日本が日本でなくなる前に、政治家がまず日本のことを真剣に心配しようではないか。

◇野田佳彦氏のブログ総括に覚える違和感
 中道改革連合の解散が9日、正式に決まった。衆院議員の出身母体である立憲民主党、公明党との3党合流が破談となったためだ。
 これに先立つ7日、中道の結党を決断して共同代表となった野田佳彦元首相が、合流失敗について自らのブログにこう記した。
「2月の総選挙は大変厳しい結果となりました。この敗北こそが合流を阻んだ最大の理由でしょう」
 この認識はかなり違うと思う。
 たしかに中道は総選挙で惨敗したが、その時点で合流の機運が大きく削がれていたとは思わない。出身母体の立憲と公明の支持者たちは、互いの政策的な近さと、政党文化の違いを一定程度理解した上で、惨敗の悔しさを共有し、ともに再起を誓う機運はあったと考える。
 合流の機運を削いだ最大の理由は、むしろその後の特別国会の対応にあったと思う。
 どんなに小さくとも、中道は衆院における野党第1党だ。高市政権に対峙し、彼らとは異なる「目指す社会像」を掲げ、近い将来の総選挙で自民党を破って政権を勝ち取り、自らの手で政策を実現する――という意思を、有権者に示す使命がある。
 ところが、立憲出身者は外部の「識者」から放たれる古臭い「野党は批判ばかり」批判に萎縮してしまい、一方の公明出身者は長い与党時代のさびを落としきれない。
 結果として中道は、野党第1党として十分に政権と対峙して戦うことができず、国会での存在感を失った。総選挙の惨敗直後は前向きに合流を願っていた人々が、国会での中道の振る舞いに「心が折れた」と嘆く声を、少なからず聞いた。
 3党合流の機運を反転させ、求心力を遠心力に変えたのは、総選挙での惨敗ではなく「その後の国会でまっとうに戦わなかった」からだ。この総括を間違えると、再び強靱な野党勢力を築く上での、大きな足かせになりかねない。

◇立憲を立ち上げた枝野幸男氏の思いは…
 そんなことを考えていた時、立憲から中道に移って総選挙を戦い、議席を失った枝野幸男氏と話す機会があった。
 ある雑誌の別テーマでのインタビューだったが、話題はやがて、選挙後の高市早苗首相への評価に移った。高市首相が国会や記者会見で、質問や批判を受けるのを極度に嫌う姿勢について問うと、枝野氏は答えた。
「もはや高市首相だけの問題ではありません。首相が質問や批判にまともに答えない『邪道』な政治家だと分かっていたのに、そういう政治家との戦い方を準備してこなかった野党とメディアにも、大きな責任があると思います」
 枝野氏は新人議員の頃から、国会質問の鋭さで名を上げてきた。当時所属していた小政党「さきがけ」の先輩議員で、後に首相となる菅直人氏が、枝野氏に対し「とにかくしつこく、相手が『イエス』か『ノー』でしか答えられない質問をしなさい」と、国会質問のコツを伝授したエピソードを覚えている。
 思えば菅氏も、ミニ政党「社会民主連合」(社民連)の出身。限られた時間の中でどうやって効果的な質問をして実を上げるか、若手議員の頃から常に模索を続けてきた政治家だった。
「あの当時、そういう質問が一定程度機能したのは、相手が『まとも』だったからです」
 筆者のある種の感慨を、枝野氏はあっさりと片付けた。高市首相は「仮定の質問には答えられない」「お答えを差し控える」といった言葉を乱発している。「イエスかノーか」以前に、そもそも質問に答えない。菅氏が枝野氏に伝授した「質問のコツ」は、高市首相には通じない。
「ただ」と枝野氏は続けた。

