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なんとも不可思議な法律だ。

 選挙とは民主主義の根幹をなすものだが、これがどのような動機で投票先が決定されるのか良く分からない。それが分かるノウハウ本があれば被選挙権者にとって隠れたバイブルとなり息の長いベストセラーになるだろう。今回はインターネットが選挙運動で使えるように法改正されて、いよいよ選挙もIT化かと騒がれている。    しかし、日本の公職選挙法ほど摩訶不思議な法律は少ないだろう。北海道で町村氏と争って勝利を収めた小林議員の会計責任者などが公職選挙法違反に問われているが、その発端は告示前のポスター貼りを依頼した学生に支払ったバイト代が法に触れたことのようだ。つまりポスター貼りの学生に支払ったバイト代が買収に当たると検察当局が認定したのだ。たとえ公明正大なバイト代でも公職選挙法では支払ってはいけないことになっている。それはポスター貼りに限ってのことだけではない。電話作戦と称する後援会から有権者に投票依頼する電話をかける電話嬢に支払う日当も買収とみなされ公職選挙法では違法行に当たるのだ。常識的には労務提供の対価として日当を支払うのが当然のことと思うが、公職選挙法ではそうした活動は清廉にして潔白なボランティアによる無報酬を原則としている。  全国各地の候補者をすべて調査すれば、日当を支払ったのは小林議員だけではなかったはずだ。が、検察は自民党最大派閥の総帥を倒した民主党小林議員の会計担当だけを立件した。他の陣営ではどうなのかを詮索することなく、だ。    選挙活動でITが解禁になるのは望ましが、成りすましに対してはどのように対処するのだろうか。ホームページやブログをコピーして当の候補者に成りすまして相手候補を口汚く罵るのが作戦で、自分が被害者として有権者に泣きを入れることだってありうる。あるいは候補者のホームページに勝手に書き込みを行って錯乱させたり、IT技術を駆使してブログを炎上させたりする輩が出ないとも限らない。そうした悪質な妨害に対して有効な防止策の手立てがあるのだろうか。    それにしても候補者の選挙に要する経済的負担は常人の想像を超える。ポスターを何千枚も選挙区に貼るだけでも膨大な人件費(支払えば選挙違反で逮捕されるが)が必要だろう。有権者へ電話するだけでも仮設電話が何台必要か、そのための要員確保と人件費(支払えば選挙違反で逮捕されるが)が必要か、試算するだけでもいかに膨大な資

半島の悲劇を繰り返してはならない。

 韓国哨戒艦沈没事件で韓国当局が北朝鮮の魚雷攻撃だったとする見解を正式に表明し、北朝鮮への謝罪を求め報復をすると発表したことから半島の緊張が高まっている。米国もクリントン国務長官を中国へ派遣し北朝鮮への制裁に協調するように求めたが、中国は即答を避けた。  そうした中で北朝鮮は一気に態度を硬化させ、いつもの瀬戸際外交で事態の乗り切りを図っているようだが、今回は哨戒艦沈没により46人もの犠牲者が出ていて、韓国も簡単に引き下がるわけにはいかない。    南北朝鮮はいうまでもなく同じ朝鮮族であり、親族が両国に別れて暮らしていたり言語や文字も共有する。その両国が争うのは半島の悲劇以外の何ものでもなく、ここは冷静な対応が求められる。しかしこれまでの北朝鮮により繰り返されてきた理不尽なテロ行為と破壊活動には相応の制裁を課して北朝鮮指導部に方針転換と責任者の処分を求めなければならないだろう。    しかし北朝鮮が金正日氏の独裁による恐怖政治体制下にあり、北朝鮮国民が飢えと貧困に喘いでいる現実を忘れてはならない。つまり国民には指導者を選ぶ権利がないどころではなく、人権を蹂躙された極限状態にあるのだ。半島の緊張が高まり不測の事態に到らないように慎重の上にも慎重を期さなければならない。その場合、カギを握るのは中国だ。六か国交渉の議長国にあり、国連では安保理常任理事国の重責も担っている。それがこれまではことごとく北朝鮮をひそかに甘やかし手なづけてきた。    確かに中国は半島が南北に分かれて対立している方が都合が良い。半島が南政府により統一され国力を増すと豆満江北岸の帰属を巡って新たな国境問題が生じることになりかねない。豆満江北岸の一定の地区はかつて朝鮮半島国家の領土だった時期もあり、多くの朝鮮族が暮らしている。  さらに北朝鮮と進めている経済開発と北朝鮮の地下資源採掘権をも放棄しなければならなくなる。中国は半島の民族が南北に分断されて憎しみ合おうと、自国の利益さえ確保できれば何ら痛痒を感じていないかのようだ。    韓国も1997年の国家財政破綻によるIMF管理下の塗炭の苦しみから立ち直り、ここ数年は飛躍的に経済発展している。その牽引力となっている国内産業基盤を戦争により破壊されてはその損失の大きさは計り知れない。そして怒りにまかせて北朝鮮を攻撃して金体制を崩壊させたところで、北朝鮮国内

