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「消費税は社会保障を支える基幹税」(公明党幹部の発言)は飛んでもないことだ。

 消費税ほど社会保障の精神にそぐわない税も珍しい。なぜなら消費税は生活する上で必要なあらゆる消費に税を課すからだ。貧困層の人たちも過重な税を課され、生存権そのものを脅かされている。  その貧困層に厳しい税が社会保障の「基幹税」とは公明党の議員は頭がおかしいといわざるを得ない。そもそも社会保障とは富の再配分であって、「負担は応能で、支給は一律」というのが大原則だ。介護保険や医療保険はまさしくそのようになっているが、年金だけは社会保障の理念と大きく異なる。  まずは社会保障とはいかなるものかを国会議員諸氏は勉強して頂きたい。そもそも19世紀の英国で何があったかを学ぶべきだ。そして日本のすべての消費に課税する消費税がいかに過重なものかを知るべきだろう。

重税国家が自民党の希求する国家像か。

 自民党は高額飲食税の新設を模索しているという。たとえば一人1万円を超える飲食に関して数百円の「高額飲食税」を課そうとするもののようだ。  そうすると消費税との二重課税をどのように回避するつもりだろうか。高額飲食税を課したものに関しては消費税を課さないのだろうか。それとも揮発油税のようにガソリンにかかっている税も含めて商品価格と見なして消費税を課している現行制度に準じるつもりなのだろうか。  一人一万円の飲食は果たして高級な富裕層の利用するサービスだろうか。それなら結婚式場などで総額一人数万円もかかる披露宴パーティは飲食代を幾らと見なすつもりだろうか。たとえば歌手などのディナーショーは数万円の会費のうち、飲食代を幾らと算定するつもりだろうか。たとえば外国航空路の食事提供は領空での提供場合は高給飲食税がかかるのだろうか。  一人一万円も支払う連中なら数百円程度の税負担なら文句はないだろう、という発想はいかにもいじましい。8%の消費税なら1万円の飲食なら800円もの消費税が徴収されている。その上で数百円もの税を課すとは、この国は一体どれほどの重税国家なのだろうか。  財政再建を謳うなら、なぜ歳出削減努力をしないのだろうか。食うや食わずの国民年金受給者を放置したまま、高額年金受給者の支給金額を維持するための増税とは社会保障の精神に悖るだろう。  毎年毎年対前年比増の予算を組み続けるこの国の官僚たちや政治家たちの脳内は未だに高度経済成長期のまま思考停止しているのだろう。すでに人口減社会になり、勤労人口は激減期に突入している。それなのにこの国の根幹部分の仕組みは全く手つかずで放置されている。  たとえばなぜカルテを電子化して国家管理とし、レセプト管理などを電算化したカルテをプルグラムによる自動化に切り替えようとしないのだろうか。そうすれば数万人の公務員が必要なくなるし、数万人分の委託委員の費用弁償費が必要なくなる。  たとえば公的簿記をすべて複式簿記にすれば分離しバラバラに管理している特会や特殊法人や行政法人など、実質的に公務員と同じ財布から費用が出ているのと同じ人たちの人件費やそれらの期間を運営する費用などをすべて一枚の紙に情報を集約することが出来る。  そうすると膨大な情報が一枚の紙に集約されて実態が解らなくなるだろうという批判が出るだろうが、それは複式簿記の仕組みを良

