参議院選挙は「新自由主義」か「修正資本主義」かの選択だ。

  小沢氏が記者(産経新聞)の質問に答えている。「自民党安倍政権が進めようとしている政治は小泉政権が行ったのと同じ企業化優先の政治だ。野放図な自由競争は弱肉強食の「獣」の社会だ。つまり小沢氏は「しっかりとセイフティネットを整えた上での競争でなければならない」と、今度の参議院選挙の争点が「新自由主義」か「修正資本主義」かの選択だと看破している。


 


 まさしく「TPP参加」へ安倍政権がまっしぐらなことも新自由主義の政治を行っていることに他ならない。彼らにとって「保護する」ことは「邪悪」であり、あらゆる「規制撤廃」こそが「社会正義」なのだ。


 新自由主義は歴史の時計を逆回しすることに他ならない。世界で最初に産業革命を成し遂げた英国社会は何ら「規制」がなかったため、社会は工場や農地などの生産手段を持つ「資本家」と生産手段を持たない「労働者」とに明確に分けられた。そして資本家は益々生産手段を集中させて、他の資本家も潰して富の一極集中を図った。生産手段の拡大により生産物の市場での寡占や独占状態が出来あがると値段を釣り上げるのは常套となり、労働者の暮らしをますます困窮へと追いやった。


 


 そうした悲惨な状態が資本主義社会に出現したことに対して、マルクスが「資本論」を著わして「社会主義」や「共産主義」を提唱した。それは生産手段の国有化により野放図な資本家による労働者からの搾取をやめさせようとするものだった。


 そこで資本主義の行き過ぎた社会を是正する動きが出て、資本家たちを規制し労働者たちを守る法律が整備され、政治が「富の再配分」と「あらゆる国民の最低生活保障を行う」社会保障の理念が社会に浸透した。それが「修正資本主義」だ。日本も修正資本主義社会に他ならない。


 


 そうした国民の生活と富の一極集中を排除する仕組みを壊そうとする政治集団が現れた。彼らはあらゆる法規制を悪と決め付け、国民に「規制撤廃することこそが善」であると主張している。安倍氏が「限定正社員法」の採用を試みているのも「正社員」の法的保護を奪って経営者がいつでも社員の首を切れるようにするものに他ならない。


 彼らは自由競争こそが「善」であり、すべての「規制」を悪とする。しかし資本主義の行き過ぎを是正するために設けられた「規制」を撤廃すれば何が起こるか、派遣規制法の撤廃により正社員の比率が下がり貧困層が拡大している日本の現状を見れば明らかだ。


 


 小沢氏が看破されている通り、自公政権が参議院で過半数を占めれば竹中氏や三木谷氏たちの「新自由主義者」たちに「ワタミの渡辺」氏などを加えた勢力が「規制撤廃」を声高に主張して「修正資本主義」から「修正」の二文字を取ることに専念するだろう。それがどんな社会を招来するのか、日本よりも一歩先に新自由主義者たちによって変革された米国社会を見れば明らかだ。


 「規制撤廃」を自民党と同じように主張するみんなの党や「行政組織の改編」だけを叫ぶ維新の会は自民党の補完勢力に過ぎない。民主党の中にも「消費増税」を遮二無二推し進めた「新自由主義者」の一派がいる。彼らは貧困層からも消費税により税を毟り取り、高額年金受給者により高額な年金を供給しようとする飛んでもない連中だ。なぜ2009民主党マニフェストに掲げた「最低保障年金」を民主党の「消費増税」一派と自公が反故にしたかを見れば、彼らが社会セイフティネットの構築よりも、自分たちの利権擁護を優先する連中だということが解るだろう。


 


 社会保障の基本理念は「負担は応能で、支給は一律」というものだ。それが大原則でない限り「勝ち組」は死ぬまで勝ち続け、「負け組」は死ぬまで負け続けて、連鎖は子供たちにも及びかねない。そうした社会の行き着く先はマルクスが見た19世紀の英国社会そのものだ。


 新自由主義者たちの躍進を許してはならない。叡智により安全にして誰もが安心して暮らせる社会を構築した日本を壊してはならない。安倍氏が叫んでいる「日本を取り戻す」という主張は「日本を壊す」ということに他ならない。野党は小沢氏を中心に再結集すべきだ。自公に対抗できる政治理念を持つ政治家は小沢氏以外に、日本の政界に見当たらない。



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