辺野古沖事故に関連して、文科省の見識も問われなければならない。
< 「うねりの力で、一気に転覆した。本当に見たことのない高波だった」 静かな口調でしたが、言葉には恐怖と深い後悔がにじんでいました。修学旅行中の高校生らを乗せたボートが転覆し、2人が死亡した事故。海の上で一体何が起きていたのか。当時「平和丸」に乗っていて救助された乗組員が、重い口を開きました。 RBCの取材に答えたのは、転覆した2隻「不屈」と「平和丸」のうち、平和丸に乗っていた乗組員です。 「客観的な数字としては問題なかった」 事故当日、出航の判断に問題はなかったのか。安全対策が不十分だったのではないかとの指摘も上がっていますが… 「波は当時は2.5メートルで収まる予報でした」 この乗組員によると、当時この海域には波浪注意報が出ていたものの、今の時期には注意報が出ている日の方が多く、当時は漁に出る人もいたといいます。 「風はリーフの中であれば0.5メートル、風速も北東から4メートル。これは海上保安庁の発表通りで、出られる環境ではあった」 出航判断そのものは無謀なものではなかったと強調しました。 抗議運動以外では過去にジャーナリストらが乗船 これまで、イギリスBBCやフランス、中東「アルジャジーラ」など、世界各国の記者や、大学のゼミなども乗せ、埋め立て海域を案内してきたという平和丸。なぜ、悲劇は起きてしまったのでしょうか。 当日の航行は、亡くなった金井船長が学校側と相談してコースを決めていました。この乗組員は、金井船長が操船する「不屈」についていきました。 まず埋め立て海域に近い「平島」の周りを巡り、豊かなサンゴや自然について解説。その後、大浦湾の方角へ向かいました。 「リーフの近くには決して行ってないです。ベテランの船長なら誰しもすることで、リーフに向かっていくはずもない。リーフのさらに外側から、大きな波が予想外に来た。リーフのもっと外側からのうねりです」 「リーフの外側から、大きな波が」 通常のうねりの周期が7〜8秒であるのに対し、当時はかなり長い周期のうねりが生まれていたとみられ、危険な高波の接近に気づけませんでした。 「(うねりの高さは)4メートルは超えていた可能性は十分にある。僕の身長が170センチなのでその倍は少なくとも」 その高さは、乗組員の感覚では4メートル、5メートルに達していた可能性がありました。 波に対して舳先(へさき)を垂...