リモート・ワークのすすめ。

[ムダな仕事1]毎朝9時に出社する
 以前、僕の友人がこんな話をしてくれました。ある日、都内に大雪が降って会社に遅刻してしまったそうです。前日から雪の予報だったので30分以上早く家を出たものの、案の定どこもかしこも混雑していて、結局、彼は5分の遅刻をしてしまいました。自分と同じような者もちらほらいたと言います。
「この天候じゃ仕方ないよな」
そう思った瞬間でした。
「雪が降るのはわかっていたはずだ! なぜもっと早く家を出ないんだ!」
いきなり部長がキレたのです。
あまりの剣幕にみんな驚いて口も利けません。部下たちの様子を見てさらに弾みがついたのか、部長は、それから30分以上もみんなを立たせたまま説教を続けたそう。
 みなさんは、この出来事についてどう思いますか。5分の遅刻に対して30分以上の説教……。これって、僕流に言わせてもらえば完全な「暴力」だし「時間泥棒」です。それに、その部長は遅刻に対してキレたことで、「わたしはマネジメント能力がゼロなのだ!」と大声で叫んだようなもの。
 この話を聞いて、僕は「ねえ、その会社いますぐ辞めたら?」と友人に言ったのですが、同じようなことが日本の会社では結構まかりとおっています。もしかしたら、みなさんも似たような出来事に遭遇した経験があるかもしれません。

 この「仕事のはじまりの時間に厳しく、終わりの時間にはゆるい」のは、日本企業特有のマインドセットです。朝、数分遅刻しただけでガミガミ怒られるのに、夜は数時間残っていても、怒られるどころか「頑張っているな」と褒められることすらあります。
 でも、よく考えてみてください。そもそも各部署でそれぞれやることがちがうのに、朝9時に全社員がそろって出社しても1円にもならないではありませんか。また、だらだらと残業したって生産性が高まるとはとても思えません。会社とは、あくまでも利益を出す場所。これらはまったくもって意味のない行為です。

1人ひとりが疑わなければならない
 こういった無意味なルール、無意味な時間の考え方を、いまこそ1人ひとりが疑わなければならないのだと思います。
「それって本当に効率がいいの?」
「これがなにかを生み出しているの?」
「誰かが幸せになるものなの?」
 1人ひとりが自覚的に、自らに問いかけることが大切なのです。
「なぜ全社員が同じ時間に出社する必要があるのでしょうか」こんなことを言えば、「現場はもう動いているんだ!」と言い返されるのがオチです。
 多くの会社は、工場や店舗や工事現場を基準にして、自分たちの出社時間を朝8時半や9時に定めています。「現場でトラブルがあったときに連絡がつかなければ問題になる」とは、もっともらしい理由かもしれません。でも、これだけスマートフォンが普及した時代に、来るかどうかもわからない連絡をオフィスで待ち受ける必要が、はたしてあるのでしょうか?
 あるいは、「会社に重要な書類が置いてあるんだ」という理由かもしれません。確かにそのとおりです。しかし、その会社は交通機関が止まった瞬間に、すべての機能が停止するということになってしまいます。
 つまり、BCP(事業継続計画)がむちゃくちゃなわけです。むしろ、どこからでも情報にアクセスできるようにするなどして、いかなるときも業務が止まらないようにすることのほうが、よほど重要です。
 業務の効率だけを考えれば、全社員が同じ時刻に出社する必然性はありません。なのに、なぜみんなが朝9時にそろっていなければならないのでしょうか。結局のところ、こんな理由だったりします。「不公平になる」「現場は早く出ているのだから、本社や本部もそうするほうがいい」という考え方です。

 現場では、時間で区切ってタスクをまわさなければならない面もあるので、みんなが同じ時間に出社し、働き始めなければならないこともあるでしょう。しかし、本社や本部の社員にはなんの関係もなければ、必然性もありません。ましてや朝9時に一斉に出社するので、電車も道路も混んでいるし、エレベーターには長蛇の列。こんなことでは社員の生産性は上がるはずがありません。朝7時に出社して15時に仕事を終わらせて帰るほうが、ずっとマシでしょう。もちろん、昼ごろに出社して夜に終わるというパターンだってありですよね。
 こういった考え方ができない会社がなぜ多いのか。僕は、みんなの心のどこかに「現場は早くから動いていて悪いから、それに合わせよう」という日本人特有の気質があるからではないかと感じてしまうのです。