◇「野党は批判ばかり」に委縮するな
「高市首相のような『邪道』の政治家に『王道』のまともな政策論争を仕掛けても意味がありません。政策論争に値する相手ではないのです。むしろ、高市首相が質問に答える気がなく、答える能力もない、つまり政治姿勢や資質が『邪道』であることを浮き彫りにする攻め方をすれば良かったのではないでしょうか」
 枝野氏や菅氏に限らず、かつての民主党系議員には「質問の達人」が多くいた。
 今回の総選挙で中道から出馬し、議席を失った岡田克也氏もその1人。昨年11月の衆院予算委員会で、高市首相の「台湾有事は (安全保障基本法上の)存立危機事態になり得る」という答弁を引き出したのも岡田氏だ。
 高市首相の発言が大問題になると、岡田氏は「質問した方が悪い」という理不尽なバッシングを受けた。枝野氏は「あの答弁を引き出したのは、質問者が岡田さんだったからなのは間違いありません。突っ込んだ質問がちゃんとできるから」と評価した。
 その上で枝野氏は、現在の野党議員の国会での質問力が低下していることを、強く危惧している。
「相手が『答えられない』と逃げた時に『なぜですか』といった、いわゆる『更問い』ができていません。二の矢、三の矢を放って突っ込んでいく力が弱くなったと感じます」
 今回の特別国会でも、中道を含む野党の「国会での存在感の希薄さ」がたびたび指摘された。返ってくる反論は「相手は巨大与党。正面から批判しても数の力で押し切られる。修正案や付帯決議を出して、一部でも与党に取り入れてもらう方が、政府案が原案通りに成立するよりましだ」というものだ。
 法案の内容によっては、一理ある点もある。だが、そうやって「批判ばかり批判」に萎縮し、言い訳のように付帯決議などでごまかした(改正皇室典範では、その付帯決議さえ自民党に蹴られたのに、中道は賛成に回った)ことで、コアな支持層のみならず「政権に対峙する強い野党第1党」を求めた非自民系の無党派層をさらに失望させたのは間違いない。
 枝野氏は言う。
「メディアで特定の政策テーマが注目されるのは、(その政策に)誰かが異論を述べることを期待されているからです。それなのに、誰も異論を述べなければ、注目されなくなるのは当然。与党に政策の一部を取り入れてもらっても、それは与党の手柄にしかなりません。
 野党の仕事とは、今の政権を『ひっくり返す』ことで、自前の政権を作ることです。政策を(与党に)部分的に取り入れてもらえれば良いのなら、初めから自民党に行けばいい。『批判ばかり』と言われて萎縮するようなら、野党の政治家は務まりません」

◇枝野氏のメッセージの本質は何か
 枝野氏は今回の中道解散については、一切の言及をしていない。ただ、中道が合流しようと、逆に分裂しようと、現在の野党が克服すべき最大の課題は、実はここにあると筆者は考えている。冒頭に述べたように、巨大与党におもねることなく「国会でまっとうに戦う」ことだ。
 与党との「目指す社会像」の違いを明らかにした上で、近い将来自らが「政権の選択肢」に育つ意思を、国会という「表の場」で示す。そうすることでしか、国民の信頼は取り戻せない。
 しばらくは「希望の党」騒動(2017年)直後のように、「多弱」に陥った野党の間で競争が続くだろう。それはもう仕方がない。だが、その小競り合いの中で、国会を通じて「政権の選択肢」の旗を最も明確に示すことができた政党が、やがて有権者から「次の野党第1党」として認知され、他の野党を巻き込む軸になる。
 そういうプロセスを踏むことが、まどろっこしくても本来の「野党結集のかたち」だと思う。
 中道解体を正式に発表した9日の小川淳也代表の記者会見は、政党助成金の分配といった「金目の話」に終始し、「野党勢力をどう再生するか」という本質論からかけ離れた内容となった。残念でならない。
 冷静に考えてほしい。中道は党として分裂しても、元の中道所属議員が統一会派を組み、衆院での野党最大会派の立場を維持する。それが実現するならば、衆院の勢力図は変わらないはずだ。現状で党の解散を、まるで世界の終わりのように語る必要はない。
 臨時国会は10月上旬の召集が想定されている。特別国会の反省を踏まえ、今すぐやるべきことは山とある。「小さな野党では戦いに限界がある」というぼやきは、もう聞きたくない。もっと小さな野党で、さまざまな工夫で政権と対峙し、力をつけて大きな政治の潮流を作るに至った政党や政治家を、筆者は実際に知っている。
 いつまでも合流の破談を悔やんでばかりいたら、野党結集はますます遠のく。すべての中道関係者は、そのことを肝に銘じてほしい。>(以上「JB press」より引用)




