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研究開発は狙いを定め矢を射るのとはわけが違う。

  再生医学研究がIPS細胞研究の延長線上にあるのは理解できる。しかし政府が「成長戦略の三本目の矢と銘打ってPTを立ち上げる」のには違和感を覚えざるを得ない。  研究とは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」といった側面があることも否めないだろう。むしろ外れた鉄砲弾の方に別の研究のヒントや萌芽が潜んでいたりするものだ。    官僚たちの「失敗しない」体質が最も研究と縁遠いものだと思えて仕方ない。御仕着せのような研究PTを発足させ、賑々しく進めて碌なことはないだろう。  ノーベル賞受賞者を中心とした研究だけに光を当てるのも「どういうものか」と思わざるを得ない。IPS細胞の仕組みに気付いていたのはノーベル受賞者ただ一人だったわけではない。    なぜ官僚は研究者がそれぞれ同じ目的へ向かって切磋琢磨し競うことを厭うのだろうか。全国で同じようなことを研究していた研究室に研究費を出して、定期的に研究途中経過を聴取するコンペを実施する方が良いのではないだろうか。  そしてそれを以て第三の矢とするのは生命医学研究を冒涜するもので、成長戦略に位置付ける動機そのものが不純に過ぎないだろうか。功利的な研究PTなどというものは碌な結果を招かないものだ。    安倍政権の経済ブレーンに志の高い人物はいないようだ。所詮は実態のないアベノミクスに気を良くして、一日も早く実体経済を成長させようと焦っているとしか思えない。時悪しく、6月の経済成長がマイナスだったと本日発表された。  金融政策だけで実体経済が成長すると考える経済学者はいないはずだが、安倍政権には宣伝屋や経済評論家モドキが取り巻きにいて、華々しく打ち上げ花火を上げていれば、そのうち経済も上向いてくるだろうと根拠のない楽観論を安倍氏の耳元で囁いているのかも知れない。それとも楽勝間違いない参議院選を無難に乗り切れば、後は野となれ山となれ、と高を括っているのかもしれない。

再稼働するための「安全基準」は認められない。

  原子力規制委員会の名称を原子力推進委員会に改めるべきだろう。何が何でも原発再稼働へと進む安倍政府は再稼働するための「安全基準」を定めて、それに合致しているか否かで再稼働の判断をするという。  全国で5原発の「安全基準」判定の申請がなされた。福一原発では未だに放射能漏れが収束していないどころか、海へと流れる地下水の放射能濃度が数日前の90倍(正常値の150倍)近くにハネ上り、原子炉建屋の汚染水が地下水へと流れ出しているのが明らかになっている。そうした放射能汚染水の流出すら止められず、環境に深刻な打撃を与え続けている現状にも拘らず、どの面下げて「再稼働」の申請を電力各社はしたのだろうか。    我が国の科学技術と土木技術の粋を結集して、福一原発放射能漏れ事故の放射能漏れを止める対策を仕上げることが最も急がれている。それこそが政府のなすべき原発行政の喫緊の課題だ。  それを人任せにして、原発再稼働を画策するとは何事だろうか。原発行政に関して政府は深刻な反省をしたのだろうか。警察や検察はこれほど広範囲の環境汚染と健康被害を及ぼした福一原発事故に対して誰一人として逮捕もせず、誰一人として犯罪を問わないのはなぜだろうか。    相手が原発だから問題ないというのだろうか。それとも地震と津波による自然災害だから原発に瑕疵はないとでもいうのだろうか。  すべてを有耶無耶にして次の段階へ進むのを国民は納得しているのだろうか。それとも原発再稼働なしにはブラックアウトする可能性があるとでもいうのだろうか。    原発行政に関して、この国は治外法権を認めているかのようだ。何をやっても原発に関することなら許されるかのようだ。  この国の原発行政が飛んでもない状況にあるという認識がマスメディアにないのはなぜだろうか。国民に原発行政に対する深刻な行政責任を問う姿勢が欠如しているのはなぜだろうか。    昨日(7/10)福一原発事故当時所長だった吉田氏が食道癌で亡くなられた。テレビニュースで吉田元所長の死を伝える際に、その死亡原因となった癌と放射能漏れ事故対策よる放射能被曝との因果関係に言及する専門家が皆無だったのはなぜだろうか。  それともマスメディアは福一原発周辺が深刻な放射能汚染の状況にあることや放射能被曝が死に到る深刻な健康被害を与えることを伝えることを誰かに憚っているのだろうか。民間放

