理念なき野党議員たち。

 小選挙区制では野党が分立すれば不利に働く。前回の選挙結果がまさしくその絶好例で、与党は四割の得票で八割の議席を獲得した。
 しかし政治は数合わせではない。まさしく政治理念の選択であるべきだ。自公政権が「新自由主義」や「市場原理主義」へと突き進んでいるのであれば、野党は「国民の生活が第一」を標榜して戦うのが正しい選択だ。

 しかし政治理念の大枠をめぐる論争はなかなか起こりにくい。それはマスメディアが「目先の課題」に国民を振り回し、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことを繰り返しているからだ。
 それを上手く利用しているのが安倍氏で、今回の選挙を「アベノミクス解散」だと自ら命名する燥ぎぶりだ。彼の二年間の政治をなぜ問題とするのを避けるのだろうか。この二年間に何があったのか、すべてを水に流して過去を忘れやすい国民性から、安倍氏は「争点にならない」とタカを括っているのだろう。

 しかし安倍氏が推し進めているのは解釈改憲による立憲主義破壊であり、TPP参加による関税自主権の放棄のみならず内政干渉を外国の投機家たちに許そうとしていることであり、福一原発は放射能垂れ流しに対して何も対策が建てられていないにも拘らず、既に収束したかのように政府が無視して原発再稼働へ舵を切っていることだ。
 さらに言えば、辺野古沖移設に「ノー」を突きつけた沖縄知事選挙の結果を無視して埋め立てを急ぐという有権者の意思を尊重しない政治を行っていることも、有権者は危機感を持って批判すべきだ。

 民主主義とは国民のために政治家に権利を付託する手続きとして「選挙」制度を設置している。国民が主権を行使するためには政治家は誠実に有権者に対して政治理念を語らなければならない。
 選挙に必要なのは歌舞伎さながらの何代目かの「襲名披露」や皮相なパフォーマンスや若さや女の安売りではない。まさしく政治理念の表明に他ならない。そうした観点からみると、野党はこの二年間一体何を磨いて来たのか、と首を傾げざるを得ない。自公政権が性急に「市場原理主義」や「新自由主義」へこの社会を陥れようとして来たにもかかわらず、野党議員たちは党派を超えた勉強会を開くでもなく、選挙目当ての離合参集を繰り返してきただけだ。自公政権に対抗するためにも、「国民の生活が第一」の政治理念を野党政治家たちは国民に語るべきだ。


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