政局なんかどうでも良い、東電にしっかりとした対応をすべきだ。

 菅氏が居座ろうとどうであろうと、東電に対する対応がどうなるのかが世界の関心事だ。放射能汚染を大気や海洋にばら撒いた企業責任がどうなるのか、そして仕組みとして原発の安全性を担保していた政府機関の責任と政府責任をどうするのかが愁眉の問題ではないだろうか。


 


 自民党も民主党の菅政権の原発事故対応に対してそれほど強く追及できない立場にある。原発の導入から全国各地に54基もの原子炉建設を推進してきたのは自民党だからだ。その間に原子炉の危険性を指摘する声が在野の学者から何度も上がったが、それを無視し続けたのも政権と官僚たちだ。


 


 裁判所も政府と電力会社の提示する資料を丸呑みして原発建設反対運動の訴えをことごとく退けてきた。原発は安全だとする原発推進勢力の言い分を丸々認めてきた姿勢は司法当局として万死に値する。何が司法の中立だ。実際に安全でなく、放射能をばら撒く事態を原発が引き起こし、そこに住んでいた人たちが今後何十年に亘って土地を放棄せざるを得ない事態になっている。司法当局の責任も甚大だと、原発推進に加担してきた姿勢を真摯に反省しなければならないのではないだろうか。


 


 国会は無能だ。バカバカしい議論を続けている間、放射能は撒き散らされている。実際に暮らしている国民にとって安全こそが最大であり、現在も撒き散らされている放射能の危険性をしっかりと国民に伝えない国会の議論とは何だろうか。茨城県の茶葉からも国の定めた残留放射能基準を遥かに上回る放射能が検出された。


 なぜ国会は放射能測定地点を増やすとか、大人口を抱える首都圏の安全性に対して真摯な議論をやらないのか。なんとなく首都圏で安全なように暮らしているが、本当に安全なのか。放射能が撒き散らされる事態を抑え込む手立てを講じる具体的な方法論を議論しない国会は飛んだ茶番劇を演じているだけだ。


 


 東電が存続することは許されない。万が一にも東電が破綻処理されずに国が補償を負担すれば世界に向けて日本が放射能被害をばら撒いた責任をそれほど感じていないというアナウンスをすることに他ならない。企業責任をしっかりと問い、政府責任をしっかりと問わなければ今後事故処理に百年ほどもかかる国家的な失態に対して、世界にけじめがつくだろうか。テレビがお笑い番組を連日報じているような、断じて甘い事態ではないことを日本政府と国会議員は認識しなければならない。


 


 「現場主義」をバカバカしいほど繰り返した国会議員がいたが、彼は一体何を現場で作業したというのだろうか。現場主義とは何日か現地へ行って話を聞くことなのか。


 現場主義とは現地に泊まり込んで復旧作業を地域の人たちと一緒になって行うことだ。政府・国会議員の何人が原発作業現場へ行って実際に過酷な労働環境を見聞しただろうか。そして何人の人たちが原発労働者の寝泊りする場所の放射能遮蔽に関して、真摯な提案をしただろうか。たとえばレントゲン室建設に関して安全基準とされる建築資材で何重にも囲むとか、そうした対策を指示しているのだろうか。


 


 原発安全神話は崩壊した。放射能は日々撒き散らされている。この甚大な人災に対して、東電と政府を合計すれば100%の責任がある。その割合は今後のデータ解析によるが、一義的責任が東電にあるのは論を俟たない。これを契機としてまず東電区域で送・発電分離を行い、発電事業への参入自由化を促進すべきだ。そしてそれをモデルケースとして全国の電力会社へ日程を定めて進めるべきだ。いつまでも電力会社は地域独占の甘い汁を吸っていてはいけない。特権というものは特権たるゆえんで特別に腐敗するものだと認識すべきだ。


 


 日本の国土を我々の時代に放射能で汚染して次世代へ引き継ぐ不祥事を、現代を生きる我々は未来の日本国民に対しても責任を痛感しなければならない。東電社員の退職金を下げないだの、企業年金を引き下げないだの、そうしたチンケな議論をやっている場合ではない。東電は消滅するのだ。いや、消滅させなければならない。それで電気が止まる、というのはさらに馬鹿げた議論だ。代わりに運営する企業はいくらでもある。まずはしっかりと放射能汚染を止めることだ。



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