61万人もいる中高年の引籠り。

自宅などにひきこもっている若者の相談、そのきっかけは保護者であることが圧倒的に多い。もちろん、両親そろって、または、父親のみということもあるが、大半は母親が相談に訪れる。我が子のことに心を痛め、しかし、周囲には相談できず、かといってどこに相談していいかわからない。
とりあえず市役所の窓口で相談してみたり、ネットや新聞、テレビなどを通じて情報を得て、相談に来られることが多い。結(ゆい)という家族への相談の場には、80代や70代の保護者から60代、50代の子どもの相談も来る。
若者がひきこもり状態となったとき、外部の人間がその状態を把握する術はほとんどないが、保護者との接点によって若者の存在と所在を知り得ることができる。つまり、当事者との出会いのきっかけを作るために、保護者との接点に注力するのも一案であると理解できる。
しかし、50代、60代の場合、保護者と同居していたり、保護者が当事者の状態を認知していればいいが、そうでなければ保護者を当事者との出会いの手掛かりにすることが難しい。特に配偶者や子どもがいない場合、そもそも誰を通じて当事者と出会うことができるのか想像がつかない。
当事者が自ら社会とつながることや相談窓口の活用を望まない場合、その存在を認知することが非常に難しいと思われる。
どこに向かって支援をしていくのか
若い世代に向けた政策的支援の目標は、学校などの教育機関、職業訓練、就職に設定されることが多く、仕様書も支援方針もそこに向かって設計される。その目標設定自体が政策効果を示す上では明瞭だが、少なくない当事者のニーズに寄り添うことを許さない状況に対する批判もあり、最近では「居場所」機能を充実させる動きもあるが、基本的な方向性はあまり変わっていない。
一方、中高年ひきこもりの調査では、そのきっかけに「退職」や「病気」というものもある。特に50代、60代の方々に対して、どこに向かって支援をしていくべきなのか、改めて考える必要がある。
再就職したければ就職支援や職業訓練、新たな人間関係を形成することを含めた就労支援という場合はあるだろう。しかし、身体や心が傷ついていたり、自尊心や自己肯定感を棄損しているとき、高齢となった保護者の介護などを担っているとしたら、「ひきこもり」状態であることの次の目標はどこにおかれるべきなのだろうか。
民間の自由な支援活動と異なり、政策的に支援していくとなれば、財源確保のため期待される成果や効果を設定し、納税者の理解を得なければならない。柔軟で自由度が高く、個人に寄り添った支援の必要性と、政策的支援事業でできる範囲には大きな隔たりがある。
誰が支えていくのか
大学の社会福祉分野で講義の機会をいただくとき、目の前の学生で「若い世代」を支えていくために勉強しているという話をほとんど聞いたことがない。福祉は特定の世代のためのものではないが、少なくとも「若い世代」のために福祉を学ぼうとしている学生に会わない。
実習でも、若者支援のような新しい分野は実習先としても想定されていないように思われる。普通に求人を出しても、そもそも若い世代を支援するという分野の存在が認識されていないため、検索で探して見つかるということは期待しづらい。そのため独自に求人を届ける工夫をしていかなければならない。
それでも政府が若い世代の支援に取り組み始めて10余年が経ち、若い世代であっても無業になること、働けなくなること、自立困難な状態になること。それは自己責任という言葉で片付けられるものではないという認識が広がり、若い世代を支えたいと言うひとたちを創ってきた。
若い世代のひきこもり問題は、その存在に気づいた現在60代、70代の方々が40年以上前に取り組みを始めた。そして、中高年ひきこもりは「新しい社会問題」であるという根本匠厚生労働相の言葉にある通り、新しい分野であるがゆえに、先駆者も専門家もほとんど存在しない。
今後、行政も対策に乗り出しそうな気配ではある。若い世代のひきこもり支援の過去から学ぶのであれば、この問題にすでに取り組み、小さくとも解決のモデルや事例を持っている個人や団体、プロジェクトやテクノロジーにスポットが当たり、とにかく現場での地道な活動、蓄積された経験を政策的支援へと結びつけていくことこそが、「新しい社会問題」を解決する第一歩になるものと考える>(以上「日経新聞」より引用)


 中高年の引籠りが61万人もいるという現実に驚かされる。人生経験豊富な中高年が年齢により活躍の場を失い、社会的なつながりもなく引籠っているのはなぜだろうか。
 潤沢な年金暮らしを送っている中高年の人たちが引籠ることはないのだろう。カネさえあれば便利な世の中だ。しかしカネのない中高年にとって、世間は必ずしも優しくない。

 働こうにも体力は弱り、頭脳も若い頃のように社会の進歩に付いて行けない。引籠った段階で若者のドロップアウトよりも深刻な状況にある。
 社会のセイフティ・ネットが中高年の引籠りにどのように作用しているのだろうか。既に生活保護受給者の約半分は65歳以上だという。国民年金ではたとえ満期受給者でも生活は貧窮する。ましてや無年金者や満期でない国民年金受給者は生きていくのすら困難だ。

 なぜ政治家はすべての年金を一元化して、暮らしが出来る程度の年金を支給しようとしないのだろうか。暮らしさえどうにかなれば、中高年は公園や図書館などへ出掛けることは出来る。
 公民館などで「安価」なカラオケ大会などを開催して、まずは引籠り中高年者たちを社会へ誘い出すことが出来るだろう。そうすれば各種の場ボンティア活動や社会奉仕作業に生きがいを見出すことも出来るだろう。

 人は社会的な動物だ。人と繋がることによって、文化を築き進歩してきた。本質的に、人は孤独に耐えられない。高齢者の引籠りは若者たちの明日の自分たちの問題だと捉えて、共に解決に協力すべきではないか。

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