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国内産業の成長は大変厳しい状況が続いている。

 かつて1㌦は360円だった。1971年のニクソンショックで米国はドル防衛へと動き日本の円は変動相場制を余儀なくされた。そして1985年のプラザ合意の頃には円は1㌦240円になっていたが、それでも360円から1/3の切り上げでしかなかった。その頃の日本は世界へ向けて輸出攻勢をかけ、成長率は7%前後と高成長期にあった。  今はどうだろう。1㌦90円前後を動き日本経済はドル基軸通貨圏の中で悪戦苦闘を強いられている。中国並みに固定相場制に近い為替制度を取り1㌦が200円程度なら日本経済は簡単に繁栄を取り戻せるだろう。輸入資源もあることから単純化できないにせよ、簡単にいえば輸出価格を半値以下に設定できることだからだ。国内の名目資産価格は世界基準では縮小して評価されるが、国内で暮らす国民の暮らしには大して影響はない。しかし輸出価格を為替相場を原則的に市場決定に任せている日本は恣意的な為替操作をする外国と対等に戦うことは困難だ。    戦前も日本が日清・日露と国際的に地歩を固めていくに従って欧米諸国は黄禍として日本の国際進出にいわれなき反発を抱いた。自分たちはアジアをはじめ世界各地から搾取に搾取を重ねて本国の繁栄を支えているにもかかわらず、日本が大陸へ進出しようとすると前に立ちはだかって欧米サークルに入部することを阻んだ。  戦後の経済に関しても同じような態度を取り続けてきた。日本国民の努力で戦後の廃墟から懸命に立ち上がり順調な経済発展をしていると欧米諸国から嫉みのような円切り上げ圧力を受けてそれに屈した。いや屈し続けてきた戦後経済史といっても良いほどだ。    今の円は不当に高く評価されていると思う。年収450万円は米国では5万ドルだが、年収5万ドルのサラリーマンの暮らしと比較すると良く分かるだろう。マスコミはそうした我彼の比較を子細に報道してはどうだろうか。海外に記者を派遣しているのだから海外諸国での暮らしと日本の暮らしの実感が良く分かるはずだ。  円相場は不当に高く維持されているのではないだろうか。中国は国際会議に出る場合には大国だから当然だというが、国際的な負担を求められると新興国だ、とダブルスタンダードを平然と前面に出して恥と思わない。それが国家と国民のためだと思えば平気なのだ。    日本の経済停滞の原因の一つは国際的な政治力の欠如にある。米国からグアム移転経費の分

選挙が盛り上がらないが…

 いい年をした党首がお互いに悪口の言い合いで、国民は聞いているだけでうんざりだ。まず与党の民主党が不甲斐ない。初めから過半数を狙う熱い思いもなく、三年前の得議席の60ではなく今回の改選議席54を目標にするとは。  自民党もバラ撒きを消費税の増税で補うつもりかと民主党を非難するが、今ある膨大な赤字国債の大部分は自民党と公明党の連立政権下に作ったものだ。しかも国民には子供手当などのバラ撒きもしないで。「一番の国にする」というが、自民党こそが官僚制内閣の下で日本を一番の国から転落させた張本人ではないのか。    名前を覚えるのですら苦労する元自民党議員による乱立ミニ政党が様々に民主党政権を批判の叫びを上げている。いかにも自分たちこそが第三極を形成すると息巻いているが間違えてはいけない、今の民主党を作った元自民党議員は政権与党の甘い汁を吸うのを拒否して出て来たのであって、自民党が政権の座から陥落するのを見越して或いは陥落してから野党遠心力で出て来た昨日今日の乱立ミニ政党とはわけが違う。    選挙が盛り上がらないのは各政党が言っている内容が的外れだからだ。「増税と経済成長を両立させる」と菅氏は本気で考えているようだが、それは経済原則にない暴論であって、誰かに入れ知恵された悪い冗談だ。これまででも増税して立ち直りかけていた経済が失速した橋本政権の失政が記憶に新しい。景気対策を本気で考えるのなら亀井静香氏のいうとおり財政拡大の積極経済対策を打つことだが、承知の通り財政支出の経済効果は国家予算すべてでもGDPの20%程度しかない。つまりGDPの50%を占める個人消費支出を拡大させる方が景気への効果が大きいのは経済政策の常識だ。    高速道路無料化の経済効果が大きいため慌てて官僚はその数字を引っ込めてしまったが、一部の限定された無料化だけでもこの週末は各地の観光地が軒並み賑わっている。出掛けたくても関所のように高速道路でバカ高い料金を徴収されては出掛けるのが億劫になる。しかしタダなら出かけて観光地で旅行者気分を味わって家族で思い出作りをしようという気になるものだ。その経済波及効果は大きく、観光地は久しぶりの家族旅行客に賑わっている。これから夏休みに入れば各地のアウトドア施設にも家族連れが出かけるだろう。高速道路無料化を批判していた評論家やマスコミがどんなコメントをするか今から楽し

