米価高騰は日本農政が招いた制度不良によるものだ。
<備蓄米がついに放出される。スーパーによっては税込みで5キロ5000円を超すような状況にもなっている。日本人の食事に欠かせない米の大騒動になぜ政府はここまで放置したのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
カロリーベースの自給率は「農水省の戦後最大の発明」
農林水産省の政策は、食料危機を招く危険性を孕んでいる。農政関係者の間でも、その問題点を認識している者は少なくない。
カロリーベースの自給率は「農水省の戦後最大の発明」
農林水産省の政策は、食料危機を招く危険性を孕んでいる。農政関係者の間でも、その問題点を認識している者は少なくない。
日本人にとって米は極めて重要な食料である。食の多様化が進んでも、米は依然として日本人の食卓の中心にあり、主食の地位は揺らいでいない。何より、天皇家は日本の歴史と深く結びついた稲作文化を重視し、長きにわたりその継承に努めてきた。
記事を引用したMINKABUとは一般的なSNSとしての機能を備えるとともに、株式やFX、暗号資産(仮想通貨)、保険など、各金融機関の垣根を意識することなく資産形成に関する情報発信を行うメディアである。その投資メディアが「農水省はウソばかり!「コメ転売」「自給率100%」、米が高いのはおかみの農家いじめが原因」日本を滅ぼす自民党」との見出しで昨今の米価高騰のカラクリに関する小倉健一(ジャーナリスト、元プレジデント編集長)氏の見解を紹介していた。
新嘗祭は、天皇がその年の新穀(新米)を神々に供え、自らも食すことで五穀豊穣に感謝する宮中祭祀である。その起源は古く、『日本書紀』にも記されており、飛鳥時代から続く伝統行事だ。毎年11月23日に執り行われ、天皇が米を供えることで、日本の農耕文化における米の重要性を示している。
日本は明治維新以降、重工業の発展を遂げたが、文化的・歴史的に米文化は日本人の生活の根幹にあり続けている。
しかし、この米文化を衰退させかねないのが、農林水産省の施策である。特に、「カロリーベースでの米の自給率100%の維持」という政策は、日本の稲作文化を弱体化させ、農家の競争力を奪い、食料危機においては日本人の生命を危機にさらす愚策と言わざるを得ない。 まず、カロリーベースの自給率は「農水省の戦後最大の発明」(農水関係者)と揶揄されている。これは、お米の保護政策を維持するための口実に過ぎず、「自給率100%」という数字を掲げることで、政策の正当性を装っているに過ぎない。
人間の食生活に必要なのは炭水化物だけではない
しかし、言うまでもなく、人間の食生活に必要なのは炭水化物だけではない。タンパク質、ビタミン、鉄分、亜鉛など、多様な栄養素が不可欠である。米さえ確保すれば食料安全保障が成り立つかのような発想は、あまりにも稚拙であり、無責任極まりない。米だけを食べ続ければ、栄養失調に陥るのは自明の理である。
人間の食生活に必要なのは炭水化物だけではない
しかし、言うまでもなく、人間の食生活に必要なのは炭水化物だけではない。タンパク質、ビタミン、鉄分、亜鉛など、多様な栄養素が不可欠である。米さえ確保すれば食料安全保障が成り立つかのような発想は、あまりにも稚拙であり、無責任極まりない。米だけを食べ続ければ、栄養失調に陥るのは自明の理である。
例えば、世界的に権威のある調査レポート『潜在的自給率と多様性の世界的分析が示す多様な供給リスク』(2023年、スウェーデン王立科学アカデミー他)は、世界196カ国の食料自給率と生産多様性を分析し、それが供給リスクとどのように関連するかを明らかにしている。
世界基準で見ても意味ない指標を掲げる農水省
このレポートにおける「食料自給率」は、日本のようなカロリーベースによるものではなく、はるかに実態に即した指標である。その方法は、9種類の栄養素(炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミンA、葉酸、鉄、亜鉛、カルシウム、果物・野菜の摂取量)の自給率を算定するものだ。
世界基準で見ても意味ない指標を掲げる農水省