ヘタな民営化をやめて、すべて公務員にすべきだ。

 省庁の外郭各種団体や公益法人をすべて官庁に取り込み、そこの職員を公務員にすべきだ。そうすれば天下りはなくなる。すべてが省庁の部局に取り込まれるのだから、高額な家賃を支払っている公益法人は霞が関の庁舎へ入れば良いし、公務員だから公務員法の規定に則った報酬で働くことになる。職員が15人しかいない宝クジの広報活動部署が年間約18000万円もの家賃を支払って高級ビルに入居している必要はなくなり、霞が関ビルが満杯になれば廊下に机を並べればいいだろう。    かくも膨れ上がった官僚の利権外郭団体を放置したまま、一部を事業仕分けで改革しても、時間がたてばまたぞろ元の木阿弥に帰すのは明らかだ。それなら国会議員の目に見える省庁の中に取り込んでガバナンスを働かす方が余程マシだ。そして公務員の人数が単位国民あたり少数だという不当な宣伝をさせないことだ。国家予算の丸投げと本来なら国庫に入るべき講習会費などを法人の収益として勝手に使われているのだ。それが公務員でなくてなんだろうか。    ここは一旦すべてを公務員に取り込み、その上で必要な事業か否かを国会議員与野党で特別委員会をすべての省庁単位に設け一年中国会を開き、全員参加で仕分けすべきだ。  公務員とは放置しておけば仕事を無限に作るものだ、という箴言がある。それをチェックするのが議員のはずだが、議員が公務員を甘やかして口利きを聞いてもらってきた持ちつ持たれつの関係が長く続いてきた。そうした国民不在の利権構造で水膨れに膨れ上がった準公務員を外郭団体職員として国民の目から隠して利権を温存させるのではなく、公務員に取り込むことにより徹底的に可視化して不合理な部分と病巣を削除することだ。    それは国だけのことではない。どの地方でも県庁所在地の電話帳を捲ってみると良い。どれほど日頃聞きなれない公益法人や~協会というその他の法人が多いか驚くばかりだ。それらもすべて県の所管部課に取り込んで公務員にすべきだ。そして今後一切の外郭団体の創出を許さないことだ。  取り込んだ公務員の仕事が何か、地方議員は本気で取り込むことだ。都道府県議会議員の報酬が実に高額なのは承知の通りで、議員としての仕事と見合っていないと不満を抱いているのは私だけではないだろう。さらに市町村にも同じような外郭団体が無数に存在する。ためしに何処の自治体でも予算書を取り寄せて補助金なる

