がん細胞を風邪のウィルスを利用して破壊する
<◇長年の喫煙、その後に食道がんが
80代の男性は、若いころから音楽が好きだった。大学時代にはバンド活動に打ち込み、仲間と酒を飲み、煙草を吸った。高度成長期からバブル期を生きた世代にとって、酒と煙草は大人の男のたしなみでもあった。
バブル崩壊後、禁煙の空気が広がっても、男性にとって「健康のために煙草をやめる」という発想は、どこか自分たちの世代には似合わないものだった。弱音を吐くようで、格好悪い。そんな感覚もあり、長年の喫煙習慣を手放すことはなかった。
70歳を過ぎたころ、男性はCOPDと診断された。COPDとは慢性閉塞性肺疾患のことで、主に長年の喫煙などによって肺の空気の通り道が狭くなり、息切れ、咳、痰が続く病気である。肺機能はゆっくり低下するため本人は「年のせい」と思い込みやすいが、進行すると手術や抗がん剤治療に耐えられるかどうかにも影響する。
それでも男性は、治療を続けながら日常生活を無難に送っていた。ところが70代半ば、喉に違和感を覚えた。食べ物を飲み込むとき、どこか引っかかる。
◇検査の結果、見つかったのは食道がんだった。
「今さらつらい治療なんか受けたくない」
COPDを抱える彼にとって、食道がんの大きな手術や抗がん剤を含む治療は負担が大きい。選ばれたのは、放射線単独治療だった。幸い、その後4年間は大きな再燃もなく、家族も少しずつ安心を取り戻していた。
しかし今年に入り、胸に水がたまるようになった。夏ごろからは食欲も落ち、再び喉の奥に食べ物が引っかかるような違和感を訴えるようになった。家族は食道がんの再発を心配し、病院で検査を受けるよう勧めた。だが本人は頑として拒んだ。
「もう80代だ。今さらつらい治療なんか受けたくない。どうせCOPDだから、何もできることはないはずだ」
家族は困り果てた。だが、この「どうせ何もできない」という諦めを変える可能性がある治療薬が、2026年6月に承認された。がん細胞だけで増えるよう遺伝子を組み替えたウイルス製剤「テロメライシン」である。
80代の男性は、若いころから音楽が好きだった。大学時代にはバンド活動に打ち込み、仲間と酒を飲み、煙草を吸った。高度成長期からバブル期を生きた世代にとって、酒と煙草は大人の男のたしなみでもあった。
バブル崩壊後、禁煙の空気が広がっても、男性にとって「健康のために煙草をやめる」という発想は、どこか自分たちの世代には似合わないものだった。弱音を吐くようで、格好悪い。そんな感覚もあり、長年の喫煙習慣を手放すことはなかった。
70歳を過ぎたころ、男性はCOPDと診断された。COPDとは慢性閉塞性肺疾患のことで、主に長年の喫煙などによって肺の空気の通り道が狭くなり、息切れ、咳、痰が続く病気である。肺機能はゆっくり低下するため本人は「年のせい」と思い込みやすいが、進行すると手術や抗がん剤治療に耐えられるかどうかにも影響する。
それでも男性は、治療を続けながら日常生活を無難に送っていた。ところが70代半ば、喉に違和感を覚えた。食べ物を飲み込むとき、どこか引っかかる。
◇検査の結果、見つかったのは食道がんだった。
「今さらつらい治療なんか受けたくない」
COPDを抱える彼にとって、食道がんの大きな手術や抗がん剤を含む治療は負担が大きい。選ばれたのは、放射線単独治療だった。幸い、その後4年間は大きな再燃もなく、家族も少しずつ安心を取り戻していた。
しかし今年に入り、胸に水がたまるようになった。夏ごろからは食欲も落ち、再び喉の奥に食べ物が引っかかるような違和感を訴えるようになった。家族は食道がんの再発を心配し、病院で検査を受けるよう勧めた。だが本人は頑として拒んだ。
「もう80代だ。今さらつらい治療なんか受けたくない。どうせCOPDだから、何もできることはないはずだ」
家族は困り果てた。だが、この「どうせ何もできない」という諦めを変える可能性がある治療薬が、2026年6月に承認された。がん細胞だけで増えるよう遺伝子を組み替えたウイルス製剤「テロメライシン」である。
◇手術するためには正確な評価が必要
食道がんは、男性、高齢者、飲酒や喫煙歴の長い人に多いがんの一つだ。標準治療としては、病期に応じて内視鏡治療、手術、抗がん剤と放射線を組み合わせる化学放射線療法などが検討される。