このレポートにおける「食料自給率」は、日本のようなカロリーベースによるものではなく、はるかに実態に即した指標である。その方法は、9種類の栄養素(炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミンA、葉酸、鉄、亜鉛、カルシウム、果物・野菜の摂取量)の自給率を算定するものだ。
これら9種類の栄養素を自給できて、初めて「完全自給」と定義される。炭水化物の自給率が100%に達したとしても、世界標準の基準では「低自給」という最低ランクに分類されてしまう。
日本の農水省は、そもそも世界基準で見ても意味のない指標を掲げ、その達成のために膨大な労力と予算を浪費してきたに過ぎない。こんな数値に固執している間に、日本の食料安全保障はますます脆弱化している。今こそ、9種類の栄養素の自給率を向上させるか、もしくは危機時でも安定的に供給できる体制を整備すべきである。「せめてお米だけでも」という感情論では、日本人を栄養失調と食料危機の両方に追い込むことになる。農水省は、無意味な自給率の数字遊びをやめ、現実に即した食料政策に転換すべきだ。
自給率100%の目標は農家の犠牲の上に成り立っている
さらに強調しておくべきなのは、農水省が「お米農家を守る」と称している自給率100%の目標が、実際には農家の犠牲の上に成り立っているという事実だ。農水省は、この現実を直視すべきである。
自給率100%の目標は農家の犠牲の上に成り立っている
さらに強調しておくべきなのは、農水省が「お米農家を守る」と称している自給率100%の目標が、実際には農家の犠牲の上に成り立っているという事実だ。農水省は、この現実を直視すべきである。
100%という数字は、ただの目標ではなく、農家に無理を強いる指標である。90%でもなく、110%でもなく、100%。この数字に固執することで、日本の農業は海外産米の輸入を拒み、日本産米の輸出を抑制し、さらには減反政策によって生産量を意図的に減少させるという矛盾に満ちた政策を続けてきた。
海外産の米を輸入しなければ、日本の米を守れると考えるかもしれない。しかし、産業というものは「守れば守るほど競争力を失う」のが歴史的な事実だ。アルゼンチンは保護政策で没落し、チリは逆に自由貿易の推進によって豊かな国になった。
もし、日本の米を輸出できなければ、低収入に苦しむ農家の貴重なビジネスチャンスを、中国やアメリカが生産するジャポニカ米に奪われることになる。長期的に見れば、競争力を失った日本の米農家は高くて、品質の悪いものをつくることになる。
農水省は輸入を阻み、輸出も制限する愚策
「輸入はしないが、輸出もしない」ではなく、「輸入もするし、輸出もする」という自由貿易を前提とした政策へと転換すべきだ。TPPの議論の際、「自由貿易をすると日本の農家は壊滅する」などという虚偽の主張が、保守を自称する人々によって喧伝された。しかし、現実に起きたのは、日本が誇る高品質な農作物、海産物、畜産物が次々と海外市場に進出し、新たな収益源を確保したという事実である。
農水省は輸入を阻み、輸出も制限する愚策
「輸入はしないが、輸出もしない」ではなく、「輸入もするし、輸出もする」という自由貿易を前提とした政策へと転換すべきだ。TPPの議論の際、「自由貿易をすると日本の農家は壊滅する」などという虚偽の主張が、保守を自称する人々によって喧伝された。しかし、現実に起きたのは、日本が誇る高品質な農作物、海産物、畜産物が次々と海外市場に進出し、新たな収益源を確保したという事実である。
米に関しても同じことが言える。日本ほどジャポニカ米の生産に適した気候を持つ国は存在しない。自由に生産・流通を行えば、米の生産量も輸出量も増加し、農家の利益は拡大するはずだ。それにもかかわらず、農水省は輸入を阻み、輸出も制限するという愚策を続け、日本の稲作文化の発展を阻害し続けている。まさに農水省こそが、日本の稲作を衰退させる張本人である。
そもそも、このカロリーベース自給率という指標自体が、あまりにも杜撰である。例えば、牛や豚などの家畜が外国産の飼料を食べているという理由で、肉の自給率は低く見積もられる。一方で、米の生産に不可欠な耕作機の燃料は100%輸入であり、肥料の多くも外国産であるにもかかわらず、これらは米の自給率には一切換算されない。こんな矛盾した指標を作り、それを維持することに固執し続けているのが農水省である。
