No title

 民主党も維新の党も「消費増税10%」を是認している。それは消費税10%に止まらず、自公政権が推進する新自由主義的な政策全般に賛同するモノに他ならない。
 なぜ新自由主義的な政策が99%の国民のためにならないかはピケティ氏の「21世紀の資本」を紐解くまでもないだろう。「成果主義」や「自己責任」など、いかにも自由主義原理に任せていれば「見えざる神の手」により神の御慈悲は公平に分配されると説く。

 だが、現実社会は「弱肉強食」だ。弱い者は搾取され、富める者は弱者の肉を喰らって肥え太る。
 そうした「自由主義」に隠された分配の不均衡を正すのが政府の役割であり、税の機能に「富の再配分」があるのは常識だ。しかし、官僚や政治家たちは社会保障は「保険料」で賄うのが正しい在り方だと間違った考えを持つ者が少なくない。

 社会保障は税で賄うのが本筋だ。「保険料」を徴取して、「保険料」の多少により社会保障の「年金支給額」を加減するのは民間保険会社の「年金保険」のあり方と何ら変わらない。それは社会保障たる年金制度ではない。
 先日、予算委員会審議で自民党議員が年金のあり方を問う場面で「国民年金は他に所得を得るものが頂戴する年金だから、生活保護費以下でも何ら問題ない」と発言したのには驚いた。彼にとって国の実施する年金に共済や厚生や国民等の多数の制度があるのが当たり前のようだ。もちろん、年金間の支給格差是正を要求するなどということは勿論、同一年金内でも「支払った保険料」に応じて年金に格差を設けている現行制度を正そうとする意志すらないようだ。

 自民党の議員だから仕方ない、と思ったが、そうした考え方は民主党や維新の党の議員諸兄も同様のようだ。彼らは長年官僚御用報道機関のマスメディアにより「年金とはそうしたものだ」という刷り込みに洗脳され「負担は応能で支給は一律」という社会保障の大原則から逸脱している年金制度の歪みが見えなくなっている。
 現役時代に年収に格差があるのは能力に格差がある限り認めざるを得ない。しかし現役を引退した後も、現役時代の加入した年金制度や「支払保険料」の額に応じて、現役時代の格差が死ぬまで続くことの不条理を正そうとしないのは思考停止ではないだろうか。

 そうした議論なしに、官僚の描いた土俵内で相撲を取ろうとする民主党や維新の党の議員諸兄の論理展開には何も期待できない。彼らにとって「規制撤廃」が正義であり、改革がすべて正しいとしながらも、年金制度改革には手を付けようとしない。いったいいつまで日本は三種類の年金各階層に国民を選別して、格差を維持するつもりだろうか。そして国民年金加入者には死ぬまで働けと命じるつもりだろうか。それなら国民年金加入者は一切掛け金を支払わず、生活保護を受給する方が真っ当な社会保障制度というものではないだろうか。
 貧困にあえぐ国民の姿が見えない国会論戦に無味乾燥な虚脱感を抱く。圧倒的多数の搾取される側の国民がマスメディアの呪術から解き放たれ、真に国民のための政治を実現しようとの意識を持たない限り、官僚による官僚のための政治が深化し、世界の1%に奉仕する社会に日本が組み込まれてしまうだろう。


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