トランプ氏が調停するウクライナ戦争停止は「停戦合意と和平合意」を使い分けるのか。
<トランプ大統領就任前に必要な心と知識の準備
アメリカの次期大統領がトランプ氏に決まった。移民政策など内政も変わるが、外交政策も大きく変更となる。特に注目を集めているのは、アメリカのウクライナに対する政策だ。ただこれについては、期待や憶測から生じる混乱も見られる。
典型的な混乱の例が、ポンペオ前国務長官への注目だ。ポンペオ氏は、ウクライナへの支援をさらに強化してロシアを駆逐すべきだ、という主張をして、主要メディアに注目されていた。第二次トランプ政権の外交政策の「暴走」を止めてくれる「トランプ氏に近い人物」として、もてはやされたのだ。だが結局は、ポンペオ氏の入閣は、トランプ氏自身によって否定された。そもそもトランプ氏自身が、ポンペオ氏を重用する趣旨の意図や行動を示したことはなかった。ポンペオ氏への注目は、本人の猟官活動に、メディアや言論人が相乗りして、自作自演で盛り上げていただけだったのである。
トランプ氏が、世界の超大国の一つであるアメリカ合衆国の大統領に就任することは、確定した事実だ。好むと好まざるとにかかわらず、あるいは肯定的に捉えるか否定的に捉えるかにかかわらず、この新しい現実から目を逸らすことは、国際情勢の分析そのものを放棄することに等しい。ましてアメリカは日本の唯一の軍事同盟国である。トランプ氏を無視したり、誤解したり、小馬鹿にしたりすることは、日本にとっては特に、多大な危険を伴う。
トランプ氏の就任前に、これまで暗黙の前提としていた常識を見直し、心と知識の準備をしておく必要がある。まずウクライナ政府を題材にして、思い込みを正すことについて考えてみたい。
アメリカの次期大統領がトランプ氏に決まった。移民政策など内政も変わるが、外交政策も大きく変更となる。特に注目を集めているのは、アメリカのウクライナに対する政策だ。ただこれについては、期待や憶測から生じる混乱も見られる。
典型的な混乱の例が、ポンペオ前国務長官への注目だ。ポンペオ氏は、ウクライナへの支援をさらに強化してロシアを駆逐すべきだ、という主張をして、主要メディアに注目されていた。第二次トランプ政権の外交政策の「暴走」を止めてくれる「トランプ氏に近い人物」として、もてはやされたのだ。だが結局は、ポンペオ氏の入閣は、トランプ氏自身によって否定された。そもそもトランプ氏自身が、ポンペオ氏を重用する趣旨の意図や行動を示したことはなかった。ポンペオ氏への注目は、本人の猟官活動に、メディアや言論人が相乗りして、自作自演で盛り上げていただけだったのである。
トランプ氏が、世界の超大国の一つであるアメリカ合衆国の大統領に就任することは、確定した事実だ。好むと好まざるとにかかわらず、あるいは肯定的に捉えるか否定的に捉えるかにかかわらず、この新しい現実から目を逸らすことは、国際情勢の分析そのものを放棄することに等しい。ましてアメリカは日本の唯一の軍事同盟国である。トランプ氏を無視したり、誤解したり、小馬鹿にしたりすることは、日本にとっては特に、多大な危険を伴う。
トランプ氏の就任前に、これまで暗黙の前提としていた常識を見直し、心と知識の準備をしておく必要がある。まずウクライナ政府を題材にして、思い込みを正すことについて考えてみたい。
トランプ氏はウクライナを見捨ているとは言っていない
巷では、トランプ氏はウクライナを見捨てるか、といった切り口で話題が作られがちである。トランプ氏は本当にウクライナを見捨てる、いやそれはさすがにできないのではないか、といった見方で、憶測が飛び交っている。
だがトランプ氏は、ウクライナを見捨てる、とは言っていない。選挙戦中にゼレンスキー大統領と会ったときも、むしろ「人が死に過ぎている」と述べる憐憫の念を基調にしながら、ウクライナ政府と協力していく姿勢を見せた。