この指標では、食料危機に対応することもできず、農家が海外市場で高収益を上げることも阻まれる。さらに、実態を正しく反映していない以上、政策の判断基準としても機能しない。こんな無意味な数字を盾に、農政を歪めている農水省の責任は極めて重い。
転売が原因で供給が不足したのではない
現在、米の価格が上昇し、転売が発生していることが問題視されている。しかし、転売が原因で供給が不足したのではない。供給が足りないからこそ、転売が発生しているのだ。転売や投機が先にあるのではなく、市場に十分な米が流通していないことこそが問題の本質である。価格が上がれば利益を狙う動きが活発化するのは市場の原理であり、そもそも供給不足がなければ転売は成立しない。この基本的な仕組みを理解しないまま、転売規制だけで問題を解決しようとするのは愚策に他ならない。
転売が原因で供給が不足したのではない
現在、米の価格が上昇し、転売が発生していることが問題視されている。しかし、転売が原因で供給が不足したのではない。供給が足りないからこそ、転売が発生しているのだ。転売や投機が先にあるのではなく、市場に十分な米が流通していないことこそが問題の本質である。価格が上がれば利益を狙う動きが活発化するのは市場の原理であり、そもそも供給不足がなければ転売は成立しない。この基本的な仕組みを理解しないまま、転売規制だけで問題を解決しようとするのは愚策に他ならない。
米の品薄の原因は、生産と流通のバランスが崩れていることにある。2024年産の米は、前年より18万トン増産された。しかし、JA全農などの集荷業者が買い集めた量は前年より21万トン少なかった。生産量は増えているにもかかわらず、市場に流通する量が減少しているという不可解な状況が生じている。
危機管理の観点から、農水省の政策は破綻している
消えた21万トンの行方について、江藤拓元農水相は「どこかにスタック(滞留)していると考えざるを得ない」と述べている。つまり、農水省すらその所在を把握できていないのだ。このようなずさんな流通管理の下で価格が高騰し、消費者の不安が増大している。坂本哲志元農水相も「今まで買わなかった人たちがどんどん買い出した。投機の対象になってしまった。流通で不透明な部分があった。それを私たちが判断できず、これまでずっと高値が続いてきた」と指摘している。農水省は市場の実態を把握できておらず、価格上昇のメカニズムを理解しないまま、場当たり的な対応を繰り返しているに過ぎない。
危機管理の観点から、農水省の政策は破綻している
消えた21万トンの行方について、江藤拓元農水相は「どこかにスタック(滞留)していると考えざるを得ない」と述べている。つまり、農水省すらその所在を把握できていないのだ。このようなずさんな流通管理の下で価格が高騰し、消費者の不安が増大している。坂本哲志元農水相も「今まで買わなかった人たちがどんどん買い出した。投機の対象になってしまった。流通で不透明な部分があった。それを私たちが判断できず、これまでずっと高値が続いてきた」と指摘している。農水省は市場の実態を把握できておらず、価格上昇のメカニズムを理解しないまま、場当たり的な対応を繰り返しているに過ぎない。
転売を批判する声は多いが、そもそも供給が安定していれば、転売で利益を出すことは不可能である。供給が減り、需要が集中するからこそ、投機や転売が活発化する。この基本的な経済の仕組みを無視し、転売だけを問題視するのは本質的な解決とはならない。というか、陰謀論を唱えて、政府への批判を必死で誤魔化している可能性もある。行政が失敗した責任を外敵にただ押し付けて、大臣が怒ってみせるというのは、あまりにレベルが低い。 危機管理の観点から見ても、農水省の政策は破綻している。平時から米の生産量を増やし、海外市場に積極的に輸出しながら、万が一の危機には国内供給に振り向けるという柔軟な体制こそ、本来あるべき食料安全保障の姿である。にもかかわらず、農水省は無意味な数値目標に固執し、国内市場を圧迫するだけでなく、輸出機会を自ら閉ざしている。この誤った政策が日本の農家を疲弊させ、稲作という伝統文化を破壊しているのだ。
農水省は、今すぐ現実を直視し、国際市場を視野に入れた戦略的な農業政策に転換すべきである。さもなければ、日本の米生産はさらに衰退し、消費者は高騰する米価に苦しみ続けることになる>(以上「MINKABU」より引用)