福一原発元所長の吉田氏が食道癌で今朝11時ごろ他界したという。ーー合掌

  さっそく東電は福一原発の放射能による健康被害が現れるのは被爆してから五年程度かかることから、福一原発事故と吉田元所長の死とは因果関係がないとのコメントを発表している。しかし元所長の被爆の程度を東電が詳細に把握していたとは思われず、福一原発放射能事故による被害者といえなくもない。  東電が被爆による症状と被爆放射能量との因果関係を詳細に掴んでいるなら、吉田元所長が浴びたと思われる放射能を浴びるまで東電社長をはじめ、役員幹部社員は福一原発で作業を是非とも行って頂きたいものだ。特に吉田元所長のご逝去の報に接して「福一原発放射能漏れ事故との因果関係はない」とコメント発表したオマエ、明日にでも福一原発へ赴き、瓦礫撤去や汚染水除去作業に従事して吉田元所長が浴びた放射能と同程度まで浴びなければならない。それは「因果関係はない」と断定したオマエの義務だ。    世間には程度の解らないバカがいる。本当は頭が良いが、放射能汚染との因果関係を認めると東電にとって都合が悪いからトボケているのか、あるいは本当に何も解らないまま会社の提示したペーパー読むだけの広報担当社員なのかだろう。いずれにせよ、「被爆から五年経過していないから因果関係は認められない」と東電が公式に発表したことは大問題だと指摘しておく。  つまり電力会社とはその程度の意識しかない会社なのだ。だから放射能漏れ事故を起こすような原発を運用させてはならない。彼らは原発事故後に事故処理に当たった全員の被爆線量の総合計を詳細に掴んでいると自白し、吉田氏に関しては被爆後五年経過しなければ癌化しない程度の放射能しか浴びていないと判断した。それではすべての福一原発事故処理に当たっている人たちの被爆線量の総合計を個個人別に発表して頂きたい。    それで「被爆後五年を経過しなければ癌化しない」と判断したのは誰なのかを明らかにして頂きたい。つまり、これは吉田元所長が単に食道癌から脳梗塞を起こした死亡した個人的な「病死」なのか、放射能漏れ事故を起こした福一原発で放射能被曝をして癌を発症し、それが遠因となって亡くなったという「労災」なのかは補償に関して大きな問題だからだ。  吉田元所長がどれほど総被爆していたのか、それを東電が掴んでいるなら公表し、だから福一原発放射能漏れ事故とは因果関係はないと証明しなければならない。なぜ早々と東電は「関係ない