トランプ氏は、ウクライナの未来を思えば、できるだけ早く戦争を止めたほうがいい、という立場である。ウクライナを見捨てたい、という立場ではない。
現在、ロシア軍は、急速に支配地を広げている。今年8月にウクライナがクルスク侵攻という合理性のない作戦を遂行してから、戦局はウクライナに不利な形で進んでいる。戦争を続ければ続けるほど、不利になっていくのは、ウクライナの方である。その状況の中で、一刻も早く停戦を実現したほうがいい、と助言する者がいたとしても、それは必ずしもその人物がウクライナに対して悪意を持っているからだとは限らない。ただゼレンスキー大統領の意見と違うだけだ。むしろ客観的に見れば、早期停戦の実現は、ウクライナの利益である。
実業家のトランプ氏は、イデオロギーを軽視し、実利を求める性癖を強く持っている。「国際秩序のためにウクライナは勝たなければならない」、「民主主義と権威主義の戦いでウクライナは勝たなければならない」といったイデオロギー的・感情的な主張に、トランプ氏は冷淡だ。そのため、これ以上のウクライナの戦争継続努力への支援は、アメリカの国益にとっても合理的ではない、と判断している。だがそれは「ウクライナを見捨てる」ことと同じではない。3年近くにわたって続く戦争の悲惨な現実を見て、戦争継続以外の選択肢を認めない立場をとらないだけだ。
もし本当にトランプ氏がウクライナを見捨てたいのであれば、ただ単にウクライナへの支援を停止し、欧州と関わること自体を拒絶するだけだろう。停戦に向けた外交努力を行うと公言しているのは、「見捨てる」どころか、多大な外交努力を払うという宣言であり、むしろ良心的な対応であるとすら言える。
ウクライナ国内でも、停戦交渉をするべきだ、という意見がすでに過半数を超えている、という調査結果もある。戦況を敏感に感じ取っているウクライナの人々の気持ちも、過去一年ほどで大きく変わっている。ただ単にゼレンスキー大統領の主張に同調せず停戦を語っている、という理由だけで、「トランプ氏はウクライナを見捨てる」、と騒ぎ立てるのは、現実に即した態度とは言えない。
巷では、トランプ氏はウクライナを見捨てるか、といった切り口で話題が作られがちである。トランプ氏は本当にウクライナを見捨てる、いやそれはさすがにできないのではないか、といった見方で、憶測が飛び交っている。
だがトランプ氏は、ウクライナを見捨てる、とは言っていない。選挙戦中にゼレンスキー大統領と会ったときも、むしろ「人が死に過ぎている」と述べる憐憫の念を基調にしながら、ウクライナ政府と協力していく姿勢を見せた。
トランプ氏は、ウクライナの未来を思えば、できるだけ早く戦争を止めたほうがいい、という立場である。ウクライナを見捨てたい、という立場ではない。
現在、ロシア軍は、急速に支配地を広げている。今年8月にウクライナがクルスク侵攻という合理性のない作戦を遂行してから、戦局はウクライナに不利な形で進んでいる。戦争を続ければ続けるほど、不利になっていくのは、ウクライナの方である。その状況の中で、一刻も早く停戦を実現したほうがいい、と助言する者がいたとしても、それは必ずしもその人物がウクライナに対して悪意を持っているからだとは限らない。ただゼレンスキー大統領の意見と違うだけだ。むしろ客観的に見れば、早期停戦の実現は、ウクライナの利益である。
実業家のトランプ氏は、イデオロギーを軽視し、実利を求める性癖を強く持っている。「国際秩序のためにウクライナは勝たなければならない」、「民主主義と権威主義の戦いでウクライナは勝たなければならない」といったイデオロギー的・感情的な主張に、トランプ氏は冷淡だ。そのため、これ以上のウクライナの戦争継続努力への支援は、アメリカの国益にとっても合理的ではない、と判断している。だがそれは「ウクライナを見捨てる」ことと同じではない。3年近くにわたって続く戦争の悲惨な現実を見て、戦争継続以外の選択肢を認めない立場をとらないだけだ。