記事を引用したMINKABUとは一般的なSNSとしての機能を備えるとともに、株式やFX、暗号資産(仮想通貨)、保険など、各金融機関の垣根を意識することなく資産形成に関する情報発信を行うメディアである。その投資メディアが「農水省はウソばかり!「コメ転売」「自給率100%」、米が高いのはおかみの農家いじめが原因」日本を滅ぼす自民党」との見出しで昨今の米価高騰のカラクリに関する小倉健一(ジャーナリスト、元プレジデント編集長)氏の見解を紹介していた。
そもそもオールドメディアは転売ヤーによる買い占めが米価高騰の元凶だと「断定」した報道を繰り返しているが、私はこのブログで昨夏からの米価高騰は「農水省の失政」による「コメ不足」が招いたものだと書いてきた。今回引用した小倉氏も私と同様に「コメ不足」が米価高騰の原因だと断定している。
そもそもカロリーベースの自給率は日本の他には韓国など極めて少ない国が採用しているに過ぎない。世界的な常識は生産額ベースの自給率だ。日本の現在の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで63%になっている。
日本の自給率はカロリーベースで標記する限り必ず低く出る。なぜなら食料でカロリーを叩き出す炭水化物のうち、日本は米しか生産してないからだ。国民が消費する炭水化物の50%以上が小麦粉だ。いわゆる「粉物」は小麦粉で、その大半は米国からの輸入だ。さらにカロリー的には殆どない野菜はカロリーベースではカウントされない。だからカロリーベースでは38%で、生産額ベースでは63%になっている。自給率63%という数字は決して悪くない。英国よりも高いと云える。
昨年夏以来の米価高騰の原因は「コメ不足」に加えて、昨年夏から導入された「コメ先物市場」制度による。かつて大阪の堂島にコメ相場が立っていたことから「堂島コメ平均」と称している。それは日本全国の主食用コメの平均価格(平均米価)を指数化したものを将来価格の指標する、としている。それにより北海道から九州まで100を超える産地品種銘柄の価格を平均化しているので、どの地域の業者でも参加しやすく、現物の受渡しがないので流動性も向上し、安心して投資できる設計になっている、と農水省は説明している。
しかし「堂島コメ平均」がコメ先物指数として一般に知られるようになると、コメの値上がりを見込んで「投機家」がコメ流通に入り込むのは予想されたはずだ。そうしたコメ取り扱いの素人が「現物を抑える」挙に出るのを防ぐ手立てを農水省は法制化しておくべきだった。だがコメは取り扱いが難しいデリケートな商品だという認識がある人たちだけで「堂島コメ平均」を制度化したため、コメ流通の素人の転売ヤーが参入して来るとは予想しなかった。
自民党が推進した「外国人移民政策」により、日本国内には300万人を超える在日外国人がいる。彼らは儲けに群がる習性が顕著だ。時として他人の物を奪ってでも、儲けを手に入れたい、という欲望が迸る。だからコメ取り扱いのノウハウを持たない「低温保冷庫」といった設備すら持たない素人がコメ売買に手を出した。結果は火を見るよりも明らかだ。
温度変化の激しい常温で放置されたコメは劣化する。ことに精米したコメは賞味期限は一月ほどだ。玄米でも三ヶ月ほど経過するとカビや虫が付く。食品衛生上、食べられたものではなくなる。今後行政が目を光らせるべきは素人が転売目的で購入したコメが直接食堂やスーパーに売られることだ。そうした業者に注意喚起の通達を出すべきだ。
日本の農政が「ノー政」と云われて久しい。なぜコメ生産を減反政策などで削減して来たのだろうか。日本の美味しいコメは生産できるだけ生産して、集荷業者・農協が全国組織の全農を使って、なぜ世界へ輸出しなかったのだろうか。
コメの自給率が100%以上あれば、天候不順などで作柄が悪くても心配することはない。インドではそうした農政を実行している。食糧は一日たりとも不足させてはならない。自動車購入は二年待ちなどがあるが、食糧では一週間待ちすら許されない。政治家諸氏はそうした常識を持ち合わせてないのだろうか。国会議員諸氏は暖衣飽食の待遇に国民生活が見えなくなっているのだろうか。やはり、国会議員も長くやるとダメになるようだ。ダメになった連中がトコロテン式に総理大臣になる現在の制度は改めるべきではないだろうか。