中道解体、枝野幸男氏の強烈な警鐘 「『野党は批判ばかり』批判に萎縮をするな」…“邪道”な高市政権との戦い方ーー立憲創設者・枝野氏が思いを激白、合流破談を超えて野党を再建する道」と長い題を付しているが、その内容は中道連合解体後の野党再編のあり方を尾中 香尚里(ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員)氏が模索している論評だ。
 その中で尾中氏は中道連合が解体に向かったのは選挙で大敗したからではない、その後の国会で「高市批判の質問」しか出来なかったからだ、という。しかし中道連合が選挙で大敗したから、高市政権が盤石になったのもまた否めない。

 枝野氏は「批判ばかりの質問は悪くない」と岡田氏の執拗な「台湾有事」質問を称賛しているが、国民がいよいよ中道連合を見限ったのは岡田氏の執拗な「想定質問」だったことは明らかだ。なぜなら国民が政治に望むのは「台湾有事における日本の危機事態か否か」ではなく、「責任ある積極財政」で国民生活は良くなるのか否か、ではないだろうか。或いは「人手不足」は「外国人労働移民」で穴埋めするのが正しいのか否か、ではないだろうか。
 選挙後の通常国会で、野党が週刊誌ネタで執拗に高市氏を質問攻めにしたのも、国民世論が野党から離れた大きな原因だ。そのため選挙後半年以上も経過した現在もなお高市政権の支持率は62%をキープしている。なぜ、こうした事態になっているのだろうか。

 それは週刊誌ネタの批判ばかりして、国民生活に資する質問や批判がなかったからだ。高市政権が掲げる政策がすべて「国民受け」するものでないことは確かだ。もちろん「積極・減税」経済政策は国民の歓迎するところだが、2028年まで外国人労働者受け入れ128万人政策は多くの国民から反発を買っている。
 また経済成長を推進する、と公言している高市政権が外国人労働者を大量に受け入れるのは明らかに矛盾している。それは経済成長の基本は「生産性の向上」であって、工場労働者を廉価な労働者に置き換えることではないからだ。もっと廉価な外国人労働者を大量に入れれば、経営者は労せずして利益を手に入れられる。だから「人手不足」をオールドメディアが「多文化共生」と煽り、経営者団体が政治献金の見返りで外国人労働者の大量移民を推進する。もちろん連合会長はそうした経済原理などお解りでないから、単純に経営者団体に迎合して外国人労働者移民政策を無批判に受け入れている。

 もは多くの国民は外国人移民そのものに反対だ。日本の社会秩序や文化や慣習が破綻しつつある現状に危機感を覚えている。そうした多くの国民が抱く漠然とした危機感を政策に昇華させ、先の通常国会で中道連合の提言として高市政権と政策論争を挑んでいたなら、国民からの支持が集まり解体することもなかっただろう。
 国民から湧き上がる「『野党は批判ばかり』批判に萎縮をするな」ではなく、大いに反省して高市政権が内蔵する矛盾を突いて、明日の日本社会と国民生活を守る政策提言するのが野党の使命ではないか。国民から湧き上がる『野党は批判ばかり』批判に真摯に向き合い、国家と国民のために何ができるか、を日本の政治家らしく使命感を持って政策立案すべきではないだろうか。目下の喫緊の政治課題は急増する外国人移民問題だ。そのことを忘れてはならないし、連合が「人手不足」を外国人労働者で置換しようとする政府の姿勢を批判しないのなら、野党国会議員が先頭に立って高市政権を批判すべきだ。日本が日本でなくなる前に、政治家がまず日本のことを真剣に心配しようではないか。それこそが野党の存在意義だ。

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