ただし、食道がんの手術は体への負担が大きい。食道と周囲のリンパ節を切除し、胃や腸で食べ物の通り道を再建するため、胸、腹、場合によっては首にまで手術範囲が及ぶ。近年は低侵襲化が進んでいるとはいえ、標準的な手術ができない患者もいる。
「今は、食道がんの手術ができるかどうかの判断は多職種のチームが担当することが多いです。消化器外科医、麻酔科医、看護師、歯科医師、理学療法士、管理栄養士、薬剤などからなるチームが1人の患者さんを多方面から評価し、手術できるかどうかを決めます。難しいと判断された患者さんは、リハビリテーションを行って再度評価し、それでも難しければ手術不能となり、他の治療法を検討することとなります」
テロメライシンの開発者で、食道がんの外科治療にも長く携わってきた藤原俊義医師は次のように続ける。
食道がんは、男性、高齢者、飲酒や喫煙歴の長い人に多いがんの一つだ。標準治療としては、病期に応じて内視鏡治療、手術、抗がん剤と放射線を組み合わせる化学放射線療法などが検討される。
ただし、食道がんの手術は体への負担が大きい。食道と周囲のリンパ節を切除し、胃や腸で食べ物の通り道を再建するため、胸、腹、場合によっては首にまで手術範囲が及ぶ。近年は低侵襲化が進んでいるとはいえ、標準的な手術ができない患者もいる。
「今は、食道がんの手術ができるかどうかの判断は多職種のチームが担当することが多いです。消化器外科医、麻酔科医、看護師、歯科医師、理学療法士、管理栄養士、薬剤などからなるチームが1人の患者さんを多方面から評価し、手術できるかどうかを決めます。難しいと判断された患者さんは、リハビリテーションを行って再度評価し、それでも難しければ手術不能となり、他の治療法を検討することとなります」
テロメライシンの開発者で、食道がんの外科治療にも長く携わってきた藤原俊義医師は次のように続ける。
◇標準治療に体が耐えられない患者もいる
「食道がんの患者さんは高齢の方が多いです。男性に多く、大酒飲みやヘビースモーカーの方が多いので、肝臓が悪かったり、肺気腫で肺がスカスカになっていたりします。高齢でフレイルな患者さんが食道がんの場合も多い」
標準治療が医学的に正しくても、それを本人の体が受け止められるとは限らない。手術に耐えられない。抗がん剤を使うには腎機能や肝機能が不十分。そうした患者に対して、これまでは放射線単独治療が現実的な選択肢になることがあった。
しかし放射線単独では限界がある。「放射線単独だと、がんが消えてしまう確率は大体2割ぐらい。それをどう増やしていくかというので、今回のテロメライシンが非常に役立つ」。
「食道がんの患者さんは高齢の方が多いです。男性に多く、大酒飲みやヘビースモーカーの方が多いので、肝臓が悪かったり、肺気腫で肺がスカスカになっていたりします。高齢でフレイルな患者さんが食道がんの場合も多い」
標準治療が医学的に正しくても、それを本人の体が受け止められるとは限らない。手術に耐えられない。抗がん剤を使うには腎機能や肝機能が不十分。そうした患者に対して、これまでは放射線単独治療が現実的な選択肢になることがあった。
しかし放射線単独では限界がある。「放射線単独だと、がんが消えてしまう確率は大体2割ぐらい。それをどう増やしていくかというので、今回のテロメライシンが非常に役立つ」。
◇風邪のウイルスをがん治療に
テロメライシンは、風邪の原因にもなるアデノウイルスをもとにした腫瘍溶解ウイルス製剤で、食道がん病巣に内視鏡で直接注射し、放射線治療と併用する。
治験では、放射線単独では限られていた局所の完全奏効率が、テロメライシンを併用することで約半数に達した。
「我々の治験の結果では、テロメライシンを一緒に使うことで50%、半分の患者さんでがんが消えた。30%の差は大きい」
鍵になるのは「テロメラーゼ」という酵素である。正常な細胞では、分裂を繰り返すうちに染色体の末端が短くなり、やがて老化して死んでいく。ところが多くのがん細胞ではテロメラーゼが働き、染色体の末端を維持するため、細胞が死ににくく、増え続ける。
「がん細胞はテロメラーゼが働いているので、いつまでたっても死なない。だから抗がん剤や放射線にも抵抗性ですし、転移していく」
