再エネは電気料金を高騰させるだけの無用の長物でしかない。

現代文明のエネルギー
 我々の日常に「エネルギー」が必要不可欠であることは言うまでもないだろう。エネルギー無くしては、スマホ、パソコン、電車、自動車、工場、さらにはビルの空調やエレベーターでさえ動かない。もちろん、自宅で観るテレビや料理をするコンロでもエネルギーを消費する。
 我々の日常生活、社会生活はエネルギー無しでは到底成り立たないのだ。
 そして、「現代文明」を支えるエネルギーが「いつまでもつのか」という大きな疑問が沸き上がっている。
 もちろん、明日、来年無くなるというような話ではない。だが、数十年単位では「エネルギーの枯渇」がかなり深刻な問題になるであろう。また、100年ぐらいで「実際の枯渇」に直面するかもしれない(後述)。
 もちろん、人力車や馬車なども人間や馬が生み出すエネルギーで動くし、風車も風で動く。このような古代から我々が手に入れていた「エネルギー」が無くなってしまうのではない。
「枯渇」するのは、産業革命以降、人類の文明を飛躍的に発展させた化石燃料によるエネルギーである。
 2021年8月21日公開「脱炭素・EV推進、『合理的な科学的根拠が無い』この方針は、もはや『宗教』だ」など多数の記事で述べた「脱炭素教」によって、まるで「悪魔」のごとく悪者にされているのが化石燃料だ。しかし、3月21日公開「化石燃料はこれからも重要だ。そして、インフレは投資家最大の敵だ!」、2020年5月6日公開「原油先物マイナスでも『世界は化石燃料で回っている』と言えるワケ」というのが真実である。
 実際、我々がごく当たり前だと思っている文明の大部分が、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった「産業革命」以降に生まれている。
 そして産業革命を象徴するのが「蒸気機関」であるが、これは石炭という化石燃料を我々が活用できたからこそ大進化した(薪では限界があった)。その後の工場を始めとする機械、鉄道、自動車などの発展にも石油・天然ガスを含む化石燃料が多大な貢献をしている。

「電気文明」も化石燃料のおかげ

 もう一つ忘れてはならないのは、現代の「電気文明」も化石燃料の恩恵の一つであるということである。
 ガス灯は、英国人技師のウィリアム・マードックが1792年、石炭から得たガスの炎で自宅の照明に利用したのが始まりである。それまで、「夜は真っ暗」であった世界にまさに「灯りを灯した」といえよう。
 しかし、エジソンが1879年に発明したとされる(参照:2020年10月21日公開「白熱電球を発明したのは誰? じつはエジソンが最初ではありません」)白熱電球が世間に普及するまでは、現代のように「夜も明るい生活」は一般的ではなかった。
 そして、スマホを始めとする電子機器、電車、工場のモーターなど、現代文明に不可欠な電気は、今でもそのおおよそ7割が化石燃料によって発電されているとされる。
 つまり、我々は「化石燃料」によって「電気文明」を支えているのであり、「化石燃料の安定調達」をもっと真剣に考えなければならないのだ。もし化石燃料が枯渇してしまったら、(産業革命以降の)「電気文明」は滅びる運命にある。

