文科大臣は日本国民のために東大総長選出の不合理さを解明すべきだ。
<◇東大で起きた「異例の選出」
2026年9月28日、東京大学は次の総長予定者に藤垣裕子教授(大学院総合文化研究科)を選んだ。東大史上初の女性総長である。
東大では総長を決める際、教員などによる「意向投票」が行われる。2回目の投票では染谷隆夫副学長が1107票(51.0%)を集め、藤垣教授の553票(25.5%)のほぼ2倍だった。それでも、最終的に総長を決める「総長選考・監察会議」は藤垣教授を選んだ。1位でない人の選出は、今の仕組みができて以来初めてとみられる。
議長の国谷裕子氏は、文理の融合や学内外との対話を通じて「より開かれた大学」へ変えていく力を評価したと説明し、投票結果とのずれは大きな問題ではないとした。
この選出は単なる人事ではない。いま急速に進む「デュアルユース研究」と、大学の「自律」とは何かという問題に深く関わっている。
デュアルユースとは、私たちの暮らし(民生)にも軍事にも使える技術を指す。GPSやインターネットは、もともと軍事目的で生まれ、今では誰もが使っている。
日本政府は近年、この分野への支援を強めてきた。2015年度には、防衛省が大学なども対象とする「安全保障技術研究推進制度」を開始し、その後、防衛装備庁が制度を担ってきた。2022年には経済安全保障推進法により、宇宙・海洋・量子・AIなどの重要技術に巨額の予算がついた。
2026年、流れはさらに速まった。3月の「第7期科学技術・イノベーション基本計画」は「科学技術と国家安全保障との有機的連携」を掲げ、7月には、大学や企業の研究者が安全保障に関わる研究拠点を、理化学研究所などに整備する方針も示された。
政府にも理屈はある。周りの国々が最先端技術を軍事に生かす中、日本だけが大学の研究力を使わずにいれば、国を守る力で後れをとりかねない。これが「国家の合理性」である。
こうした動きに注意深い目を向けてきたのが「科学技術社会論(STS)」である。科学技術と社会の関係を、歴史や政治、倫理の視点から考える学問だ。
「「国家の合理性」と「科学の自律性」は両立するか、意向投票1位を退けた東大総長選、突きつけた大学自治の難題ーー【澤田哲生の「科学と社会のあいだ」】藤垣裕子新総長の選出が映し出す国家安全保障と科学研究をめぐる大緊張関係」とは澤田 哲生(エネルギーサイエンティスト)氏による摩訶不思議な論評だ。
2026年9月28日、東京大学は次の総長予定者に藤垣裕子教授(大学院総合文化研究科)を選んだ。東大史上初の女性総長である。
東大では総長を決める際、教員などによる「意向投票」が行われる。2回目の投票では染谷隆夫副学長が1107票(51.0%)を集め、藤垣教授の553票(25.5%)のほぼ2倍だった。それでも、最終的に総長を決める「総長選考・監察会議」は藤垣教授を選んだ。1位でない人の選出は、今の仕組みができて以来初めてとみられる。
議長の国谷裕子氏は、文理の融合や学内外との対話を通じて「より開かれた大学」へ変えていく力を評価したと説明し、投票結果とのずれは大きな問題ではないとした。
この選出は単なる人事ではない。いま急速に進む「デュアルユース研究」と、大学の「自律」とは何かという問題に深く関わっている。
デュアルユースとは、私たちの暮らし(民生)にも軍事にも使える技術を指す。GPSやインターネットは、もともと軍事目的で生まれ、今では誰もが使っている。
日本政府は近年、この分野への支援を強めてきた。2015年度には、防衛省が大学なども対象とする「安全保障技術研究推進制度」を開始し、その後、防衛装備庁が制度を担ってきた。2022年には経済安全保障推進法により、宇宙・海洋・量子・AIなどの重要技術に巨額の予算がついた。
2026年、流れはさらに速まった。3月の「第7期科学技術・イノベーション基本計画」は「科学技術と国家安全保障との有機的連携」を掲げ、7月には、大学や企業の研究者が安全保障に関わる研究拠点を、理化学研究所などに整備する方針も示された。
政府にも理屈はある。周りの国々が最先端技術を軍事に生かす中、日本だけが大学の研究力を使わずにいれば、国を守る力で後れをとりかねない。これが「国家の合理性」である。
こうした動きに注意深い目を向けてきたのが「科学技術社会論(STS)」である。科学技術と社会の関係を、歴史や政治、倫理の視点から考える学問だ。
◇科学技術社会論はなぜデュアルユースに慎重なのか
