統一教会問題によって評論家たちの立ち位置と力量が判明する。

【テロに屈するな】という標語は無意味
 統一協会という「反日・反天皇カルト」を国家の中枢まで招き入れた人物を「国葬」にすることには反対の方が多くなっている。法の根拠がないまま、閣議決定で決めたことには首を傾げるが、弔いたい人はそうすればいい。
 奇しくも昨日、イギリスのエリザベス女王の国葬が行われたから、皮肉な格好になってしまって気の毒でもある。
 これまで散々「安倍マンセー」を唱えてきた言論人は、安倍が選挙に勝つために統一協会と手を組み、そのおかげで「憲政史上最長の政権」を維持していたという「不都合な真実」から目をそらそうと必死である。連中も所詮は「反日・反天皇カルト」に与する売国勢力にすぎないのだ。

 普通の宗教なら、自分の正体を隠して、日本人だけを洗脳し、主体性を完全に奪って、集金奴隷に改造するようなことはしない。統一協会は明らかに人権無視のカルトなのだ。
 7月10日、ニコニコチャンネルの参院選開票特番で、国際政治学者・三浦瑠麗、批評家・東浩紀、ノンフィクションライター・石戸諭の3人が、社民党党首・福島瑞穂の発言に対して、常軌を逸した反応を示す一幕があった。
 福島はまず、安倍が殺害された事件について「いかなる暴力にも反対する」「安倍さんの死に哀悼の意を表する」と述べ、その上でこう発言した。
「もし統一教会を応援しているということが問題とされたのであれば、まさに自民党が統一教会によって大きく影響を受けている、ということも日本の政治の中で、これは問題になりうると思っているのですね」
 見事だ!ぴしゃり、当たっている!
 これに東は「『自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いた』と言った」と口調を荒げ、三浦は「ほぼそれに近い」と同調。
 さらに東は「これは大変な発言ですよね!」と言い、石戸が「だから福島さんというか、社民党は小さくなるんですよ!」と非難し、さらに三浦が「これはもうニュースになってしまいます。しかし申し訳ないけど私の責任ではないと思います。一度、牽制球を投げましたからね」と言ったのである。

 福島は「自民党は統一教会と関係しているからテロを招いた」とは言っていない。あくまでも自民党が統一協会の影響を受けていたとしたら問題ではないかと言っているだけで、それは全く真っ当なことである。
 それなのに三浦瑠麗、東浩紀、石戸諭の3名が、ここまで狼狽するというのは、見るからに異常である。
 実はこの3人こそが、自民党が統一協会と関係があると知れたら大変なことになると心底恐れていて、そこに直接触れる発言がいきなり出てきたものだから、パニックを起こしてしまい、全力で封殺しなければならないと血相を変えたのだろう。
 しかしその後たちまち、統一協会と自民党、特に安倍政権がズブズブの関係だったということは、隠しようのないものとなった。
 すると、「自民党と統一協会に関係があるなんて、その可能性について言うことすらまかりならん!」と言っていたはずの三浦瑠麗は、「自民党と統一協会に関係があったとしても、そもそも統一協会なんて大した問題ではない」という発言を繰り返すようになった。
 8月26日の『朝まで生テレビ!』では「統一協会で何を今さら騒いでるんですか、みんな知ったことでしょ。私はこの問題に興味ありません」とまで発言。興味のない問題で、なぜあんなに狼狽したのか?
 さらに三浦は「すごい献金してて困窮してても、多くの家族は山上みたいに殺人してない!」だの「反日なんて言葉使わないで!」だのと、問題を矮小化しようと必死だった。

 一方の石戸も、「選挙運動を手伝ったり、政治家のパーティー券を買ったりと政界とのつながりは現在もある(中略)だが、つながりがあることと、影響があることはまったく別の問題である」(サンデー毎日8.14号)だの、統一教会が持つ票数は8~15万票程度だから「公明党の支持母体・創価学会が持つ600万~700万票にも遠く及ばない」(SPA!8.2号)だのと書いている。
 統一協会信者の実数は6万人程度で、石戸の言う「8~15万票」より少ないが、選挙ではものすごい僅差で勝敗が決まる激戦区があり、当落ギリギリの候補へ効果的に票を割り振れば、6万票で何人かは当選させられる。実際に安倍は実際統一協会に頼んで票の差配をやっていたし、ましてや地方議会はもっとずっと少ない票数で決まるから、その威力は相当なものとなるのは間違いないのである。
 SPA!の執筆者の批判は、SPA!連載の『ゴーマニズム宣言』で描いてはいけないというルールを強いられているのでここで書くが、石戸は事実を平然とねじ曲げて、統一協会の問題を火消ししようと躍起となっているのだ。