テロメライシンは、この特徴を逆手に取った薬だ。テロメラーゼ活性の高いがん細胞の中ではウイルスが増え、細胞を破壊する。一方、正常細胞では増えにくい。ウイルスが本来持つ「細胞に入り込み、増えて、細胞を壊す」という性質を、がん細胞に向けて使えるよう作り替えたのである。
テロメライシンは、風邪の原因にもなるアデノウイルスをもとにした腫瘍溶解ウイルス製剤で、食道がん病巣に内視鏡で直接注射し、放射線治療と併用する。
治験では、放射線単独では限られていた局所の完全奏効率が、テロメライシンを併用することで約半数に達した。
「我々の治験の結果では、テロメライシンを一緒に使うことで50%、半分の患者さんでがんが消えた。30%の差は大きい」
鍵になるのは「テロメラーゼ」という酵素である。正常な細胞では、分裂を繰り返すうちに染色体の末端が短くなり、やがて老化して死んでいく。ところが多くのがん細胞ではテロメラーゼが働き、染色体の末端を維持するため、細胞が死ににくく、増え続ける。
「がん細胞はテロメラーゼが働いているので、いつまでたっても死なない。だから抗がん剤や放射線にも抵抗性ですし、転移していく」
テロメライシンは、この特徴を逆手に取った薬だ。テロメラーゼ活性の高いがん細胞の中ではウイルスが増え、細胞を破壊する。一方、正常細胞では増えにくい。ウイルスが本来持つ「細胞に入り込み、増えて、細胞を壊す」という性質を、がん細胞に向けて使えるよう作り替えたのである。
◇家族にうつる心配はないのか
「風邪の原因にもなるウイルスを体に入れる」と聞けば、逆に感染が広がるのではないか、家族にうつるのではないかと不安になる人もいるだろう。その点については「普通の人はほとんど正常な細胞しか持っていないので、感染はしても、その中でテロメライシンは増えていかない」と説明する。
もとになっているアデノウイルスは、多くの人が子どものころに感染経験を持つ身近なウイルスだ。成人の多くは抗体を持っており、血液中に漏れたウイルスは抗体で中和されやすい。治療では全身に投与するのではなく、内視鏡でがんの病巣に直接注射する。
もちろん、注意が不要というわけではない。投与後は発熱が起こることがあり、放射線治療に伴う食道炎や肺炎にも注意が必要だ。また治療後しばらくは便中にウイルスが排出される可能性があり、排泄物の処理について説明を受ける。藤原医師も「いちおう生物製剤なので、治療した後しばらくは便の中にウイルスが出てきます」と話す。
つまり「怖くない」と軽く言い切るべき治療ではない。だが、ウイルスの性質、投与方法、排泄物管理を理解し、医療機関の管理下で行うことで、安全性に配慮しながら実施される治療なのである。
「風邪の原因にもなるウイルスを体に入れる」と聞けば、逆に感染が広がるのではないか、家族にうつるのではないかと不安になる人もいるだろう。その点については「普通の人はほとんど正常な細胞しか持っていないので、感染はしても、その中でテロメライシンは増えていかない」と説明する。
もとになっているアデノウイルスは、多くの人が子どものころに感染経験を持つ身近なウイルスだ。成人の多くは抗体を持っており、血液中に漏れたウイルスは抗体で中和されやすい。治療では全身に投与するのではなく、内視鏡でがんの病巣に直接注射する。
もちろん、注意が不要というわけではない。投与後は発熱が起こることがあり、放射線治療に伴う食道炎や肺炎にも注意が必要だ。また治療後しばらくは便中にウイルスが排出される可能性があり、排泄物の処理について説明を受ける。藤原医師も「いちおう生物製剤なので、治療した後しばらくは便の中にウイルスが出てきます」と話す。
つまり「怖くない」と軽く言い切るべき治療ではない。だが、ウイルスの性質、投与方法、排泄物管理を理解し、医療機関の管理下で行うことで、安全性に配慮しながら実施される治療なのである。
◇放射線との併用で効果を高める
テロメライシンは単独で使う薬ではない。今回承認された治療では、放射線治療と併用する。そこには明確な理由がある。
放射線はがん細胞のDNAを傷つける。だが、がん細胞はその傷を修復しようとする。テロメライシンが持つタンパク質は、この修復を妨げる方向に働く。「放射線で傷つけたDNAをがん細胞が治そうとするのを阻害できます」と言う。
テロメライシンは単独で使う薬ではない。今回承認された治療では、放射線治療と併用する。そこには明確な理由がある。