役立たずの再生可能エネルギー
「脱炭素教」信者が主張するのは「化石燃料なんかなくても、『グリーンエネルギー』さえあれば大丈夫さ!」という事だが、これは科学的・論理的検証がなされていない「夢想」である。
 グリーンエネルギーの代表格として取り上げられるのが、太陽光発電と風力発電である。
 だが、どちらも「お天気任せの頼りない存在」といえる。風力は夜間や雨の日でも利用可能だが、風の強さはコントロールできない。台風が上陸するときと、風速ゼロの凪の時との落差が激しいが、それを「人間の都合」に合わせることができないのだ。
 太陽光発電はもっとひどい。日中でも太陽光の強さは刻々と変化するが、雨の日は最悪だ。また、夜間はまったくの無用の長物に変化する。
 電気は「エネルギー」とも呼ばれるが、厳密に言えば化石燃料に代表される「化学エネルギー」などとは異なる。石炭、原油、天然ガスなどと違って「エネルギー」を「蓄える」ことが困難なのだ。
 古代から、雷、静電気などの現象はよく知られていた。しかし、自然界に存在する「電気」は、「一瞬の現象」であるがゆえに、人間がそれを利用するのは難しかった。
 ところが、化石燃料を我々が利用するようになり、それを用いた安定的かつ大量の「発電」をすることが出来るようになった。実は、この(実用性のある)「発電」が、蒸気機関に続いて現代文明を大躍進させたのだ。
 化石燃料が優れているのは、「(貯めておいた)化学エネルギー」によって、(いつでも人間の好きな時に)オン・ディマンドで電気を供給できる点にある。これは極めて重要なことで、太陽光・風力発電の最大の欠陥もそれが出来ない点にある。

グリーンエネルギーによる「停電」
 日本全国、世界各国に張り巡らされている送電網は、電力の需用と供給において、高い精度で常にバランスをとらなければ機能しない(停電する)。したがって、電力会社の担当者は、各種データを睨みながら張り詰めた状態で電力の需給のコントロールをしているのだ。
 日本の電車が秒単位の正確さで運行される事に外国人は驚嘆の声をあげるが、日本で停電が少ないのも、このような現場の担当者の頑張りが大きく貢献している。
 その彼らにとって、「お天気任せでいつやってくるかわからない」太陽光・風力発電による電力など「無用の長物」であるといえよう。実際、このような電力が主体になれば、雨の日や風が吹かない日は、毎日のように停電することになる。
 このような「無用の長物」に対して、我々は2021年11月5日公開「エネルギー価格高騰、脱炭素・EV化を推進する国家・企業は総崩れか」冒頭「電気代・ガス代が上がり始めている」で述べた高額な「再生可能エネルギー発電促進賦課金」なるものを無理やり支払わされているのだ。

水力・バイオマス・地熱は生き残るか?

 水力発電は優れた発電手法であり、川の流れをダムでせき止めることにより「位置エネルギー」に変えて保存することができる。ただし、化石燃料のようにタンクに備蓄して180日分を確保したりするような大掛かりなことは出来ない。あくまで利用可能なのは川が流れる運動エネルギーと、「ダムでせき止めた分」だけの位置エネルギーである。
 さらには、水力発電はすでにかなり普及しており、「環境問題」などからも新たに建設する適地を探すのは困難だ。
 したがって、ポスト化石燃料時代の有望な候補ではあるが、「電気文明」を支えるほどのボリュームは期待できない。
 地熱発電も優れた発電方法だが、こちらは水力発電よりもさらに適地が少ない。
 バイオマス発電は、基本的には火力発電と同じで非常に利便性が高いが、燃料となる間伐材、廃棄物、廃油などの確保に現在でも苦労している。
 結局、「グリーンエネルギーだけ」で現代(電気)文明を支えることなど不可能なのだ。

原子力発電は?

 原子力発電もほぼ火力発電並みの利便性を提供できるが、「大規模事故」のリスクは付きまとう。このリスクについては2023年11月19日公開「日本がエネルギー大国になる日~人工光合成と藻類バイオマスに期待」3ページ目「年間200万人の早期死亡者と原発事故」で「過度に危険視する必要は無い」と述べた。
 だが、原子力発電にはウラン(核分裂しやすいウラン235を約4%、核分裂しにくいウラン238を約96%混ぜたもの)が必要だが、ウランの可採年数は約130年とされかなり長いものの「限りある資源」である。
 可採年数は、採掘技術の発達や価格の高騰で伸びることもあるが、原子力発電にシフトして需要が増えれば、当然短くなる 。
 また、「核廃棄物」の処理も解決が難しい問題である。
 なお、「プルサーマル」のように、燃料を「リサイクル」するという「夢の技術」が研究・開発中であるが、普遍的に実用化されるかどうか不明である。

