中国にディストピアが出現する、というが。

昨今、中国の電子工業界からの受注が急減したと言われるが、その一方で、日本製の高級化粧品の売り上げは伸びている。また、訪日客も増えている。この現象は、日本の1990年代初頭を思い浮かべれば、容易に説明がつく。
 あの時期、日本政府は景気を回復させようと躍起なって公共事業を行ったが、中国も同じことをやっている。だから、鉄鋼やセメントなどの需要は底堅い。
 90年代の日本を語る上で最も重要なことは、政権が大きく揺れ動いたことだ。55年の保守合同以来、初めて非自民政権(細川政権、93年)が誕生した。94年には、現在の政治状況を昭和とは大きく異なるものにした衆議院の小選挙区制度が作られた。その後、自民党は政権を取り戻すために長年の政敵である社会党と連立を組み、首班が社会党の党首になるという驚愕の事態が出現した(94年)。
 高度経済成長を牽引したとして絶賛されてきた官僚機構が、新たな状況に対応できていないとして批判にさらされた。ノーパンしゃぶしゃぶ事件(98年)などによって、多くの官僚が処分され、官僚は地位も権力も失っていった。官僚の中の官僚と言われた大蔵省は特に強く攻撃された。金融部門を分離されて、名称も歴史と伝統を誇る大蔵省から財務省という一般的な名称に変更させられた(2001年)。もはや多くの官僚にとって、昭和の日本では当たり前だった「天下りで美味しい老後」など、夢のまた夢だろう。
 経済が変曲点を迎えると、政治も官僚機構も変革を余儀なくされた。日本は21世紀の日本にふさわしい理念として「官から民へ」「規制緩和」「内需主導」などを選び、それに対応する体制が求められた。

中国共産党による経済運営は、地方政府の財政赤字、無駄な公共事業、非効率な国営企業などによって立ち行かなくなっている。そのあり様は、見方によっては昭和の日本にそっくりである。そのために、その改革の方向は日本と同様に「官から民へ」が主要な課題になろう。
 ただし、中国の今後を考える上で重要なことは、体制の受益者が日本とは異なることだ。
 日本には曲がりなりにも民主主義が定着していた。政治の受益者は国民である。選挙がある以上、国民に不人気な政権は存続できない。だから、バブルが崩壊した時に国民から大きな変革を求められると、政治も官僚機構も変革せざるを得なかった。
 現時点において、我が国において改革が十分に進んだと思っている人はいないと思うが、それでも多くの制度は昭和とは異なったものになっている。現在を生きる日本人にとって「平成」は不本意な時代であったが、後世において、それほどの混乱なくして新たな体制を作り上げた偉大な時代と評価されるのかも知れない。
 一方、共産党独裁が行われている中国はここが大きく異なる。中国の政治体制の受益者は約9000万人とされる共産党員である。共産党員の中の有力者は、政府、地方政府、人民解放軍、武装警察、そして国営企業の幹部として美味しい思いをしている。その幹部は日本のサラリーマンが想像できないほどの所得を得ており(反汚職運動が喧伝されているが、それでも相変わらずグレーな収入が多い)、かつ各種の特権を謳歌している。そんな共産党幹部(全共産党員の5%と仮定しても450万人もいる)を支持基盤として習近平政権が成立している。
 選挙がない中国では、バブルが崩壊しても、それが政治変革につながることはない。経済が低迷すれば習近平のやり方に文句のある連中(非主流派である共青団や江沢民派)の発言権は増すことにはなろうが、彼らが政権を取ったところで、共産党員が享受している利権を台無しにするような改革はできない。習近平が国営企業を重視する所以もここにある。ゴルバチェフがソ連を改革できなかった理由もまたここにある。
 しかし、何もできずに手を拱いていると、共産党員でさえも共産党ではダメだと悟るようになる。そうなれば、旧ソ連のように共産党体制が崩壊することになろう。
 とはいえ、それには時間がかかる。それまでは習近平、あるいは次の独裁者が無理矢理にこれまでの体制で突っ走って行かざるを得ない。
 今後、不動産価格が下落し、企業倒産が増え、給料が上がらず、失業者が増えれば、多くの人々が政権に不満を抱くだろう。しかし、選挙はないから民衆は政権を変える手段を有さない。デモを行うことも、政治集会を行うことも許されていない。
 習近平は自分と自分の家族、そして共産党を守るために文句を言う人々に対して徹底的に強硬な手段に出る。中途半端では、かえって反発が強くなる。そして、一度、強硬な手段を取ると後戻りできない。ある中国人は、現在、新疆ウイグル自治区で行われている非人道的な政治は、実験であり、いずれ中国全土に波及することになろうと言っていた。
 今年の春節は700万人もの中国人が海外で過ごした。日本各地を呑気に観光してバブル末期の生活を謳歌していた中国人たちも、バブル崩壊に伴い所有する不動産価格が下落したり経営する会社が破綻したり、また失業する可能性がある。その際に、政権への不満をちっとでも漏らそうものなら、インターネットを監視して盗聴器を張り巡らしている当局によって拘束されて、学習施設(収容所)に連れて行かれることになろう。そこで習近平思想を徹底的に学ばされる。これから中国に、とんでもないディストピアが出現する。
 これは悪意に満ちた予想だと思われるかも知れない。しかし、独裁の欠点を知れば、それほど的外れな予測とは言えない。今後、中国で大きな悲劇が発生した時、我々はウインストン・チャーチルの名言「民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という言葉を思い起こすことになろう>(以上「JB Press」より引用)

 JB Pressに掲載された中国経済バブル崩壊に関する論評はこれまで多くの現実的な評論家が述べて来たことの最大公約数的な論評だ。恐らく、そのような過程を経るだろうが、あるいは早い段階で政権幹部が中南海を後にして国外へ逃亡することも考えられる。
 中国民にとってはその方が被害が少ない。現在の共産党独裁者たちが中南海に居座る方が中国民にとって悲劇的だろう。新疆ウィグル自治区で行われている「洗国策」が巨大な実験だとする論理も頷けるが、そうだとすれば何千万人も収容する巨大な「教化施設」が必要となる。

 中国「元」が紙屑になるのは時間の問題だ、というのは大方の一致した見解だ。なにしろ世界で一年間に印刷された紙幣の半分が「元」紙幣というから、もはや中共政府は「元」の信認などよりもその場しのぎの金融策で手一杯なのだろう。
 国家の通貨が下落すれば国民生活は困窮する。余りにバブル崩壊を食い止めようと中共政府が頑張り過ぎたため、バブル崩壊圧力が一層高まってしまった。

 上に掲載した論評で見落とした点があるとすれば、人民解放軍もまたバブル崩壊で暮らしが立ち行かなくなる人たちに含まれることだ。軍人たちの給与が遅配となり、しかもハイパーインプレで高騰した物価に対して微々たる額でしかないとなると、人民解放軍が中南海へ向かって進軍を開始しないとも限らない。
 あるいは中国お得意の便衣兵として社会騒乱の主役を演じるかも知れない。歴史的に中国では国民を飢えさせた政権は中国から追放されるか、中国人の手で虐殺されている。ディストピアが出現するかもしれないが、それは長くは続かないだろう。

 日本国民はバブル崩壊から失われた20年を我慢強く耐えてきた。そして愚かな財務省の財政規律論に毒された無能・政権によって消費増税10%により失われた30年へ突入しようとしている。
 しかし中国民はそれほど我慢強いとは思えない。ディストピアが出現したとしても、それは極めて短期間で終わるだろう。それも「人民解放軍」の兵士たちの手で、その名の通り人民を共産党独裁政権から解放することによって。

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