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赤ちゃんの両足大腿骨骨折事件。

 何とも痛ましくて声も出ないほどだ。被疑者と見られる28歳の女がレジ待ちの赤ちゃん連れの母親に近づき「かわいいね、抱っこさせて」とせがみ、赤ちゃんを抱きあげて親が目を離した僅かな隙に赤ちゃんの両足大腿骨骨折による全治4ヶ月の重傷を負わせたというのだ。  火がついたように赤ちゃんが泣きだし慌てて赤ちゃんを取り戻して家へ帰ったが、一向に泣き止まないため病院へ行って両足骨折が分かったという。言葉のしゃべれない無垢な赤ちゃんに危害を加えるとは許し難い残虐行為だ。全く面識のないことから恨みによる犯行とは考えられず、一種猟奇的な愉快犯と思われる。ちなみに女はスーパーの防犯カメラから身元が割れ逮捕されたが暴行に関しては否認しているという。    被疑者が逮捕されて事件は解決したが、問題はここからだ。足利警察署には以前から似たような女に赤ちゃんが危害を加えられた相談があったというのだ。女が赤ちゃんを抱っこしたがりやむなく抱っこさせると間もなく赤ちゃんが泣きだしたので調べたら足に抓ったような痣があったとか、類似の複数の相談が寄せられていたという。それなのにスーパーなどへ注意書きを手配するとか、注意を喚起する巡回などを行うとかしていなかったのはなぜだろうか。一般人からの通報が一件でもあったり、相談が一件でもあれば機敏に動いて後々累犯を防ぐのが警察の重要な役目ではないだろうか。    警察の怠慢から起こった似たような事件はいくつもある。ストーカー被害を訴えても警察が積極的に動かず、放置したため結果としてストーカー被害者が殺害される殺人事件にまで発展したケースがいくつあっただろうか。今回も赤ちゃんが見知らぬ女に抓られたと相談があった段階で問題視して動いていれば、赤ちゃんが大腿骨骨折させられるまでエスカレートしなかっただろう。  同じようなケースとして出会い系サイトのネット巡回も警察はすべきだ。不当な介入は表現の自由を侵害するかもしれないが、少女がいろんな犯罪に巻き込まれる窓口になっているのも確かなことだ。サイトを巡回して警察官がナリキリになって掲示板へ書き込んでいる者の真意を確認するのも一つの手だろう。    大事件が起こってからでは遅い。火事は初期消火が肝要なように、犯罪も初期の段階で芽を摘んでいれば大腿骨骨折のような事態へは進展しなかっただろう。個々の警察官は一般人からの相談を軽く見な

「腹案があります」の文言はまだ生きているのか。

 辺野古沖という自民党時代の日米合意案に近いものへ回帰するのが鳩山首相の「腹案」だったのか。それとも一応は米国との合意作りに便法として辺野古沖を提示したが、当然地元も県も合意が得られないから辺野古沖案は文書上の合意であって、現実的な合意でないというのが鳩山氏の「腹案」なのか。つまり日米合意はしたが今後現実に基地の設計や地元同意などを取り付ける段階に到ると立ち往生するのは目に見えている。だから結局は県内移設は困難だよ、と改めて米国に伝えて国外移設を持ちかける、というプロセスまで読んでの上、というのが鳩山氏の最終的な「腹案」で、今は死んだふりをしているのならしたたかなものなのだが。  もし辺野古沖へ回帰するつもりで時間稼ぎに「腹案」がある、と言ったのなら愚かなことだ。本心から今回の日米合意が実施可能だと思っているのなら今回の合意形成に動いた官僚に完全にしてやられたことになる。    駐米大使が夜中にクリントン国務大臣に呼びつけられて、なぜ沖縄の日米合意を反故にしたと叱責を受けた、と演技し国内メディアに配信したことがあった。後で駐米大使の狂言芝居で呼びつけたのではなく国務大臣がちょっと立ち寄っただけで沖縄問題を話していないと分かった。  官僚は自分たちが仕上げた成果を否定されるのを最も嫌う。そのためには狂言芝居を打ってでも国内世論を梃にして日本政府を追い詰めようとする。鳩山氏が県外移設を考えている間は担当各省の官僚たちは普天間問題を放置してサボタージュし、外交に素人の国会議員がオタオタするのを傍観しつつ陰で様々な妨害工作をした。そしてついに鳩山氏が県外移設を断念するや辺野古沖へ回帰すべく他の移設先候補案をことごとく潰し、かつて自分たちが成案を得ていた辺野古沖が最善として辺野古沖案で米国との再合意作りに動いた。そしてこの際とばかりに新たに県外に訓練場を設けるように官僚得意の「焼け太り」を策しているのだ。    こうなったからには鳩山氏はかつての日米合意案へ戻ったのだから、県外の訓練場も必要ないと突っぱねるべきだ。訓練場を作って米軍基地面積の総合計を増やし「焼け太らせる」のは最悪だ。そのように導いている官僚の思惑を打ち砕き、駐米大使や防衛制服組幹部や外務省米国担当幹部を更迭すべきだ。彼らのタッグチームにしてやられたのを認識しなければ防衛利権構造を打ち砕くことはできない。辺野古