表面化してきた中国の経済危機。

  やっと日本のマスメディアが中国の経済危機を伝え始めた。しかし、それにしても極端におとなしく、当局の発表のみの意図的と思わざるを得ないものだ。  本日(7/9付け)の読売新聞が7面で「中国、金融報道を規制」と比較的小さな扱いで報じている。それがどんな意味をもたらすのか、中国最大の造船会社が破綻した事などには一切触れず、中国国内で起こっている金融破綻に関しても「短期金利の上昇と上海株式市場の株価急落」と書いているに過ぎない。    それともこの国のマスメディアは中・韓の経済危機に関しては「書かないでおこう」との協定でも結んでいるのだろうか。韓国から海外銀行が相次いで撤退し、三棟建てた高層の「金融センタービル」が一棟を除いてガラガラ状態となり、残りの一棟も半分程度しか金融会社が入っていない状態だ。英国の大銀行は韓国内にあった11支店のうち1支店を残して撤退している。  中国最大の中国工商銀行が一時ATMを閉鎖したのはつい先日のことで、地方政府は中銀の金融引き締めによりデフォルトするところが相次ぐだろうと経済アナリストたちは分析している。日本政府に一日も早く中国から企業を撤退させるべくUターン投資減税すべきとこのブログに書いてきたところだが、まだ中国に残留している企業は既に撤退時期を逸してしまったようだ。    これから中国はどうなるか。清国の版図をそのまま受け継ぎ、つまり満州族の一つ女真族が万里の長城以南へ侵略した逆コースを辿って東北部からチベットやウィグル民族地域を軍事侵攻した民族矛盾が表面化するのはもちろんのこと、漢民族内部でも様々な利権争いが起こるのは必至だ。  中国が日本と同じような統一国家だと考えるのは間違いだ。日本ではどの勢力が統治しようと反対勢力や対抗勢力を根絶やしにしたり、文化や遺跡を徹底して破壊したりしなかった。しかし中国では「焚書坑儒」や「文化大革命」に見られるように、敵対すると思われる勢力は数千万人でも虐殺し、書物を焼き払い思想洗脳を徹底してきた。    中国ではかつて一度も民主的な選挙で政治家が選ばれたことがない世界でも稀な独裁国家だ。そうした国家体制を批判せず、中国国内の実態を報道しない日本のマスメディアとは一体何だろうか。  日本のマスメディアの報道の自由は民主主義社会の賜物だ。マスメディアには「報道しない」自由ばかりか捏造疑惑を煽りたてる

参議院選挙は「新自由主義」か「修正資本主義」かの選択だ。

  小沢氏が記者(産経新聞)の質問に答えている。「自民党安倍政権が進めようとしている政治は小泉政権が行ったのと同じ企業化優先の政治だ。野放図な自由競争は弱肉強食の「獣」の社会だ。つまり小沢氏は「しっかりとセイフティネットを整えた上での競争でなければならない」と、今度の参議院選挙の争点が「新自由主義」か「修正資本主義」かの選択だと看破している。    まさしく「TPP参加」へ安倍政権がまっしぐらなことも新自由主義の政治を行っていることに他ならない。彼らにとって「保護する」ことは「邪悪」であり、あらゆる「規制撤廃」こそが「社会正義」なのだ。  新自由主義は歴史の時計を逆回しすることに他ならない。世界で最初に産業革命を成し遂げた英国社会は何ら「規制」がなかったため、社会は工場や農地などの生産手段を持つ「資本家」と生産手段を持たない「労働者」とに明確に分けられた。そして資本家は益々生産手段を集中させて、他の資本家も潰して富の一極集中を図った。生産手段の拡大により生産物の市場での寡占や独占状態が出来あがると値段を釣り上げるのは常套となり、労働者の暮らしをますます困窮へと追いやった。    そうした悲惨な状態が資本主義社会に出現したことに対して、マルクスが「資本論」を著わして「社会主義」や「共産主義」を提唱した。それは生産手段の国有化により野放図な資本家による労働者からの搾取をやめさせようとするものだった。  そこで資本主義の行き過ぎた社会を是正する動きが出て、資本家たちを規制し労働者たちを守る法律が整備され、政治が「富の再配分」と「あらゆる国民の最低生活保障を行う」社会保障の理念が社会に浸透した。それが「修正資本主義」だ。日本も修正資本主義社会に他ならない。    そうした国民の生活と富の一極集中を排除する仕組みを壊そうとする政治集団が現れた。彼らはあらゆる法規制を悪と決め付け、国民に「規制撤廃することこそが善」であると主張している。安倍氏が「限定正社員法」の採用を試みているのも「正社員」の法的保護を奪って経営者がいつでも社員の首を切れるようにするものに他ならない。  彼らは自由競争こそが「善」であり、すべての「規制」を悪とする。しかし資本主義の行き過ぎを是正するために設けられた「規制」を撤廃すれば何が起こるか、派遣規制法の撤廃により正社員の比率が下がり貧困層が拡大している日