「核融合」は実用化できない!?
 また、核融合発電が世間で騒がれるが、「実験成功」はあり得ても、(経済合理性のある)「実用化」は無理ではないかと考える。
 そもそも、太陽中心部での核融合は、1600万度、2400億気圧という途方もない環境で行われている。
 それに対して、地球上の核融合炉は1億度程度と太陽の中心部を上回ってはいるが、数気圧程度であり、太陽は比べものにならない。
 したがって、太陽のように「水素」によって「核融合」を起こすことは不可能であり、「重水素」や「三重水素(トリチウム)」を使う。そして、地球上の水素全体の中での存在割合は、軽水素が99.985 %、二重水素が0.015 %であり、 三重水素の割合はごく僅かである。
 二重水素の調達も大変だが、三重水素については、WIRED 2022年6月23日「注目の『核融合発電』は、実現前から“燃料不足”の危機に直面している」などで述べられているとおりだ。
 例えば、「錬金術」は現代科学では「可能(なはず)」である。科学技術振興機構・サイエンスポータル 2020年6月11日「日本が命名した113番元素『ニホニウム』 ~新元素発見までの道のりとこれから~」のように、「(新)元素の合成」は可能だから、卑金属の元素を組み合わせて「金の元素」を生成するのも不可能ではない。
 だが、前記記事で「(ニホニウム)の生成確率は100兆分の1」と述べられているから、金の元素を一つ合成するコストは莫大なものになると考えられる。いくら現在の金価格が高騰していると言っても、まったく採算に合わない。
 核融合炉も、結局「実験的に成功」しても、「採算面」において錬金術と同様に「実用化」されることはないと考えられる。

化石燃料が枯渇するのはいつか

 1970年代のオイルショック時に「世界の原油は残りあと30年」と危機が煽られたが、現在の可採年数は約50年とされる。
 そのため「石油枯渇」は「オオカミ少年の言葉」であると思われている節があるが、これは前述の「可採埋蔵量」に対する誤解から来ている。
「可採埋蔵量」=「経済的に採掘可能な現在分かっている埋蔵量」だから、新たに発見されたり、原油価格が上昇し採算分岐点が上がったりすれば、この「可採埋蔵量」はどんどん増えていくのだ。
 実際、オイルショック前の原油価格は2~3ドル程度であった。地面を掘れば石油が噴き出していた時代には、それでも十分採算がとれたのである。
 だが、現在のシェールオイルの採掘コストは30ドル程度とされる。それに利益を上乗せした価格でなければ「可採埋蔵量」には入らないということである。
 最近急増している海底油田でも同じことである。条件の良い浅瀬から沖合の採掘コスト(さらには陸への運搬コスト)の高い場所へと移らざるを得なくなっている。
 結局「可採埋蔵量」はむしろ増えているが、それは原油価格が上昇しているおかげであり、「地中に埋まっている化石燃料」の「絶対量」は着実に減少しているのだ。
 したがって、エネ百科「世界のエネルギー資源はあとどれくらいもつの?」の資料などから類推して、あと100年もすれば(あるいは数十年かもしれない)、一般の人々が「安価」に手に入れて「普通」に使うことができる時代は終わると思われる。もちろん化石燃料による発電も同様だ。

我々は、中世・近世の暮らしに戻る

 もちろん、水力発電やバイオマス発電にはある程度の「持続可能性」があるが、現代の「電気文明」を支えるほどの力は無い。
 また、2023年10月19日公開「日本がエネルギー大国になる日~人工光合成と藻類バイオマスに期待」との希望もあるが、こちらも「電気文明」を支えるだけの力にはならないであろう。
 我々は、結局「産業革命以前」=「中世・近世」の暮らしに戻らざるを得ないということだ。
 だが、日本の近世=「江戸時代」は平和で豊かな時代であったから、それほど恐れる必要は無いのかもしれない>(以上「現代ビジネス」より引用)




