新疆ウィグル地区に対する「洗国政策」を批判する。
< 昨年 12 月、中国当局は出国を希望する国内在住のカザフ人約 2000 人に対し、隣国カザフスタンへの移住を許可した。今後は中国国籍を離脱し、カザフスタン国籍取得と定住手続きが始まると、カザフスタン外務省は事実を認めているという。 カザフ人の出国を許したのは中国新疆ウイグル自治区で進められている苛烈なエスニック・クレンジング(民族浄化)に対する国際社会からの批判をかわすためだろう。中国当局は 100 万人を超えるウイグル人を「再教育センター」と称する強制収容所に閉じ込めて弾圧。同時に無数の漢民族を入植させて、「ウイグル人なき東トルキスタン」を創出しようとしている。 トルキスタンは中国とソ連によって、東(新疆ウイグル自治区)と西(カザフスタンなど中央アジア)に分割統治されてきた。東トルキスタンにはウイグル人と共にカザフ人も多く住む。同じトルコ系でもウイグル人がオアシスに定住し商売を営む一方、遊牧民の歴史を誇るカザフ人には尚武の気風がある。 農耕民の漢民族は遊牧民のカザフ人が苦手なのだろう。ウイグル人に対してはその言語や文化の抹殺を断行しつつカザフ人には少し手を緩めて、同自治区内で両者の分断を図っている。 中国が両民族の結束を恐れるのには理由がある。 44 年、中華民国の統治下にあった東トルキスタンで、カザフ人はウイグル人やモンゴル人と連携して蜂起し、東トルキスタン共和国を建国。モンゴル政府は独立ないしはソ連加入を目標とする東トルキスタンを側面から支援し、中国に対抗する共同戦線を組んだ。 その後、中華人民共和国建国を控えた 49 年 8 月、東トルキスタンの指導者たちは毛沢東から独立問題の協議に招かれた。だが中国への途上で、なぜか飛行機が墜落して全員死亡。東トルキスタンは崩壊し、中国に併呑された。いつの時代でも、陰謀の張本人は最大の利益を得た者に限られる。中国が不名誉な手法で東トルキスタンを併合した事実をカザフ人は忘れない。 新疆ウイグル自治区となった東トルキスタンでは「夷をもって夷を制す」、つまり少数派カザフ人をもって多数派ウイグル人を牽制する政策を実施した。同自治区北部にイリ・カザフ自治州を設置し、ウイグル自治区の分断統治を図ったのもその 1 つだ。 そうしたなかで 62 年、自治州に住むカザフ人とウイグル人は中国政府が強制する人