 だが、もっと物凄かったのは東浩紀の変節だ。
 東はAERA8月8日号の巻頭エッセイ「eyes」で、なんと、こう書いたのだ。
「自民党と旧統一教会の関係は、これを機に徹底的に解明すべきだろう」
 これが、同一人物の発言か!?
 福島瑞穂が自民党と統一協会の関係を疑う発言をしただけで、あれだけの剣幕でその発言を封じにかかった人物が、どのツラ下げて言っているのか!?
 また、東はこうも言っている。
「大前提として、宗教法人を隠れ蓑にした犯罪行為は許されない。親の信仰で苦しむ児童は社会で保護すべきだ。必要な対処が多額の献金や選挙協力により歪められていたとしたらとんでもない話である」
 自民党が統一協会の影響で政策を歪められていたのではないかというのも、福島瑞穂が言おうとして、東浩紀が封じたことではないか!
 この厚顔無恥の手のひら返しには呆れ果てる。東はこんなことを書くのなら、その前に福島に土下座しなきゃいけないだろう。
 さらに東は、こう書いている。
「ネットや一部メディアで容疑者に理解を示す声が聞こえるのも心配だ。戦前でもテロリストに同情が集まった。それは敗戦に至る暗い歴史を準備した」
 東は安倍殺害犯の山上徹也を何の疑いもなく「テロリスト」としているが、そもそも山上が行ったことは「テロ」で山上は「テロリスト」なのか?

 テロリズムとは、ある政治的目的を達成するために、敵対する当事者や、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、これによって生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを強いる行為をいう。
 ところが山上徹也は、犯行直後から「政治的意図はない」と明言している。
 山上はもともと安倍シンパのネトウヨであり、安倍を「敵対する当事者」として狙ったわけでもない。
 山上の犯行は私憤による復讐である。
 統一協会のために家族が崩壊して兄は自殺、自身の前途にも絶望し、現在の教団トップ・韓鶴子を殺そうとしたが果たせず、安倍が韓鶴子を称えるビデオメッセージを出していたことを知って、標的を変えたのだ。
 山上には事件を起こして社会に影響を与えようという意図はなかったし、事件に「恐怖心」を抱いて軽挙妄動した人もいないのである。

 ところが東浩紀は、こう強調するのだ。
「私たちはまずはテロは断固許さないという決意を繰り返し表明し続けるべきである」
 テロでもないのにそう言っている時点でまずおかしいのだが、それは措くとしても、そもそも「テロは断固許さない」という言葉を、まるで絶対の教義のように受け取っている奴は馬鹿なのだ。
 テロリズムの由来は、フランス革命期のジャコバン派の恐怖支配(1793~94)にあるとされ、以後「白色テロリズム(反動的テロリズム)」と呼ばれる支配体制側が反対勢力を抑圧・弾圧する事例や、逆に反体制側がとる「赤色テロリズム(革命的テロリズム)」、あるいはその双方のテロリズムの応酬など、様々なケースが存在する。
 多様性のある「テロリズム」を、全て一からげに「絶対悪」にしたのは2001年の9.11テロ以降に「テロとの戦い」と言い出したアメリカであり、くだらない優等生だけが米国のプロパガンダを妄信して、「テロは断固許さない」というのを「統一原理」にしてしまっているのである。
 東はこのコラムをこう締めくくっている。
「宮坂直史・防衛大学校教授は、民主主義を壊すのはテロリストではなく、テロを受けた側の人々だと語っている。後年振り返ったときに、この事件が日本史の転換点だと言われないことを切に願っている」
 テロが起きた時に、テロは断固許さないという態度を示さなければ民主主義は壊れるというのだが、実は宮坂教授はそんなことは言っていない。
 宮坂教授の実際の発言はこうだ(朝日新聞DIGITAL7月12日)。
「犯行に対して『民主主義を破壊する行為だ』という非難が語られていますが、テロ研究の視点から見て気になるのは、実際に自由と民主主義を破壊するのはテロを受けた側、つまり国家や市民だということです。破壊されるのはテロが起きたときではなく、テロを見て人々がそれらに制限をかけたときです。
(中略)
犯行を見た私たちが過剰反応せず自由で民主的な社会を変えない決意を持てるかどうかの方が、より重要だと私は思います」
 つまり、テロを見て怯えた人が「テロの再発を防ぐためには、個人の自由を制限すべきだ!」などと過剰反応を起こし、監視や自粛などの規制を行うことによって、自由と民主主義が破壊されると言っているのだ。
 東が宮坂教授の発言を完全に誤読して紹介したのは本当に読解力不足のせいなのか、意図的なのかは知らないが、ここは東の言う「テロリストに同情したら、民主主義が壊れる」という主張が正しいかどうかを検証しよう。