読売新聞は「編集手帳」で取り上げただけで茶を濁すのか。

 郵政制度悪用事件で身体障碍者団体への割引制度を悪用したとして検察は厚生労働省元局長の関与があったとして逮捕し、民主党長老議員の関与立件も視野に入れて任意の事情聴取までした。マスコミも政官癒着の一大疑惑事件のように騒ぎ立て煽ったものだ。  しかし公判が始まると大阪地裁は検察側が申請した重要証人の供述書をことごとく却下し、証拠採用しなかった。もはや無罪判決が見える事態になって、はじめて検察の暴走をチクリと批判する記事を「編集手帳」に掲載した。    しかし検察の大本営発表をさも事実であるかのように連日報道したことにより蹂躙された元局長の人権への謝罪もさることながら、共犯と一時報じられた民主党長老議員の名誉回復は微塵も図られていない。そして何よりも「編集手帳」最後の数行で『政治とカネの事件しかり、庶民の検察への信頼感情は、ここのところ少し怪しくなっている』と結んでいる。数行書き足すことで不起訴に終わった小沢氏の件に触れたつもりだろうが、庶民の検察への信頼感情が怪しくなったのは郵政制度悪用事件と同じく、検察の「思い込み、無理筋捜査」を無批判に検察情報をタレ流したマスコミが庶民を誤った方向へ誘導したのが原因だと一片の反省もしないのは報道機関そのものが厚顔無恥と批判されても仕方ないだろう。    小沢氏が不起訴になった時点でマスコミは全紙全面広告で小沢氏に謝罪すべきだった。マスコミが小沢氏にいわれなき攻撃を仕掛けて彼の名誉を棄損した重い事実を「政治とカネの事件しかり、」と刺身のツマ程度に軽く触れて済まされるものではない。  今日のマスコミにより作られた政局も、この普天間騒動がいったん鎮静すると誰が仕掛けて誰が火に油を注いだか、鳩山政権潰しのマスコミ主導の策動がやがて暴露されるだろう。    しかし小沢氏の場合は余りに酷かった。いまだに小沢氏を巨悪の権化のように吹聴する者がいるが、根拠のない批判を繰り返すのは人権侵害と名誉棄損に当たることを警告しなければならない。  小沢氏が民主党代表を辞任するきっかけとなった大久保氏の事件も大山鳴動してネズミ一匹だった。公判が始まれば会計責任者を逮捕するほどの事件だったのか、国民の目に明らかになるだろう。その構図は石川氏たちの逮捕と全く同じだ。いずれも狙い筋で小沢氏を政治献金と職務権限行使を関連付けて立件しようとしたのだろうが、ついに証拠は出

