「親としての愛情」を子供に注ぐことができるのは親にしかできない。
<8月29日放送の『24時間テレビ49』(日本テレビ系)で、女優の星野真里が、難病を抱える長女・ふうかさんの学校生活について語った。教室で孤立していた娘の姿を涙ながらに振り返り、学校側に改善を求めたことを明かしたが、全国放送で学校の対応を問題視したとも受け取れる発言に、思わぬ反発が広がっている。
ふうかさんは、難病『先天性ミオパチー』を患っているため、人工呼吸器や電動車いすを使用し、日常生活では家族らの介助を必要としている。そのため、小学校では特別支援学級に在籍しながら、授業は通常学級の児童といっしょに受けていた。しかし、星野が学校公開で目にしたのは、教室のいちばん後ろで娘がひとり、ポツンと座る姿だった。
「星野さんは、教師から何ひとつ声をかけられないまま授業が進み、『娘がただ教室にいさせてもらっているような状況だった』と説明しました。しかも、それが数カ月にわたって続いていたことを知り、『すごくショックだった』と涙ながらに振り返りました。
学校側には『これは当たり前じゃないよ』と伝え、改善を求めたことも明かしています。同じ教室で学びながら、授業に参加できていない娘の状況を変えようと声をあげたのでしょう。しかし、その涙の訴えは、星野さんの意図とは異なる方向にも受け止められたようです」(芸能担当記者)
Xでは、学校側の事情がわからないまま、一方的に批判されることへの懸念や、《テレビでこんなこと言われて先生かわいそう》と、教員や同級生を気づかう声が相次いだ。教育関係者がこう指摘する。
「SNSには、《そんな事言われて同じクラスの子達はどれだけ傷付いてるんだよと思う》というコメントもありました。星野さんの訴えによって、学校や教員だけでなく、何の責任もない同級生まで、障がいのある子を孤立させた、と見られかねないことが懸念されたのです。
これでは、今度は教員や同級生を孤立させることにもなりかねません。娘を守るための星野さんの告白が、周囲への新たな重圧を生んでしまったとすれば、また別の問題につながってしまいます」
星野の要望に、学校側はすぐに対応してくれたという。インクルーシブ教育に関しては課題も多いが、より多くの子どもが公平に学べる環境が整うことを願うばかりだ>(以上「dmenu」より引用)
「星野真里、難病の娘の“孤立”訴えに一部から先生・同級生を気づかう声…全国放送での“学校批判”に広がる波紋」とは大変な問題だ。障碍者を子に持つ親御さんの心身のご苦労は想像に余りある。もちろん人権は尊重すべきだし、誰にも教育を受ける権利はある。
ふうかさんは、難病『先天性ミオパチー』を患っているため、人工呼吸器や電動車いすを使用し、日常生活では家族らの介助を必要としている。そのため、小学校では特別支援学級に在籍しながら、授業は通常学級の児童といっしょに受けていた。しかし、星野が学校公開で目にしたのは、教室のいちばん後ろで娘がひとり、ポツンと座る姿だった。
「星野さんは、教師から何ひとつ声をかけられないまま授業が進み、『娘がただ教室にいさせてもらっているような状況だった』と説明しました。しかも、それが数カ月にわたって続いていたことを知り、『すごくショックだった』と涙ながらに振り返りました。
学校側には『これは当たり前じゃないよ』と伝え、改善を求めたことも明かしています。同じ教室で学びながら、授業に参加できていない娘の状況を変えようと声をあげたのでしょう。しかし、その涙の訴えは、星野さんの意図とは異なる方向にも受け止められたようです」(芸能担当記者)
Xでは、学校側の事情がわからないまま、一方的に批判されることへの懸念や、《テレビでこんなこと言われて先生かわいそう》と、教員や同級生を気づかう声が相次いだ。教育関係者がこう指摘する。
「SNSには、《そんな事言われて同じクラスの子達はどれだけ傷付いてるんだよと思う》というコメントもありました。星野さんの訴えによって、学校や教員だけでなく、何の責任もない同級生まで、障がいのある子を孤立させた、と見られかねないことが懸念されたのです。
これでは、今度は教員や同級生を孤立させることにもなりかねません。娘を守るための星野さんの告白が、周囲への新たな重圧を生んでしまったとすれば、また別の問題につながってしまいます」
星野の要望に、学校側はすぐに対応してくれたという。インクルーシブ教育に関しては課題も多いが、より多くの子どもが公平に学べる環境が整うことを願うばかりだ>(以上「dmenu」より引用)
「星野真里、難病の娘の“孤立”訴えに一部から先生・同級生を気づかう声…全国放送での“学校批判”に広がる波紋」とは大変な問題だ。障碍者を子に持つ親御さんの心身のご苦労は想像に余りある。もちろん人権は尊重すべきだし、誰にも教育を受ける権利はある。
しかしそれでも、障碍者が普通学級で教育を受けるのは別の意味で他の子供の権利を侵害してはいないだろうか。批判を覚悟の上で論じるなら、健常の子供にとって障碍者の「お世話係」をさせられるのは障碍者教育としては効果的かもしれないが、健常者が受けるべき健全な教育にとっては重荷でしかない。
確かに障碍者を理解し、受け入れるのも教育の一環といえる。しかし学校行事で障碍者に合わせるなら、健常者が受けるべき活動的で広範な教育が制限させざるを得ない。例えば修学旅行の自由時間で、下肢に不自由な障碍を抱えた生徒と同じ班だったため行動が大幅に制限されたという。
子供を特別支援学級に通わせるのは子供の障碍を認めることになり、親にとって耐え難い心境になるのかも知れない。しかし子供は障碍と向き合って、生涯を生き続けなければならないとするなら、他の子供の助けを当てにする学校生活を送るのはマイナスでしかない。誰かの重荷になっている、と感じることは本人にとっても良くないし、誰かが障碍者を助けるべきだ、と考えるようになると、それは本人の人間形成において大きなマイナスでしかない。
小中学校の学級崩壊の原因の多くが「境界」の子供によるという。「境界」とは知的障害と健常者との「境界」の意味だ。そうした子供が授業中でも立ち歩き、あるいは教室から出て授業を中断させたり、あるいは大声を出して授業を不可能にする。
そうした児童・生徒は「特別学級」に通わせるようになっているが、親の強い要望により普通学級に入れている。自分の子供は「普通だ」と思いたい気持ちは分かるが、しかし普通学級で自分の子供がいかなる振舞いに及んでいるか、親も現実を直視すべきだ。そして子供にとっての最善は普通学級に通わせることではないことを理解すべきだ。
障碍を持つ子供を普通学級に通わせたい、と願う親の気持ちは良く解るが、それでなくても仕事と責任の重い教員の負担を増すことでしかない。他の子供たちが学ぶべき教育カリキュラムの進行を妨げていることを知るべきだ。それは健常な子供たちの「教育を受ける権利」を侵害していることになる、と認識すべきだ。
障碍によってはリハビリである程度改善するケースもある。また特別支援によって障碍者が障碍とうまく付き合う術を会得することもあるだろう。長い人生で親の「独善」を子供に押し付けてはならない。障碍児が必ずしも不幸ではない。障碍があるからこそ、特別な才能が開花した先人たちを私たちは何人も知っている。他の子供と比較するのではなく、一人一人の子供の可能性を見つけ出すことが大事ではないだろうか。「親としての愛情」を子供に注ぐことができるのは親にしかできないのだから。