ネトウヨは結果責任を負えるのか。

 中国の防空識別圏の勝手な拡大に腹立たしいものを感じているのは同感だが、それに対して強硬姿勢だけで問題ないとするネット市民の一部・ネトウヨと呼ばれる人たちの意見には与し難い。確かに中国の国際慣行を無視した一方的な防空識別圏の設定には抗議すべきだが、そこに事前通告なく飛行した自衛隊機を称賛したり、米軍のB52戦略爆撃機2機の飛行をもろ手を挙げて称賛する気にはなれない。  順当な手続きを踏むなら、中国の勝手な線引きに対して「常任安保理」に提訴すべきではないだろうか。国際的な紛争に対処するのが国連の常任委員会の責務で、その当事国になっている場合は議論の場から外れるのも慣行のはずだ。だから中国抜きで中国が定めた防空識別圏の妥当性を国連の場で議論すれば済む話だ。  それで国連の安全保障委員会が結論を出せないなら、その程度の国連に加盟している理は何もないと断じて脱退すれば良い。日本にはそれでなくとも国連では「敵国条項」が適用されている。国連は成立当時の世界情勢のままに固定されたバカげたパワーバランスの上に成り立っている。  しかし国連創立当時のパワーバランスは日本が自由主義経済圏の第二位の場を占めた時に崩壊している。中国は日本からの資本や投資の支援なしに今日のテイク・オフを成し遂げ得なかっただろうということは明白だ。日本なしの世界では中国は未だに経済後進国であり続けているはずだ。中国にとって日本は国家中興の恩人のはずだ。  その中国に対して「やるならやってみろ」と挑発するのは賢明なことではない。中国政府と冷静な話し合いなどは到底望めないから、国際機関に提訴して第三者の目で日中関係を裁いてもらうしかない。  日中戦争を煽るだけのネトウヨは余りに危険すぎる。出来ることなら普天間基地の米軍移設先を尖閣諸島にして頂きたいものだ。最低でも県外の願いは叶わないでも、尖閣の守りにこれほど相応しいことはないだろう。そのためのオスプレイではなかっただろうか。オスプレイなら尖閣諸島でも離着陸できるだろう。日本が直接当事者となる戦争を防ぐためには、そうした中国の穴開き防空識別圏の中に存在する尖閣諸島へ米軍が直接派兵することで日本領だと明確化するだろう。

生活の不安があって「5000万円」借入したとは不自然ではないか。

 猪瀬氏は都議会で所信表明演説の中で自らの5000万円政治献金疑惑に触れて「都知事選挙に出馬するのに生活の不安があって5000万円借入した」と説明した。しかし借入金は必ず返済すべきもので、5000万円借入金が生活の不安解消に役立つとは思えない。  むしろ普通庶民の感覚では「5000万円もの大金を借り入れる」方が不安感を増幅させるのではないだろうか。選挙資金なり政治献金を頂戴するのなら返済の必要はなく「不安の解消」に役立つのは論を俟たないが。都知事の演説を聞きながらそのような感慨に浸った。

まだ続く「官僚による官僚のための政府」

 政府・与党は、中央省庁の幹部人事を総理官邸が一元的に管理する国家公務員制度改革法案について、今の国会での成立を断念する方針を固めた、という。それは中央省庁の審議官以上約600人を対象とする人事を政治家の手に握ろうとするものだ。  しかし世界では決して特異なことではなく、米国では大統領の改選により5000人程度の官僚人事が動くといわれている。それだけ政治家が行政府を掌握して政治家が選挙で訴えた公約を実行する体制造りがやり易いということだろう。  翻って日本はどうだろうか。画期的な本格的政権交代により2009年に民主党政権が成立したが、官僚の人事権は官邸になく、ただ事務次官会議を廃止しただけでマスメディアは批判の嵐を浴びせた。  そしてアッという間に政治家主導を掲げた民主党政権は「政治とカネ」プロパガンダにより小沢氏が政治の表舞台からスポイルされるや、大黒柱を失った民主党政権はたちまち自民党政権の模倣に陥り、完全に官僚支配政権に堕落してしまった。その象徴的な例が菅首相による突然の狂気じみた「消費税10%」宣言だった。  日本のマスメディアもこぞって官僚の広報機関の本領を発揮した。「社会保障の財源に消費税を」などという本末転倒の議論を国民に徹底して刷り込み、なんとなくそのような国民世論作りに成功している。  しかし少しでも考えると矛盾は明らかだ。消費税は貧乏人に厳しく、金持ちに優しい税金だ。それは応能負担により徴収する税ではなく、貧困層にとっては生活費そのものを増額する生存権に関わる問題を孕んでいる。社会保障が「負担は応能で、支給は一律」という大原則があることを故意にマスメディアは国民に広報せず、安定財源という理由だけで消費税こそが社会保障の財源に適しているとバカな論理を展開している。  そうした論旨をマスメディアの愚かな記者たちに刷り込んだのは官僚たちだろう。日本は間違いなく官僚支配の国だ。高額な年金を受領する人たちは現役時代に高額な給与を安定して受け取っていた一部の人たちと、すべての公務員たちだ。彼らの高額年金を維持するために消費税を使うべきだというのなら、貧困層の生活権をたとえ奪おうともも等しく負担させて、高給取りだった人たちの老後生活も高額年金で保障しようというのだ。  もちろん高額年金受給者に官僚たちも入っている。彼らが彼らのためにならない政策に血道を上げる