もし本当にトランプ氏がウクライナを見捨てたいのであれば、ただ単にウクライナへの支援を停止し、欧州と関わること自体を拒絶するだけだろう。停戦に向けた外交努力を行うと公言しているのは、「見捨てる」どころか、多大な外交努力を払うという宣言であり、むしろ良心的な対応であるとすら言える。
ウクライナ国内でも、停戦交渉をするべきだ、という意見がすでに過半数を超えている、という調査結果もある。戦況を敏感に感じ取っているウクライナの人々の気持ちも、過去一年ほどで大きく変わっている。ただ単にゼレンスキー大統領の主張に同調せず停戦を語っている、という理由だけで、「トランプ氏はウクライナを見捨てる」、と騒ぎ立てるのは、現実に即した態度とは言えない。
トランプ氏はウクライナの安全保証を放棄するとは言っていない
ゼレンスキー支持派は、しばしばロシアは約束を守らないので、戦争を止めるのは危険だ、と主張している。これは、ウクライナの領土を全て奪還するまで戦争を継続すべきだ、という主張として理解されている。ただしこのゼレンスキー支持派の主張は、論理的には成立していない。
もしロシアが約束を守らないことが停戦できないことの理由であるならば、領土の奪還の範囲は、停戦とは無関係である。なぜならウクライナが全ての領土を奪還した後であっても、やはりロシアは約束を守らないはずだからである。ウクライナの主張が正しければ、領土の完全奪還後も、停戦は成り立たない。領土奪還後も、なお戦争を続けなければならない。
そうなると、ウクライナは、ロシア全土を征服するのでなければ、少なくともモスクワを陥落してプーチン政権を崩壊させるまでは、戦争は終わらない。
果たしてゼレンスキー大統領支持派は、モスクワ陥落を現実的な可能性がある政策目標として掲げているだろうか。むしろ全く反対に、なぜか都合よく、領土の奪還さえ果たせば、プーチン大統領が急に豹変して約束を守る人物に生まれ変わる、などと仮定していないだろうか。
もちろんその都合のよい仮定がなければ、モスクワ陥落以外には、戦争を終わりにする方法はないことになる。ところが、言うまでもなく、領土の奪還だけでも現実的には極めて達成困難な目標である。モスクワ陥落は、さらに難易度の高い目標である。しかも、繰り返すが、今はむしろ、ロシア軍のほうが急速に支配地を広げているのが、現実である。
停戦と、領土の奪還は、基本的に別次元の問題である。停戦合意は、双方の紛争当事者が、戦争の見込みに限界を感じたときに、達成される。それを維持するのは、抑止体制の整備の度合いである。力の均衡が確保されるとき、停戦は維持される。お互いの口約束の美しさによって停戦が維持されるのではない。
停戦合意が成立する条件は、力の均衡による停戦の維持の可能性の計算にかかっている。プーチン大統領が信用できる人物であるかどうか、という問いとは、無関係である。領土を全て奪還することさえできたら、急にプーチンが約束を守る人物に豹変する、という無根拠な期待とも、全く関係がない。
停戦は、再侵攻を抑止する体制を継続させる仕組みによって、成立する。領土の奪還によって、停戦が可能になるのではない。領土をどこまで奪還するかに関わらず、力の均衡が図られ、抑止体制が整備されるとき、停戦は維持される。朝鮮半島、インドとパキスタンの間のカシミール、ギリシアとトルコの間のキプロスなどの長期に渡る停戦の維持が指し示すように、相互の抑止体制が確保されれば、領土問題の解決とは無関係に、停戦は維持される。
ゼレンスキー支持派は、しばしばロシアは約束を守らないので、戦争を止めるのは危険だ、と主張している。これは、ウクライナの領土を全て奪還するまで戦争を継続すべきだ、という主張として理解されている。ただしこのゼレンスキー支持派の主張は、論理的には成立していない。
