テイクオフ出来ないインド経済。

<ウォールストリート・ジャーナル紙コラムニストのSadanand Dhumeが、6月3日付け同紙掲載の論説「インドは経済の優位性を失いつつある」において、最近のインド経済減速は、イラン戦争のみならず、ビジネスに厳しい各種制度が原因であり、その背景にある自信過剰を改め、市場志向経済に向けた構造改革を行うべきだ、と指摘している。概要は次の通り。

◇モディ首相は厳しい現実に直面している。
 経済近代化は実現していない一方、インドは、急速なルピー安、対外投資減少、AIによるIT産業崩壊の懸念に直面している。モディ首相は、この機会に市場志向への変革を目指すべきだが、それには、従来にない経済改革に対する明確なコミットメントが必要だ。
  ルピーは、過去1年間に対ドルで11%安くなった。国際通貨基金(IMF)はインドの国内総生産(GDP)が日本を超え世界第4位になると予測していたが、実際は英国に抜かれ6位に落ちた。本年初以降、海外投資家はインドの株式市場から230億ドル以上を引き揚げ、昨年度の対外純投資は、3年前の280億ドルから77億ドルに急減した。
  インド経済停滞の原因は、イラン戦争で燃料と肥料価格が上昇し、湾岸協力理事会(GCC)諸国で働く1000万人近いインド人からの本国送金減少の恐れがあることだ。インドは世界3位の石油輸入国で、原油の85〜90%を輸入し、原油とガス輸入の半分以上がホルムズ海峡を通る。イラン戦争は確かに打撃だが、問題はそれ以前からある。
  経済界のリーダーは内々、面倒な税務調査や膨大な無駄な官僚的手続きに不満を述べる。モディ氏にはこのような問題の解決が期待されていたが、悪化している。 
 問題の多くは、インドの将来性への自信過剰に起因している。結果、投資家に厳しい政策が導入される。

◇2015年に改訂された投資協定雛形は一例だ。
 雛形は、海外の投資家が国際仲裁に訴える前に、国内裁判所プロセスを5年間尽くすことを求めている。 
 18年の株式指定銘柄キャピタル・ゲイン課税再開と24年の税率引き上げは状況を一層悪化させた。17年と24年の間に700に及ぶ品質管理令を出し面倒な免許取得を要件としたことで、輸入は停滞した。
  理論的には、経済回復はまだ可能だが、それには意識変革が必要だ。世界がインドに争って押し寄せると考える代りに、あらゆるビジネス優遇措置をとっているベトナムのような国から学ぶべきだ。自信過剰を改めれば、多くのことが可能になる。

◇骨の折れる付き合い
 上記の論説の指摘には、「良く言ってくれた」と思う向きも多いだろう。インドの将来性は重視してしかるべきであるし、現在の米中の厚顔無恥な行動を見ると、インドが超大国の一角を占めることの意義は益々大きくなっている。しかし、インドと付き合うのは、まさに論説も指摘する「自信過剰」ゆえに、なかなか骨が折れることである。
  インド側は「なぜ日本企業は、インドの商慣行に文句を言うだけで、合わせようとしないのか。米国は既にそうした。豪州も最近そうして、その結果、両国とインドとの経済関係は急速に拡大している。日本もそうしないと、益々取り残されるが、それでも良いのか」ということをしばしば言う。
 リスクを余りにもとらない日本企業の対応が良いとは言わないが、少しでも外国からの投資を増やしたいと思えば、自分のスタンダード受入を要求するだけでなく、外国から投資しやすくなる環境を作ることが重要である。インドは、なぜそう考えないのだろうか。

◇インドも直面する少子化
 6月4日付Economist社説は、人口動向の面から、インドに残された時間は多くない、と言っている。それによれば、インドの合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に生む子供の平均人数を示す指標)の最新数値は1.9で、人口維持に必要な2.1を下回っている。タミールナドゥー、西ベンガルの両州の合計特殊出生率はフィンランドと同様の1.3であり、ムンバイの位置するマハラシュトラ州では、ノルウェーと同様の1.4だという。 
 もちろん、これが実際の人口に反映されるにはもう少し時間がかかる。国連統計は、インドの人口は40年にピークの16億人となり、その後減少に転じて今世紀末には10億人を切ると予測している。新生児誕生数は、01年がピークであり、現在そこから既に20%減少し、各地では小学校の閉鎖が多発しているらしい。
  まさに、Economistの社説が指摘しているように、これは「世界に対する警告」、換言すれば、世界的な傾向なのだ。Economistは、その背景として、女性の教育機会と就労の拡大を挙げている。教育により「産めよ増やせよ」が当然の価値観ではなくなり、就労機会の拡大とも相まって、ますます新生児の数を減らす。 
 さらに、インドでは、良い職に就くための「競争の激化」がその傾向に拍車をかける。すなわち、子供が少ない方が一人の子供に対する教育投資が増えるからだ。 
 女性の就労→生産力拡大→税金を通じた社会還元の循環が無ければ、世界経済は今後拡大を止める、とEconomistは指摘している。人類はピークを超えたということなのだろうか?>(以上「Wedge」より引用)




