「ゾーンニング管理」は野生動物に対してだけでなく、人に対しても必要だ。

<神奈川県秦野市は24日、善波峠に設置されたカメラにツキノワグマ1頭が撮影されたと発表した。20日に捕獲し、放獣した個体と同じという。市は安全確保のため、近くの弘法山、権現山、浅間山からなる弘法山公園への立ち入りを規制している。

 市によると、クマは11日に権現山付近で最初に見つかり、20日に公園内に仕掛けたわなにかかったのを確認。同日、県の保護管理指針に基づき、殺処分せず追跡用の機器を取り付け、丹沢山地の奥地に放獣した。
 しかし、23日午後8時45分頃、善波峠のカメラがクマを撮影。県や市職員が捜索したところ、クマに取り付けた機器に反応があり、20日の個体と同一だった。市は広報車や消防車両によるパトロールを行う。
 東京農工大の小池伸介教授(生態学)によると、生息数が少ない丹沢山地ではクマの保護が進められてきたといい、「人を襲ったわけでなく、段階的な対応は問題ない」とする。
 その上で分布域や個体数が増えているとし、「クマと人間のすみ分けを図る『ゾーニング』を検討する段階に入っている。保護だけでなく近隣都県との広域管理も視野に入れる必要がある」と指摘した>(以上「読売新聞」より引用)




「わなにかかったクマ、殺処分せず放獣したら再び出没…専門家「ゾーニング検討する段階に」」との見出しの記事に「やはり」と専門家の意見を行政はしっかりと聞くべきではないかと思う。以前からこのブログに書いているように、里山に出た熊は必ず殺処分すべきだ。間違っても麻酔で眠らせて奥山へ放ってはならない。なぜなら里山に出た熊は奥山の縄張り争いで敗れた熊だからだ。
 たとえ奥山で放ってもそこにその熊の居場所はなく、再び里山へ出て来なければならないからだ。引用記事中に「人を襲ったわけでなく、段階的な対応は問題ない」とする某大学教授の見解が紹介されているが、彼は熊の個体識別調査をしたわけでもなく、追跡用の機器を取り付けたわけでもなく、漫然と熊を丹沢山地の奥地に放獣しただけだ。

 それが県の保護管理指針に基づいたものであるなら、熊の危険性を全く理解していないと云わざるを得ない。殺処分せずに放獣することは危険性の除去にはならない。
 結果として「23日午後8時45分頃、善波峠のカメラがクマを撮影。県や市職員が捜索したところ、クマに取り付けた機器に反応があり、20日の個体と同一だった。市は広報車や消防車両によるパトロールを行う」という事態になった。

 野生動物保護が叫ばれて、とにかく野生動物を殺処分してはならないという風潮が高まり、銃猟が野蛮だとの批判が一般的になっている。しかし野生動物に生息数の自主規制を求めるのは論外で、野生動物の「天敵・ニホンオオカミ」を絶滅させたため、人が殺処分しなければ野生動物は増加の一途をたどる。
 引用記事に「既に「クマと人間のすみ分けを図る『ゾーニング』を検討する段階に入っている。保護だけでなく近隣都県との広域管理も視野に入れる必要がある」と指摘」しているが、全くその通りだと思う。

 「ゾーンニング」などと難しい言葉を使う必要はない。ただ「里山(普通に人が生活圏として使う山)に出た熊は全て殺処分する」ということだ。熊だけではない。里山に出たシカやサルやカモシカなども殺処分すべきだ。なぜならそれらの野生動物を捕食したり、それらの死骸などを食した熊は肉食化して、野生動物の後を追って捕獲しようとするからだ。
 幼児が襲われてから憤慨しても遅い。また青少年が自然と触れ合う里山を安全な場所とするためにも、そこに出没した野生動物は全て殺処分すべきだ。その代わり、奥山に入る場合は野生の王国へ侵入するのだ、という心構えで行くべきだ。そのための心得を厳守して、人の食料や菓子類などは決して残さないようにすべきだ。もちろんゴミを捨てればそれに興味を持った野生動物が里山に下りてくることもあり得る。「ゾーンニング」は野生動物に対してだけでなく、人に対しても厳しくあるべきだ。

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