歳入庁の創設を。

 自治宝クジや競輪などの収益金の一部が天下りによっていいように使われている実態が明らかになった。昨日の事業仕訳で次々と不逞な輩の所業が指摘され、薄々は知っていたがこれほど酷いとは驚きだ。    国へ入る金は何であれ、国民から見ればすべて同じだ。いろんな制度ができた切っ掛けにはそれぞれ様々な事情があるだろうが、名目は何であれ税にしろ負担金にしろ抽選籤券であれ赤いハネであれ緑のハネであれ、国民は国のいろんな施策に役立っているんだと漠然と思っている。  そうした制度の一つ宝クジの蓋を開けてみると現職中より天下り以後の方が高給の席が用意され、その団体の恣意的な交付金が各種団体へ支出されている。そこにもいろんな天下り官僚がいるとなると、全体で幾ら官僚OBを養うために浪費されているのだろうか。    国際比較で公務員の数が我が国は少ないと統計資料に出ている。当然だろう、宝クジ売り場のおばちゃんは公務員の数に入っていない。おばちゃんたちはおそらく天下り官僚が受けているような手厚い各種福祉制度の対象にもされていないだろう。そうした格差改善をしようともしないで、天下り官僚の待遇改善だけは着実に行ってきたわけだ。  すべてを公務員にカウントして国際比較をしなければ比較する土俵が違っていて正確な検討はできない。    そうしたこともさることながら、各種制度の認可権を握っている省が歳出の裁量権をも握っている現状は良くないだろう。国民も宝クジと書かれた献血車が走っているのを目にすると、滅多に当たらない、恐らくほとんどの者が生涯に一度も高額当選金を手にしないハズレ券を買わされている現状でも我慢しているのだ。  すべての金を歳入庁に集めて、国会で審議の上交付先を決定すべきだ。そして宝クジにかかわる人たちを公務員とし、実質的に天下り先を潰すことだ。他にも交通安全協会の協会職員も公務員として冊子の印刷発注も会計検査院の監視の働く委託業務の一つとすべきだ。そうすれば「安全協会」が必要な部署か検討の対象にもなるだろう。これまで官僚は僅かな隙間を見つけて、そこに存在意義の屁理屈を捻じ込んで、幾つの各種外郭団体を作ったことか。それらをすべて公務員に取り込んで事業そのものを見直すことだ。  そして何よりも各省で管理している第二第三の財布をすべて歳入庁に取り上げて、財務省で一元管理することだ。このIT化の時代、

マスコミの使命は事実を伝えることだ。

 テレビニュースで見る限り、沖縄へ出かけた鳩山首相に対して沖縄県民は辺野古沖移設案へ回帰した鳩山首相への強烈な拒否反応一色だったように見える。事実テレビ司会者やコメンテーターも罵詈雑言に徹している。マスコミはいよいよ鳩山首相を絶体絶命の窮地へ追い詰めたと凱歌を上げているかのようだ。  しかし、どうやら沖縄県民の本意は報道と少しばかり異なるようだ。これまで「米軍基地反対」と声を上げる雰囲気すらなかったが、いまでは鳩山首相に対して「米軍基地反対」の声を上げることができるし、鳩山首相には安易に辺野古沖案で妥協するのではなく米国と海外移設で話し合ってもらいたいと願っているというのだ。    事実、自民党政権下の県知事は辺野古移設日米合意を認めていた。それが政権交代があって急に態度が変わった。鳩山代表が選挙前に「最低でも県外移設」と発言したのを梃に、県外移設を望んでいるのだ。自民党に推された県知事は自民党に反対することはできなかった。しかし、今では公明正大に反対できる。これも政権交代の光明ではなかったか。  沖縄からマスコミの報道で伝えている沖縄県民の声は微妙に違っている、と声を上げることだ。沖縄県以外の国民に沖縄の負担を少しは肩代わりしてくれ、と頼み込む首相が今までにいただろうか。その鳩山首相をクビにして、沖縄県民に何の益があるだろうか。    マスコミは事実を伝えることだ。かつては政治的な集会に当たって動員人数の発表では主催者発表と警察発表を必ず併載していた。それがこの一連の報道では主催者発表だけになっている。国民を反鳩山首相で煽りたい気持ちの表れだろうか。それは現実の動員人数ではなく、主催者の希望する動員人数の期待値に過ぎない。  真っ当なジャーナリストなら恥ずかしいと顔を赤らめるようなことをしているという自覚を持つことだ。何処までが事実で、何処からが評論か、明確に線引きをして伝えるのが真っ当なジャーナリストのあり方ではなかったか。    為にする報道はその偽善性を読者に見抜かれて、ついには信頼を失うだろう。ジャーナリストが最も恐れるべきは報道が信頼を失うことだと先輩は教えてくれなかったのだろうか。もっとも、主筆が政局に嘴を挟むのを趣味としているから、その報道機関が偏向するのも無理はないが。  民主党が政権を獲って以来、この国の報道機関は何かを恐れるかのように民主党潰し