首相にスピーチライターをつけては

「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と鳩山首相が発言したとして、いろんなブログで取り沙汰されているようだ。それは5/26夕の官邸で、普天間問題で日本の安全保障についてぶら下がりの記者に問われて返答した一部のようだ。  記者と首相の長いやりとりの中でつい口から出た文言のようだが、得たとばかりにそこだけを切り抜いて配信してしまった。いかにも上から目線の発言で、国民が反発を覚える格好の材料としてタレ流したのだ。    米国大統領には若くて有能なスピーチライターがついて、大統領のあらゆる発言の場でメモを作って渡しているようだ。既に遅いかも知れないが、鳩山首相にも有能なスピーチライターが必要だ。  有能なライターがメモを作るとしたら、鳩山氏に「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と国民を叱るように言わせるのではなく「日米同盟を堅持しつつも、この国はこの国の人々で守るという国家としてあるべき姿を求めたい。今回の普天間移設を巡る問題で県外移設の約束を守れなかったのは申し訳ないが、沖縄県民の痛みを日本国民すべてで分かち合う必要性を今後とも訴えてまいります。なにとぞご理解とご協力をお願い申し上げます」ぐらい言わせておけばそれほど取り沙汰されることはなかっただろう。    鳩山首相は世間に稀なほどの富豪の家庭に生まれ、金銭的な苦労をしないどころかそれほど人に対して頭を下げることなく初老を迎えたのだろう。物腰から育ちの良さは分かるが、人として他人の思いを汲み取る想像力の欠如を危惧する場面が多々見受けられる。会社のボーナスが出なくなって銀行にボーナス払いの住宅ローンの一時返済猶予をお願いに行ったり、子供の大学授業料の支払いに窮して教育ローンを借りに行ったりする苦労は知らないだろう。庶民は様々な苦労をして人に頭を下げ、人の温かさや人のいやらしさを学んでいくのだ。そうした実社会での教育機会に恵まれなかった鳩山氏は決定的にそうした面での感性が欠落していると自覚すべきだ。そしてすでに教育によって是正する年ごろを逸し学ぶ期間もないことから、そうした面を持ち合わせたスピーチライターが必要なのだ。    至誠天に通ず、というのは間違いだ。たとえ至誠があったとしても言葉に出して表現しなければ相手に伝わらな

時代の変革に立ち向かうには

 相変わらずマスコミは鳩山政権の首を獲ろうと懸命に鳩山氏の首相としての個人的資質についてまで追及している。それにテレビ番組で民主党批判している新聞社の御用評論家までも一緒になって「首相の常識力欠如」(5/29読売新聞朝刊)なぞと大見出しで最後の攻勢を強めているのは一種異様な感がする。そこまで執拗に鳩山氏を潰したいのは他によからぬ思惑があるからではないかとつい疑ってしまう。    民主党政権ができて9ヶ月ほど経った。その間、普天間問題だけしかしていなかったわけではない。自民党以外の政党が初めて本格的な政権に就いて以来、これまでの政策の見直しを随分としている。たとえば八ッ場ダムの問題だ。全国に建設中の140ものダムが本当に必要なのか、という投げかけた意味は大きい。米国では古いダムを撤去して昔の川へ戻しているほどだ。  諫早湾堰の開閉問題も現在検討中だ。自民党政権だったら決して検討すらしなかったはずだ。今はまだ迷走中だが、高速道路料金も無料化へ向かって動くものと期待している。無責任な利権構造で40数兆円もの借金を道路公団が積み上げたのは自民党政権下だった。その膨大なツケをどうするかで民主党政権が頭を悩ましているのだ。    だから民主党政権はこれからも自民党政権時代に「よろしく」やっていた連中の甘い利権構造を徹底的に見直さなければならない。けっして後退してはならないし、普天間問題で躓いたからといってオタオタと狼狽えないことだ。戦後六十余年の間碌に政権交代がなかったため様々な澱が日本社会の隅々まで溜まってしまったが、何と言っても最大の利権構造は官僚と外郭団体の関係だ。しかも国民の税と負担金を食い物にしていてその罪は大きい。そうした構造の存在を承知しつつ、放置して報道すらしなかったマスコミの責任は鳩山氏の普天間問題で迷走した責任と比較されるべくもないほど巨大だ。    しかしiPadが昨日日本でも発売され、情報環境は大きく変わろうとしている。全国紙が今後とも現体制を維持するのはますます困難になるだろう。テレビというチャンネル数の限られていた世界を各紙が独占することでメディアまでも支配してきたが、これからは大メディアが情報を支配し続けることは困難になるだろう。  ものぐさな手に物を持って歩きたがらない日本男子が多い中で(日本女子はバッグやカバンを持ち歩くのが好きなようだが)iP

