攻撃こそは最大の防御だ。

  防衛大綱に敵基地攻撃を明記するか否かに拘わらず、攻撃力を保持するのは防衛上当然のことだ。敵基地に照準を合わせたミサイルを複数の基地に配備しておくことは敵からの攻撃を抑止するうえでも必要だ。


 そうした備えの上で、武器使用について防御一辺倒ではなく、国際的な常識の範囲で可能にすべきだ。そうでなければ自衛隊員は自らの命を守ることが出来ない。


 


 国家とは国民の命と財産を守るのを一義的使命とする。それが出来なくて国家としての徴税権はありえない。


 だから国家として敵の航空機や艦船が領空や領海を犯せば攻撃するのは当たり前のことだ。そのために自衛隊は存在する。なにも他国へ侵略する、ということではない。領空と領海を守るだけのことだ。


 


 憲法を改正するまでもなく、日本防衛のために駐留する米軍が敵から攻撃されれば、自衛隊は自動的に米軍と一緒になって敵に攻撃するのは当たり前のことだ。なにも米軍とともに日本の領空や領海を出て敵と戦うのではない。


 海外へ派遣した自衛隊が同盟国の戦闘に対して助勢するのも当たり前の行為だ。「それでは戦争に加わることではないか」と能天気な批判をする評論家がいるが、自衛隊を派遣した時点で敵は日本を敵として認識している。日本の自衛隊だけが人畜無害な軍隊であるとは誰も思ってはいない。


 


 日本を「戦犯国」だと指摘するのを見かけることがある。戦史は戦勝国により書かれるものだからそうなっているが、時間の経過により戦勝国により強引に書かれた戦史の屁理屈が剥がれ落ち、歴史として認識されるようになると真実が現れて「戦犯国」が本当はどっちなのか明らかになるものだ。日本国民は「戦犯国」とは批判に萎縮することはない。それは戦勝国によって書かれた戦史に他ならず、そうしなければ戦勝国の国民が高揚した気分で戦争に赴くことが不可能になるからだ。


 


 日本国民は敗戦により不名誉の汚名を着せられ、GHQにより武器を持ち二度と立ち上がることのないように徹底して洗脳された。本来なら自衛隊すら日本に持たす気はなかったのだが、朝鮮戦争の非常事態で米軍が手薄となり自衛隊創設により日本の国防を賄わさせた。そこにこの国の防衛議論の混乱の原因がある。


 そろそろGHQの歴史観から抜け出そうではないか。いつまで戦勝国による戦史で決めつけられた「戦犯国」史観に振り回されれば良いのだろうか。先の大戦に対して戦略的に何が誤って負けたのか、論理的な検証をして歴史書に書き込もうではないか。それにより日本国民の自虐的な史観を是正しなければならない。



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