「護憲 リベラル 共生」を標榜する政治団体の結成記者会見に、多くの国民は壊れたレコードが古色蒼然たるスローガンを繰り返し再生しているようで、ウンザリしたのではないだろうか。
<2026年8月19日、国会内で1つの記者会見が開かれた。新しい政治団体「護憲リベラル共生」の設立会見である。略称は「ゴリラ」とするのだという。略称については、力強く地に足をつけて平和を守るという意思を込めたとされる。
会見に臨んだのは、いずれも2026年2月の衆院選に中道改革連合から立候補して落選した川内博史氏、阿部知子氏、平岡秀夫氏の3氏だった。立憲民主党の現職参院議員を含む16人が参加の意向を示しているという。リベラル勢力の受け皿を目指し、政党化も視野に入れるとされる。
冒頭で阿部氏が読み上げた設立宣言は、日本国憲法を尊重擁護し、立憲主義に則って自由、平等、寛容の恵沢を広げ、格差を是正し、差別や排除をなくし、恒久平和を実現するという内容だった。
基本政策の中身を列挙すると、憲法9条の堅持、長子による皇位継承を可能にする皇室典範の再改正、アベノミクスの克服、人間らしい労働の確立、ジェンダー平等と多文化共生、ベーシックサービスの保障、環境、中小企業支援、食料とエネルギーの地産地消、在日米軍基地の縮減と地位協定改正、地方自治の確立という11項目のようだ。
近年、日本政治において、少なくとも政治勢力的にはリベラルは人気薄だ。左派系、リベラル系とされる政治家らも最近は「保守」を名乗る傾向にあるから、ある意味では当然でもある。
他方で、法治国家であること、基本的人権を尊重すること、平和を構築すること。これらが自由民主主義の社会にとって重要であることは、論をまたない。自由民主主義とはそういう体制のことだからだ。自由民主主義の社会を手放すべきと主張する者はそれほど多くはないだろう。
理念の水準では誰も正面から否定しにくいのに、現実の政策課題を解く道具としては使い勝手が悪く、長く永田町の政治力学とも折り合いがつかないというのが日本の現状だ。
その意味で、新しいリベラルの政治的な試行錯誤が生じること自体は、基本的に好ましいと筆者は考える。既存の政党の枠内で処理しきれない理念や問題意識が、別のかたちで組織化されていくことそれ自体は、政治の可能性の探究であって、否定される筋合いのものではないだろう。
だが、腑に落ちない点も目につく。会見に出席した3氏は、いずれも現職の国会議員ではない。他方で、参加を表明している16人には現職が含まれるとされたが、その人数も名前も明かされなかった。理由は、「政治状況が微妙な時期だから」という。
であれば、なぜこの時点で会見したのだろうか。名前を出せないのであれば、出せる時期まで待つという選択肢もあったはずだ。逆に、今この時期でなければならない理由があったのなら、それは何か。会見はその点をほとんど説明していないし、腹落ちしにくい理由のひとつはそこにあるといえよう。
想起すべき文脈はいくつもある。第1に、中道改革連合、立憲民主党、公明党の3党による合流協議である。
会見に臨んだのは、いずれも2026年2月の衆院選に中道改革連合から立候補して落選した川内博史氏、阿部知子氏、平岡秀夫氏の3氏だった。立憲民主党の現職参院議員を含む16人が参加の意向を示しているという。リベラル勢力の受け皿を目指し、政党化も視野に入れるとされる。
冒頭で阿部氏が読み上げた設立宣言は、日本国憲法を尊重擁護し、立憲主義に則って自由、平等、寛容の恵沢を広げ、格差を是正し、差別や排除をなくし、恒久平和を実現するという内容だった。
基本政策の中身を列挙すると、憲法9条の堅持、長子による皇位継承を可能にする皇室典範の再改正、アベノミクスの克服、人間らしい労働の確立、ジェンダー平等と多文化共生、ベーシックサービスの保障、環境、中小企業支援、食料とエネルギーの地産地消、在日米軍基地の縮減と地位協定改正、地方自治の確立という11項目のようだ。
近年、日本政治において、少なくとも政治勢力的にはリベラルは人気薄だ。左派系、リベラル系とされる政治家らも最近は「保守」を名乗る傾向にあるから、ある意味では当然でもある。
他方で、法治国家であること、基本的人権を尊重すること、平和を構築すること。これらが自由民主主義の社会にとって重要であることは、論をまたない。自由民主主義とはそういう体制のことだからだ。自由民主主義の社会を手放すべきと主張する者はそれほど多くはないだろう。