五月末の約束は果たしたのかな。

 迷走に迷走を重ねた普天間基地移設は自民党時代の日米合意に近い形で日米で合意できた。振出しに戻ったわけだから、両国政府に問題はないが、地元住民にとっては大問題だ。  鳩山代表当時に「最低でも県外」と誰の入れ知恵か知らないが、選挙期間中に口走ってしまった。マニフェストでは日米合意の見直しは困難を極めるとして、敢えて触れなかった事項にも拘らずに。    亀井金融大臣が福島少子化担当大臣に「辺野古移設はできっこないからこだわるな」と慰留したそうだが、福島大臣は「辺野古」の文言にこだわった。事実、現地の承認を移設の条件とするなら、辺野古への移設は困難だし公有水面埋め立てに必要な県知事の承認は得られないだろう。つまり辺野古沖への移設は頓挫するとみて間違いないだろう。その程度の読みは官邸でもしているはずだから、亀井大臣が慰留に辺野古はできっこないとしたのも頷ける。    沖縄県民も辺野古の地元民もこれからが頑張り時だ。政府に沖縄県内移設に反対の意思表明をし続けることだ。徳之島も地域エゴをむき出しにして移設断固反対の島民世論を盛り上げることだ。米国が恐れているのは民主党政府ではなく、日本国民の世論だ。日本が反米になるのを最も恐れているのが米国だ。国内世論が民主党批判に向かっている間は対岸の火事として不機嫌そうに腕組みして「いつになるのか、ボーイ」なぞと日本を小バカにして傍観を決め込めばよい。しかし論調が「ヤンキーゴーホーム」のスローガンに変わりだすと、途端に顔色を失うだろう。    米国は世界中で嫌われている。韓国でも反米感情は根強い。もちろん南米でも中東でもアフリカでも欧州でも嫌われている。それは余りに他人の政治と利権に干渉しすぎたためだ。世界で最も米国と同一歩調をとってきたのは今回の選挙で敗れた前政権の英国だった。その次が忠実なポチの日本だ。英国の新政権が米国にどのようなスタンスをとるのかこれからだし、日本の民主党政権は自民党政権より米国に批判的だ。そのために一日も早く民主党政権を潰そうと米国贔屓のマスコミから官僚まで総動員して叩きに叩いてきた。やっと成果が実りだしたが、副作用として眠っていた沖縄県民意識を起こしてしまった。    鳩山政権が倒れるか存続するか、どちらになろうと大した問題ではない。かつて代表だった小沢氏が「民主党にはまだ政権担当能力はない」と言って、民主党内が

「次の首相は誰か」とは

 自民党の平沢議員が都内で開いた自身のパーティでキャンベル国務次官補の口から標記の問い掛けがあったという。  自民党議員に対するリップサービスとも受け取れるし、かつて自民党が支持率の低下した首相を自党内で盥回しした実績を皮肉ったのかもしれない。しかし平沢氏もマスコミも鳩山首相が米国政府から見放された証拠だと論評している。    他国のマスコミがそう伝えたのなら表現の自由の範囲内としてまだ許せるが、他国の政府高官がたとえパーティの席であるとはいえ、我が国への内政干渉であるかのような首相を馬鹿にした発言をして、それを耳にした国会議員がたとえ野党といえども悦に入ってはいけない。「それは日本国内の問題で、沖縄の負担を少しでも軽減したいと願うのは私も同じだ」と、憮然として見せるぐらいの見識と度量が必要だろう。沖縄問題で大きく躓いた日本の首相を米国政府高官からバカにされて喜んでいるようでは、平沢議員も日本のマスコミも本気で沖縄の負担を少しでも軽減しようと思っていない証拠とでもいうべきだろう。    法によれば鳩山氏は自身が「辞める」と決断しない限りは最低でも衆議院議員の任期一杯は首相であり続けられる。これまではあまりにも簡単に首を挿げ替えてきたことにより、日本の首相が世界の政治家から軽く見られるようになっている。小泉氏以後二回続けてサミットに出た首相は一人もいない。一年ほどで次々と交代しては世界の政治家は日本の首相を相手に本気で外交交渉できないため、首相が代わっても代わらない官僚相手に交渉するのが慣行になってしまった。それが今回の普天間移設問題を巡って米国が政治家相手に交渉するのを嫌がった真相だ。そのため最終的に官僚が自分たちがまとめた自民党時代の日米合意案へ回帰させるシナリオに誘導し、官邸もそれに乗るしかなかったのだ。実はワシントンの本意は国外移転を民主党政権が本気で言い出せば譲歩せざるを得ないと覚悟していたとの話もあるようだ。しかし自民党時代の日米合意で基地問題が動くと防衛利権に巣食う連中が想定して支度しているため、日本の都合で動かせなかった等の話がまことしやかに囁かれている。そこらへんの闇に覆われた部分はいずれ時が真実を暴くだろう。なぜ、若い頃に米国に留学して日米関係に精通しているといわれる鳩山首相が突如として「学べば学ぶほど海兵隊が抑止力として働いていると知った」などと