「社会保障制度改革国民会議」の議論の中身を国民に報せよ。

 医療や年金などを議論している政府の「社会保障制度改革国民会議」の議論の中身が一向に伝わってこない。一部には74歳以上の医療費窓口負担を現行の1割から2割に増やすとの話があったりするが、それがどうなっているのか分からない。  「社会保障審議会年金数理部会」が平成24年12月21日に発表した数字をみると国民年金の平均支給額は月額5.8万円で、厚生年金の平均支給額は月額16.1万円で、国家公務員共済年金の平均支給額は月額21.4万円で、地方公務員共済年金の平均支給額は月額22.1万円で、私立学校教職員共済の平均支給額は月額20.9万円となっている。    この国の年金制度は公務員のための年金制度だということが上記平均支給額から解るだろうか。ただすべての年金制度の総平均支給月額はあらゆる資料をひっくり返しても何処にもない。敢えてそうした数字を国民の前に出すのを官僚たちと政治家たちは出さないでおこうとしているかのようだ。  国民を現役時代にどのような職業に就いていたかによって社会保障の年金を差別することにどのような意味があるというのだろうか。ただ国民年金加入者数は6673万人と最大で、厚生年金加入者数は3451万人で次に続き、国家公務員共済組合加入者は106万人、地方公務員共済組合加入者は286万人、私立学校教職員共済加入者は49万人だ。    この国の65歳を超えた国民の2/3を占める大多数は月額年金5.8万円を受給していることになる。それで暮らすことは不可能だ。ちなみに扶養者のいない生活保護(都市部)は一人当たり月額13万円を超えている。厚生年金の16.1万円には満たないが、国民年金5.8万円の倍以上の金額だ。  国民年金は40年間一度も欠かさず保険料を支払っても満額支給額は6.5万円でしかない。生活保護費の半額程度だ。是非とも政府の「社会保障制度改革国民会議」のメンバー構成がどのようになっているのか、詳細を知らせて頂きたい。もちろん個人情報は秘匿して頂いて結構だが、個々人の年金支給額(まだ受給年齢に達していない方は現行制度で予想される受給金額)も併せて報せて頂きたい。つまり、どのような年金受給者たちが「社会保障制度改革国民会議」の委員を構成しているのかを知りたい。    この国の社会保障制度を議論するのに当たって、それぞれの制度に押し込められたすべての制度の人たちが、

96条の2/3改憲規定は1/2に緩和すべきだ。

  改憲規定を議論しているのは国会でのことだ。依然として国会で改憲決議したとしても国民投票で1/2以上の賛成がなければ憲法改正は出来ない。  現在まで、憲法改正議論が国会で議決され、国民のところまで降りて来たことはない。国会で真剣に憲法について議論したこともなければ、各党が改正憲法草案を国民に提示して選挙の争点にしたこともない。    それは政治家が国家として何かを為そうとするときに、基本的に活動制限される規定に関して真剣に議論した事がないことを示している。それでいて自衛隊は存在し、平和活動といえども武器携行して海外へ派遣されたりしている。  憲法論議を経ることなく、なし崩し的に解釈で改憲している現状は極めて不誠実だといわざるを得ないだろう。そうした状況を今後とも続けて良いのだろうか。    いかに厳密に採寸して服を誂えても、体が変化すれば服は合わなくなる。国際状況も終戦直後から大きく異なっているし、日本の存在そのものも終戦直後とは雲泥の差だ。  日本が国家として国際的に貢献したり、国家として国民の命と財産を守るために日本が「集団的自衛権」を行使するのは当たり前のことだ。それすらも拡大解釈で乗り切ろうとするのは余りに憲法を蔑ろにし過ぎてはいないだろうか。    しかも日本の領土を簒奪しようと試みる中国や、不法占拠して恥じない韓国や北方四島の帰属を定めたサンフランシスコ条約に名を連ねていないから火事場泥棒同然に奪ったのも、戦利品だと強弁する国家まで近隣諸国には存在する。いや、日本の近隣諸国はそのような不埒な国家ばかりだと云った方が早いだろう。そうした国々と国境を接している国・日本が憲法で中途半端な「戦争放棄」などを謳っていてどうするというのだろうか。  ある漫画家などはテレビ番組の中で堂々と「他国が侵攻してきても戦わないで占領され、占領された国土の中で平和に生きることを選ぶ」などと惚けた発言をしたのを耳にして「この男は正気か」とテレビ画面を睨みつけたものだ。そうした考えの人間がテレビに大きな顔をしてコメンテータとして登場していることに、日本は能天気な憲法を頂いてから半世紀以上経て、既に危ない崖っぷちに立たされていることを国民は認識すべきだ。    改憲条項の緩和に賛成する。そしていかなる憲法にすべきか、国民も巻き込んだ議論を起こすべきだ。万が一の事態に対処する想定もし