もしロシアが約束を守らないことが停戦できないことの理由であるならば、領土の奪還の範囲は、停戦とは無関係である。なぜならウクライナが全ての領土を奪還した後であっても、やはりロシアは約束を守らないはずだからである。ウクライナの主張が正しければ、領土の完全奪還後も、停戦は成り立たない。領土奪還後も、なお戦争を続けなければならない。
そうなると、ウクライナは、ロシア全土を征服するのでなければ、少なくともモスクワを陥落してプーチン政権を崩壊させるまでは、戦争は終わらない。
果たしてゼレンスキー大統領支持派は、モスクワ陥落を現実的な可能性がある政策目標として掲げているだろうか。むしろ全く反対に、なぜか都合よく、領土の奪還さえ果たせば、プーチン大統領が急に豹変して約束を守る人物に生まれ変わる、などと仮定していないだろうか。
もちろんその都合のよい仮定がなければ、モスクワ陥落以外には、戦争を終わりにする方法はないことになる。ところが、言うまでもなく、領土の奪還だけでも現実的には極めて達成困難な目標である。モスクワ陥落は、さらに難易度の高い目標である。しかも、繰り返すが、今はむしろ、ロシア軍のほうが急速に支配地を広げているのが、現実である。
停戦と、領土の奪還は、基本的に別次元の問題である。停戦合意は、双方の紛争当事者が、戦争の見込みに限界を感じたときに、達成される。それを維持するのは、抑止体制の整備の度合いである。力の均衡が確保されるとき、停戦は維持される。お互いの口約束の美しさによって停戦が維持されるのではない。
停戦合意が成立する条件は、力の均衡による停戦の維持の可能性の計算にかかっている。プーチン大統領が信用できる人物であるかどうか、という問いとは、無関係である。領土を全て奪還することさえできたら、急にプーチンが約束を守る人物に豹変する、という無根拠な期待とも、全く関係がない。
停戦は、再侵攻を抑止する体制を継続させる仕組みによって、成立する。領土の奪還によって、停戦が可能になるのではない。領土をどこまで奪還するかに関わらず、力の均衡が図られ、抑止体制が整備されるとき、停戦は維持される。朝鮮半島、インドとパキスタンの間のカシミール、ギリシアとトルコの間のキプロスなどの長期に渡る停戦の維持が指し示すように、相互の抑止体制が確保されれば、領土問題の解決とは無関係に、停戦は維持される。
停戦を維持する仕組みとは、安全保障の政策体系のことである。
トランプ氏の周辺からは、停戦合意によって緩衝地帯を設置する、そしてその緩衝地帯を含めたウクライナの安全保証の措置は欧州諸国に担ってもらう、という考え方が、示唆されてきている。限定的な欧州諸国の関与だけでは物足りないが、アメリカの継続的な支援に強化されたウクライナ軍が存在している場合には、ロシアとの間の一定の力の均衡は確保できるかもしれない。
いずれにせよ、停戦の可能性を追求することは、安全保障の仕組みを追求することと同じである。逆に言えば、領土の完全奪還やモスクワ陥落を追求することは、単に停戦の可能性の拒絶を意味するだけではなく、継続的な安全保障の仕組みの構築をする努力の拒絶につながりかねない破滅的な態度である。
トランプ氏の周辺からは、停戦合意によって緩衝地帯を設置する、そしてその緩衝地帯を含めたウクライナの安全保証の措置は欧州諸国に担ってもらう、という考え方が、示唆されてきている。限定的な欧州諸国の関与だけでは物足りないが、アメリカの継続的な支援に強化されたウクライナ軍が存在している場合には、ロシアとの間の一定の力の均衡は確保できるかもしれない。
いずれにせよ、停戦の可能性を追求することは、安全保障の仕組みを追求することと同じである。逆に言えば、領土の完全奪還やモスクワ陥落を追求することは、単に停戦の可能性の拒絶を意味するだけではなく、継続的な安全保障の仕組みの構築をする努力の拒絶につながりかねない破滅的な態度である。
トランプ氏は領土の放棄を宣言せよとは言っていない