全国知事会を欠席した知事は

 夕方のテレビニュースを見ていると全くひどいの一言だ。鳩山首相が全国の知事の招集を知事会に依頼して開かれた会議について、若い記者が「アリバイ作りの茶番だ」と切って捨てた。  何とも大胆な断定をしたものだ。首相が沖縄の負担を全国の知事に呼びかけるのが、若い記者が「茶番」と断定するほど愚かなことなのだろうか。それなら鳩山首相は政府の独断で普天間基地の移設にかかわる訓練受け入れ先を決めても良いということなのか。    沖縄の負担軽減と一部分担を沖縄以外の地域に求めた首相は鳩山氏が最初だ。稚拙であれ、愚かであれ、全国知事会に出席して首相が依頼した事実は重い。全国知事の中で唯一大阪府知事橋下氏だけが協力を表明した。その意気込みや良しとすべきだ。  それでなくても新たなことをやろうとすれば様々な困難が伴う。鳩山氏は普天間移設と官僚制内閣打破を同時に掲げたため、官僚の徹底したサボタージュにあっている。はじめて政権に就いた与党議員が官僚のアシストなしに米国と交渉するのは困難を極める。そうした官僚のサボタージュを毎日見せつけられたわけだが、マスコミまでも旧体制の復権を願って民主党潰しに狂奔しているから、当然のように「愚直」な鳩山首相を揶揄する。    山口県知事は全国知事会を他の17人の知事と同じく欠席した上で「米軍再編の全体像を政府は示すべきだ」と記者会見で鳩山首相を批判した。それならなぜ全国知事会を「出席しても新たな負担をするつもりはないから無駄だ」として突っ撥ねたのだろうか。出席した上でそうした意見を言うべきであって、出席もしない知事に首相を批判する資格はない。  知事たる者のそうした姿勢はどうなのだろうか。鳩山首相の迷走ぶりを散々批判してきたマスコミまでも国家行政組織の長たる政府総理大臣の要請を拒否した知事の姿勢に一片の批判もしなかったが、言論人は欠席知事の行動を是とするとの回答なのだろうか。   「こんな首相で日本が有事になったら心もとない」と神奈川県知事がインタビューに答えていたが、彼にとって進軍ラッパをすぐに手にするような首相の方が安全だと思っているのだろうか。それとも米軍が沖縄にあり続ける方が安全だとの意思の表明だったのだろうか。それともマスコミが安易に批判するから尻馬に乗って何の考えもなく批判しただけなのだろうか。    日本が考えるべきは「米軍再編」といった米国の