原発再稼働を煽る「読売新聞」は原発事故の現状を少しは伝えたらどうだろうか。

  今日七夕の読売新聞の社説はあまりに酷い。何が何でも原発再稼働させたい一心のようだ。そのためなら理由にならない屁理屈を掲げて世論を徒に煽ろうとする。  曰く「電力安定で経済再生に弾みを」、曰く「電気代2倍でどうする」、曰く「人材の枯渇が心配だ」と、国民の心配には何も答えていないで、闇雲に再稼働のための屁理屈を並べ立てている。    電力安定供給が出来ていないと考えているのは読売新聞だけだろう。電力不足で読売新聞社の輪転機が止まって印刷できない事態が発生しているというのだろうか。それとも、電力不足で電気自動車の開発に待ったが掛ったとでもいうのだろうか。  経済再生に必要なのは電気ではなく、新規製造設備投資だ。そのためには読売新聞などが煽りに煽って海外移転した企業を国内にUターンさせ、国内雇用改善と同時に経済成長に資すべく生産設備投資を促進することだ。国内労働費が海外の3倍ならば3倍の生産性を上げられる新規設備投資をすれば良い。その方途を考えるのがマトモな経営者で、労働費の安い海外へ移転して利益を上げる「焼畑式経営」をするのなら、そこら辺のボンクラにも出来ることだ。   「電気代2倍でどうする」とは、異なことを書き立てているものだ。原発事故が起きるまででも、日本の電気料金は世界先進国の平均的な電気料金の2倍近くしていた。政府補助をしている韓国の電気料金と比較すれば3倍だった。  しかも日本の電力企業の実態は「国営」に限りなく近く、競争のない地域独占事業に胡坐をかいていた。それで非効率な経営が罷り通り、電気料金の原価は「総括原価主義」という摩訶不思議な方式を官僚と政治家たちがグルになって認め、国民の高い電気料金を賦課していた。  そうした電気事業に対する批判もなく、原発停止により「電気代金が上がるゾ。それでも良いのか」とマスメディアが国民に脅しをかけるとは何事だろうか。彼らは自分にたちに与えられている第三の権力の使い方すら忘れて、原子力ムラの機関紙になり下がっているのだろうか。   「人材の枯渇が心配だ」とは寝言を言うなと云いたい。現状のままウランを消費すれば世界のウラン資源は100年ももたないといわれている。原子力こそ限りある資源で、これから育成すべき人材は原子炉を廃棄する人材だ。その育成場所は福島にある。東電幹部は東京本社にいないで、大挙して福島へ移動すべきだ。そこ