理念の水準では誰も正面から否定しにくいのに、現実の政策課題を解く道具としては使い勝手が悪く、長く永田町の政治力学とも折り合いがつかないというのが日本の現状だ。
その意味で、新しいリベラルの政治的な試行錯誤が生じること自体は、基本的に好ましいと筆者は考える。既存の政党の枠内で処理しきれない理念や問題意識が、別のかたちで組織化されていくことそれ自体は、政治の可能性の探究であって、否定される筋合いのものではないだろう。
だが、腑に落ちない点も目につく。会見に出席した3氏は、いずれも現職の国会議員ではない。他方で、参加を表明している16人には現職が含まれるとされたが、その人数も名前も明かされなかった。理由は、「政治状況が微妙な時期だから」という。
であれば、なぜこの時点で会見したのだろうか。名前を出せないのであれば、出せる時期まで待つという選択肢もあったはずだ。逆に、今この時期でなければならない理由があったのなら、それは何か。会見はその点をほとんど説明していないし、腹落ちしにくい理由のひとつはそこにあるといえよう。
想起すべき文脈はいくつもある。第1に、中道改革連合、立憲民主党、公明党の3党による合流協議である。
◇腹落ちしない会見を、なぜ今このタイミングで?
3党は7月31日の党首会談で中間整理をまとめ、8月末をめどに結論を得ると述べている。合流の方式についても、新党の結成よりも、立憲と公明の議員が離党や分党を経て中道に結集するほうが手続き上効率的だという意見もあるようだ。
ただし、協議は順調とは言い難い。立憲では7月25日の全議員懇談会で合流に慎重な意見が相次ぎ、中道の衆院議員が出身の立憲、公明に戻るべきだという主張も複数出たという。8月に入ってからも、立憲と公明の間に相互不信が芽生えつつあり、中道の小川淳也代表が妥結への流れを作り出せずにいるとも報じられている。
第2に、8月27日告示、9月13日投開票の沖縄県知事選である。3選を目指す玉城デニー知事は政党推薦を受けず、市民団体などの推薦を積み上げる形をとっている。護憲リベラル共生の側も、玉城知事の応援に関与する意向を示しているという。
第3に、2027年4月の統一地方選である。地方組織を持たない新しい団体にとって、地方選ははじめて選挙の洗礼を受ける場になる。会見でも、統一地方選への関与が視野に入っていることが明らかにされた。
これらを並べれば、8月末という3党協議の節目の直前に会見を設定したことに、現実的な政治的意図を読み取りたくなるのは自然である。合流のかたちが固まる前に、別の旗の存在を可視化しておく。そう理解するのが素直だろう。
報道でも合流協議に影響を与えそうだという見方が示されている。もっとも、それを狙ったのだとすれば、いささか短絡的な印象も残る。
3党は7月31日の党首会談で中間整理をまとめ、8月末をめどに結論を得ると述べている。合流の方式についても、新党の結成よりも、立憲と公明の議員が離党や分党を経て中道に結集するほうが手続き上効率的だという意見もあるようだ。
ただし、協議は順調とは言い難い。立憲では7月25日の全議員懇談会で合流に慎重な意見が相次ぎ、中道の衆院議員が出身の立憲、公明に戻るべきだという主張も複数出たという。8月に入ってからも、立憲と公明の間に相互不信が芽生えつつあり、中道の小川淳也代表が妥結への流れを作り出せずにいるとも報じられている。
第2に、8月27日告示、9月13日投開票の沖縄県知事選である。3選を目指す玉城デニー知事は政党推薦を受けず、市民団体などの推薦を積み上げる形をとっている。護憲リベラル共生の側も、玉城知事の応援に関与する意向を示しているという。
第3に、2027年4月の統一地方選である。地方組織を持たない新しい団体にとって、地方選ははじめて選挙の洗礼を受ける場になる。会見でも、統一地方選への関与が視野に入っていることが明らかにされた。
これらを並べれば、8月末という3党協議の節目の直前に会見を設定したことに、現実的な政治的意図を読み取りたくなるのは自然である。合流のかたちが固まる前に、別の旗の存在を可視化しておく。そう理解するのが素直だろう。