[ムダな仕事2]「報告」「連絡」ばかりの会議をしている
 かつてマイクロソフト社にいたとき、僕のチームに日本企業の人たちがビジネスインターンとして常駐していました。ある日、僕はそのうちのひとりの言葉に衝撃を受けました。彼は、こう言ったのです。
「会議でなにかが決まるところをはじめて見ました」
 僕は、心底驚きました。会議でなにも決めないなんて僕は絶対にしないし、そもそもなにも決まらない会議を招集すること自体ありません。
「日本企業にはムダな会議が多い」とは昔から言われていることですが、いつになっても改善されません。なぜか。それは、「会議でしたほうがいいこと」を理解していないからだと僕は考えています。
 たとえば、ビジネスパーソンにとって「報連相」という言葉はおなじみですよね。このなかの「報告」に使うレポート作成に膨大な作業が発生していたり、「連絡」を対面で行ったりすることで時間を浪費している傾向があるのです。
 本来、「報告」と「連絡」は過去から現在までにすでに起きたことについての話ですから、ITツールを用いて自動化し、効率的にデータ化できるはずです。データは「見ればわかる」もの。それをわざわざ時間を使って、人を集めて報告させることにまったく意味はありません。連絡はいまならチャットで十分で、電話する必要すらありません。
 また、出席者は会議のために移動しなければなりません。コロナ以降だいぶ考え方に変化が現れているようですが、ビジネスにおいて移動時間はなにも生み出さない時間ですから、これもまたムダです。
 つまり、会議という立派な名目で、報告というムダなことをさせ、さらに移動という時間のムダまで発生させている。おそらくは、「目上の人に直接会わずに報告や連絡をするのは失礼だ」という意識が広く強く共有されているため、利益を度外視してまでムダな時間を費やしてしまうのでしょう。

 一方、「相談」は未来の話をすること。僕はこの部分は対面で話す価値があると考えています。つまり、「未来のことを最大化」するために働くというわけです。「報連相」でいう「相」の部分だけがゼロを1にする、生産のための時間になっていくのです。
 これからどうするか、次の一手はどうするかという未来の話は、生産的で楽しいものです。楽しい仕事だけが残るわけで、楽しい仕事なら誰もが高いモチベーションで臨んでくれるにちがいありません。誰だって、夢やビジョンを語るのは楽しいのです。
「時間はなんのためにあるか」と考えるとき、未来をよくするために使うところにまで思考を持っていかなければなりません。結果を出せるビジネスパーソンに共通しているのは、「未来志向」を持っていることだと僕は思います。
 そこで、今日からあなたの働き方を変えるために必要なのは、高額なツールを買うことでもコンサルタントに頼ることでもなく、こんなマインドセットを持つこと。過去のことに時間を使わないためには、どうすればいいだろうか。過去に学ぶ必要はありますが、過去の出来事そのものが変わることはありません。過去に起きたことに一生懸命に時間を使うのは、とてつもなくムダなことなのです。

[ムダな仕事3]毎日、会社に行く
 みんながいる会社に行きさえすれば、自動的に部署やチームに組み込まれて、そこで与えられた仕事に取り組むことができる。これまでは多くの人が、そんなふうに思い込んでいました。しかし、仕事とは本来、なんらかの価値を創造することのはずです。
 仕事の本質を理解せずに、ただ会社に行って与えられた作業をこなすことを仕事だと勘違いしていた人たちは、コロナ禍で「出勤」できない状態を強いられたとき、「いままで自分はなにもしていなかった」と身をもって体験したのではないかと思うのです。本当は仕事ができていなかった人が、あぶり出されてしまったということです。
 会社という場に依存している人が日々取り組む仕事のほとんどは、まさに「出勤」することにひもづいた作業なのだということが、「出勤」という「あたりまえ」が覆されたとき、はじめて見えてきたのです。

 仕事がなんとなく用意されている「場」は、今後どんどん減っていきます。それに応じて、「わたしはこれをやります」「この打ち合わせには出ません。その時間にこれをしたいからです」というように、主体的に取り組まなければそもそも仕事が成立しない状態になりつつあります。
 このように仕事のあり方が根本的に変化していることを肌身で感じている人は、とても増えていると推測します。すでに僕たちは、既存の価値観を「疑う」からはじめる時代に生きているのです。新型コロナウイルスの出現は、僕たち1人ひとりの変化を、さらに社会全体の変化を、いやおうなく加速させていくでしょう。