何とも厚かましい。

 米軍のグアム移転費の日本負担部分を増額してくれ、との要望が米国からあったという。増額が幾らなのかは分からないが、現在のところ移転経費は総額で102億7千万$約9千億円だ。  軍事施設から軍人や軍属の住居まで整備する経費だとしているが、軍人8千人と家族9千人の1万7千人が移転するのに要する経費としては既要求額だけでも莫大だ。一人当たり5,294万円もかかるというものなのだ。軍人だけでなく家族も含めて、一人一人に立派な家を建てるのと同じ額かかる基地の移転とは何だろうか。    基地拡充といっても、どの程度の施設を作り、軍属の居住施設に関してどの程度の施設を作るのだろうか。しかも、総経費額のうち米国は41億8千万$の負担で、あとの60億9千万$は日本の融資と負担で行われるのだ。何とも割り切れないが、米軍がフィリピンから撤退する折にも負担金を求めたとは寡聞にして知らない。日本が弱腰でいればどんどん負担を求めてくるのが彼らのやり口だ。普天間の移設で首相の首が飛んだことから米国に文句の一つも言えないだろうと高を括っている節が窺える。    国会は国民への説明責任としてもう一度米国に説明を求める必要がある。日本が負担すると自民党と公明党の政権が決めたのだが、とどのつまり国民の税で賄わられるわけだ。国民が仔細に知る権利がある。日米同盟は国是としているが、米国追従を日本の国是とした覚えはない。これまで米軍は日本の国内で何をしてきたか。属国民を見るような態度はとっても、日本国民を尊重してきたとは到底思えない。    グアム移転経費増額を要求してきたのが良い機会だ、これを毅然として撥ね付け、以前同意したのも政権が代わり基本的に見直すとすべきだろう。鳩山氏の場合のようにいかにマスコミが政府を攻撃しようと国民は今度ばかりは支持するだろう。普天間基地移設でもそうした態度で政府が交渉すればマスコミが反政府キャンペーンを張ろうとも国民は見捨てないだろう。辺野古移設を撥ね付け国外移転を米国に求める政権があれば国民は必ずや支持するに違いない。  政治家は何を恐れているのだろうか。鳩山氏は子供だましのように「学べば学ぶほど…」と嘘をついて国民を欺いたが、相当な脅しがあったと考えるのが常識的だ。日本の首相は自分の命が惜しくて戦争大好きな帝国・米国とタイに渡り合えるものではない。米国は口先では人権擁護など

予算を削減できないとする議論は官僚迎合だ。

 前回やそれ以前のブログで公共事業がいかに非常識かを述べた。参議院議員会館だけを見ても床面積単位当たり建設費にして一室当たり6千万円を超えている。利用する部屋の面積に限って割り算すれば恐らく一室当たり7千万円は超えているはずで、民間のマンション建設費の十倍だ。しかも立派な外部仕様の玄関ドアもシステムキッチンもユニットバスもなしにである。    公共事業は国交省だけにあるのではない。確かに道路事業は元建設省の国交省だが、農林省にも漁港建設や圃場整備などの農業土木などや文科省にも学校や公民館などの建設事業などあらゆる省庁にあるといっても過言ではない。しかも建設費にはそれに関わる公務員給与は算入されていない。純然たる建設費で、民間がマンシュン建設原価にすべての一般管理費からテレビ広告やマンション販売社員の給与まですべて算入しての販売価格だ。いかに公共事業が凄まじいものかお分かりだろうか。    民主党が言ったほど予算額を削減できなかったではないか、と自民党議員が言うのは自らの目が節穴だったと自白しているのに等しい。ゼネコンが莫大な利益をペーパーマージンを取って下請けに流す商売をあきらめて、まともな建設業者として原価を積算して入札に参加すれば毎年莫大な予算が削減できることになる。官僚もゼネコンへの天下りを諦めることだ。さもなければギリシアのように公務員とその関連企業が国民から攻撃を受ける事態が日本でも起こると覚悟することだ。    公共事業の単価が異常なことはこれまであらゆるマスコミがタブーとして触れないできた。ジャーナリストも承知の上で書かないできた。書いたところで自分のポケットに一円たりとも入ってこない。かつて大手新聞記者とこのことに関して議論したことがあったが、彼は「このような二重価格で労働者が失業しないで済んでいるんだ」と当然のことのように論破した。それを違法だというのは子供の議論で世間知らずの理屈だと笑った。    小沢氏はまだまだ子供手当などの財源は出る、と言っているようだ。その通りだと思う。そのためには競争入札を徹底して、最低価格も民間並みの価格にしなければ意味がないだろう。最低価格を下回わる入札価格では品質が保てないとして入札から弾くのだ。しかしその最低価格自体が民間の感覚でいけば常識はずれな価格なのだ。官僚は自分のポケットから支払うのではない。理屈さえつけ