報道でも合流協議に影響を与えそうだという見方が示されている。もっとも、それを狙ったのだとすれば、いささか短絡的な印象も残る。
◇3党の議員・落選者にとって選択肢が増えると…
しかし、今回の動きは、逆説的に、中道への3党合流の難しさをさらに露呈させるものでもある。
ここまでの野党再編の力学は、単純化すればこうだ。
2月の衆院選で中道改革連合は公示前の167議席から49議席へと激減した。関係する議員たちに残された選択肢は、中道に残るか、立憲民主党や公明党という元の鞘に戻るか、そのいずれかだと考えられてきた。
さらに参院ではもともと立憲と公明が中道に合流せず別々の政党のまま残り、統一会派の結成も見送られたから、元鞘の側にも十分な受け皿があった(というよりも、当初からそのような事態のためのリスクヘッジだったことは明らかだ)。
ところが、ゴリラ結成によって第3の選択肢が現れたことになる。看板の異なる新しい別の船に乗り移る、という道である。護憲リベラル共生が政党化も視野に入れると明言していることの意味は、まさにここにあるといえよう。
しかも、この種の動きは1つではない。2月の衆院選で落選した中道の若手を中心に、山岸一生氏、松尾あきひろ氏、宗野創氏らが政治団体「Polaris(ポラリス)」を立ち上げている。こちらは2026年2月26日に国会内で設立が決まり、統一地方選の応援や有識者との意見交換を目的とし、新党を意図したものではないと説明してきた。
ポラリスは政党の垣根を越えた発信のプラットフォームを標榜し、穏健保守からリベラルまでを対象とすると掲げている点で、理念上は護憲リベラル共生とはやや性格が異なっている。
だが、野党サイドにおける合流協議の求心力という一点においては、両者は共通する。選択肢が増えれば増えるほど、中道という1つの船に全員が乗り込む必然性は薄れていくだろう。
現時点ではさっぱりわからない
合流とは、要するに退路を断つ交渉でもある。どこにも行き場がないから1つになるという一見、消極的な理由が、実のところ最大の接着剤となることは、永田町の新党結成プロセスでは案外少なくない。
もちろん、当事者たちがそれを狙ったかどうかは別問題だ。特に、平岡氏は「行き場がなかったからこうしているのではない」という趣旨の説明をしたという。その言葉を疑う理由も必要も特にないが、意図と効果は別物だ。
逆に合流が不調に終われば、複数の中小勢力が並立する状態が固定化する。どちらに転んでも、非自民勢力が有権者に対して1つのまとまった選択肢を提示できない構図自体は変わらない。
よほど強力な奇策が見つけられなければ、現在の野党の状況はこのまま継続する可能性が高いのではないか。
3党が形式的に1つになったとしても、参院をどうするか、地方組織や地方議会における連立関係の見直し、連合や創価学会といった支持団体との関係、政治資金、そして何より理念の擦り合わせという課題が残る。今から秋の臨時国会までに政策の擦り合わせをするのはほとんど無理だろう。
時限付き、分野限定とはいえ消費税減税という重要政策が控えているのに、国民からの支持や期待を集められるだろうか。
そして、その構図こそが、与党と保守勢力を強力に後押ししてきたのである。安倍総理が率いた自民党の2012年の政権復帰以降、非自民勢力は分裂と再編を繰り返し、そのたびに党名と枠組みを変えてきた。有権者の側から見れば、政権批判の受け皿がどこにあるのかが、選挙のたびに分かりにくくなってきたのである。この15年近くの日本政治の基本構図である。
ゴリラがこの構図を打ち壊すのか、それとも強化するのかといえば、筆者には後者に見えてしまう。野党サイドの選択肢を増やし、選択を複雑にするだけだからだ。
現役議員の名前を伏せたまま、新しい政治団体の旗を立てるという今回の選択が、この問いにどう答えることになるのかと問われれば、控えめに言ってもさっぱりわからないままである。どうもうっすら過去の野党再編の余韻と重なるような雰囲気もある。
いずれにしても8月末の3党協議の結論と、9月13日の沖縄県知事選の結果を経れば、輪郭は相当はっきりと見えてくるはずなので、もう少しだけ見守ることにしたい。>(以上「JB press」より引用)
しかし、今回の動きは、逆説的に、中道への3党合流の難しさをさらに露呈させるものでもある。