世界の常識として、停戦合意(ceasefire agreement)は、和平合意(peace agreement)とは違う。停戦とは、法的・政治的解決が果たされる前でも、戦闘行為の停止について紛争当事者が合意したときに、生まれる。上述の朝鮮半島、カシミール、キプロスなどの事例では、和平合意がないまま、長期にわたって停戦合意の効力が続いている。日本の場合で言えば、講和条約を締結していないロシアとの間であっても、ポツダム宣言受諾から停戦が続いている。法的・政治的な解決について合意できない紛争当事者であっても、戦争の停止という点においては、合意できる場合がある。法的・政治的解決も図るのが、和平合意であり、戦闘状態の停止が、停戦合意だ。
トランプ氏が実現を模索しているのは、あくまでも停戦合意である。停戦したからといって、ウクライナが領土の放棄を宣言しなければならないわけではない。したがってトランプ氏も、ウクライナが領土を放棄する宣言が必要だ、とは言っていない。本来、領土問題は、政治的に解決すべき事柄だ。実力で領土を奪還する前に、戦争を停止したからといって、自動的に領土の放棄を意味するわけではない。停戦合意を模索する、というのは、そういうことである。
正当な自衛権の行使をしている当事者も、戦争の負担が大きすぎれば、停戦に合意してもいい。自衛権行使の合法性は、停戦合意をしてはいけない理由などにはならない。占領の違法を訴える当事者も、当面の戦争の継続を避けるための停戦に合意してもいい。ガザ危機をめぐって、世界の圧倒的多数の諸国が、イスラエルの占領の違法性を認めながら、停戦を支持している。もし停戦してしまったら占領の合法性を認めることになってしまう、などとは、どの国も考えていない。
上述のように、政治的解決が図れない段階であっても、紛争当事者が停戦にだけは合意した実例は、世界に多々ある。というか、それが標準である。欧州人は、キプロスで、数十年にわたって政治合意のない停戦合意を運営している。ボスニア・ヘルツェゴビアでは、1995年のデイトン合意によって停戦が果たされたが、その履行プロセスは30年近くたって、まだ終了していない。デイトン合意履行を確証するために強権を発動することができる「上級代表(High Representative)」は、一貫して欧州人が務めている職務である。彼らは完全な政治的解決がなくても、停戦状態を維持し続ける仕組みを、ボスニアでも運営しているのである。アフリカなどの世界の紛争地域に行けば、沢山の欧州人が、政治的解決に合意できる前の停戦合意を説き続けているのを見ることができるだろう。
欧州人たちが、停戦合意と和平合意に区別を拒絶しているウクライナの事例は、極めて珍しい。欧州人は、他の地域の他の戦争では、停戦合意と和平合意の区別を前提にして、紛争当事者に停戦を呼び掛けることを常にしているのに、ウクライナについてのみ、その区別を拒絶するのは、明らかな「二重基準」である。
ロシアが、将来の領土交渉の可能性を認めながら、停戦に合意する可能性は乏しい、という意見もある。全く正しい意見だろう。だがそこで検討すべきは、停戦合意を締結するための方法だ。どうやったらウクライナはプーチン大統領を除去できるか、という問いではないだろう。
世界の常識として、停戦合意(ceasefire agreement)は、和平合意(peace agreement)とは違う。停戦とは、法的・政治的解決が果たされる前でも、戦闘行為の停止について紛争当事者が合意したときに、生まれる。上述の朝鮮半島、カシミール、キプロスなどの事例では、和平合意がないまま、長期にわたって停戦合意の効力が続いている。日本の場合で言えば、講和条約を締結していないロシアとの間であっても、ポツダム宣言受諾から停戦が続いている。法的・政治的な解決について合意できない紛争当事者であっても、戦争の停止という点においては、合意できる場合がある。法的・政治的解決も図るのが、和平合意であり、戦闘状態の停止が、停戦合意だ。