まだ懲りない大マスコミ。

 今朝の読売新聞一面に解説員が「政治とカネ」に関して政治家の見識を問うかのような論説が掲載されている。「国民に納得のいく説明がなされていない」「法的に問題がないということと、政治家のモラルとは別次元だ」というのはまさに難癖というものだ。ヤクザ以上にタチが悪いと言わざるを得ない。    それでは新聞社はすべての面で問題ないというのか。恰も無菌室のような無垢な世界からモノを申しているのだろうか。世間では何に関しても意見の対立する人が文句を言い合えばついに際限なくなるものだ。そのために一定の常識的な線引きをして法が世間の判断に公正性を担保しているのだ。小沢氏や鳩山氏の「政治とカネ」なる問題は法的に片の付いた問題だ。それをさらに説明せよというのなら、要求すべき相手は小沢氏や鳩山氏ではなく「問題がある」として捜査に及んだ検察だ。  その検察が起訴しなかったのだから、小沢氏や鳩山氏の一連の疑惑が本当に存在すれば、問題なのは起訴しなかった検察の判断だろう。そうした物事の基本も分からず「政治とカネ」と騒ぎ立てるのはマスコミとして正しいことではない。    先日竣工なった参議院議員会館の建設費と床面積が発表なった。普通の感覚があればおかしいと感じるのが正常だ。単純に一㎡を算出して一室当たりが約100㎡だから一室幾ら掛ったか算出してみると良い。土地代が勘定に入らず廊下や玄関ホールや会議室や階段もすべて部屋として使ったとしてみても100㎡では6千万円を超える。当たり前の感覚では「おかしい」と思うのが健全だ。地方都市では同程度の専有面積を有するマンション一室が3千万円程度だ。しかもその価格には土地代は勿論のこと玄関ホールやエレベータやエントランスも割り勘として算入されての価格ということを忘れてはならない。  新聞社は立派な議員会館が出来たと報じるが、それがいかに普通の感覚からすると高額か、税を監視すべき議員の入居する会館が天井知らずの建設費なのにマスコミの一社なりとも批判しただろうか。自民党政権下に採決された予算執行だが、国会議員は何を審議したのか。国だけではない。地方でも公共事業の価格は異常だ。そうした無駄を省けば幾ら財源が出るか、マスコミは真剣に取材して記事を書かないのならこれからはネットに押し潰されると覚悟すべきだ。官庁から流される情報をタレ流すだけのマスコミなら必要ない。さらに誰が

