公取委が発送電分離などの分社化を提唱した。

  当たり前といえば当たり前だし、余りに遅すぎるといえば余りに遅すぎる。昨日9/21公正取引委員会が大手電力各社が一体運営している発電事業、送配電事業、小売り事業の各部門を分社化して電力市場に新規参入を促進して競争原理により電気料金引き下げやサービスの向上を促進すると提唱した。


 


 いわば公取委のアリバイ作りの感のある提唱だが、良いことは了として受け入れよう。電力会社の御用評論家が原発発電原価が安いだとか、再エネ発電原価は高くてどうしようもないだとか、手前味噌な勝手なことを宣伝している。


 原発発電原価が安いのなら54基もあった日本の電気料金が世界でも非常識に高いのをどのように説明するのだろうか。物事を比較する場合はまず土俵を同じにしなければ比較対象は出来ない、という根本原則を捻じ曲げて比較するからおかしな結論しか出ないのだ。


 


 発電原価の算定は発電している時点の発電経費で計算する、という信じられないことをやって来たようだ。その発電原価に一般管理費を発電量に応じて案分配布していたのだろうが、一般企業の原価意識とは大きくかけ離れているし、会計原則からも逸脱した電力会社独自の原価算定方式だというしかない。


 それに対して再エネ発電原価は装置の設置費用を償却期間で減価し原価に算定する方式を採用している。原発で採用している原価方式を再エネにも用いれば原価はゼロということになる。それでは原発原価がインチキだとばれるから再エネに関しては会計原則に基づく原価を採用しているのだ。


 


 原発にも企業会計原則に基づく原価方式でトータルコストを推定して発電期間に割り振った原価を採用すれば異常に高価なものに跳ね上がるのは間違いないだろう。なにしろ10万年も管理し続けなければならない放射性廃棄物の経費が膨大な額に上るのは火を見るよりも明らかではないか。福一原発の放射能汚染対策費用も原価に含めれば、どれほど高いか素人でも想像がつく。それを原発は発電原価が安いから、と枕詞のように用いる評論家はすべて電力会社の幇間だと断定して間違いないだろう。


 


 戦後経済界を復興させるために電気の安定供給のため、と称して一時的に電力各社を地域独占体制としたものを、公取委が60余年も放置して来たのは公取委の怠慢というしかない。だが、官僚が官僚を指導するのは民間人が想像する以上に困難を伴うようだ。公取委という小さな組織が経産省というこの国の産業界に君臨する大官僚組織にモノ申すには余程の勇気が必要なようだ。だから発送電分離などという世間では番茶の出涸らしのようになった「当たり前」の議論を後追いで認定し、提唱したに過ぎない。全くバカバカしいアリバイ作りだ。


 


 しかし、それでも公取委が提起したのは評価したい。日本国民のサガとして喉元過ぎれば熱さ忘れる国民性から発送電分離の議論が下火になるとまたまた御用評論家や幇間マスメディアが電力各社擁護の論陣を張りだした。原発に関しても脱原発批判を繰り返し放送している。経済界の要請に従って野田官僚下請け内閣は脱原発を閣議決定しなかった。野田内閣の2枚舌もここに極まったというしかない。


 この国の成長戦略の柱の一つに再エネ技術開発を掲げなくてはならない。そのためには発電事業に再エネが対等な立場で参入できる体制にしておくことが必要で、火力なとと競争しても勝てる再エネ発電に開発しなければならない。その第一歩が発電事業の分社化と地域独占の解体だ。



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