Bankerの不在を嘆く。

 いわゆるサラ金が「自社は○×銀行と提携しています」と、堂々と宣伝する時代だ。都市銀行と地方銀行と相互銀行と信用金庫と棲み分けが割合はっきりとしていたが、昨今では役割分担の垣根が低くなったような気がする。そして銀行が各種クレジットと形を変えて国民生活と密接になった半面、銀行の経営からかつてのバンカーといわれていた人物がいなくなったのではないかと寂しく思う。    経済活動の血液に相当する金融を司る銀行はそれぞれに本来の根源的な役割があったはずだ。都市銀行は国家的な企業を育て、地方銀行は地域経済の牽引役となる地場産業を育成発展させる役目があったはずだ。時には経営者と親密になりすぎるきらいはあったが、信用金庫は地域の商店などと密接にかかわり駅前経済のお目付役であったりした。    それが昨今では銀行へ行って各種ローンを相談すると即座に提携先のサラ金のカードを作るように勧められ、面倒だとばかりにサラ金に丸投げされてしまう。いつから解禁になったのか知らないが、銀行がサラ金に融資して庶民への融資は銀行では扱わずサラ金へ回してしまうのが慣行になっているかのようだ。すると銀行は国民から遠い存在になったのかというとそうでもない、一億円以上の個人資産の運用はお任せ下さい、として国民を峻別しているだけだ。    それは個人に対してだけでなく企業にもいえるようだ。手間のかかる中小零細企業に融資するのを極端に敬遠する傾向が顕著にみられる。昨年、世界的な金融危機に対処するため中小企業特別融資として政府保証を80%つけた特別融資枠がなかなか消化されず、ついには100.%保証することになってしまった。  まともなバンカーなら恥ずかしいと思わなければならない。銀行としての融資戦略は全く機能していないと決めつけられたに等しい。最悪貸付先が倒産しても、貸倒損はすべて政府が保証するのなら銀行家はたとえ無能でも勤まることになる。100%政府保証の特別融資は日本の銀行家が本来の経済を司る役割すら果たせない、サラ金の銀主に成り果てたと世間に向かって宣言したに等しい。郵貯に向かって「貸付事業の実績はないではないか」と大見得を切って恥ずかしいと思わないのだろうか。    都市銀行のBankerは日本の直接金融を司る者として国家的戦略を持つ人格者でなければならない。地方銀行も地場産業に対してしかりだ。地域経済の衰退

民主主義とは何か、地方分権とは何か。

 普天間移設に関連して鳩山首相が全国知事会に沖縄の過重な負担を全国の知事に訴えて分担してもらう説明のために開催を要請したが、明日行われる全国知事会の会議に18人の知事が欠席をする模様だ。宮崎の知事は口蹄疫の防疫当事者だから欠席もやむなしだが、その他の知事は沖縄の負担を受け入れるつもりはないから聞く必要はない、とのコメントを出しているようだ。    鳩山首相の拙劣な普天間移設問題の対処には問題があるが、沖縄の過重な負担を全国で分かち合おうとする姿勢は間違いではないだろう。それとも欠席する宮崎県以外の17人の知事は米軍基地国外移設派だと受け取って良いのだろうか。それとも沖縄県民が困っても自分の県民が困らなければ問題ではないと思っているのか。    民主主義の基本はまず相手の話を聞くことだ。一般人ではなく地方自治体の長たる者がその程度のことが分からないはずはない。それとも知事は地方自治体では威張り散らしていて、人の意見を聞かない姿勢が身に沁みついてしまっているのだろうか。  地方分権を声高に叫ぶ知事たちが地域エゴに根差してそう言うのなら、地方分権を実際に行うとこの国の政府のガバナンスが利かなくなる恐れがある。中央政府が財政状態の良い地方自治体から財政基盤の弱い地方自治体へ富の再配分を行うために再配分率を上げようとすると猛烈に抵抗するのが目に見えるようだ。沖縄の基地の問題で話し合いすらも拒否する知事がいるようでは、今後の地方分権の議論は個別案件の検討に入ると困難を極めるだろう。    マスコミが鳩山首相を間抜け扱いし、テレビのコメンテーターも首相を無能呼ばわりする。だから首相が知事会長に依頼した招集を無視して代役を送っても良いだろう、と17人の知事が首相の要請を軽く考えたのかも知れない。  この国は節度を失ったかのようだ。ジコチューにして礼節を弁えない姿勢は知事として適切でないことは明らかだ。マスコミが欠席する知事をどのように報じ、どのように論評するか明日の報道を注視しよう。