トランプ氏が実現を模索しているのは、あくまでも停戦合意である。停戦したからといって、ウクライナが領土の放棄を宣言しなければならないわけではない。したがってトランプ氏も、ウクライナが領土を放棄する宣言が必要だ、とは言っていない。本来、領土問題は、政治的に解決すべき事柄だ。実力で領土を奪還する前に、戦争を停止したからといって、自動的に領土の放棄を意味するわけではない。停戦合意を模索する、というのは、そういうことである。
正当な自衛権の行使をしている当事者も、戦争の負担が大きすぎれば、停戦に合意してもいい。自衛権行使の合法性は、停戦合意をしてはいけない理由などにはならない。占領の違法を訴える当事者も、当面の戦争の継続を避けるための停戦に合意してもいい。ガザ危機をめぐって、世界の圧倒的多数の諸国が、イスラエルの占領の違法性を認めながら、停戦を支持している。もし停戦してしまったら占領の合法性を認めることになってしまう、などとは、どの国も考えていない。
上述のように、政治的解決が図れない段階であっても、紛争当事者が停戦にだけは合意した実例は、世界に多々ある。というか、それが標準である。欧州人は、キプロスで、数十年にわたって政治合意のない停戦合意を運営している。ボスニア・ヘルツェゴビアでは、1995年のデイトン合意によって停戦が果たされたが、その履行プロセスは30年近くたって、まだ終了していない。デイトン合意履行を確証するために強権を発動することができる「上級代表(High Representative)」は、一貫して欧州人が務めている職務である。彼らは完全な政治的解決がなくても、停戦状態を維持し続ける仕組みを、ボスニアでも運営しているのである。アフリカなどの世界の紛争地域に行けば、沢山の欧州人が、政治的解決に合意できる前の停戦合意を説き続けているのを見ることができるだろう。
欧州人たちが、停戦合意と和平合意に区別を拒絶しているウクライナの事例は、極めて珍しい。欧州人は、他の地域の他の戦争では、停戦合意と和平合意の区別を前提にして、紛争当事者に停戦を呼び掛けることを常にしているのに、ウクライナについてのみ、その区別を拒絶するのは、明らかな「二重基準」である。
ロシアが、将来の領土交渉の可能性を認めながら、停戦に合意する可能性は乏しい、という意見もある。全く正しい意見だろう。だがそこで検討すべきは、停戦合意を締結するための方法だ。どうやったらウクライナはプーチン大統領を除去できるか、という問いではないだろう。
感情的なウクライナ応援の願望をこえて
ゼレンスキー支持派の方々の停戦合意への反発は、多分に感情的なものであるように見える。ウクライナの完全勝利を望むあまり、それ以外の結末を決して受け入れたくない感情を抑えることができないのである。
かなり問題なのは、一般人がそうした感情にとらわれているだけでなく、日頃から「専門家」と呼ばれている学者・ジャーナリストら言論人層が、大衆の感情論に迎合し続ける態度に固執していることだ。気に入らない他の言論人の言葉尻を捉えて感情的な態度で怒ってみせたりし続けている場合もある。
「ウクライナは悪いない」「国際秩序は維持しなければならない」という言説に間違いはないだろう。だが、だからといって、たとえどんなに悲惨な結末しかもたらされないとしても、ウクライナは永久戦争を続けなければならない、などとは誰にも言えないはずだ。
ただ「ウクライナは勝たなければならない」とだけ叫び続け、しかもウクライナの完全勝利以外の可能性を語る者を非難する運動に加担し、そしてただ戦場から遠く離れた日本で自分が拍手喝さいを浴びることを求めるだけの態度に終始するのは、果たして言論人として責任ある態度だろうか。
トランプ氏の登場は良い機会である。現実を見据えた言論活動とは何か、われわれ日本人も真剣に考え直してみるべきだ>(以上「現代ビジネス」より引用)