 韓国では伊藤博文を暗殺したテロリスト・安重根が国の英雄だが、民主主義が崩壊しているわけではない。
 そもそも英雄とテロリストは紙一重というところもあって、南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラもかつてはテロリストとして扱われていた。チェ・ゲバラが英雄か、テロリストかとなると、今でも人によって意見が分かれるだろう。
「テロリストに同情したら、民主主義が壊れる」なんて話は、全然成立しないということは、たちまち証明できてしまう。
 当たり前の話なのだが、テロにもいろんなケースがある。
 同情できないテロもあれば、同情できるテロもある。
 明治時代の日本には来島恒喜という偉大なテロリストがいて、わしは何度も漫画に描いている。
 明治政府は不平等条約の改正を焦るあまり、「治外法権」の撤廃に際して、外国人の裁判の際には日本人の裁判官の他に、外国人の裁判官を任用するという案を採用しようとした。
 これでは、実際の裁判ではそれまでよりも外国人に有利な判決が出るようになる可能性があり、「治外法権撤廃」は形式だけで、逆にその強化になりかねないというものだった。
 しかし当時はまだ国会も開設されておらず、いくら反対世論を盛り上げても阻止は不可能な状態だった。
 そんな中、来島恒喜は最も強硬に条約改正を推進しようとしていた外務大臣・大隈重信に爆弾を投擲して右足切断の重傷を負わせ、その場で自刃した。
 これによって条約改正は中止となり、来島は永く国士として称えられたのである。
 昭和35(1960)年、日本社会党委員長・浅沼稲次郎を暗殺したテロリスト、山口二矢はこう書かれた斬姦状を遺し、自決した。

汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。

「訪中に際しての暴言」とは、その前年に訪中した浅沼が中華人民共和国の「一つの中国」論に賛同し、「アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵」と発言したことを指す。
「国会乱入の直接のせん動者」は、60年安保改定反対等の請願デモで国会に浅沼らと陳情団が入った後、全学連を先頭とする2万人のデモ隊が国会構内に乱入したことを指している。
 現在の感覚で見ては理解できないだろうが、日本が共産主義化される脅威が現実のものとして存在し、社会党がその尖兵としての役割を担っていた時代においては、その言い分は正当なものだったのである。
 ものごとを時・処・位で考えられない硬直した優等生だけが、「テロは断固許さない」を思考のマニュアルにしてしまう。
 むしろ、学校のお勉強に染まり切っていない庶民の方が、テロにもいろいろ背景があって、同情できるテロもあるという柔軟な思考ができるものだ。

 もしも山上徹也が私憤ではなく、安倍と統一協会の関係を暴き、自民党を恐怖に陥れてやろうという目的の下、確信を持ってテロとして犯行に及んでいたら、これもまさしく同情できるテロであり、反日カルトに侵略を受けていた日本を救った国士だと評価できただろう。
 そしてそんな時にも、東浩紀のような学校秀才バカは、「テロリストの主張に耳を傾けるな!それはテロリストの思う壺だ!」と叫んだであろう。それがただ統一協会を擁護する結果にしかならないということにも気づかずに。
 前出の宮坂直史教授は「ここはテロという概念のやっかいな部分でもあるのですが、テロと一般犯罪との境界は、現実にはあいまいでもあります。たとえば要人が公然と襲われた場合には、実行者の動機や目的と関係なくテロとみなす傾向が、日本でも外国でもあります。法的に定義されるテロとは別の、人々が感覚レベルで共有するテロイメージです」と述べている。
 確かにそういう傾向も否定できないが、あくまでも厳密なテロの定義に従うならば、山上の犯行はテロではなく、事件が契機となって政治と統一協会の関係が明るみに出て、統一協会追及へと世論が動いたのは、ものすごい偶然のなせる業だったと言うしかない。

 山上の減刑を訴えたり、カンパを集めたりという動きまであるらしいが、いくらなんでもそれはやり過ぎで、そこまでの同情をする必要はない。
 しかしながら、日本中で今も不幸を起こしている統一協会に対して怒り、これを排除せよと思うのは全くの正義である。
 現在の報道姿勢は正しいので、大いにやってほしい。東浩紀が「ポピュリズムに流れる報道には自制を求めたい」と言っているが、世論の支持を集めていることを、時・処・位による判断抜きで全て「ポピュリズム」の一言で片づけて高みに上りたがる秀才バカの言うことなど、全く聞く必要はないのだ。
 権力の中枢を「反日カルト」に侵食されたのは、国家の恥である。
 そんな権力に媚びた知識人がいて、それが今も問題を矮小化させようとして詭弁を繰り出しているのも、日本の知性の退廃を如実に表していて、これまた国家の恥と言う以外にない。(『小林よしのりライジング』2022年9月20日号より一部抜粋・文中敬称略)>(以上「MAG2」より引用)



