特定秘密保護法は誰のために何のために作るのか。

 いよいよ会期末を迎えて、特定秘密保護法案を特別委員会で強行可決し本会議での可決炉成立に向けて与党は突き進んでいる。しかしそれほどまでして今国会で決めようとしているのは一体何のためなのだろうか。
 特定秘密保護法と表裏一体になっているのは日本版NSCだと、かつてこのブログで書いた。日本の危機に際して日本版NSCを招集する際には数人のメンバー以外にも米軍関係者が必ず同室すると書いたら、転載された先で待ち伏せしていたかのような一番乗り書き込み隊によって散々批判されたようだ。しかし彼らが血眼になって罵倒するということはあながち的外れでないことの証拠に他ならない。

 ここで指摘するまでもなく、自衛隊の軍備は極めて変則的だ。在日米軍と一体の軍隊と見なすことによって初めて敵地攻撃力を備えた普通の国の軍になる。国防を完遂するには敵基地を叩かなければならないというのは常識だ。だから米軍関係者も有事に際して日本版NSCの同じテーブルに着いて協議・指揮しなければならないと指摘したのだ。
 その場合、日本の独立国家としての軍事統帥権は一時的にせよ米軍の指揮下に置かれることになる。つまり米国に占領された日本の図式がはからずも国民の眼前に明らかになる。それを隠すためには特定秘密保護法で秘匿しなければならない。それる関係者がほぼ鬼籍に入る60年後まで。

 もちろん集団的自衛権は閣議により憲法解釈により実施できることになっているから、特定秘密保護法さえできれば米国は日本の官邸にいつでも乗り込んで日本の自衛隊を自国の米軍の楯として自由に指揮できることになる。
 しかも特定秘密として法的に保護されれば米軍が何をやろうとフリーハンドを得たのと同じ事だ。それが特定秘密保護法の最終的な目的であり、誰のための法整備かを示す究極の事態ではないだろうか。

 そうした究極の事態に到るまでも、官僚にとって不都合な「情報」は特定秘密に指定すれば国民に一切知られないことになる。政治家はせいぜい長くても5年程度で政権から去る。政権政党といえども半世紀程度で本格的な政権交代があった。ただ官僚は権力の座から永続的に降りることなく、事務次官以下局長クラスに到るまですら人事権は政治家の手にないため、我が世の春を謳歌している。
 そり官僚たちが特定秘密保護法の指定を政治家に持ち掛けれ指定させれば何でも国民の目を恐れることなく遂行できることになる。たとえば法案成立後にはTPPの交渉状況を一切報道機関に漏らさないで、結果だけを国民に押し付けることができるだろう。特定秘密保護法は官僚にとって「隠れ蓑」を使う魔法の杖だ。

 しかしこの国は主権在民の民主主義国家だ。すべての政治的果実は国民に帰属するのは国家の仕組みとして当たり前のことだ。それを否定してはどんな議論も成り立たないどころか、この国の存在そのものに関わる認識を根底から覆すことになる。
 主権在民は動かし難い日本国憲法の真理だ。それを揺るがすようないかなる議論にも賛同できない。政治家たちや官僚たちが国民の上に君臨してこの国を自由にする権利を持っているのではない。ただ選挙によって権利を負託された政治家たちが国民を代行して権利を執行して官僚をして行政に当たらせているに過ぎない。ゆめゆめ主客転倒してはならない、主権在民であって、すべての国家機密は国民に所属し、情報は原則としてすべて公開されるべきなのだ。それが民主主義を担保する仕組みの根本だと国民は認識しておかなければならない。特定秘密保護法など論外だ。


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