選挙で問われるべきは「新自由主義」か「修正資本主義」かだ。

  野放図な資本主義は極端な格差社会を招いた。日本でも戦前は「規制なき社会」で中産階級の少ない一握りの資本家とその他大勢の労働者に分かれていた。  それがどんな社会だったかを知るには小林多喜二の「蟹工船」や中野重治の詩を読むと良い。かつて大竹しのぶが熱演した映画「野麦峠」は製糸工場で働く女工哀史を描いたものだった。    戦後GHQが絶対権力者として財閥解体や農地解放などを強引に推し進め、日本の一握りの資本家たちを解体してしまった。ただGHQの絶対権力に尻尾を振って取り入ったのが官僚たちとマスメディアだった。彼らは戦前のまま解体されることなく、終戦直後は進駐軍GHQに仕えて民主主義の先兵面をした。  しかし戦後の日本社会が民主主義国家として共産化することもなく巨大な中産階級の出現により安定的な社会を構築したのは「修正資本主義」政策によるものだ。修正資本主義を是とした日本社会のあり方を持続させるために様々な「規制」が作られた。    農地法も派遣規制法などもそうした「資本」の一極集中を防ぐ手立ての一つだった。物事には必ず表と裏がある。農地解放によって一握り地主が大勢の小作人を使って更に富を増やして農地を買い占めるのを防ぎ、小作人に小作していた農地を傘一本程度の値段で強制売却したことにより大勢の自作農が出現した。それにより農家が多く存在する地域は保守勢力の基盤へと変貌した。  都市労働者たちも「タコ部屋」などの劣悪な労働環境から「規制」により守られ、労働三法などにより労働者の権利が守られ「総中流意識」を形成して安定的な社会を作って来た。    だから新自由主義者が唱える「規制は悪」で、規制を撤廃することが改革だ、というのは間違っている。派遣業規制を撤廃したことによって、労働者の流動化は一気に進んだ。その流れに乗って派遣業者が全国に出現し経営者たちは「安易に首を切れる労働者」を歓迎したが、それは現代版の「タコ部屋」を作ることになった。  日本が高度経済成長を果たしたのは「終身雇用制度」によって労働環境が安定化し若い労働者が結婚し子供を生み育てたからだ。現在の少子社会を解決しなければ日本経済の成長は見込めない。    安定的な社会が最大の少子社会対策だが、同時に子育てを国家事業として捉えなければならない。劣悪な労働環境に置かれている派遣社員や一時的な雇用者たちに法の網をかぶ

闇雲に安倍政権を支持する人たちは新自由主義が何を目指しているか解っているのだろうか。

  安倍政権は隷米政権の最たるものだ。その証拠に駐米大使館の盗聴が暴かれた折に、フランスやドイツはブチ切れたのに対して日本政府は「事実を確認して、」と、出来もしない確認をするとのたまう始末だ。  オバマ氏は安倍氏との会談はおざなりに一時間程度で済まし、前夜ホワイトハウス近辺に投宿したにも拘らず、安倍氏を宿舎にハプニング訪問すらしなかった。それに対してワシントンに足をはこばない習主席にはカリフォルニアまで出向いて二日に亘り計8時間も話し合う歓待ぶりを示した。    しかし日本に対しては米国は要求すべきことはしっかりと要求している。TPP参加の条件で自動車関税は30年間温存して米国内企業を保護すると抜かしている。だが日本の農業に対しては妥協をしない覚悟のようだ。早くも牛肉などのBSE検査基準に対する米国の引き下げ要求に応じて、日本政府は国民への説明もなく勝手に緩和してしまった。  中身のないカスカスの第三の矢に対して、経済効果の数字の提示もないまま、突拍子もなく10年後には国民一人当たり150万円所得を増やすとGDPではなくGDIの数字マジックを根拠に国民総数で割り算して算出したという実態のない数字を掲げているだけだ、との批判をマスメディアは少しもしない。    その反面、小泉政権下で幅を利かせた新自由主義者たちが復権し、新たにブラック企業経営者たちが安倍政権に顔を揃えようとしている。IT企業経営者やコンビニ企業経営者や居酒屋企業経営者たちの基本経営理念は社員への厳しい規律と企業忠誠心を要求する半面、企業利益の労働分配率の低さが特徴だ。  一握りの人たちが富み、大勢の労働者の雇用環境が悪化するのが新自由主義の社会だ。米国の現在の姿を見れば一目瞭然だ。それでも無批判に安倍政権を支持し、中・韓に譲歩しない姿勢だけに強く共感する人たちには困ったものだ。    民主党は未だに党首が「民主党は一枚岩だ」と間抜けな談話を発表している。それでは「消費増税」で反対して、党内に留まった人たちは菅・野田政権下で消費増税を推進した人たちとナアナアで仲良くやっているというのだろうか。  今度の参議院選挙でも、またも民主党は解党的な大敗をするだろう。衆議院選挙であれほどの大敗を期しても一切の反省もなくダラダラと党運営している政党にどのような将来展望が拓けるというのだろうか。なぜ2009マニフェス