またしても起こったストーカー殺人。

 昨日千葉県で22歳の女性が知人男性(23歳)に刺され、死亡した。女性は警察に対してストーカー行為をされていると相談していたし、警察も件の男性と面会して警告していたという。しかし、またしても殺人事件は起こった。  知人男性であればこそストーカー殺人は余りに卑劣だ。知人女性の人権を最大に無視した結果が殺人事件なら、男性に対しても刑罰は極刑を以て臨むべきだ。過去とはいえども少なからず知り合っていた者同士なら惻隠の情や憐憫の情がなくてどうするのだろうか。  世の中が自己中心的で即物主義的になってしまったように感じるのは私だけだろうか。何でも思い通りにならなければ我慢ならない、というかのようだ。  二十歳や二十二三で一体人生の何が解るというのだろうか。少しぐらい悲惨で恥ずかしい目にあったところで、長い人生からしたらほど良い肥しでしかない。だから我慢して耐えるべきだと教えるべき教育が学校でも家庭でも地域社会でも為されなかったのだろうか。  体育のみがあげつらわれて、知育や徳育は後回しにし過ぎて来なかっただろうか。たとえば駆けっこでタイムを競うのは是認するが、学力テスト結果を廊下に張り出すのは「差別」だとして嫌って来なかっただろうか。  徳育に関しては道徳教育といった改まったものでなくても、ボランティア活動などをテレビニュースなどで随時取り上げて来ただろうか。なにも官制の「赤い募金ボランティア」を草埋めのように使えというのではない。朝見掛けたささやかな善意でも取り上げるコーナーを設けている報道番組がどれだけあるだろうか。その反対にちょっとした芸人が「豪邸」に暮らしているのを取り上げるなどといった、即物的な成功をとり上げ過ぎていないだろうか。  子供から青年期の教育は難しい。必ずその時代の空気を呼吸して子供たちは育ち青年期を迎える。昨今の器械体操か何かワケの解らない「ダンス」を学校でも採り入れるというのは余り感心しない。  時代の空気がすべて正しいとは限らない。中には大人がしっかりと批判すべき悪しき空気もあるはずだ。それらもすべて是認するというのは大人たちがしっかりしていない社会でもある。  妙な頭髪に髭を蓄え、刺青か悪ふざけの落書きか解らない彫モノを腕などに入れた「ダンス」グループなぞ、体操の一種とは認めても芸能活動とは到底認められる代物ではないだろう。  股下の落ちたような

薄汚い自民党の補完政党の議員たち。

 秘密保護法の採決で党首の意向に反して反対票を投じたみんなの党の議員を処分するという。しかしみんなの党の党是は「行政改革」と「情報公開」ではなかっただろうか。それが秘密保護法に賛成するとは党是と異なる行動を取ったのは党首であり、党から追放されるべきは党首たちではないだろうか。  秘密保護法では自民党の補完政党たちが右往左往して見苦しかった。彼らの政治理念は一体何なのか分かり難いというよりも、そもそも理念なるものがあるのかと疑わざるを得ない。選挙の時点で国民と取り交わした約束を平気で反故にする連中に政治理念を問うこと自体が間違いかもしれない。  民主党は政権政党になった三年間に大きく変質した。小沢党首の下で2009民主党マニフェストを策定した時点では「国民の生活が第一」という政治理念が前面に掲げられていたが、官僚とマスメディアによる「政治とカネ」プロパガンダにより小沢氏という大黒柱を失うと民主党はあっという間に豹変した。  マスメディアは「財源が、」と民主党の「国民の生活が第一」の政策の数々を批判したが、安倍政権下の財源なき公共事業の大盤振る舞いにはなぜか「財源が、」と一切批判しない。この国のマスメディアは恥知らずなダブルスタンダードだ。しかも未来に対して責任を負うなら新規公共事業に突き進むよりも、老朽化著しい東海道・山陽新幹線や首都高速や早い時期に建設された高速道路の更新を含めた維持・管理に予算を回すべきだというのは明らかだ。  何を血迷っているのか、ローテクで需要も大して見込めないリニアモーターカーの建設に踏み出すとは未来への大きな負荷を残す以外の何物でもない。新幹線で貨物なき旅客のみの鉄道輸送による経済効果は限定的で、むしろ在来線に頼る新幹線駅の飛び地となった地方都市の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。  未来のIT化社会は人の往来を増加させるものではなく、ITによるバーチャル会議などによって人の往来を抑制する方向に働く。むしろ貨物輸送の迅速化こそがバーチャル社会を現実社会と結び付ける鍵なのだが、そうした概念を持つ政治家はいないようだ。  自民党の政策は余りに古い旧体制のままだ。「独立行政法人」や「指定管理者制度」の導入などで数々の看板の掛け替えは行ったが、実体として行政改革が実を結んでいるかというと結果は疑わしい。むしろ国の機関から切り離すことにより官僚たちの新た

