「電気料金値上げで充当」とは何事か。

 東電の放射能汚染に対する賠償金の資金源として「全国の電気料金値上げ」で対応するという。菅政権の特徴的な行動原理がまたまた発揮されようとしている。つまり党内議論も経ずに、官僚の御神託を平伏して聞き入る姿勢だ。まったく民主主義が逆立ちしている政権だといわざるを得ない。


 


 これまでも全国の電力会社は「電源開発費」名目で電気料金に幾らか上乗せされて、原発反対者の家庭からも原発の建設促進費を徴収して全国に原発を造り続けてきた。官僚や学者や評論家や建設業界までも巻き込んで、あたかも「頼母子講」のような構造を形成していた。


 


 そこでの常識は「原発は事故を起こすまでは安全」だというもので、建設費を抑制し、維持・管理費を抑制するために耐震度を勝手に想定し、起こりうる津波なども勝手に想定し、それに耐えうるから「安全だ」と地元住民を説得していた。


 


 今回は地震でもろくも原発は崩壊し、津波が来る前に中央制御室は制御不能の事態に陥っていたようだ。つまり原子炉内部の細管が破断して緊急停止し、電源を送電する外部電源も電柱が倒壊するなどして送電が停止してしまった。そこに津波が来て、非常電源ディーゼルが冠水し、燃料タンクが浮いてゴロゴロと転がったようだ。


 


 想定外の地震に想定外の津波だったから仕方ない、と東電は言い訳しているが、電力会社や政府の各機関の設定した想定そのものを国民は知らない。なぜ公聴会などを開催して原発推進学者と原発反対学者との議論を広く国民に公開しなかったのだろうか。


 


 古文書には歴史的な記録に大地震や大津波が記されている。それらを子細に検討した痕跡もなく「安全だ」と太鼓判を押した連中は誰なのだ。まず今回の実に根源的な原発事故原因が明らかになった以上、国民の前に「安全」大合唱した連中の名と顔を晒させなければならないだろう。国民に等しく「電気料金」で放射能被害の損害賠償金を負担させようとするのなら、まず順序としてそうすべきだ、その「怪しからぬ連中」の一員に官僚とそのOBも当然入らなければならない。なぜなら彼らは国民のために働いているのであって、東電の企業利益とは無関係のはずだ。もっとも厳しく原発立地に関して「規制」すべき立場にあったはずではないだろうか。


 


 東電は債務超過に陥って解体するまで損害賠償責任を負うべきだ。易々と温存して国家レベルの災害を引き起こした連中が依然として大きな顔をして東電の中枢に居座ることは許されない。厳しく対応しなければ全国の他電力会社も原発の安全性確保を舐めてしまうだろう。一つ間違えば厳しく責めを負い、会社も消滅してしまう、といった厳罰主義で臨まなければユルユルの原発安全管理が引き締まることはないだろう。


 


 菅政府は再び原発事故を将来も引き起こして良いとするのなら、大手マスコミの報じるようなユルユルの損害賠償スキームで実施することだ。しかし国民は電気料金支払い拒否運動を起こすかもしれない。従来の電源開発費部分を一切合財賠償へ充てて、原発関連の各種団体へ流れていた資金をすべて絶つことだ。なぜなら各種団体は「原発の安全性」を謳いこそすれ、一ヶ所として国民に原発の危険性を啓蒙した機関はなかった。つまり電力会社が原発は安全だ、というのは企業原理からいえば至極当然で、政府系の各種機関が批判的に検証して安全度を高め、想定外をなくすのが務めだったからだ。それを為し得なかった各種機関はすべて存在意義を失ったというべきだ。もちろん原発を推進していた御用学者も速やかに学界から去るべきだろう。彼らは学者として最低限の良心すら悪魔に売り渡していたのだ。


 


 それでも官僚は居座る。誰一人として責任は我にあり、とは言わない。そして馬鹿げた損害賠償スキームを菅氏の耳に吹き込む。菅氏も党内民主主義を無視して勝手に報道機関を通じて国民に告知する。


 これが代表制民主主義というものだろうか。実態は菅氏を前面に押し立てた官僚政治ではないのか。これでも国民は了とすべきなのだろうか。民主党国会議員はこれでも了として、打倒菅政権の動きを始めないのだろうか。国民の我慢も限界に達しつつある。



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