ここまでの野党再編の力学は、単純化すればこうだ。
2月の衆院選で中道改革連合は公示前の167議席から49議席へと激減した。関係する議員たちに残された選択肢は、中道に残るか、立憲民主党や公明党という元の鞘に戻るか、そのいずれかだと考えられてきた。
さらに参院ではもともと立憲と公明が中道に合流せず別々の政党のまま残り、統一会派の結成も見送られたから、元鞘の側にも十分な受け皿があった(というよりも、当初からそのような事態のためのリスクヘッジだったことは明らかだ)。
ところが、ゴリラ結成によって第3の選択肢が現れたことになる。看板の異なる新しい別の船に乗り移る、という道である。護憲リベラル共生が政党化も視野に入れると明言していることの意味は、まさにここにあるといえよう。
しかも、この種の動きは1つではない。2月の衆院選で落選した中道の若手を中心に、山岸一生氏、松尾あきひろ氏、宗野創氏らが政治団体「Polaris(ポラリス)」を立ち上げている。こちらは2026年2月26日に国会内で設立が決まり、統一地方選の応援や有識者との意見交換を目的とし、新党を意図したものではないと説明してきた。
ポラリスは政党の垣根を越えた発信のプラットフォームを標榜し、穏健保守からリベラルまでを対象とすると掲げている点で、理念上は護憲リベラル共生とはやや性格が異なっている。
だが、野党サイドにおける合流協議の求心力という一点においては、両者は共通する。選択肢が増えれば増えるほど、中道という1つの船に全員が乗り込む必然性は薄れていくだろう。
現時点ではさっぱりわからない
合流とは、要するに退路を断つ交渉でもある。どこにも行き場がないから1つになるという一見、消極的な理由が、実のところ最大の接着剤となることは、永田町の新党結成プロセスでは案外少なくない。
もちろん、当事者たちがそれを狙ったかどうかは別問題だ。特に、平岡氏は「行き場がなかったからこうしているのではない」という趣旨の説明をしたという。その言葉を疑う理由も必要も特にないが、意図と効果は別物だ。
逆に合流が不調に終われば、複数の中小勢力が並立する状態が固定化する。どちらに転んでも、非自民勢力が有権者に対して1つのまとまった選択肢を提示できない構図自体は変わらない。
よほど強力な奇策が見つけられなければ、現在の野党の状況はこのまま継続する可能性が高いのではないか。
3党が形式的に1つになったとしても、参院をどうするか、地方組織や地方議会における連立関係の見直し、連合や創価学会といった支持団体との関係、政治資金、そして何より理念の擦り合わせという課題が残る。今から秋の臨時国会までに政策の擦り合わせをするのはほとんど無理だろう。
時限付き、分野限定とはいえ消費税減税という重要政策が控えているのに、国民からの支持や期待を集められるだろうか。
そして、その構図こそが、与党と保守勢力を強力に後押ししてきたのである。安倍総理が率いた自民党の2012年の政権復帰以降、非自民勢力は分裂と再編を繰り返し、そのたびに党名と枠組みを変えてきた。有権者の側から見れば、政権批判の受け皿がどこにあるのかが、選挙のたびに分かりにくくなってきたのである。この15年近くの日本政治の基本構図である。
ゴリラがこの構図を打ち壊すのか、それとも強化するのかといえば、筆者には後者に見えてしまう。野党サイドの選択肢を増やし、選択を複雑にするだけだからだ。
現役議員の名前を伏せたまま、新しい政治団体の旗を立てるという今回の選択が、この問いにどう答えることになるのかと問われれば、控えめに言ってもさっぱりわからないままである。どうもうっすら過去の野党再編の余韻と重なるような雰囲気もある。
いずれにしても8月末の3党協議の結論と、9月13日の沖縄県知事選の結果を経れば、輪郭は相当はっきりと見えてくるはずなので、もう少しだけ見守ることにしたい。>(以上「JB press」より引用)
「なぜ今「ゴリラ」?さっぱりわからぬ結成の真意、3党合流直前・参加現職名も伏せた腹落ちしない設立会見」と、西田 亮介(日本大学危機管理学部教授、社会学者)氏が「ゴリラ」の結成記者会見を論評している。
副題に「新政治団体「護憲リベラル共生」は何がしたいのか、複雑化していく中道・落選者の選択肢」と記しているが、まさにその通りで「新党結成」でもなく「政治団体」を立ち上げただけだという。