橋下新党の快勝がもたらすもの。

 5/23に投開票された大阪市議補選で橋下新党の公認候補が圧倒的な得票率で快勝した。新党結成からわずかに一月、既成政党が参議院選挙の前哨戦として力を入れたにもかかわらず大敗し、ショックをかくせない、と報じられている。    橋下新党は大阪維新の会といって大阪都構想実現を党綱領の一番に掲げている。新党結成の原動力になったのは大阪市長との確執といわれ、大阪府が直接大阪市を支配するには大阪都として大阪市を消滅させ乗っ取ることだとする考えのようだ。ただ、大阪都下に組入れる範囲については必ずしも明確でなく、たびたび橋下知事が明言している関西空港の経営改善を考えるなら堺から泉南あたりまで大阪都として一律の行政区に呑み込むつもりなのかもしれない。    かつて大阪は天下の台所といわれ日本経済の中心だった。明治維新以降江戸に奪われていた政府所在地のみならず経済までも各企業が本店を相次いで東京へ移すに到って経済の盟主としての地位も低下した。そして大阪府のみならず大阪市など府下の各市の悪化した財政状態の立て直しの妙手として橋下知事が打ち出した構想が大阪都構想だ。  確かに都構想が実現されれば府と市の行政は一元化し二重行政の無駄は排除され、財政基盤も拡大するだろう。ただ実質的に都に組込まれる市が複数ある場合はまず市と市の合併と同じ手続きが必要となるだろう。都下で実施される行政サービスをどの程度とするのか、区に残す行政機能をどの程度とするのか、住民も巻き込んだ困難にして緻密な議論が必要となる。  さらには将来の道州制移行に際して大阪が近畿圏の中心になるべく先走ったと受け取られないようにする配慮も必要だ。つまり先行すべき議論は道州制であって、大阪都構想は近畿圏の中心として近畿圏の住民から認知されてから後の議論とすべきものではないだろうか。    マスコミは派手な打ち上げ花火は直ちに報じるが、予想されるそこに到るまでの困難な道筋については何も報じない。既存政党の些細な瑕疵は見逃さず得たとばかりあげつらうが、新党の課題について党首に徹底して取材することはないようだ。今回の大阪維新の会の旋風はいつまで続くか安易な憶測はできないが、これまで直接行政を担っていない大阪府が直接行政を行う各市の職員をどのように配置し何処を削減するのか協議が難航するのは明らかだ。行政サービスを何処の水準に合わせるのかも直接

あなたの御祖父さんも、

 日ソ共同宣言を1956年10月に締結したのは鳩山一郎首相だ。いうまでもなく今の鳩山由紀夫首相の御祖父さんだが、当時の冷戦勃発という困難な国際状況といまだ敗戦の痛手から完全回復していない日本の立場では話し合いのテーブルについても発言力に大差があった。日ソ不可侵条約が失効していないにもかかわらず一方的に破棄し、終戦間際のソ連進攻は国際条約違反だ。そのことを交渉のテーブルで強硬に指摘して北方領土の日本への帰属を断固として明文化すべきだった。しかし鳩山一郎首相は北方四島を外して交渉を行い、恨みの残る共同宣言を締結してしまった。その瑕疵がいまだに尾を引いている。    鳩山一郎の孫由紀夫氏は首相になって「海兵隊が抑止力になっている」と学んだというが、米軍の国内駐留に対する理由づけとして言われている理屈に不案内なほど愚かな人なのだろうか。仄聞するところ鳩山由紀夫氏は日米安保条約に精通していて、首相になれば祖父の日ソ共同宣言に負けない業績を米国に対して果たすと意気込んでいたようだ。海兵隊の抑止論なるものの欺瞞性も十分に承知していたはずだが、突如として「海兵隊の抑止力なるものを学んで知った」と間抜けな発言をして「最低でも県外移設」の旗印を引っ込めてしまった。県外移設を断念するまでの間に何があったか、いずれ歴史が明らかにするだろう。    1956年当時の国際的に弱い立場の日本の首相として祖父が歴史に「北方四島」の帰属問題を課題として残す日ソ共同宣言を結んでしまった。以降の日ソ交渉はその条約が原点となり、終戦直前に不可侵条約を一方的に破棄したソ連の不条理はなかったことになってしまった。その孫も政権交代により米国に自民党政権当時とは異なる、とのシグナルを送り「駐留なき安保」の実現に向けて一歩を踏み出すつもりだった。そして鳩山由紀夫氏は現実にシグナルを送ったものの、たちどころに我が国のマスコミも含めた巨大な勢力の総攻撃にあい後退に後退を重ねて自民党政権下の日米合意に押し戻されてしまった。    日本は独立国家なのだろうかと疑うことがある。国際的には1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を果たしたことになっているが、米英の強い影響力下の条約締結だったのも史実として検証できる。しかし、それから何年たっただろうか。いまだに米国に鼻面を引き摺り回され第二次世界大戦の残滓を引き摺っている日本