推進する側は「技術は中立で、問題は使う人だ」と言う。これに対しSTSは、技術はどんなお金で、どんな目的のもとで開発されるかによって、その姿そのものが変わると指摘してきた。
安全保障を理由に研究が秘密にされれば、成果を公開して確かめ合うという科学の基本も損なわれる。日本学術会議が2017年に、軍事目的の研究には慎重であるべきだとする声明を出したのも、この考え方と重なる。
ただし、STSは「何でも反対」の学問ではない。藤垣教授自身、2012年に日本学術会議の「科学・技術のデュアルユース問題に関する検討委員会」の委員を務めた。新総長の考えは、こうした場での発言に即してみていく必要がある。
日本のSTSを長く引っ張ってきた中島秀人氏(東京工業大学名誉教授)は、理系出身の技術官僚が何代も指導者を務める中国の体制について、さる学内の集まりで「だから文民統制が効かない」といった趣旨のスピーチをしたことがある。
文民統制とは、軍事のような強大な力を、選挙で選ばれた政治家や法によって抑えることだ。
政治とは本来、正解のない問題について立場の違う人々が話し合い、折り合いをつける営みである。専門技術の発想だけでトップに立つと、社会の問題を「直すべき機械の不具合」のように扱いかねない。中島氏の言葉は、専門知と権力が直結することへの警告として読める。
では、藤垣教授の選出は「大学の自律」の勝利なのだろうか。筆者は、そう単純ではないと考える。
推進する側は「技術は中立で、問題は使う人だ」と言う。これに対しSTSは、技術はどんなお金で、どんな目的のもとで開発されるかによって、その姿そのものが変わると指摘してきた。
安全保障を理由に研究が秘密にされれば、成果を公開して確かめ合うという科学の基本も損なわれる。日本学術会議が2017年に、軍事目的の研究には慎重であるべきだとする声明を出したのも、この考え方と重なる。
ただし、STSは「何でも反対」の学問ではない。藤垣教授自身、2012年に日本学術会議の「科学・技術のデュアルユース問題に関する検討委員会」の委員を務めた。新総長の考えは、こうした場での発言に即してみていく必要がある。
日本のSTSを長く引っ張ってきた中島秀人氏(東京工業大学名誉教授)は、理系出身の技術官僚が何代も指導者を務める中国の体制について、さる学内の集まりで「だから文民統制が効かない」といった趣旨のスピーチをしたことがある。
文民統制とは、軍事のような強大な力を、選挙で選ばれた政治家や法によって抑えることだ。
政治とは本来、正解のない問題について立場の違う人々が話し合い、折り合いをつける営みである。専門技術の発想だけでトップに立つと、社会の問題を「直すべき機械の不具合」のように扱いかねない。中島氏の言葉は、専門知と権力が直結することへの警告として読める。
では、藤垣教授の選出は「大学の自律」の勝利なのだろうか。筆者は、そう単純ではないと考える。
◇ねじれる「自律」と政府の反発
「自律」には二つの意味が重なっている。国の方針に流されず大学が自分で決めること、そして大学で働く教員たちの意思が尊重されることである。
今回の選出は、一つ目の意味では、国の政策と距離を置ける人物を選んだとも見える。しかし二つ目の意味では、過半数の票を得た候補を、学外委員も加わる会議が退けたことになる。
2004年の国立大学法人化以降、学長を選ぶ権限は選考会議に集まり、京都大学や東北大学でも選考過程の不透明さが問題にされてきた。学外委員は内輪の論理を防ぐためにいるが、その声が強まれば、国や産業界の意向が入り込む道も広がる。大学の自律を語るなら、この「ねじれ」から目をそらせない。
しかも藤垣教授は、2021年から5年間、藤井輝夫総長のもとで理事・副学長を務めた。「体制の外からの挑戦」と描くのは正確ではない。
東大の決まりでは、採決は議長を除く委員の多数で行い、議長が票を投じるのは賛否同数のときだけだ。議長の経歴が判断を左右したと決めつけることはできない。議長の国谷氏は、NHKの報道番組で長くキャスターを務め、東京藝術大学の理事のほか、原子力発電に批判的な立場をとってきた自然エネルギー財団の理事も務めている。
官邸の事情に通じる人物によれば、政府内にはこの人事にかなりの反発があるという。問題は、その矛先である。
それが藤垣教授のデュアルユースへの慎重さに向いているのなら、国家と科学の衝突が表に出たことになる。投票結果を覆した手続きに向いているのなら、政府は皮肉にも「教員の意思を尊重せよ」という立場から選考会議を批判していることになる。