野田民主党政権が国民の支持を失って、民主党が四分五裂して「中道改革連合」という意味不明な合体までして大惨敗を喫した元・民主党国会議員が「生活互助会」のように再結集するという。
しかし政治家であるなら、明確な政治理念を掲げて政党を結成して政権復帰を期すべきだ。彼らの記者会見は「政治団体結成会見」ではなく「政党設立会見」であるべきだった。その際に、高市政権が掲げている諸政策と充分に対抗でき、国民からの支持を獲得できる斬新な政治理念を表明すべきだった。「護憲 リベラル 共生」とは、いずれも手垢にまみれたスローガンではないか。
しかも「護憲」は他の元民主党政党も掲げているし、「リベラル」に到っては「反日・左派」活動家の代表的な旗印ではないか。そして「共生」とは「文化共生」といえば外国人移民推進であり、「ジェンダー共生」ならLGBTq活動や女性参画社会の推進を語るものでしかない。それらは多くの日本国民によって「過去のイデオロギー」として葬り去られようとしている。
そして新たに若年層を中心に叫ばれているのは「日本ファースト」ではないか。あるいは日本版の「Japan Make Great Again」を表す「JMGA」を若者たちは指向しているように見える。もちろん若者たちに迎合せよ、というのではない。しかし、有権者の要求や意向に沿うのも、政治家たる者の使命ではないだろうか。
政治がイデオロギーに囚われていた時代は過去のものになった。既に共産主義国家・ソ連は崩壊し、社会主義国家・中国も崩壊の危機に瀕している。それらコミニストたちの国は共産主義や社会主義を隠れ蓑にした独裁専制体制主義国家でしかない。
そうした独裁専制主義国家は民主主義国家とは比較にならないほど腐敗し、国民の幸せよりも独裁体制集団の幸福を最大化するための仕掛けに堕している。民主主義は民意に沿うため非効率で、しかも国民の多数が洗脳された場合は誤った方向へ政策が傾斜することもある。しかし、それでも民主主義の方が独裁専制体制よりも格段に優れている。
日本の政治は「構造改革」政治路線から大きく転換しようとしている。それはグローバリズムとの決別だ。つまり国民の多くが以前の政治の欺瞞性に気付き、「痛みに耐える」のが国民ではあってはならないと考え始めた。
憲法は護るべきだが、憲法に囚われてはならない、と考えだした。リベラルとは政治では「個人の自由や権利、多様な価値観を尊重し、社会の公正や平和をめざす立場」を指すが、伝統や国家の秩序を破壊することではないと気付いた。そして共生とは国籍や障がいの有無や価値観の違いを超えてお互いを認め合い共に暮らすことだが、それは決して移民を受け容れたり他者の文化や価値観を無批判に受け容れ混交することではなく、日本の伝統文化や慣習を堅持した上での共生でなければならないと考え始めた。
国会でゴリラ立ち上げに参集した政治家諸氏はそのような日本国民の基本的なパラダイムが転換していることを認識しているのか。国民の多くがイデオロギーの不毛な路線対立に終始している「政治ごっこ」にウンザリしていることに気付いているのだろうか。
なぜ大同小異の野党が四分五裂して自民党の対立軸として纏まろうとしないのだろうか。なぜ国民の願望や要請に真摯に向き合おうとしないのだろうか。なぜオールドメディアが垂れ流す情報に振り回されて、国民のパラダイムシフトに真摯に向き合おうとしないのだろうか。
既に国民の多くは「再エネ」の欺瞞性に気付いている。もちろん日本国民の多くが「CO2地球温暖化」は欧米が仕掛けた日本車潰しだと知ってしまった。SDGsは環境改善に少しも役立たない似非・環境運動だと知っているし、グローバリズムが日本国民貧困化の元凶だった、と理解し始めている。
しかし野党政治家諸氏はそうしたパラダイムシフトとは無関係に細々とした教義に拘泥しているようだ。日本政府が日本国民のために仕事をするのは「当たり前」だと考え始めた日本国民に「多文化共生」を錦の御旗にして外国人移民を受け入れるように説くのは過去のグローバリズムの教本を読み返しているだけだ。「護憲 リベラル 共生」を標榜する政治団体の結成記者会見に、多くの国民は壊れたレコードが古色蒼然たるスローガンを繰り返し再生しているようで、ウンザリしたのではないだろうか。