常識を疑うことが、あなた自身を変える
 新型コロナウイルスの出現以降、仕事の前提条件は変わりました。僕たちはこれまで以上に「あたりまえ」を疑い、新たな価値をつくっていく必要があります。朝9時に出社すること、報告だけの会議に出ること、毎日会社に行くこと。すべてを「疑う」からはじめるときなのです。
「なにか引っかかるな……」
「どうしてこうなるのだろう」
 世間の「あたりまえ」に対して疑問を持つ。それはすなわち、一歩前へ進んだと考えること。「あたりまえ」に対して疑問を持ったとき、あなたはすでにおおいなる成長への一歩を踏み出しています。この事実を、まずは共有しておきたいと思います。
 時には「なぜそんなこともわからないんだ」「そんなことは常識だろう」と怒られることもあるでしょう。でも、「あたりまえ」という思い込みに疑問を感じることは、自分が変わっていく過程において、重要なシグナルです。勇気を出して、あなたのなかに生まれた疑問を大切にしなければなりません。そんな自信と勇気を持つ方法についても、僕の最新刊『「疑う」からはじめる。』に書いています。
 「あたりまえ」に縛られたら、思考は停止します。思い込みを捨て、自分の頭で自由に思考し、少しずつ行動に変えていきましょう。一歩足を踏み出すだけでも、結果はまったく変わっていきます。さあ、いまこそ「疑う」からはじめましょう。そうすれば、あなたの人生はぐんぐん輝きを増していくはずです>(以上「東洋経済」より引用)




 武漢肺炎の蔓延防止から「密」を避けるようになり、企業がリモート・ワークを積極的に導入した。それにより各社で「業務」そのものを見直す機運が生まれたようだ。
 本当に毎日出社しなければ出来ない仕事なのか、という問い掛けはこれからの「働き方改革」をもたらすカギになるだろう。澤 円(さわ まどか)氏(株式会社圓窓代表取締役)の論評は近未来の働き方を考えるヒントを示している。

 だがリモートワーク化できる仕事と、リモートワーク化できない仕事がある。まず工場の生産ラインや建設現場などの「現場」はリモート・ワーク化は出来ない。次に科学や物理などの研究開発など、個人的に所有できない機器や設備がなければできない仕事、さらには対面仕事の理・美容師業や対面が義務付けられている医師や薬剤師などの仕事もリモートワーク化は困難だろう。
 しかしソフト開発や人の手配や現場のマネイジメントなどはネットや通信手段さえ確保されていれば何処にいようが仕事が出来る。一ヶ所の「事務所」に集まる必要などない。万が一「会議」が必要になれば、ズームなどの「会議アプリ」を使えば済む話だ。

 澤氏が例にした「部長」の説教などは最も不要な「業務」だ。社員は説教を聞きに出社しているのではない。業務を統括する管理職は社員に仕事を振り分けて、効率良く教務が遂行出来るようにマネイジメントする役割だ。
 そうすると業務をマネイジメントする部門、つまり本社もリモートワーク出来ないわけではない。人材派遣会社のパソナが本社を東京から淡路島へ移すのも、そうした理由からだろう。

 私は山口県の地方都市周辺部に暮らしているが、それによりブログを書く上で東京で暮らしている人と何らかのハンディキャップを感じることはない。むしろ東京と距離を置くことで「時代」が客観的に見え、この国のあり様が大局的に考えられているのではないかとすら思える。
 高校から大学へ進学した時に感じた強烈な「勉強」の変質を思い出す。高校までは基本的に「覚える」ことが勉強だった。だが大学へ入って「覚える」ことから「考える」ことが勉強で、大学の授業は「考える」ためのツールを「覚える」ことだった。

 定刻に会社へ出社するために毎朝満員電車に一時間以上も揺られる「無駄」を考えよう。地価や家賃の高い東京に事務所を構える必要があるのか、を考えよう。
 さらに同じフロアーに大勢が集わなければ仕事が出来ないのか、を考えよう。同じ事務所で顔を見合わせて気心が通じたところで、いかなる価値が付加されるのか、を考えよう。それは仕事の能力に対する評価とは別の、愛想が良いとか声が甲高いとか背が高いとか太っているとか、仕事とはほとんど関係のないファクターではないだろうか。

 仕事とは与えられた「課題」をこなすことだが、同時に「課題」をこなすための「効率」や「問題点」を考えることでもある。ただ単に「課題」をこなすだけの社員なら、会社は彼を正社員として処遇する必要はないだろう。
 会社に対する帰属意識とは常に仕事の「効率」や「問題点」を考えることではないだろうか。それらを仕事仲間と共有するために「会議」は必なのであって、業務連絡や報告ならメートで済む。澤氏の「「あたりまえ」に縛られたら、思考は停止します。思い込みを捨て、自分の頭で自由に思考し、少しずつ行動に変えていきましょう」との指摘こそ、上記引用文の要旨ではないだろうか。リモート・ワークが拡大し定着するには「あたりまえ」に縛られないことから始まる。まず定刻に出社する、という「あたりまえ」から止めてみたらどうだろうか。

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