ただし、これは公式に確かめられた話ではなく、今後の政府の動きを慎重に見極める必要がある。
「自律」には二つの意味が重なっている。国の方針に流されず大学が自分で決めること、そして大学で働く教員たちの意思が尊重されることである。
今回の選出は、一つ目の意味では、国の政策と距離を置ける人物を選んだとも見える。しかし二つ目の意味では、過半数の票を得た候補を、学外委員も加わる会議が退けたことになる。
2004年の国立大学法人化以降、学長を選ぶ権限は選考会議に集まり、京都大学や東北大学でも選考過程の不透明さが問題にされてきた。学外委員は内輪の論理を防ぐためにいるが、その声が強まれば、国や産業界の意向が入り込む道も広がる。大学の自律を語るなら、この「ねじれ」から目をそらせない。
しかも藤垣教授は、2021年から5年間、藤井輝夫総長のもとで理事・副学長を務めた。「体制の外からの挑戦」と描くのは正確ではない。
東大の決まりでは、採決は議長を除く委員の多数で行い、議長が票を投じるのは賛否同数のときだけだ。議長の経歴が判断を左右したと決めつけることはできない。議長の国谷氏は、NHKの報道番組で長くキャスターを務め、東京藝術大学の理事のほか、原子力発電に批判的な立場をとってきた自然エネルギー財団の理事も務めている。
官邸の事情に通じる人物によれば、政府内にはこの人事にかなりの反発があるという。問題は、その矛先である。
それが藤垣教授のデュアルユースへの慎重さに向いているのなら、国家と科学の衝突が表に出たことになる。投票結果を覆した手続きに向いているのなら、政府は皮肉にも「教員の意思を尊重せよ」という立場から選考会議を批判していることになる。
ただし、これは公式に確かめられた話ではなく、今後の政府の動きを慎重に見極める必要がある。
◇東大のデュアルユースにどう影響していくのか
デュアルユース研究の推進は、もはや止まりそうにない。だからこそ問うべきは「賛成か反対か」ではなく、誰が、どんな手続きで、どこまでを決めるのかである。秘密にしてよい研究の範囲は誰が決めるのか。大学の方針は、教員の声と学外の声をどう組み合わせて決めるべきか。
藤垣新総長は記者会見で、「大学とは何か」という原点に戻って考えたいと語った。その言葉が、国家と科学が出会う最前線でどう試され、今後の東大のデュアルユース研究にどう影響していくのか。注意深く見守りたい。
なお、デュアルユースの問題そのものは新しくない。近代科学のデュアルユースで最も象徴的なのは核分裂の発見である。
同じ物理が、広島・長崎の原爆にも、各地の原子力発電所にもつながった。戦時中の日本でも、理化学研究所の仁科芳雄や京都大学の荒勝文策らが原爆の研究に関わっていた。いま世界の主流の原子力発電の原子炉の源流は、原潜で実用化された原子炉である。
その物理学者たちの中から、戦後、核兵器の廃絶を訴える動きが生まれた。1955年のラッセル・アインシュタイン宣言には湯川秀樹も署名し、2年後にパグウォッシュ会議が始まった。湯川や朝永振一郎らが立ち上げた日本グループの流れは、小沼通二氏、鈴木達治郎氏へと受け継がれてきた。こうした流れも、頭の中に入れておく必要がある。>(以上「JB press」より引用)
デュアルユース研究の推進は、もはや止まりそうにない。だからこそ問うべきは「賛成か反対か」ではなく、誰が、どんな手続きで、どこまでを決めるのかである。秘密にしてよい研究の範囲は誰が決めるのか。大学の方針は、教員の声と学外の声をどう組み合わせて決めるべきか。
藤垣新総長は記者会見で、「大学とは何か」という原点に戻って考えたいと語った。その言葉が、国家と科学が出会う最前線でどう試され、今後の東大のデュアルユース研究にどう影響していくのか。注意深く見守りたい。
なお、デュアルユースの問題そのものは新しくない。近代科学のデュアルユースで最も象徴的なのは核分裂の発見である。
同じ物理が、広島・長崎の原爆にも、各地の原子力発電所にもつながった。戦時中の日本でも、理化学研究所の仁科芳雄や京都大学の荒勝文策らが原爆の研究に関わっていた。いま世界の主流の原子力発電の原子炉の源流は、原潜で実用化された原子炉である。
その物理学者たちの中から、戦後、核兵器の廃絶を訴える動きが生まれた。1955年のラッセル・アインシュタイン宣言には湯川秀樹も署名し、2年後にパグウォッシュ会議が始まった。湯川や朝永振一郎らが立ち上げた日本グループの流れは、小沼通二氏、鈴木達治郎氏へと受け継がれてきた。こうした流れも、頭の中に入れておく必要がある。>(以上「JB press」より引用)
