『世界は経営でできている』を一読して。
<経営者、従業員、高齢者、若者……「みんな苦しい」のは一体なぜなのか? 私たちを支配する「苦しさ」にはごくシンプルな原因があり、ちゃんと対処する方法がある。経営学の道具を使えば、人生が大きく変えられる。どういうことだろうか。 ここで「日本企業はなぜ価値創造の民主化を捨ててしまったのか?」「アメリカ企業はいかにして価値創造の民主化を取り入れたのか?」という二つの疑問に答えていきたいと思います。 日本企業が価値創造の民主化を捨ててしまった原因を考える前に、そもそも価値創造の民主化が生まれた背景を考える必要があります。筆者はそれが戦後の「人間の脳みそ以外に資源がない」という状況にあったと考えています。しかも、誰もが豊かさを渇望していて需要が大量にあり、朝鮮戦争の特需もありました。「何を作れば売れるか」も欧米を真似すればいいので明らかでした。欧米というゴールに向かって全力疾走すれば勝てる時代です。 需要が明らかで働けば働くほど豊かになれる状態でしたから、まさにヒトこそが価値の源泉だったわけです。同時に、農地改革や財閥解体、公職追放などによって、地主や株主は権力を失いました。1945年の前後10年の時期に、賃金と物価は約200倍になりましたが、株価と地価はせいぜい10~100倍にしかなりませんでした。 インフレは、相対的にはカネがヒトよりも価値がない状態です。ヒトのほうが価値を持つからこそ、給料も物価も上がっていくわけです。こうしたインフレ状況は「自分の労働力こそが富の源泉だ」という信念を社会全体に浸透させたと思われます。 このとき、経営には大原則があります。それは「希少資源を持つ会社は成功する」という原則です。ですからインフレ下では希少資源であるヒトを集めて最大限活用する価値創造の民主化が成功したわけです。 しかし、総合GDPがアメリカに次いで世界第2位、一人当たりGDPもスイスに次いで世界第2位という、両者を合わせて考えれば日本の豊かさが頂点に達した80年代から大変化が起こります。 カネとヒトの価値逆転という不幸 この時期の前後に、①変動相場制(第二次ニクソンショック以降)、②グローバル化(冷戦終結以降)、③資本主義という、「通貨価値が上下に大きく変動する3要素」が揃いました。 変動相場制によって通貨に価値の裏付けがなくなります。グローバル化によって通貨...