ゼレンスキー支持派の方々の停戦合意への反発は、多分に感情的なものであるように見える。ウクライナの完全勝利を望むあまり、それ以外の結末を決して受け入れたくない感情を抑えることができないのである。
かなり問題なのは、一般人がそうした感情にとらわれているだけでなく、日頃から「専門家」と呼ばれている学者・ジャーナリストら言論人層が、大衆の感情論に迎合し続ける態度に固執していることだ。気に入らない他の言論人の言葉尻を捉えて感情的な態度で怒ってみせたりし続けている場合もある。
「ウクライナは悪いない」「国際秩序は維持しなければならない」という言説に間違いはないだろう。だが、だからといって、たとえどんなに悲惨な結末しかもたらされないとしても、ウクライナは永久戦争を続けなければならない、などとは誰にも言えないはずだ。
ただ「ウクライナは勝たなければならない」とだけ叫び続け、しかもウクライナの完全勝利以外の可能性を語る者を非難する運動に加担し、そしてただ戦場から遠く離れた日本で自分が拍手喝さいを浴びることを求めるだけの態度に終始するのは、果たして言論人として責任ある態度だろうか。
トランプ氏の登場は良い機会である。現実を見据えた言論活動とは何か、われわれ日本人も真剣に考え直してみるべきだ>(以上「現代ビジネス」より引用)
世の中には聞き慣れない講座もあるものだ。「トランプは「ウクライナを見捨てる」とは言っていない…それどころかトランプの対応が「良心的である」とすらいえるワケ」と題する論評を掲載した篠田 英朗(東京外国語大学教授・国際関係論、平和構築)氏の肩書には「平和構築」とある。
いかにして平和を構築するのか、議論の分かれるところだが、それを学問として教えるとは骨の折れることだろうと想像する。
単純に考えれば、戦争を収束させて平和を実現する方法はどちらか一方が勝って、どちらかが敗北することだ。そうすれば戦争は終結する。戦争前の外交交渉でも同じことが云える。侵略を意図する方が要求を満たせば当面の戦争は回避できるが、侵略者は必ず次の領土拡大へ向けて野心を滾らせる。ヒトラーがそうだったように、プーチンも同様だ。
そうするとロシアがウクライナを完全に占領してウクライナ戦争が終結したとしても、それは次の侵略戦争のステップでしかない。だからウクライナが全面域に譲歩して得られる平和は極めて短期的・限定的なものでしかない。
ただトランプ氏はウクライナ戦争が三年近く及び, 多くの人が命を落とし、ウクライナ全土の各地が破壊されている現状に鑑みて、早急に戦争を停止する必要がある、と主張している。ただそれだけのことだ。ウクライナを見捨てるとも、ロシアに侵略された領土を諦めろ、とは一言も云っていない。
トランプ氏は実務家だ。バイデン氏のような軍産共同体に操られて、戦争を長引かせウクライナが勝てないホドホドの兵器しか供与しない政治家とは異なる。それかといってロシアを打ち負かせる必要もない、とトランプ氏は考えている。ホドホドの落としどころはウクライナとロシア両国の歩み寄りによってのみ可能だ。
民主主義国であろうと、独裁専制国家であろうと、最終的に国の未来を決めるのは国民だ。ウクライナは領土を完全に取り戻すまで戦争を続けるのか。ロシアはプーチンの恣に戦争を続けるのか。両国の国民はどれほどの犠牲まで許容するのか。
篠田氏は「停戦合意と和平合意」を分けて考えるべきだという。停戦合意として妥協できる条件と、和平合意として譲歩できる条件は異なる、という。篠田氏の論は当たり前のことだが、これまで停戦とはロシアが侵略軍に体勢を立て直す時間稼ぎではないか、と懐疑的だった。だから「停戦合意と和平合意」分けて考えることはできなかった。しかしこれほど国土を破壊され、多くの人命が失われてもなお、戦争を継続する意義があるのだろうか、とウクライナ国民の多くが考えれば、停戦合意に達することも不可能ではないだろう。トランプ氏が米国大統領として調停に乗り出す際に、果たして彼は「停戦合意と和平合意」を分けて考えるだろうか。