官僚が指示待ちに、

  民主党が政治主導を謳っているから口蹄疫の対応に関しても官僚は指示待ちになって対応が遅れた、と自民党総裁の谷垣氏が福島県郡山市の講演会で民主党を批判してという。民主党政権の口蹄疫防疫体制の遅れは生半可な政治主導に原因があったのなら由々しき問題だ。官僚のサボタージュによって口蹄疫の被害が拡大したとしたら問題にすべきは赤松大臣ではなく農水省の家畜保健衛生局の官僚たちだ。    再三再四これまでも官僚の悪意に満ちたサボタージュを指摘してきた。去年の8月末の総選挙で政権交代が明らかになったが、官僚は8月末に仕上げていた自民党政権下での予算をそのままにして、民主党のマニフェスト部分をその上に積み上げてしまった。だから92兆円を超える予算規模に膨らんでしまった。  官僚に予算を節約しようとか財政危機に対応して省庁の予算規模を縮小しようとする意思は働かない。そうした財政規律を守ろうとするのは財務省の仕事であって、その他の省庁では一円でも多くの予算を獲得した者が褒め称えられる。したがって8月末に予算編成を終えたから民主党政権になったからといって予算の中身を見直すのは時間がないと突っ撥ねてしまったのだ。    民間企業ならどうだろうか。社長以下執行部が入れ替わっても前社長の予算編成方針を踏襲し新社長の方針部分をその上に積み上げるだけの予算を作って平気な顔をしている社員がいれば間違いなく配置転換させられる。新社長の方針に従わない社員は業務命令違反で解雇の対象にすらなる。それが政治主導を生半可に行うから指示待ちになったという。しかし生半可な政治主導とは何だろうか。奉職して以来官僚として専門分野に精通している者から見れば、選挙で政権交代したといえども行政職の門外漢が大きな顔をして指示するのは面白くないかも知れない。それも時々間違ったり専門用語すら碌に使えない連中だと、心の中でバカにしているかも知れない。それはそれで結構で大いに政治家をバカにすることだが、仕事だけはきちんとしなければならないだろう。政府もせっかく谷垣氏が「官僚が指示待ちになっている」と認めてくれたのだから、指示待ちと思われる官僚はさっさと更迭すれば良い。その指示待ち官僚が誰か分からなければ礼を尽くして谷垣氏に教えを乞うことだ。    口蹄疫という極めて感染力の強い疫病の対応に関して「指示待ち」をしていたとしたら、それは犯罪