イラン戦争だけでないインドの経済が減速する理由…ビジネスで懸念されることと、これからの大きな課題とは?」と題して岡崎研究所が論説を発表した。
 世界中の多くのエコノミストが衰退する中国に替わって、サプライチェーンで世界のハブになるのはインドだと予言していた。しかし現実のインド経済はなかなかテイクオフしそうにない。私は今年7月23日付のブログで「だからインドが高度経済成長するのは困難だと考える」と減速するインド経済の「病巣」に関して書いた。残念ながら、その通りの事態にインド経済は陥っているようだ。

 その経済低迷の理由として引用論説では「ホルムズ海峡危機」と「自信過剰」と「骨の折れる付き合い」と「インドも直面する少子化」などを上げている。確かにその通りで、インドは何かとヤヤコシイ。
 その大部分は長年続いてきたカースト制度に由来しているのではないだろうか。カースト制度とは「身分制度」だが、その実体は「権威主義」であり「非合理な社会」でもある。そもそも人には生まれながらの「身分など」ない。社会の仕組みとしてそのような制度が設けられているだけだ。だから「同じ人間」を差別するには「権威主義」にならざるを得ないし、権威主義は「非合理」であり、面倒な「手続き」を強制する社会でもある。

 そこでインドのIT企業が「IT大国」というイメージに反して、GAFAMのような世界を席巻する巨大プラットフォーム企業へとテイクオフ(飛躍・自立発展)できない背景を考察してみると、ビジネスモデルの構造的限界、イノベーション環境の不足、そして深刻な人材流出という3つの決定的な理由があるようだ。
1. 受託開発(下請け)に偏ったビジネスモデル
 インドのIT産業は、アメリカなどの先進国企業からシステム開発や運用、カスタマーサポートなどを請け負う「ITアウトソーシング(オフショア開発)」を中心に成長してきた。また労働力単価(労働時間と人数)で稼ぐビジネスモデルであるため、自社で独自の製品やプラットフォーム(例:Windows、Google検索、iOSなど)を生み出して世界に水平展開する仕組みになっていない。
 そして現在では生成AIや自動化技術の急速な進化に伴い、これまでインドIT企業が強みとしてきた定型的なコーディングやコールセンター業務の需要が激減しており、大手IT企業(TCSやインフォシスなど)では大規模なリストラが始まるなど、従来の成長モデルが岐路に立たされている。
2. 国内市場の購買力とインフラの課題
 独自のITサービスやプロダクトを爆発的に普及させるためには、まず強固で巨大な「自国市場」での成功が必要だが、インド国内の環境にはまだ多くの制約がある。
 その制約とはBtoB市場の未成熟であって、インド国内の一般企業におけるIT投資予算は、欧米や日本に比べて依然として低く、高額な独自ソフトウェアやITサービスを購入する土壌が十分に育っていない。そのためアメリカや中国、台湾のように「強力なデバイス製造」と「ソフトウェア」が掛け合わさるエコシステムが弱く、これまではソフトウェア単体、それも受託型に依存せざるを得ない構図になっている。
3. トップ優秀層の「頭脳流出(ブレイン・ドレイン)」
 インドにはインド工科大学(IIT)をはじめとする世界最高峰の教育機関があり、毎年無数の優秀なエンジニアを輩出している。しかし彼らの多くはインド国内のIT企業に残らず、優秀な人材は卒業後すぐにアメリカのビッグテック(Google、Microsoft、Adobeなど)へ渡るか、それらの在インド開発拠点(R&Dセンター)に吸収されている。実際にGoogleやMicrosoftのCEOがインド系であることからも分かる通り、富とイノベーションを生み出す源泉(頭脳)が、欧米企業のために消費される構造になっている。
 その結果、インド国内のIT業界でもエンジニアの流動性は非常に激しく、2025年のデータでは業界全体の離職率が14%近くに再上昇するなど、企業が長期的な視点でイノベーションを起こす体制を維持しにくい環境にある。

 このようにインドの優秀な若者たちの多くがインドでの成功を夢見るのではなく、外国へ流出している現状を変えない限り、インド経済がテイクオフすることはあり得ない。またインド政府や官僚たちの「尊大な態度」が外国企業進出を阻んでいる現実を忘れてはならない。
 インドへの企業進出に関して煩雑な制度を設け、インドに有利な契約雛形を強制するようでは外国からの投資は激減する一方だろう。最後に、もう一つ付け加えるなら、インドは社会インフラ整備を急がなければならない。ことに半導体製造で必要不可欠な社会インフラは清潔な「水」と安定供給される「電気」だ。半導体企業にとって道路もさることながら飛行場の整備も重要だ。しかし清潔な「水」と「電気」がなければ何も始まらない。

 現在ではインドで快適・安全に暮らす、あるいはビジネスを行うためには、「インフラは自前で補うもの」という前提で対策費用を予算に組み込むことが必要だ。適切な浄水・電源バックアップ設備さえ投資すれば、清潔な水と安定した電気のある環境は十分に作り出せる。しかしそれが企業進出の条件だとされるなら、世界の投資家はインドを避けて、他の国へ向かうのも必然ではないだろうか。
 インド経済がテイクオフするためにハード面とソフト面の障壁は明らかになっているが、その障壁を取り除くための努力はまだ充分とは云えない。インドが世界のサプライチェーンのハブになるためには、何よりもインドが変わらなければならない。それも早急に変わる必要がある。なぜならインドの人口ボーナスは時間切れになりつつあるからだ。

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