放射線はがん細胞のDNAを傷つける。だが、がん細胞はその傷を修復しようとする。テロメライシンが持つタンパク質は、この修復を妨げる方向に働く。「放射線で傷つけたDNAをがん細胞が治そうとするのを阻害できます」と言う。
さらに、放射線を当てると、アデノウイルスが細胞に入り込む際に必要な受容体が、がん細胞表面に増えることもわかっている。放射線がウイルスを入りやすくし、ウイルスが放射線の効果を高める。「放射線はテロメライシンの効果を増強し、テロメライシンは放射線の効果も増強する」と表現する。
風邪のウイルスからがん治療薬を作る。そう聞くと、SFのように感じるかもしれない。だが、ウイルスをがん治療に使う発想は決して新しいものではない。19世紀末から20世紀初頭にかけて、感染症にかかったがん患者の腫瘍が小さくなる現象が医師たちによって報告されていた。
当初は、なぜそのようなことが起こるのか十分に説明できなかった。野生型に近いウイルスを使う試みも行われたが、安全性や効果の面で限界があり、研究は一時停滞した。転機となったのは、遺伝子工学の発展である。ウイルスが、がん細胞で増えるよう設計する技術が進み、腫瘍溶解ウイルス療法は再び注目されるようになった。
風邪のウイルスからがん治療薬を作る。そう聞くと、SFのように感じるかもしれない。だが、ウイルスをがん治療に使う発想は決して新しいものではない。19世紀末から20世紀初頭にかけて、感染症にかかったがん患者の腫瘍が小さくなる現象が医師たちによって報告されていた。
当初は、なぜそのようなことが起こるのか十分に説明できなかった。野生型に近いウイルスを使う試みも行われたが、安全性や効果の面で限界があり、研究は一時停滞した。転機となったのは、遺伝子工学の発展である。ウイルスが、がん細胞で増えるよう設計する技術が進み、腫瘍溶解ウイルス療法は再び注目されるようになった。
◇内視鏡で病巣に直接注射する
医学にはもともと、本来なら体に害を及ぼす力を、量や場所、標的を厳密に制御することで治療に転用してきた歴史がある。病原体の一部を使うワクチン、毒素を少量使うボツリヌス療法、DNAを傷つける力をがんに集中させる放射線治療。テロメライシンもまた、ウイルスという“怖いもの”の性質を、がんを攻撃するために作り替えた治療といえる。
実際の治療は、胃カメラに近いイメージで行われる。内視鏡で食道がんの病変を見ながら、腫瘍内にテロメライシンを注入する。腫瘍を直接見ながら複数カ所に分けて注射し、慣れた内視鏡医なら投与自体は10分ほどで終わるという。
放射線治療は平日に数週間続け、テロメライシンはその期間中に複数回投与する。病院が近く、放射線治療に通える患者であれば、外来で行える場合もある。内視鏡時には喉の麻酔を行い、希望や施設の方針によって鎮静を使うこともある。
治療そのものは大手術ではない。ただし、対象となるのは「標準治療の代わりに何でも使える薬」ではない。藤原医師は最後にこう強調している。
「食道がんの患者さんで、標準治療が受けられる人は標準治療を受けてください。標準治療の代わりになるものではなく、標準治療が受けられない人を助ける薬です」
医学にはもともと、本来なら体に害を及ぼす力を、量や場所、標的を厳密に制御することで治療に転用してきた歴史がある。病原体の一部を使うワクチン、毒素を少量使うボツリヌス療法、DNAを傷つける力をがんに集中させる放射線治療。テロメライシンもまた、ウイルスという“怖いもの”の性質を、がんを攻撃するために作り替えた治療といえる。
実際の治療は、胃カメラに近いイメージで行われる。内視鏡で食道がんの病変を見ながら、腫瘍内にテロメライシンを注入する。腫瘍を直接見ながら複数カ所に分けて注射し、慣れた内視鏡医なら投与自体は10分ほどで終わるという。
放射線治療は平日に数週間続け、テロメライシンはその期間中に複数回投与する。病院が近く、放射線治療に通える患者であれば、外来で行える場合もある。内視鏡時には喉の麻酔を行い、希望や施設の方針によって鎮静を使うこともある。
治療そのものは大手術ではない。ただし、対象となるのは「標準治療の代わりに何でも使える薬」ではない。藤原医師は最後にこう強調している。
「食道がんの患者さんで、標準治療が受けられる人は標準治療を受けてください。標準治療の代わりになるものではなく、標準治療が受けられない人を助ける薬です」