 大原浩(国際投資アナリスト人間経済科学研究所・執行パートナー)氏が化石燃料の枯渇という悪夢でも見たのか「化石燃料が無くなれば「電気文明」は滅びる!? あと100年?で人類社会は産業革命以前の「中世・近世」へ」との寄稿をしている。
 実際に化石燃料は間もなく枯渇する、と云われてきた。私たちが幼かったころ、石油は30年で、石炭も100年で無くなると科学雑誌などに書かれていた。しかし、それから50年以上も経ったが、石油が枯渇するまで40年だと云っている。

 大原氏が指摘するように、それは掘削技術の進歩により「採掘可能な埋蔵量」が増えているからだ。掘削可能かどうかを度外視すれば、石油の埋蔵量は現在の産出量て6千年分あるという。だから石油の埋蔵量は常に「後40年」であり続けるかも知れない。
 それに対して、ウランや重水素はかなり限定的だ。だから未来のエネルギーといわれている核融合の方が早く燃料枯渇に見舞われる、という怪現象が現れるかも知れない。

 大原氏が指摘しているように、再エネは気紛れで発電量を計画的に当てすることは出来ない。しかし、それではエネルギーの基幹を担う「電力」の供給装置としては不適格だ。子供の実験、あるいは玩具としては面白いが、それで社会活動のエネルギーを賄うわけにはいかない。
 だから再生エネには必ず火力発電がバックアップとして必要不可欠だ。いやむしろ火力発電が正社員であって、再エネが気紛れな臨時アルバイトのようなものだ。臨時アルバイトだけで企業を運営することは出来ない。そうすると電力の安定供給のためには再エネ投資と同時に火力発電も維持しなければならない。つまり二重投資がなされることになり、電気料金は高騰する。

 だからメガソーラーは無用の長物だ。しかしキャンプなどの娯楽用の電気を賄うには太陽光パネルが役立つだろう。簡単に電気が手に入れられるし、たとえ停電しても社会的な混乱など起きないからだ。
 山間部の田畑を害獣から守るために、太陽光発電の電気をバッテリーに蓄電して、電気柵などに利用することも可能だ。そうした個人的な利用方法なら再エネは問題ない。

 グリーン・エネルギーなどと呼ぶから問題が大きくなり、国民は電気料金などの高騰で苦しむ。個人的な簡易電源として太陽光パネルを普及させれば良い。もちろん風力発電などは無用の長物であるだけでなく、野鳥にとって飛んでもない障害物でしかない。風力発電は安定電源に程遠く、投資金額に比して、風力発電は決してペイしない無用の長物だ。
 化石燃料が尽きたら電気のなかった中世以前の暮らしに戻るのだろうか。いや地球の化石燃料が尽きる頃には化石燃料に替わる合成燃料が開発されているだろう。気紛れな太陽光発電を安定的なエネルギーに転換する合成燃料を手に入れる技術が開発されるだろう。「必要は発明の母」というではないか。


<私事ながら>
この度、私が書いた歴史小説「蒼穹の涯」を出版するためにCAMPFIREでクラウドファンディングをはじめました。「蒼穹の涯」は伊藤俊輔(後の伊藤博文)の誕生から明治四年までを史料を元にして描いたものです。維新後の彼の活躍は広く知られていますが、彼が幼少期からいかに苦労して維新の功労者になり得たのかを史実に基づいて記述しています。現在、明治維新以前の彼に関する小説等の著書は殆どありません。
 既に電子版では公開していますが、是非とも紙媒体として残しておきたいと思います。クラウドファンディングは7月3日までです。残り少なくなりましたが、皆様方のご協力をお願いします。ちなみに電子版の「蒼穹の涯」をお読みになりたい方はこちらをクリックして下さい。

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