幹事長の職責の重さを分からない人だ。

 枝野氏の舌禍が選挙終盤へ向かって暗い影を落としている。本来なら選挙の陣頭指揮に立ち、全国へ向けて候補者を支えなければならない立場だ。それが不用意な発言から連立仲間との間に隙間風を吹かせてみたり、友好関係にある団体へ敵意を抱かせたりしている。所詮彼は自分で今日の民主党を築き上げた人ではないのだ。    人の悪口を言うことでのし上がってきた、もしくは人を踏み台にしてのし上がった来た人は人の痛みは分からない。分かれば踏み台に利用できないはずだ。枝野氏は小沢氏の批判を繰り返して菅氏に重用された。しかし、批判することと人事を掌握する力量とは別問題だ。全国にどのような候補者がいてどのような弱点があり何処で苦戦しているか、すべてのデータが頭の中にあって選挙資金の重点配分と応援に差し向ける人材の選別をして党本部でスタッフを使いこなして支持を出し、本人も全国を駆けずり回る。それが幹事長だ。    少なくとも小沢氏はそうして前回前々回と民主党を勝たせてきた。そのお蔭で自分たちがお零れに預かる格好で要職に就いたにもかかわらず、すぐに煙たい存在を追い出せとばかりに小沢氏への批判を昂然と繰り返した。それが勇気ある行動だと反小沢マスコミに持ち上げられて英雄気取りの有頂天になった。そして小沢氏を一兵卒へ追いやり、自分たちの天下となったら、この体たらくだ。    所詮、彼らはその器ではない。まだまだ口先だけの子ども議員だ。小沢氏の下で雑巾がけをして薫陶を仰いで勉強が必要な時期なのだ。悪いことは言わない、これからでも悔い改め、礼を尽くして小沢氏に教えを乞うことだ。与党が過半数割れになったら、誰が他党と連立協議をするのか、民主党は冷静に党内の人材を見回すと良いだろう。

相手への非難中傷では物事は解決しない。

 谷垣氏の人気が今一つなのは相手への非難中傷にあるのではないかと思われる。今度の菅氏が掲げた消費税増税に対して「民主党のばら撒き政策の尻拭いは御免だ」というのはいただけない。目の前に積み上げられた莫大な赤字国債の山は自民党政権の野放図な公共事業と各種制度事業によって造られたものだ。国民はつい先ごろまで自民党が業界団体や官僚の言いなりに膨大な公共事業に国債を増刷して驀進した事実を知っている。    去年の夏まで責任政党と称していたのは自民党だ。それが政権から転落すると無責任政党になってはならない。彼らが積み上げた国債の山に対して些少なりとも責任を感じていれば民主党を詰るだけであってはならない。かつての政権党の責任として国債残高を削減する処方箋を示し、民主党に協力すべき筋合いのものだ。    ばら撒きといわれる子供手当は直接子育てをしている親の手に渡るが、自民党がやってきた政策は国民の誰にどのような経済的な再配分があったのか皆目わからない。ただ高価な橋や道はできたが、それに倍する各種団体が制度事業に群がっている。自民党がしてきた罪悪の最たるものは官僚利権をとことん肥大させたことだ。その反省なしに直接支給制度を批判するのは為にする議論だ。マスコミも大いに反省すべきだ。    選挙演説の中身として語られる政策の競い合いを国民は期待している。程度の低い非難中傷を耳にするために集まっているのではない。この国の過去に責任を感じて将来展望を示すべきは責任政党として為すべき責務ではないだろうか。

政治は選挙から始まる。

 仕組みとしては民主主義は国民が主人公だが、実際に政治をするのは当選しバッジをつけた政治家だ。いかに大口を叩こうと政治を志す限りは当選しなければ犬の遠吠えだ。小沢氏が幹事長時代に擁立した候補者を支援するのは責任ある政治家なら当然のことで、9月の代表選に影響力が残るか否かも彼の努力いかんだろう。    選挙には様々な戦術があるようだが、川上戦術というものがあるとは知らなかった。小沢氏によって初めて知ったが、なるほど彼が大都会で大衆を相手に演説してもそれほどインパクトはないだろう。それよりも鄙びた田舎へ足を運んで話す方が少人数だが強く印象付けられる。    一方で選挙に精通した秘書軍団を全国へ派遣し、裏方を手伝わせながら候補者に指示を出し小沢氏と連絡を取るという手法はなかなかのものだ。そこまでやる政治家が他にいるだろうか。擁立だけしてたまに出かけて行って繁華街で街宣車の屋根に上がってパフォーマンスを演じるのが関の山だ。他の人と同じことをしていては聴衆は感動しない。    翻って民主党執行部が与党慣れしていないばかりか、政権党で舞い上がっているのは歴然としている。菅総理は消費税を含めた税制論議を選挙後に与野党で協議すると言いつつ、早くも還付対象年収額として勝手に様々な金額を上げてブレまくってみたり、不謹慎にも幹事長が選挙後の連立に言及してみたり、票を獲得しようとしているのか候補者の邪魔をしているのか、自分の権力者としての立場に酔っているとしか思えない馬鹿げた行動だ。    米国大統領と面会した際、鳩山氏はオバマ大統領とは昼食の合間に10分間だけの話し合いの処遇だったが、菅氏の場合は対談者の最後に回された。その程度の扱いなら憮然として席を立ってしまえば良かったのだ。いかに日本が米国の経済を支えてきたか、国際社会で金魚のフンと言われながらも長年支持し続けてきたか、米国は忘恩の輩だ。日米同盟を堅持することと、個人的な扱いに憤然とすることとは別だ。首相は国民を代表して国際会議の舞台に臨んでいる。その国の代表者を遇するに礼儀というものがあるはずだ。そろそろ高圧的な戦勝国の態度で接していては戦争を知らない世代は反発こそ覚え畏怖の念は抱かないと米国に教える必要がある。そうしたことが出来る政治家の一人に小沢氏がいることは間違いないだろう。    さて、選挙は水物だ。民主党劣勢の前評判がど

