活断層の有無は「再稼働」の条件ではない。

  経済界やマスメディアは活断層の有無を原発再稼働の最重要課題であるかのように報じて、敦賀原発の活断層をめぐる原子力規制委員会の「活断層」認定がこの国のエネルギー危機であるかのような騒ぎ方をしている。原発の脆弱性は原子炉直下の「活断層」により原子炉が破壊されるか否かが問題ではないはずだ。それ以前に福一原発の事故原因を子細に検証することこそが科学的な考察ではないだろうか。


 


 福一原発が地震直後にパニックに陥っていたことが多くの作業員の証言で明らかになっている。それは津波が来る以前のことで、大地震直後に運転室の操作盤上のあらゆる警報ランプが点滅し、警報音が構内に響いていたという。


 原発の不具合は総電源喪失以前に、既に起こっていたことを窺わせるに十分ではないだろうか。パニックに陥った作業員の多くが持ち場を離れて原子炉建屋から逃げ出したというではないか。


 


 原子炉直下に活断層があれば地震により原子炉本体が甚大な損傷を受けるだろう。しかし活断層がなくても地震の揺れにより振動周期の異なる大きな釣鐘のような原子炉本体とその内部に無数に走っている細管とが振動することにより取り付け部分が千切れるとか、あるいは原子炉内部で細管が触れ合って損傷したことは十分に考えられる。


 いうまでもなく細管の中には原子炉から熱エネルギーを取り出す一次循環水が入っていて、高圧高温の蒸気が横溢している。わずかな損傷があっても水蒸気が猛烈な勢いで噴出し、原子炉の安全装置が作動するだろう。


 


 そうしたことはなかった、とする確実な検証結果が得られてから「活断層」の有無や「津波」が問題になるのだ。それ以前のことが何も分かっていない段階で再稼働の焦点を「活断層」の有無に矮小化するのには賛成できない。


 ましてや、原発がすべて止まればこの国がエネルギー危機に陥って衰退するかのような誇大妄想な創作話にはことさら付き合えない。


 たかが電気ではないか。それも全電源が喪失する、という話でもない。計画停電を実施しなければ大停電に陥る、という状態でもない。それなのにこの国のマスメディアは一体何を騒ぎたてるのだろうか。


 


 確かに全国の電力各社が乱費している宣伝広告費は膨大な額で、この国のマスメディアの収入の大きな部分を占めているかもしれない。だから電力各社の意向に沿った報道姿勢に徹するというのでは言論人の見識を疑わざるを得ない。


 電力各社にとって全原子炉停止は会社存続にかかわる、というのは理解できる。なぜなら全原子炉が停止して廃炉の順番を待つだけとなったら、全国54基の原子炉は「不良資産」として会計的に「除却損」を計上しにければならなくなり、おそらく原発のない沖縄電力を除く8電力会社は債務超過に陥るだろう。


 電力各社はそれを心配しているだけだ。自分たちの会社が消えてなくなるのを心配しているのだ。しかし発電装置も送電線も消えてなくなるわけではない。


 


 電力各社は清算され、発送分離を余儀なくされ、電気の自由化が始まる、という次の時代への扉を開くことになる。全国地域独占で世界と平均して倍する電気料金を国民に負担させて恥じなかった連中の「わが世の春」が終わる。


 自由化こそがすべて良いことだと簡単に言えないかもしれない。しかし原子力の燃料・ウランですら今後100年で枯渇するといわれている。その後の気の遠くなる天文学的な歳月を要する放射性廃棄物の保管をどうするのか、その費用を誰が負担するのか。


 電源の多様化と自由競争は次の時代を切り拓くものだ。この国マスメディアの一方的な情報に惑わされないように、未来をしっかりと見詰めよう。



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