中国の挑発を毅然として無視せよ。

 昨日26日米軍のB52爆撃機2機が中国が新たに定めた防空識別圏を飛行したと発表した。これまで存在していた防空識別圏を勝手に動かして、中国が尖閣諸島もその内ないだというのは余りに無理がある。  本来なら防空識別圏を飛行する場合は飛行予定航路を伝えて許可を得ることになっているが、国際慣行を無視して勝手に中国が宣言した防空識別圏を認めるわけにはいかない。中国が本気で防空識別圏を実のあるものにするつもりなら、ただちに中国攻撃機がスクランブル発進して侵入した航空機に警告を与えるべきだ。  しかし中国は防空識別圏を犯す機には警告ではなく攻撃を覚悟せよ、と宣言していた。これもまた国際慣行に反する。防空識別圏とは「飛行禁止空域」ではなく、それに続く「領空」侵犯の恐れがあることを相手に警告するのが運用慣行だ。  日本政府も航空機会社に対して防空識別圏を航行する旅客機の飛行予定ルートを中国政府に通告するとしたことを批判し、通告し許可を得るべき「防空識別圏」は尖閣諸島周辺に存在しないと通告した。中国政府は防空識別圏を犯す機に攻撃も辞さじと脅しているが、航行の自由を定める国際航空法を中国が犯せばいかなる事態になるかを考えるべきだ。  中国は国際社会の中で自由貿易を主力エンジンとして経済発展してきた。その主力エンジンを停止することになりかねない国際紛争を自ら招けば、国際紛争の甚大な悪影響を中国は甘んじて受けなければならない。  中国社会の格差問題が表面化しないためには8%を超える経済成長が不可欠だとされて来た。しかし既に中国の経済成長は7%台に落ち込み、それすらも粉飾統計数字に過ぎず、実態は金融バブル崩壊により深刻なインフレと景気後退に見舞われているといわれている。だからこそ海外に対して、とりわけ日本に対して強気な外交を展開して国内世論が反政府運動へと向かうのを逸らすのに必死になっている。  しかし一握りの官僚が富の大半を略奪している中国社会のありようを変革しない限り、中国の反政府運動の高まりを抑え込むことは不可能だ。しかも急激な超高齢化社会の鳥羽口にある中国社会は社会保障に国家予算を割かなければならない歳出圧力が強まっている。  中国が勝手に線引きした防空識別圏を米軍機が2機も堂々と飛行した。それに対して中国空軍機はスクランブル発進すらしていない。ミサイルの照準をロックオンすらもやって