坪単価建築費が2百万円を超える豪邸とは。

 この度竣工なった参議院議員会館の建設費などが公表された。建設費が615億円で建設総面積が9万6千㎡。つまり坪に換算すると2万9千坪となる。そこで建設費を坪数で割ると坪単価が出てくる。その金額たるや驚くべき2百11万7千円余となった。    バブル絶頂期にマンション建設費が坪単価120万円を超えたと建設業界では話題になったものだ。その後、バブル崩壊で建設単価が下落し、最低値の頃には坪単価40万円を切ったこともあった。現在では70万円前後を推移しているのが建設業界の常識だ。    公共事業単価とはかくも凄まじいものだ。議員会館建設費が坪単価2百万円を超えている。しかもマンションと大きく違うのはそれぞれにシステムキッチンやユニットバスのあるマンションとは比較にならないほど備品費の要らない議員会館の建設費がかくも巨額だということだ。この計画は小泉政権下で提出され、前政権下で予算認定されたものだ。つまり自民党政権下で計画がなされ自民党議員たちによって決議されたものだということだ。    これは何も国会だけのことではない。地方の市庁舎や公民館や各種会館がいかに坪単価が高額かを国民は知らないのだ。その原因と責任は議会議員にある。彼らがチェックすべき事項にも拘らず、ほとんどノーチェックで予算通過しているのが国と地方の現状だ。公共事業単価がいかに常識外れで、しかも競争入札といいつつ落札率が90数%に貼りついたままなのだ。    確たる証拠はない(証拠があれば警察が談合事件として立件するだろう)が、落札価格が漏れていると考えるのが常識的な判断だ。この国に(地方も含めて)歳出予算削減する余地はほとんどないため増税するしかないと発言している評論家諸氏は官僚の飼い犬だと思ってまず間違いないだろう。公共事業が民間価格とかくも大きく乖離しているため予測するのは困難なはずだが、国と地方自治体のほとんどで公共事業の落札率が90%を超えている。それでもおかしいと感じない議員連中はおそらく税の浪費に関して不感症という病気に罹っているのだろう。    衆議院会館も簡単な算数だから坪単価を弾いてみると良い。かかった建設費は2棟分で1170億円で建設延べ面積は2棟で20万㎡(6万5百坪)だ。そうすれば参議院議員会館よりはいくらか低いが、それでも民間の常識と比較していかに高額なものか納得できるだろう。

一年生議員に党の顔を勤めさせるとは。

 日本を代表する公党が選挙のCFに一年生議員を登用したという。人気が高く当初から国会論戦に起用するなど党の顔を勤めさせてきたが、ついに党総裁に代わってCFに出て、テレビ画面から投票を訴えるというのだ。    選挙だから国民から票を投じてもらわなければならないが、そのためには法に抵触しない限り何をしても良いということではないだろう。一年生議員が才能豊かなイケメンだからといって、選挙の顔に登用しては政党の鼎の軽重を問われはしないだろうか。    その議員が今後どれほど伸び代があって国を担う政治家に成長するか分からないが、若い時分からチヤホヤして良い結果になるとは思えない。人生のピークというのなら彼の父親は議員を倅に譲るまでの首相だった数年間がピークだった。つまり60を過ぎるまではかなり厳しい政治環境の中で実績を積み上げたような気がする。    「人を転落させるのは簡単だ、多くの拍手を浴びせれば良い」というのは西洋の箴言だ。本気で一年生議員を育てる気があるのなら、CF出演ではなく同党の候補者支援に地方回りをさせることの方がほよど大事ではないだろうか。