮮将兵がロシア軍の姿で現れたら、誰も北朝鮮軍が来たとは思わないだろう。  ロシア、北朝鮮のどちらが考えたことなのかわからないが、これを認めた金正恩氏は自国の将兵を極めて危険な目にあわせることになり、その罪は重いと言わざるを得ない。  ある国の軍隊が別の国の軍隊に偽装することは、ジュネーブ条約が禁止する「背信行為」に該当する。背信行為とは、「(略)紛争当事者でない国の標章又は制服を使用して、保護されている地位を装うこと」などを指す。  厳密な条約の解釈は専門家に任せるが、仮に北朝鮮特殊部隊の将兵がウクライナ軍に捕まった場合、「捕虜」として扱われず、「傭兵」か最悪の場合は「間諜(スパイ)」として扱われるおそれがある。  この差はとても大きく、捕虜であれば人道的に処遇されるが、傭兵やスパイは抑留国の法律で訴追される。ウクライナは死刑を廃止しているので殺されることはないが、重罪に処され、北朝鮮に帰国できなくなる可能性がある。  筆者は、別の記事でウクライナに派兵される北朝鮮工兵部隊のある将校の話として、「ウクライナへの派遣は秘密裏に行われるため、戦死すると家族には病死と告げられ、遺体や遺骨も戻されない」と紹介した。  この工兵部隊が国境の街に現れたのは8月末のこと。工兵部隊は特殊部隊が戦線に到着する前に陣地構築などのために投入されたのかもしれない。その最中、ロシアとウクライナの国境付近で、北朝鮮兵士18人が集団脱走したと報じられた。彼らは未だ拘束