官房長官の女性記者の質問にに対する「違和感」とは何か。
< 菅義偉 官房長官は20日の記者会見で、 東京新聞 記者の質問を事実誤認とした記者クラブ宛ての要請文に関連する同紙の20日付朝刊の検証記事について「個人的には違和感を覚える」と述べた。「記者会見が国民の知る権利に資するものになるよう、引き続き記者会と協力しながら適切に対応したい」とも語った。 東京新聞は記事で、記者クラブ宛てとは別に2017年9月以降、首相官邸側から9件の申し入れがあったと紹介。申し入れに対する同紙の回答を掲載した >(以上「共同通信」より引用) 官房長官が特定のマスメディアの報道に違和感を覚える、とする見解を公の場で述べたことに強い違和感を覚える。菅氏が「違和感を覚える」というのなら「違和感」であって「誤報」ではないのだろう。 誤報でないなら物事をどの立場から書こうと報道の自由だ。嘘を書いてはならないが、真相究明には菅氏の意に染まない観点があるのも認めなければならない。 そして公の場で「違和感」を表明するのもいかがなものだろうか。以降は官邸の意を忖度して質問せよ、と「忖度」を強要しているのか。 菅氏の「違和感発言」に対して、記者クラブはクラブとして抗議したのだろうか。いや桃太郎飴の記者クラブだから一人だけ目立つ方が具合が悪いのだろうか。東京新聞の女性記者がいなくなれば良い、と記者クラブの面々は考えているのだろうか。 そうでない、というのなら、記者クラブとして抗議すべきだ。記者会見は政府の広報機関ではない。政府が官僚や国会から乖離して、暴走を続けられるのもマスメディアのアシストがあるからだ。 トランプ氏と拉致問題に関して「長く」電話会談ではなした、という。長く話したのなら何を話したのか、取材しないのはなぜだろうか。これまで安倍氏は何度拉致被害者に関してトランプ氏に長く話して、何を彼に託したのだろうか。 そして結果として一向に解決へ向けて何も前進しないのはなぜだろうか。国民は「なぜ」、「なぜ」、と疑問符だらけだ。それに日本のマスメディアは何も応えていない。 官房長官の違和感に怯え、拉致被害者の解決へ向けて「会談している」という安倍氏の談話を伝えるだけで、トランプ-金会談の中身の拉致問題に関してどれくらいどのような話になっているのか、という報道は一切ない。これが日本のマスメディアの実力であり、惨憺たる現状だ