「基地問題で答えが出せないなら知事会は解散だ」はまっとうな意見だ。

 鳩山首相が全国知事会に沖縄の負担を分担して欲しいと検討を依頼したことに関して、東京都知事などが口先であしらい長崎や山口県知事が拒否反応を示したが、橋下大阪府知事は「問題解決に答えを出せないのなら全国知事会は解散すべき」と牽制した。  つまり全国知事会が政府に対して地方交付金などの圧力団体として働いてきた歴史があり、最近では地方分権の促進を政府に働きかける運動に軸足を移しているが、そのためにも地方が政府と対等に安全保障でも対話するためには権利拡大を主張するだけでなく基地という迷惑施設をも受け入れる国家を形成する地方としての義務も役割分担すべきというのだ。  そうするとさっそくマスコミがそれは橋下府知事の独断であり府民との対話がない、と批判している。    橋下氏の大阪都構想は余り感心しないが、地方自治体も地域エゴを声高に主張するだけの圧力団体に堕するのなら全国知事会は解散すべきというのは正論だ。大阪都構想に賛成できないのは単に大阪市や周辺市町を消滅させて行政権限を大阪都で掌握しようとするものだからだ。本来の地方分権論が志向している方向性からいえば、近畿州に府県統合してまず大阪府を消滅させる方が住民生活に影響は少ない。つまり現在では全国の府県は中二階と言われ余り必要性のない存在になっている。平成の大合併により全国の市町村が3200から約1000に合併集約したのだから、こんどは府県が州に合併すべきだ。そうすれば府県議会議員が大幅に削減され、多くの知事も必要なくなる。    今回起こった口蹄疫にしても家畜伝染病の防疫主体は県にあるのだが、マスコミは政府の対応を非難し県を甘やかそうとするかのようだ。それでは地方分権はいつまでたってもできない。確かに中央政府が支援すべき政策やワクチンなどの地方自治体では対応できない物品の支援は政府が行わなければならない。しかし地方の防疫拠点は府県の家畜保健衛生所が担うべきで、その指揮権は知事が握っている。マスコミも承知しているはずだが、平成16年12月に農水大臣から出された 「口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫体制の指針」に書かれているマニュアル通りに政府は実施していてマスコミが大騒ぎするほどの瑕疵があるとは思えない。  それよりも超法規で汚染地区から種牛を移動させたことの方が問題だ。確かに長年改良を重ねて作り上げた種牛六頭をなんとか生き延びさ

読売新聞は自民党の走狗か。

 今朝の社説を見ると読売新聞は長期間キャンペーンを張ってきた民主党潰しの総決戦に総力を挙げているようだ。  「現行案軸に「普天間」合意急げ」ではマスコミが枕詞のように言ってきた沖縄の負担軽減は何処へ行ったのだろうか。しかも朝鮮半島の緊張関係が高まったから米韓に協力し北朝鮮包囲網に日本も協力すべきだ、と恰も沖縄の米軍基地がそこにあり続けるのが必要であるかのような論調だ。確かに米軍は世界戦略の一環として日本に基地を置いているのだろうが、それをあからさまに認めることはマスコミとしていかがだろうか。国内の米軍基地が日本の防衛以外で基地から直接戦地へ出撃する事態を国民は想定しているだろうか。そして米国と日本政府の事前協議事項となっているはずだが、その実行が久しく無視されてきた現実をマスコミが提起しないのはどうしてだろうか。    五月末までの決着を急ぐべきでない。本当に米軍が常駐する基地が必要なのか、根本命題から時間をかけて議論すべきだ。今回の挑発行為で使われた北朝鮮の250キロ魚雷はたとえ空母でも直撃すれば致命傷を負わすほどの威力があるそうだ。それなら第七艦隊は危険すぎて艦隊を日本海へ回航しない。不幸にして戦闘が開始されれば韓国の米軍基地と日本の米軍基地が直接米空軍機の出撃基地として使われるのは目に見えている。 日本は憲法第9条で国際紛争の解決に武力を用いないとしている。第9条には賛否いろいろあるが、しかし現行憲法に謳われている以上、国と国民は憲法を守らなければならない。その場合たとえ米国軍と雖も国内の基地から出撃するとなると憲法上問題があるだろう。    北朝鮮包囲網に日本も最大限協力するのは当然だが、現行憲法で許される範囲内でのことは言うまでもない。米国が戦後の日本を骨抜きにする目的で作った憲法だが、それが存在している限り日本は日本国土防衛以外には何もできない理屈になっているのだ。  そして憲法第9条の精神を素直に汲めば国内の米軍は基地から撤退してもらうのが本筋で、日本は「駐留なき安保」を目指すべきだ。そして国民には自国の防衛は国民が担うべきだと、世界の常識を日本国民にも取り戻すように発言することだ。それなら五月末に沖縄問題が決着しなくても一部の基地利権者を除いて国民は誰も文句を言わないだろう。    米軍基地の中のゴルフコースからボウリング場から映画館からPX等まです