政治家は誰に対して責任を負うのか。

 自民党国会議員は自民党の方針「普天間基地の辺野古移設」に従うべきとして、石破幹事長が沖縄県選出の国会議員と話し合ったという。前回の総選挙などで沖縄県選出の国会議員は「県外移設」を掲げていたため、当初は抵抗を示すのではないかと思われたが、意外にもたった一時間余りの話し合いで翻意したそうだ。  政治家は誰に対して責任を負うべきか。沖縄に過重な負担をかけてはいけない、辺野古沖のサンゴ礁やジュゴンの生息する貴重な自然を守るべきだ、と主張していた彼らの意思はどこへ消えたのだろうか。それでも彼らは政治家として有権者の信認を得ているという自覚を持ち続けられるのだろうか。もしそうだとしたら、厚顔無恥もここに極まったというしかない。  鳩山氏の場合は「最低でも県外」を翻した当時は「首相辞任に値する」とキャンぺーンを張ってついに首相の座から引きずり降ろしたが、今回の自民党沖縄議員団の翻意に対しては厳しい批判を浴びせないのはマスメディアとして公平を欠くといわざるを得ない。  なぜかくもマスメディアは自民党に対して大甘なのだろうか。それとも沖縄県に過重な米軍基地負担を掛けていてはならない、とのキャンペーンを張っていたのは過去の出来事で、今となってはどうでも良いことなのだろうか。たった三年有余でこれほどマスメディアの論調が激変するとは、そこに何らかの意図が働いていると見られても仕方ないだろう。  安倍戦争オタク政権に対してそれほど厳しい批判を浴びせないのもマスメディアとして見識を欠くのではないだろうか。戦前へ回帰しているのではないかと思われる日本版NSCの創設や、「俺が秘密と指定するモノが秘密だ」という暴挙ともいうべき秘密保護法の強行採決に対してもマスメディアは依然としておとなしい。  日本のマスメディアは反日の側面と戦争オタクの側面と同時に併せ持っているようだ。これほど危険なマスメディアは世界にも珍しい。なぜ人権意識を基本にした自由報道を貫こうとしないのだろうか。ただ自分たちに益のある「軽減税率の適用」を新聞にも、という主張だけを繰り返すとは愚かさもここに極まったというしかない。沖縄県選出の自民党国会議員が平然と「辺野古移設容認」へと翻意したのもマスメディアの力のなさに起因すると指摘せざるを得ない。今こそ「政治家は誰に対して責任を負うべきか」と、沖縄選出の国会議員にこの問いを投げかけた

決してあってはならない輸血によるウィルス感染。

 日赤でHIVウィルス感染した血液を数人に輸血したとの報告があった。病気治療による新たなウィルス感染など決してあってはならない。確かにHIV感染初期などはウィンドウ期といって血液検査でウィルス感染と特定しにくい時期がある。それはC型肝炎などでもいえることだが、だからといって輸血によるウィルス感染は医療機関として決してあってはならないことだ。  他にも、例えば膠原病など輸血によっても感染するのではないかと疑われている難病に関して研究を進める必要がある。これまで膠原病など難病指定されている病気を発症した人たちから聞き取り調査などを行い、輸血が疑われる可能性が少しでもあるなら徹底した研究こそが急がれるだろう。  ましてや血液によるウィルス感染がはっきりとしている事例に関して、医療機関がウィルスの存在を見逃して輸血することなどあってはならない。徹底して採取した後も血液検査を数度にわたって行うべきだ。  それによりコストがかかるとしても、重大なウィルス感染を招き患者の将来に与える影響と治療費を考えるならむしろその方が安いだろう。同時に感染力の強いウィンドウ期のウィルス感染を確実に検出できる検査方法を開発する必要もある。そうした研究にも国は全力を傾けて、研究機関に委嘱するとともに研究補助金を出すべきだ。  テレビなどの医療ドラマの主人公にとり上げられるのは華々しい外科医や内科医などだが、実は医療の基礎研究なくして治療の向上は見込めない。新薬開発も必要だが、同時に検査方法の開発も必要だ。そうした総合力がその国の医療水準を引き上げる。  日本は世界の医療に貢献するためにも基礎研究に国はもっとカネを使うべきだ。そのためにも基礎的な大量データの蓄積と分析が必要で、カルテの電子化と国家管理は医療の将来にとって避けて通れない重要課題だ。開業医の団体などが強く反対しているようだが、彼らが最も必要とする医療水準の引き上げにもカルテの電子化は必要だという認識を持つべきだろう。そうすれば、たとえばC型肝炎などの発症事例などからどのような医療行為と関連があるのかなども簡単に大量データ分析から発見できるかもしれないし、今回のようなHIV汚染血液の使用実績と追跡・限定も確実に行えるだろう。カルテのネットワーク化とデータ化をそろそろ本気で考えようではないか。