「「国家の合理性」と「科学の自律性」は両立するか、意向投票1位を退けた東大総長選、突きつけた大学自治の難題ーー【澤田哲生の「科学と社会のあいだ」】藤垣裕子新総長の選出が映し出す国家安全保障と科学研究をめぐる大緊張関係」とは澤田 哲生(エネルギーサイエンティスト)氏による摩訶不思議な論評だ。
この論評の中で「デュアルユース(Dual-use / 軍民両用)とは、民間(民生)と軍事(防衛・安全保障)の両方の目的で使用できる製品や技術」という言葉がキーワードであるかのように使われている。東大総長の選出とデュアルユースと如何なる関係があるのか不明だが、少なくとも東大総長の選出は「軍民両用」ではない。
近頃このような意味不明な言葉を用いて事柄を強引に引き寄せようとする論法が多用されている。例えば「多文化共生」だ。「多文化共生=良いこと」だから日本国内に様々な文化的背景を持つ外国人移民を受け入れるべきだ、と論理展開する評論家や専門家がいる。
しかし日本国内に様々な文化的背景を持つ外国人が流入して日本国民と「共生」することが「多文化共生」ということなのか。いや、それは多文化共生ではなく「多文化混在」ではないだろうか。もっと正確に表現するなら「多文化のカウス」でしかない。
文化はその国民だけで成り立っているのではない。文化は国土とそこで形成された文化とそれを継承する国民によって育まれたものだ。日本に移り住んだ外国人移民が日本で祖国でやっていた行事や宗教儀式を再現したところで、それは文化の「共生」ではない。
文化の共生とはそれぞれの国民がそれぞれの国土の中で育んできたすべての全体像ではないか。鉢植えのように移植しても、それは似て非なるものでしかない。
澤田氏は東大総長の選出はデュアルユースの時代に沿ったものだとお考えのようだ。しかし民主的手続きを「参考意向」として否定した「総長選考・監察会議」の決定に正当性が果たしてあるのだろうか。いかなるデュアルユースを具現化しようとしているのだろうか。
ちなみに国谷氏の藤垣氏を選出した理由は以下の通りだ。
「藤垣氏は、理事・副学長の経験を通じて、本学が学術界の象徴・シンボルであることを強く意識し、専門分野である科学技術を社会に伝えるコミュニケーション力を生かして、学術への信頼を回復する強い意志と能力を備えていると判断した。激変する社会環境の諸問題を解決する鍵は新たな価値創造にある。そのためには、先進化する技術の活用のあり方に多様な知を生かして、チームワークで事前にリスクに対応し、学術への信頼を高め、大学という組織を発展させることが希求される。同氏は、文理融合、学外・学内のコミュニケーションの充実を通じた多様な知の発展に向かって、幅広い国際的な経験をもとに、より開かれた大学に向けた変革を実現する十分な能力を持っている。壁を所与と考えない力、障壁を生む分断を乗り越える力を本学が持つためには、同氏の知見と能力を評価し、総長選考・監察会議は同氏を次期総長予定者として選考した」 この選出理由のどこに総長選出の正当性や合理性が認められるというのだろうか。副学長を長年勤めてきたのは染谷氏も同じだ。また研究論文の引用数では染谷氏の方が比較にならないほど格段に多い。しかも学内教職員によって過半数を超える1107票も得た染谷氏の人望とコミュ力を認めないわけにはいかないだろう。意向投票を無視された1107人の教職員に対して失礼であるだけでなく、人格そのものまで否定するかのような国谷氏のコメントは染谷氏に対して極めて無礼ではないだろうか。
いかなる意図で「総長選考・監察会議」は意向投票結果を覆してまで藤垣氏を東大総長に決したのか。それは事前に東大総長を初の女性にする、との強い意志があったと思わざるを得ない。それこそジェンダーによる差別ではないだろうか。
摩訶不思議な言葉が出現すると、その言葉によって表現される「意図」を読み解かなければならない。さもなくば、言葉の裏に隠された「意図」により、飛んでもない不利益を被るかも知れないからだ。
東大総長は最終的に文科大臣によって任命される。理解不能な「総長選考・監察会議」での密室での決定に対して、文科大臣は徹底解明すべきだ。それは東大だけの問題ではないからだ。東大大学院で学ぶ院生の実に五人に一人が中国人だという。こにような歪な事態を招いている現実を是正するためにも、日本政府は日本国民のために東大総長選出の摩訶不思議な論理を解明すべきだ。