 正鵠を得た小林よしのり氏の論評だ。題して「安倍銃撃を「テロ扱い」エセ保守論客の売国ビジネス」という。「エセ保守論客」というよりも「安倍周辺にたむろしていた幇間たち」というべきだろう。
 小林氏がカチンと来たのは「7月10日、ニコニコチャンネルの参院選開票特番で、国際政治学者・三浦瑠麗、批評家・東浩紀、ノンフィクションライター・石戸諭の3人が、社民党党首・福島瑞穂の発言に対して」の批判が的外れだったからだろう。

 安倍氏は山上氏に銃撃されて死亡した。もとより山上氏には政治的背景は何もない。従って小林氏が指摘する通り、安倍氏はテロリストによって暗殺されたのではない。統一教会によって家庭や自身の人生を滅茶苦茶にされた40過ぎの男の私憤が殺害動機だ。それは事件当初から報道されていた。
 安倍氏の存在を国家規模に拡大しなければ、安倍氏周辺で「安倍ヨイショ」の評論家活動をしていた連中にとって立つ瀬がない。断じて安倍が統一教会の「広告塔」もしくは「ピエロ」を演じていて、それで統一教会に人生を破壊された男が私憤を晴らす対象に安倍氏を選んだ、というのでは、安倍氏の実像が飛んでもなく小さくなる。「統一教会の広告塔として死んだ」というのでは安倍氏周辺に棲息していたエセ評論家たちは立つ瀬がないだろう。

 小林氏は引用論評中「福島はまず、安倍が殺害された事件について「いかなる暴力にも反対する」「安倍さんの死に哀悼の意を表する」と述べ、その上でこう発言した。
「もし統一教会を応援しているということが問題とされたのであれば、まさに自民党が統一教会によって大きく影響を受けている、ということも日本の政治の中で、これは問題になりうると思っているのですね」見事だ!ぴしゃり、当たっている!」と福島瑞穂氏の見解を踏み絵として、各評論家たちの反応で評論家たちの立ち位置と力量を分析している。
 まず東浩紀氏に関しては次の発言から彼の評論家としての力量を問題視している。「
「私たちはまずはテロは断固許さないという決意を繰り返し表明し続けるべきである」と、(山上容疑者の安倍銃撃は)テロでもないのにそう言っている時点でまずおかしいのだが、それは措くとしても、そもそも「テロは断固許さない」という言葉を、まるで絶対の教義のように受け取っている奴は馬鹿なのだ」と厳しく断定している。

 そもそも「テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う」(「ウィキペディア」より引用)。山上容疑者に政治的なキャリアや政治的な背景があった証拠は何も出ていない。つまり山上容疑者はテロリストでもなければ安倍暗殺もテロではない。ただ彼の私憤を晴らすための行為だった。もちろん殺人はいかなる理由であれ、絶対に許されることではない。
 その点を小林氏は痛烈に突いている。それが論評の題となって表れている。もう一度小林氏が記述した論評の題を読み返して頂きたい。「安倍銃撃を「テロ扱い」エセ保守論客の売国ビジネス」と、小林氏は「売国ビジネス」だとエセ保守論客だちを切り捨てている。

 なぜなのか。それは次の文章から明らかだ。「普通の宗教なら、自分の正体を隠して、日本人だけを洗脳し、主体性を完全に奪って、集金奴隷に改造するようなことはしない。統一協会は明らかに人権無視のカルトなのだ」と、小林氏は統一教会そのものを厳しく批判している。
 そのような実態を解明することなく、下村博文氏は文科省当時に統一教会の名称変更を許可したとしたら、それこそ宗教の政治利用そのものではないか。下村氏は身の潔白を証明するためにも、自ら「証人」としての国会招致を国会に求めるべきではないか。それとも「身に覚え」があるから統一教会とは関係ないと「嘘」の弁明を重ねて逃げ回るのか。

 小林氏は「権力の中枢を「反日カルト」に侵食されたのは、国家の恥である」と断定する。まさにその通りだと思う。そして、その反日カルトと最も深く結びつき、最も選挙に利用したのが安倍晋三氏だ。彼こそがエセ保守派の権化で、反日政治家の巨魁だった、といわざるを得ない。
 彼の突然の死は痛ましいが、彼を「国葬」で送る気にはなれない。彼には生きて反省して欲しかった。それは統一教問題だけではない。彼が破壊した官僚組織や政治を私物化した様々な事件と、その犠牲者たちに彼の言葉で謝罪して欲しかった。そうした禊こそが自民党には必要なのではないだろうか。なぜなら安倍氏の「おこぼれ」に与ろうとした自民党国会議員諸氏も同罪で、もちろん岸田氏もその一人だからだ。

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