◇大手との共同開発が打ち切りに
藤原医師がこの治療に取り組んできた時間は長い。一般に知られるようになったのは最近でも、本人は「その前に20年ぐらいずっとやってきた」と振り返る。
開発の道のりは順調ではなかった。岡山大学発の創薬ベンチャーであるオンコリスバイオファーマを中心に臨床開発が進められたが、ベンチャーにとって治験には多額の資金がかかる。標準治療に上乗せする形で大規模試験を行うには、何百人もの患者が必要になり、現実的ではなかった。
そこで開発戦略として、標準治療ができない食道がん患者に対象を絞った。患者数は少ないが、治療選択肢が限られ、医療上の必要性が高い。過去の放射線単独治療のデータと比較し、有効性を示す道を探った。
それでも大きな危機は訪れた。2019年、大手製薬企業が開発に加わったものの、途中で方針転換により共同開発が打ち切られたのである。藤原医師は「普通はベンチャーだったらもうそこで諦めることになる。最大のピンチでした」と語る。
だが、そこで終わらなかった。「大手が離れたなら自分たちでやればいい」と、ベンチャー側が粘った。「社長がそう言ったので、これはすごいなと思った」と振り返る。その粘りが、今回の承認につながった。
藤原医師がこの治療に取り組んできた時間は長い。一般に知られるようになったのは最近でも、本人は「その前に20年ぐらいずっとやってきた」と振り返る。
開発の道のりは順調ではなかった。岡山大学発の創薬ベンチャーであるオンコリスバイオファーマを中心に臨床開発が進められたが、ベンチャーにとって治験には多額の資金がかかる。標準治療に上乗せする形で大規模試験を行うには、何百人もの患者が必要になり、現実的ではなかった。
そこで開発戦略として、標準治療ができない食道がん患者に対象を絞った。患者数は少ないが、治療選択肢が限られ、医療上の必要性が高い。過去の放射線単独治療のデータと比較し、有効性を示す道を探った。
それでも大きな危機は訪れた。2019年、大手製薬企業が開発に加わったものの、途中で方針転換により共同開発が打ち切られたのである。藤原医師は「普通はベンチャーだったらもうそこで諦めることになる。最大のピンチでした」と語る。
だが、そこで終わらなかった。「大手が離れたなら自分たちでやればいい」と、ベンチャー側が粘った。「社長がそう言ったので、これはすごいなと思った」と振り返る。その粘りが、今回の承認につながった。
◇80代女性が再び焼肉を食べた
20年以上の研究の中で印象に残っている患者を尋ねると、最初に治療した80代女性のことを挙げた。食道がんがあり、体力も落ち、手術は難しそうだった患者である。
「こういう治療で効くかどうかまだ分からないですけど、やらせてもらえますかねと言ったら、喜んでと言ってくれた」。治療後、腫瘍はだんだん小さくなり、やがて見えなくなった。食べにくさも改善した。
その後、家族から「焼肉をぱくぱく食べられるようになった」と連絡があった。「やっぱりやってよかったなと思いました」と話す。最終的にその患者は転移で亡くなったが、しばらくの間、がんのない状態で、食べる喜びを取り戻していた。
がん治療の成果は、生存期間や奏効率といった数字で語られることが多い。もちろんそれは重要だ。だが、食道がんでは「食べられるかどうか」が患者の生活そのものを左右する。家族と同じ食卓につき、好きなものを口にできる。その時間を取り戻すことは、治療の大きな意味である。
20年以上の研究の中で印象に残っている患者を尋ねると、最初に治療した80代女性のことを挙げた。食道がんがあり、体力も落ち、手術は難しそうだった患者である。
「こういう治療で効くかどうかまだ分からないですけど、やらせてもらえますかねと言ったら、喜んでと言ってくれた」。治療後、腫瘍はだんだん小さくなり、やがて見えなくなった。食べにくさも改善した。
その後、家族から「焼肉をぱくぱく食べられるようになった」と連絡があった。「やっぱりやってよかったなと思いました」と話す。最終的にその患者は転移で亡くなったが、しばらくの間、がんのない状態で、食べる喜びを取り戻していた。
がん治療の成果は、生存期間や奏効率といった数字で語られることが多い。もちろんそれは重要だ。だが、食道がんでは「食べられるかどうか」が患者の生活そのものを左右する。家族と同じ食卓につき、好きなものを口にできる。その時間を取り戻すことは、治療の大きな意味である。
◇治療を諦める前に、新たな選択肢
現時点で、テロメライシンの対象は限られている。標準治療が受けられる患者には、まず標準治療が優先される。遠隔転移がある患者や、過去の放射線治療との兼ね合いで適応が難しい患者もいる。誰にでも使える万能薬ではない。
それでも、今回の承認には大きな意味がある。高齢で、COPDなどの持病があり、手術も抗がん剤も難しい。これまでなら「放射線を当てるしかない」とされていた患者に、治療の選択肢が一つ増えたからだ。
さらに将来は、食道がんの標準治療への上乗せや、直腸がん、膵臓がんなどへの応用も研究されている。直腸がんでは、治療効果が高まれば人工肛門を避けられる可能性がある。膵臓がんでは、がんを抑える働きを失った細胞に、もう一度ブレーキをかける仕組みをウイルスに持たせる研究が進んでいる。
まだ研究段階ではあるが、ウイルスを恐れるだけの存在ではなく、がん治療の道具として設計し直す時代が来ていることは確かだ>(以上「PRESIDENT」より引用)
「手術にも、抗がん剤にも、老いた体が耐えられない…80代男性が諦めた「食道がん」治療に生まれた新たな選択肢」とは朗報といえるかも知れない。木原 洋美(医療ジャーナリスト/コピーライター)氏が高齢者のがん治療の新方法を紹介している。
現時点で、テロメライシンの対象は限られている。標準治療が受けられる患者には、まず標準治療が優先される。遠隔転移がある患者や、過去の放射線治療との兼ね合いで適応が難しい患者もいる。誰にでも使える万能薬ではない。
それでも、今回の承認には大きな意味がある。高齢で、COPDなどの持病があり、手術も抗がん剤も難しい。これまでなら「放射線を当てるしかない」とされていた患者に、治療の選択肢が一つ増えたからだ。
さらに将来は、食道がんの標準治療への上乗せや、直腸がん、膵臓がんなどへの応用も研究されている。直腸がんでは、治療効果が高まれば人工肛門を避けられる可能性がある。膵臓がんでは、がんを抑える働きを失った細胞に、もう一度ブレーキをかける仕組みをウイルスに持たせる研究が進んでいる。
まだ研究段階ではあるが、ウイルスを恐れるだけの存在ではなく、がん治療の道具として設計し直す時代が来ていることは確かだ>(以上「PRESIDENT」より引用)
「手術にも、抗がん剤にも、老いた体が耐えられない…80代男性が諦めた「食道がん」治療に生まれた新たな選択肢」とは朗報といえるかも知れない。木原 洋美(医療ジャーナリスト/コピーライター)氏が高齢者のがん治療の新方法を紹介している。
そのカギになるのは風邪の原因にもなるアデノウイルスをがん治療に使う、という一見突拍子もない発想だ。細胞は分裂を繰り返す都度染色体の端が短くなり、やがて老化して死んでいく。ところが多くのがん細胞ではテロメラーゼが働き、染色体の末端を維持するため、細胞が死ににくく、増え続ける。
だから風邪の原因にもなるアデノウイルスをもとに遺伝子操作した腫瘍溶解ウイルス製剤・テロメライシンをがん細胞に注射すれば、テロメラーゼ酵素が働いて染色体の端が減少しないで「細胞に入り込み、増えて、細胞を壊す」ことになる。
他の放射線治療などと一緒に行うことで「テロメライシンを一緒に使うことで50%、半分の患者さんでがんが消えた」という治験結果を得ているという。もちろんテロメライシンによる風邪が家族に感染することもないそうだ。
がん細胞を風邪のウィルスを利用して破壊する、というメカニズムは決して新しい発見ではない。ただ理屈として判っていることと、治験を経て有効性が証明されることは別物だ。食道ガンに有効だと判明したが、他のガンに対して有効なウィルスを見つけて他のガンも同様に治療できるようにならないものだろうか。
あるいはガン細胞がテロメラーゼ酵素を持っていて永遠に増殖するのなら、ガン細胞のテロメラーゼ酵素の生成を阻害する薬剤を開発して、注射することによりガン細胞を死滅させることは出来ないものか。
いずれにせよガンとの戦いは細胞レベルの死闘を続けている。細胞やウィルスを研究することがガン撲滅に繋がるのは論を俟たないだろう。この分野の研究が進んで、ガンに侵されて亡くなる人が一人でも救われることを切に願う。